

|
|
|||||||||
福永 ブロードバンドの進展は,次世代ネットワークの扉を開き,「放送と通信の融合」という新たな価値創造のフェーズまで,その可能性は拡大しています。こうした大きな変革の中で,進化を続けるユビキタス情報社会は,今,改めて1990年代以降のインターネットの爆発的な普及・浸透を振り返って,そこから何を学び,今後それをどのように生かすことができると思われますか。
松本 1991年,私が当時の郵政省でデータ通信課の調査官を務めていたころ,WIDE(Widely Integrated Distributed Environment)プロジェクトを推進されていた慶應義塾大学の村井純教授から,インターネットの商用サービスの実現を要請されました。そこで,インターネット商用サービスに関する調査研究会を開催し,翌1992年,その報告書を取りまとめ,公表しましたが,そのすぐ後にインターネットサービスをめざす企業が次々と設立されました。これが,日本のインターネット時代の夜明けだったわけです。 それから14年後の現在,本格的なブロードバンド時代が到来し,電話のIP(Internet Protocol)化も進んでいます。実は,その当時,すでにIP電話の到来を予測する方もいましたが,私たちはそんなことはあり得ないことと思っていました。そのことから学んだのは,情報通信の世界では10年後でも正しく予測することは非常に困難だということです。もちろん研究開発や国の政策を推進するには,将来実現する目標を指し示すことが必要ですが,実際にその目標どおりになるかどうかは別問題だと思います。技術も,ビジネスモデルも,次々と新しいものが生み出され,それによって新たな展開が生まれます。そうした変化に柔軟に対応していくことが求められるのだと思います。 福永 喜連川先生は,長年データベースを中心とした研究開発に取り組んでこられましたが,その観点から,今後の情報社会はどのように変化すると思われていますか。 喜連川 コンピュータには,二つの役割,「情報処理」と「情報管理」がありますが,私が博士課程を修了した1983年ごろは,「情報処理」性能をいかに向上させるかにもっぱら注目が集まっていました。しかし,私は,将来,情報をいかに管理して価値化するかが問われるようになるだろうと考えていました。 今後,IT(Information Technology)の方向性は,ひと言で言いますと,「データドリブン」的色彩がますます色濃くなると考えています。当時から今日に至るまで,データベースが飛躍的に進化・発展し,現在の企業システムにおいて,データベース管理システムの導入されていないシステムは皆無とも言えます。さらに,データウェアハウス,データマイニングといったデータからの価値創造のための新たなフレームワークも登場しています。種々のサービスがアウトソースされる中で,「データこそが最後に残る真の資産」であり,「データからの戦略的な価値の抽出が最も重要な役割を果たす」という考えがかなり浸透してきたと感じます。ビジネスだけではなく,バイオテクノロジー,高エネルギー物理,地球環境など,さまざまな領域のサイエンスもペタ級の膨大なデータを扱う「データインテンシブなサイエンス」へと転換しつつあります。加えて,それを実現するプラットフォームでは,「分散」から「集中」への回帰が進んできております。今後も,情報の「分散」と「集中」は,適材適所で使い分けられるようになりますが,それを可能にしてきたのがブロードバンドネットワークです。巨大科学の発展も,世界規模でのブロードバンドネットワークの存在が前提となっています。情報による価値創出に向けて,情報の管理技術と通信ネットワーク技術が車の両輪のように進化してきたわけです。その進化にますます拍車がかかり,情報の利活用による,いわゆる「Web2.0」的な新しい価値が次々と創出されるようになるでしょう。 福永 今日,日本が世界的なブロードバンド先進国になったのは,政府が取り組んできたe-Japan戦略の成果にほかなりませんね。 松本 2001年6月に政府がe-Japan戦略を打ち出してからちょうど5年経った2006年6月時点での統計を見ますと,ブロードバンドサービスの加入世帯は全世帯の49.4%,光ファイバ加入世帯は12.9%まで増加しました。世界各国のデータと比較しても,今や世界の先端をいく国と言えるでしょう。これによって,経済的にも,社会的にも大きな変革をもたらしました。これからはブロードバンド環境をどう利用するかが問われる時代になります。政府が2006年から5年間のITに関する戦略をまとめた「IT新改革戦略」でも,ITによる構造改革,利用者重視という点が強調されています。医療のIT化,ITS(Intelligent Transport System),電子行政化などの推進とともに,デジタルデバイドの解消などを通じ,ブロードバンドネットワークによって創出される価値を多くの人が享受できる社会づくりをめざしていこうという考えです。
