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ページタイトル 日立評論創刊一千号記念 特別座談会
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技術立国 日本の復活

世界に新たな価値をもたらす技術開発の展望
 


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本誌「日立評論」は,国内製造業初の技術論文誌として1918(大正7年)に創刊,本号で通巻一千号を迎える。その間,わが国は「東洋の奇跡」と称えられた高度経済成長を成し遂げ,GDP(国内総生産)世界第二位の経済大国となり,現在,国際社会に対するリーダーシップを求められている。戦後日本の繁栄を振り返ると,その中で製造業が果たしてきた役割は計り知れない。そして21世紀においても,日本が国際社会に貢献する存在であり続けるためには,製造業,とりわけ新技術の創造,研究開発が主役を担っていくことが期待されている。今回,本誌創刊一千号を記念して,わが国を代表する製造業企業の研究開発部門を統括するリーダーが一堂に会し,新たなる「技術立国」として復活を図る日本の未来について語り合った。
 
写真
日産自動車株式会社  取締役副社長(座談会開催時)
 大久保 宣夫
三共株式会社 代表取締役副社長 杉村 征夫
キヤノン株式会社 常務取締役 山本 碩コ
日立製作所 執行役副社長 中村 道治
 
 

高付加価値製品を生み出すイノベーション―過去から現在を見る

 
[写真]
 
大久保 宣夫
Nobuo Okubo
1942年島根県出身。1964年東京大学工学部機械工学科卒業,日産自動車株式会社入社。シャシー設計部・実験部を経て,1988年米国の日産リサーチ&デベロップメント会社(現在の日産テクニカルセンターノースアメリカ会社)出向。1991年帰国。1992年取締役,1997年常務取締役。1999年から取締役副社長として技術開発部門を統括。2004年から日産車体株式会社 取締役会長を兼任。2005年から日産自動車 チーフ・テクノロジーオフィサー。社団法人 発明協会理事。
中村 現在の製造業において,各社に共通した最重要課題は,国際市場に通じる高付加価値製品を出し続けていくことでしょう。そのためには,技術革新,イノベーションが不可欠であり,これを日本の強さの源泉にすべきではないかと私は考えています。
 そこでまず,日本の製造業を代表する各社で技術・研究開発をリードしておられる皆様方に,これまでの歴史を振り返りつつ,現状をどのように認識されているか,さまざまな角度からお話を伺いたいと思います。

大久保 日本の技術と言ったとき,その元を遡れば,多かれ少なかれ欧米先進国の技術を学び,模倣するところからスタートしています。日産自動車の歴史も,図面,治工具,設備までを含めた技術の導入から始まりました。そのような状況で世界を相手にした競争に勝っていくため,高度な品質や低コスト,タイムリーな市場導入などといった国内市場の厳しい競争条件下で,法規制を順守し,お客様に対する価値を向上させる努力を,こつこつと真面目に続けてきたのです。
 日産自動車は,1935年に日本初の量産工場と言われた横浜工場から,小型自動車「ダットサン」を世に出しました。同年には輸出も始まり,「旗は日の丸,車はダットサン」と称されるほど,躍進する近代日本工業のシンボルとなりました。1950年代後半から始まった高度経済成長時代には,「ブルーバード」や「セドリック」が市場の人気を博し,日本のモータリゼーションを急速に発展させ,また1966年に市場に出した「サニー」は日本にマイカー時代の到来を告げ,以来,大衆車市場が急成長していくことになりました。
 技術を導入し,発展させていくうえでは,和の精神に則り,多くの人たちがお互いに協力しながらスピーディに動くのを得意とする日本人の特性が絶妙に機能し,結果として国際的な競争力を保つことができたように思います。ことに自動車産業の世界では,そう言ってよいでしょう。ただし今後,モジュール化の進展のようにビジネスのシステムやスキームが大きく変化して行くと,こうした特性が従来と同様に強さ,優位として機能するかどうかは難しいところです。
 日本は,デザインや独自のアイデンティティー,つまり他者と違った存在になるということを,あまり重視してこなかった面があります。しかし今,グローバルな競争において最も重要視されているのは正にそこなのです。そして,他者と違った存在になる鍵は独自技術にあり,それを基に発展させる将来技術にあるのではないか。そういう意味では,企業経営の視点と将来技術との連携を円滑にし,より効果的な研究開発を進めることが喫緊の課題であると認識しています。

