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あとがき

小豆畑 茂 日立製作所 フェロー

小豆畑 茂

研究者あるいは技術者の能力を知識と才覚とに分けて考えてみる。必要な知識は時代と共に変わり,常に新しい知識を研究者・技術者は求められる。現在求められるIT関連の例では,データアナリティクス,人工知能,サイバーセキュリティ等が挙げられる。一方,知識と異なり,求められる才覚はいつの時代も変わらず同じである。例えば起業家精神である。小平浪平創業社長は36歳で日立製作所を100年以上前に創立した。技術者であり,5馬力のモータ開発に尽力され,また初代の研究係の長である。現在においても技術を核にした多くの中小規模の企業が大企業に成長している。以下,日立の研究者に求められる才覚について,触れてみたい。

(1)研究テーマの発掘力:良い研究テーマは研究所の宝であり,研究者が宝を創る。

新製品開発の成果で著名な研究者の多くは自ら発掘したテーマで成功している。入社時に与えられたテーマの研究は数年で卒業し,次に新たなテーマを自ら探索する。研究者のほとんどが複数のテーマを経験する。最初のテーマは研修員論文で終わり,その後は自分でテーマを探す。良いテーマの発見が大きな研究成果をあげる秘訣であり,その探索には苦労する。訓練が要る。大学院での論文テーマの設定がその発端であろう。これに続いて,研究所は若手研究者が継続的にこの努力をする環境を保ち,探索活動を活性にする責務がある。新しい知識を吸収する能力と柔軟な発想は若手研究者が優れる。熟練の研究者は若手研究者がその力を発揮できる環境の整備に留意し,また研究者・技術者倫理や心意気の伝達,世代間にまたがる長期テーマの場合にはその継承を図る役割をもつ。思考の柔軟なときに新たな研究テーマを考える。これ以外に研究所が研究テーマを自力で刷新する手段は無い。

また,テーマ探索だけでは無く,研究継続の可否判断も難題である。政治,経済動向も考慮した世界の潮流や技術動向に基づく技術ロードマップを作成し,判断の材料とする。しかしながら,これだけでは不十分である。日立の将来事業の方向,企業文化,これまでの歴史等も判断の指標や材料にする。それでも,正しい判断のできる確実な評価手法は無い。判断に最も大きな影響を与えるのは担当する研究者の意思の強さである。どのようなテーマでも,日立の成長を牽引するテーマとなるのは,全て個々の研究者の能力と努力の賜物である。良い研究テーマは研究所の宝であり,研究者が宝を創る。

(2)色々な知識の吸収力・統合力:深い専門能力と幅広い知識あるいは興味

研究者をI,T,πの文字を用いて分類することがある。文字の縦棒は深い専門知識,横棒は幅広い知識を表す。I型は深い専門知識を有し,常にひとつの領域を掘り下げる研究者である。研究開発あるいは製品事故で技術に行き詰まるとI型研究者に頼る。貴重な存在である。T型は深い専門知識と幅広い興味を持つ研究者であり,π型は複数の深い専門知識と幅広い興味を有する研究者である。I,T,π型,いずれの研究者も研究開発には必要であるが,T型やπ型の研究者が古くから日立では望まれてきた。特にπ型になることが奨励される。学位に安住せず,これを踏み台として,より高い目標に積極に挑戦する。返仁会の理念である。また空盡賞は,学位論文の範疇を超え,新たな分野で事業や科学技術の発展に貢献する優秀な学術論文を発表した会員に与えられる。新しい製品,事業は複数の技術の組み合わせで開発される。組み合わせは他分野の技術にも興味を持つ人材がいて初めて成功する。T型,π型が必要とされる所以である。異分野の組み合わせ,これは今後とも引き継ぐべき開発思想である。

(3)仕事を楽しむ心構え:「知之者不如好之者,好之者不如楽之者」

入社時の日研の部長講話で次の話を聞いた。「君たちは知識が豊富であれば良い研究ができると思っているだろう。しかしながら,しばらくすると,仕事は人格ですることが分かるようになる。」この言葉を未だに憶えている。企業の仕事はチームでする。チームを牽引するには高いレベルのEQ(Emotional Quotient)が求められる。一緒に仕事をしたくなる人の方が,嫌われる人よりはチームの力を引き出し易い。EQに加えて,仕事を楽しむ域に達することができれば,心構えの育成は成功である。「知之者不如好之者,好之者不如楽之者(これを知る者はこれを好む者に如かず,これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)」これは論語の教えである1)。仕事を楽しむ心境になれれば,苦境にあってもこれを乗り越えられる。解決が難しい課題に直面する,あるいは危機に瀕することがある。これから逃げずに立ち向かう精神力は,仕事を楽しむ心構えから生まれ易い。究極的にはこれは馬場大変人の空盡に繋がる。「改過為福」「空己唯盡孚誠」この心境になるには楽しむ心が必要であろう。

空盡は落穂拾いの基本思想であり,曾子三省に倣う反省の三か条がある2)

  1. 他社・他人に対して不親切ではないか?
  2. 納品のクレームに対して不信はないか?
  3. 外に向かって空理空論を吐いていないか?

この三か条を先人の解釈を参考に3),研究開発の立場で考えてみる。間違いや失敗を犯したとき,外からの批判は往々にして好まれない。しかしながら,仕事に自信を持つことは重要であるが,仕事を楽しめる研究者は,先入観無く他人の意見を聞き,空理空論を吐かずに真摯に課題に取り組む。空盡は関係者並びに自らが納得するまで謙虚に解決策を追究する心と解釈する。

上記の研究者に必要な三つの才覚は優秀な研究者だけではなく,トップ経営者にも共通する資質であろう。

参考文献

1)
金谷 治訳注「論語」岩波書店,1963
2)
馬場 粂夫「落穂拾い」日立印刷所,1965
3)
小宮 義和「ひたちの心」日立印刷株式会社 出版センター,1982