福永 その中で注目されているのがNGN(Next Generation Network)ですね。
松本 現在のインターネットに対する反省も踏まえ,強固なネットワークセキュリティを確保したうえで,信頼性の高いサービスを提供できる,より安全で高度な情報ネットワークのインフラ整備が求められています。そうしたニーズに応えるのがNGNですが,最近になって,これを強力に推進する動きが日本や欧米で活発化してきました。今後5年間は,このNGNに向けた動きが大きな流れとなっていくでしょう。 福永 NGNが実現すれば,セキュリティやQoS(Quality of Service)などを含め,情報インフラとしての品質も格段に向上します。それを土台として,これまで考えられなかった,多くの新しいものが生み出されていくと思われますが,中でも「情報爆発時代」に向けた大型プロジェクトへの期待が高まっています。 喜連川 21世紀に入り,人間が生み出す情報量が爆発的に増加しつつあり,「情報爆発時代」を迎えています。そもそも情報の生成を容易にしてきたのはITですので,われわれは,この情報爆発という現象から派生する種々の問題に真剣に取り組んでいく必要があると感じています。特に大きな課題は,「欲しい情報の的確なサーチとサービス化」ということです。膨大で多様な情報から,真に必要な情報を効率よく,かつ偏りなく安心して取り出すことを可能にする技術,すなわち,多数派意見だけではなく少数意見も取り出したり,少ない検索語では曖昧(あいまい)になりがちな問い合わせをインタラクティブに詳細化するような手法を実現したりすることが重要になってくると考えています。現状のサーチエンジンは,数秒で回答を返すという制約の中で運用されています。しかし,真に価値の高い検索結果を与えることができれば,利用者はもっと長く待ってくれるかもしれません。つまり,時間がかかっても,きめ細かな深い処理が求められるケースも多々現れてくると予想されるわけです。われわれは,現在,独自技術の開発をめざしておりますが,それには大規模なプロセッサ・ストレージシステムや,機械学習,自然言語処理,データベース,情報検索など,情報通信分野全般にわたる知の融合が不可欠で,とても少人数の研究グループで実現できるようなテーマではありません。そこで,大学間を横断して,「情報爆発時代に向けた新しいIT基盤技術の研究」というプロジェクトを立ち上げて取り組んでいるのです。 この「情報爆発プロジェクト」が,情報爆発時代の基盤技術を中心として情報学の本質を究めようとしているのに対し,新たな産業のセグメント創出をめざしているのが,経済産業省主導の産学官連携による「情報大航海プロジェクト・コンソーシアム」です。こちらのプロジェクトに関しては,メディアでは,日本製サーチエンジンの開発という側面が特にクローズアップされていますが,私は,サーチエンジン自体はプロジェクトがめざす最終目標の一部にすぎないと考えています。 ウェブ上の情報と言っても,地球上に存在するありとあらゆる情報全体の総量から見れば,まだまだ,ごく一部にすぎず,それよりもむしろ大きな成長が期待されるのは,例えば各種センサなどから得られるリアルタイム情報,あるいはビジネス情報などで,これらのさまざまな情報を融合させることにより,新たな価値を創生する分野であると考えています。私は「情報融合炉」と呼んでいますが,そのような多様な情報を融合するための基盤システムが情報爆発時代の社会ではきわめて重要な役割を果たすようになるでしょう。二つのプロジェクトは,スタンスは異なるものの,どちらも大量のデータから価値を生み出すという点は共通しており,それが次世代のIT社会を開いていく鍵になるものだと考えています。 松本 確かに,世の中にはさまざまなセンサや携帯電話があふれていますから,そこから得られる膨大な情報をネットワークで収集し,災害対策などに活用できないかといった試みが現実に検討され始めています。これからの災害対策には,従来型の専用の情報収集システムだけでなく,人や自動車,街頭から得られる種々雑多な情報を収集,組み合わせながら,処理・分析する方法の活用が必要です。情報融合システムへの期待は,そのような分野でも高まっています。