杉村 三共は,1899年,ニューヨーク在住の高峰譲吉が発見した消化酵素タカヂアスターゼを輸入販売するために設立したのが始まりです。創業以来100年を超える長い歴史の中で,さまざまな事業を手がけてきましたが,現在は医薬品に特化した事業を行っています。
 医薬品には,他の製品とは決定的に異なる大きな特徴が幾つかあります。まず,研究開発の期間が非常に長く,膨大な費用がかかるということ。一つの医薬品を開発するには最低でも14年ほどの期間を要しますし,それにかかる費用は約800億円とも言われています。また,製薬企業は,自分たちで開発したものであっても,そのまま最終的な製品を創造できるわけではありません。製薬企業で研究開発を進めているものは,厳密に言えば,医薬品そのものではなく,医薬品の“素”なのです。私どもはこれを「開発行為」と呼んでいるのですが,この医薬品の素を実際に販売できる医薬品にするためには,人に効くことを確かめなければなりません。企業から一旦離れ,医療機関などで治験(臨床試験)を行う必要があります。そこで定められた諸基準をクリアし,さらに国や行政による厳しい認可を得たうえで,製薬企業は初めて新しい医薬品を製造,販売できるのです。
 実は,日本の製薬企業が本格的な医薬品の研究開発を始めたのはそれほど古いことではなく,ここ30年程度の歴史しかありません。それ以前は,自分たちで独自に研究開発するのではなく,欧米の企業とタイアップし,自分たちが医薬品の素を発見したら,その後は欧米の企業に開発を一任するという形をとっていました。しかし現在では,諸外国の製薬企業に伍して独自の研究開発を行っています。もともと医薬品の効用に国境はありませんから(笑い),グローバルな競争に勝っていくためには独自の研究開発が不可欠であるというのが実情なのです。

山本 キヤノンの場合,創業(1937年)当初の主力製品はカメラでした。企業の歴史として振り返れば,技術を基盤とする多角化とグローバル化と言えます。創業時の基本理念からすると,今日まで本質的に大きな変化はないと思います。
 「世界一の製品を」という企業目的のもと,かなり早期からグローバルな展開を進めてきました。1955年には米国に,1957年には欧州に支店を創設しています。輸出産業の先べんをつけ,自分たちが開発した製品を世界市場に提供するというスタンスは現在でも変わっていません。その結果,キヤノンの売上シェアは,北米,欧州,日本がそれぞれ3分の1ずつ,ほぼ均等となっています。
 そうした中で,自社の独自技術を重要視すること,さらにその技術を複合化,多角化してきたことが,私どもの特徴であると思います。独自技術を開発し,その知的財産権によって他社の追従をかわしながら,その優位性をもって,次の技術を発展させていく。これが私どもの一貫した方法論です。そこに経営の力点を置いてきた結果,米国での特許件数は毎年上位を保ち続けております。
 技術の多角化とは言え,私どもの事業は広い意味での「イメージング」と,その関連技術を核としていることに変わりはありません。カメラから始まって光学技術,精密技術を手がけ,さらにエレクトロニクス,材料技術を融合していくことで,複写機,レーザビームプリンタ,さらにはインクジェットというように,多角化を図ってきました。

中村 どうもありがとうございます。
 私ども日立製作所についてご紹介させていただきますと,日立製作所は1910年,日立鉱山を所有していた久原鉱業の電気・機械の修理工場から始まりました。創業当時は,鉱山の機械一つをとってみても,全部欧米から輸入してきたもので,輸入装置を使いながら,壊れたときだけは自分たちで修理するという状況でした。 
 そんな中で,こうした電気・機械を国産技術で何とか造れないだろうかというのが,創業者の小平浪平の想いでした。ですから私ども日立は,創業時から国産技術,自主技術に非常に深いこだわりを持った会社であったと思います。
 創業まもなく独自に開発した5馬力モータから始まって今日までの95年間,変圧器,発電システム,産業機器,昇降機,交通,水道など,人々の暮らしを陰で支える社会インフラの分野で,広く事業を展開してきました。
 もう一つの流れとしては,戦中の昭和17年に設立された中央研究所が,戦後はエレクトロニクスの研究機関としてさまざまな成果を上げていきました。半導体,コンピュータ,情報・通信,ディスプレイなど,今日のITへとつながっていく領域です。
 一世紀にわたる社会インフラ事業と,半世紀以上に及ぶエレクトロニクス事業という,二つの流れを合わせて「総合電機」という形で事業展開してきたわけです。この総合力を最大の強みにして,グループ全体として持っている,さまざまな系統の技術をうまく融合させながら,新しい価値をつくっていく。これが私たちの目指すところです。
 例えば自動車関連において,エレクトロニクスやコンピュータ,IT分野と自動車部品・機器の分野のスタッフが一堂に会して新プロジェクトを起こしています。そうしたダイナミックな異分野間の交流が日常的に,当たり前にできるという意味で,さまざまな境界領域に新しい事業の可能性があり,それが次の強みになるのではないかと考えています。

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