福永 お話をお伺いしていますと,いわゆるICT(Information Communication Technology)の分野にかかわる領域が今後の情報社会において,最もアクティブでやりがいのある世界だと実感させられます。ところが,一方では,最近は学生の理系離れや新入社員の士気低下といった傾向がマスコミで取り上げられ,「科学技術創造立国」,「モノづくり技術立国」としての日本の将来を危惧(ぐ)する意見もよく聞かれます。日立でも,日本最大の製造業グループとして,モノづくり技術の魅力やすばらしさを伝え,継承していくための社内教育や社外へのアピールなどに取り組んでいます。お二方は,ICT分野の魅力アップのためにどのような施策が必要だとお考えでしょうか。
喜連川 それについては,大学の責任が重いかもしれません。学生の質をうんぬんする前に,教官自身が夢を語れるのかというところから見直さなければいけない。すなわち,まず教官みずから,わくわくするテーマに取り組むことが何より大事だと思うのです。われわれが取り組んでおります,次世代情報融合システムや次世代サーチは,個々の研究者では到底購入できない,かなり規模の大きなシステムを必要としています。大規模なシステムの運用自体も,大学においては過去にないグランドチャレンジで,プロジェクトに参加している研究者は,これまでなかった共有大規模システムと,大規模システムでなくては得られない迫力のある成果に大きな夢を抱いています。若手研究者を中心に,組織の枠を超えた「競争」と「協創」の中で,研究者同士がお互いに刺激し合いながら新しいものを生み出していくという好循環が出来上がりつつあります。このような,ひとりひとりがわくわくするような研究環境にじかに触れることが学生たちの夢に結び付くのではないかと期待しています。 松本 おっしゃるとおり,大学における研究環境も大切ですが,理系離れというのはその先,将来の展望にもかかわっているようにも思えます。ここ10年ほど,特に製造業での業績低迷やリストラの増加といった厳しい経営状況が続いてきたことは,学生たちも敏感に感じ取っているでしょう。将来の夢を描けるようにするには,メーカーで研究や開発を担当した個人やグループにスポットライトを当てるなど,企業の側も,社員ひとりひとりが生きがいや充実を感じられる仕事環境を示していくことが大事なのではないでしょうか。 喜連川 「情報爆発プロジェクト」では,総勢約200名以上の研究者が参画されているため,全体としての方向づけが最大の課題なのですが,正しく「個人にスポットを当てる」のと近い意味で,ひとりひとりに「尖(とが)った研究を」と常々お願いしております。「尖り方」の軸を三つ定義しておりまして,一つ目は,当然のことですが,それぞれの専門分野において,アカデミックに認められたトップカンファレンスで戦える論文を書くことです。二つ目は,社会にインパクトを与えるような役立つソリューションを生み出すこと。そして,三つ目が,身内のIT研究者に対して「尖る」,すなわち,開発者にとってとても便利なソフトウェアツールの開発は,一般社会の人からは距離のある成果ですし,また,独創性を主張しやすいものではないかもしれませんが,研究を大きく加速する場合があります。この三つ軸のうち,どれか一つの「尖り方」で,自分の方向性を決めてくださいとお願いしているわけです。そして,そうすることによって,最終的にお互いのシナジーが強められるのではないかと考えております。 松本 現在,総務省が主催している人材育成の研究会では,産学官連携の研究開発を推進しているNICT(独立行政法人 情報通信研究機構)に,その資源の一部を情報通信分野の人材育成に役立てたらどうだろうかと提案されています。そのためには,産業界から,求めている人材と,その人材育成に適したプロジェクトを提案していただくという方法もあるでしょう。どのような人材を育てるかについては,種々の議論があると思いますが,国として果たせる役割があるのではないかと考えています。
福永 オープンな環境で,多種多彩な人材を集め,ひとりひとりがわくわくするような創造的なテーマのプロジェクト,しかもその中で,リーダーが全体の方向性を明確に指し示すことによって,初めて本当の人材は育つということですね。
「日立評論」は,2005年5月に創刊一千号を迎え,同年11月には,マサチューセッツ工科大学のチャールズ・M・ヴェスト名誉総長をお招きし,オープンイノベーション,グローバリズム,価値の協創などをテーマとして記念フォーラムを開催いたしました。 私は,最近,研究所内で,1965年ごろの「大型コンピュータを開発した時代に学ぼう」と言っています。当時,国際的な開発競争に打ち勝つために,国策として掲げられていたテーマでしたから,大学や国の研究機関の方々と一緒に,組織の壁を超え,日立も事業所,研究所一丸となって開発を進めていました。正にオープンイノベーションを実践していたわけです。そのような産学官連携,人材交流の動きを,これからもっと活発化していく必要もありますし,そのためにもグローバルな視点が大事だと考えています。とはいえ,それが独善的になってはいけませんので,最後にぜひお二方から,日本における産学官連携の展望について,また日立を含めた製造業の今後のあり方などについて,ご意見をお聞かせいただきたいと思います。 喜連川 数年前,私が情報処理学会の理事を務めていたとき,学会の最大の問題は企業会員が大きく減ってきているという事実でした。産学官連携は,近年ずいぶん活発になってきているようには見えるものの,企業と大学,お互いのコンピタンスを最大限に有効活用し,十分な成果を得るに至っているかと言えば,まだ疑問が残ります。私は,これに対して,産学官連携の成功の鍵となるのは,三者における「問題の共有」であると考えます。企業の要望や社会の課題を,大学は学術的な問題に転換させ,その成果を技術として社会に還元する。今も,その連携をもっと自由闊達(かったつ)にする方向を模索していますが,社会と大学の間には,依然として距離があるのが現状です。「学」からの希望として言わせていただくと,もっと「産」との交流を深められたら,ことに本日のテーマでもあるユビキタス,NGNといった,新技術の分野において,世界に先駆ける成果を創出できると確信しています。 松本 「官」の立場からも同感ですね。日本人の民族性にも関係するのかもしれませんが,研究会やシンポジウムなどで,もっとフランクに議論ができる空気,土壌をつくることが大事で,そのためには,もっと産学と官の間のコミュニケーション,交流を促進する必要性を感じます。2001年から官民交流法が施行され,公務員が民間企業で実務を経験する,あるいはその逆のケースも比較的自由に行えるようになっています。ぜひそういう制度を積極的に活用して,若手にもさまざまな経験を積んで,キャリアアップしていってもらいたいと考えています。 喜連川 大学でも,研究のための長期休暇制度を設立するといった動きが出始めてきています。国内ではまだまだ認知されていないようですが,こうした制度が広まっていけば,一時的に,大学の研究者を企業に受け入れていただくことも容易になっていくでしょう。 福永 われわれは大歓迎です。ぜひ,先進的な例をつくりましょう。 松本 今後,国際的な競争力確保のためには,世界のどの国に行っても,実力を発揮して活動できる人材の育成も大切ですね。海外での学会発表,シンポジウム,国際標準化に関する委員会活動など,あらゆる場で若い人々に参加してもらい,世界で通用する人材を育てていただきたい。それが,これから日本の産業,経済,文化が世界の舞台で存在感を発揮し続けることにつながります。 喜連川 1領域にわずかな数でもかまわない。すべての学問領域において,日本を代表するネームバリューを持った人材が育つことが理想だと,私も常々思っています。現在取り組んでいるプロジェクトが,その人材輩出の場となれば何よりです。 福永 若いころからオープンな環境の中で学び,仕事をする。その中で養われる,グローバルな協創の心――。正にオープンイノベーションが,情報爆発時代に求められるIT基盤の進化と,ユビキタス情報社会の成熟につながるのだと感じました。 本日はどうもありがとうございました。
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
| © Hitachi, Ltd. 1994, 2007. All rights reserved. |