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INSPIRATIONS 社会イノベーションをめぐる対話 vol.04INSPIRATIONS 社会イノベーションをめぐる対話 vol.04

  • 紺野 登
    多摩大学大学院
    経営情報学研究科 教授
  • 船木 謙一
    日立製作所 研究開発グループ
    社会イノベーション協創統括本部
    統括本部長
  • 鮫嶋 茂稔
    日立製作所 研究開発グループ
    テクノロジーイノベーション統括本部
    統括本部長 横浜研究所所長

日立が広範な分野で培ってきたみずからの技術やノウハウを融合し、グローバルな社会課題の解決に貢献する「社会イノベーション事業」を掲げて約10年。この間、国連によるSDGsをはじめ、世界的にも社会イノベーションへの期待と関心が高まってきており、そこで企業が果たすべき役割も大きく変わってきた。日立は、社会イノベーションのリーディングカンパニーとして、研究開発(R&D)部門を中心にデザインの力を駆使しながら、オープンイノベーションの可能性を広げている。

世界中のさまざまなステークホルダーとの協創を通して、実りの多き社会イノベーションを実現していくうえで最大のカギとなるものは何か――。

知識創造経営やデザイン思考の第一人者として知られる多摩大学大学院の紺野登教授をお招きし、創立100周年に新たなスタートを切った日立の研究開発部門を率いる二人のリーダーが語り合った。

紺野 登Noboru Konno
一般社団法人Japan Innovation Network(JIN)代表理事。一般社団法人フューチャーセンター・アライアンス・ジャパン(FCAJ)代表理事。KIRO株式会社(Knowledge Innovation Research Office)代表。 早稲田大学理工学部建築学科卒業、博士(経営情報学)。組織や社会の知識生態学(ナレッジエコロジー)を切り口に、イノベーション経営、デザイン経営、リーダーシップ教育、研究所などのワークプレイス・デザイン、都市開発プロジェクトなどの実務にかかわる。また「トポス会議」などを通じて世界の識者のネットワーキング活動を行っている。2004年〜2013年グッドデザイン賞審査員(デザインマネジメント領域)。著書に『ビジネスのためのデザイン思考』、『知識デザイン企業』、『知識創造経営のプリンシプル』(野中郁次郎氏との共著)など。最新著は『構想力の方法論 ビッグピクチャーを描け』、『イノベーターになる』。
船木 謙一Kenichi Funaki
1993年早稲田大学大学院修士課程修了(理工学研究科工業経営専門分野)後、日立製作所入社。工場設計、生産システム、サプライチェーンマネジメントシステム、サービスデザインの研究を経て、2017年より現職。博士(工学)。1997年〜1999年 産能大学経営情報学部講師、2006年〜2007年 ものづくりAPS推進機構理事、2008年〜2009年米国ジョージア工科大学Supply Chain & Logistics Institute Research Executive、2010年〜2015年北海道大学大学院情報科学研究科准教授、2013年〜2015 年 首都大学東京都市教養学部講師。2009年日本オペレーションズリサーチ学会実施賞、2013年日本経営工学会経営工学実践賞、2014年 IEOM Outstanding Industry Award受賞。 INFORMS(The Institute for Operations Research and the Management Sciences)会員、IEOM(Industrial Engineering and Operations Management) Society産業委員、日本オペレーションズリサーチ学会会員、経営情報学会会員、日本経営工学会会員。
鮫嶋 茂稔Shigetoshi Sameshima
1993年東京大学大学院工学系研究科修士課程終了後、日立製作所入社。システム開発研究所にて電力・交通・産業などの社会インフラ分野を対象とした自律分散情報制御システムの研究開発と実用化に従事。エネルギーソリューションビジネスユニットなどを経て、2018年より現職。専門は、システム工学、社会インフラシステム。博士(情報理工学)。計測自動制御学会会員、電気学会会員。

社会イノベーションをめぐる
グローバルな潮流と日立の取り組み

紺野日立が社会イノベーション事業を打ち出して、約10年が経ちました。当時、社会イノベーションというと、一般には貧困や飢餓、格差の課題などに関する社会貢献活動、あるいは公害や地球環境問題をはじめ、企業の活動が社会にもたらした問題への贖罪や代償としての取り組みと捉えられがちでした。

しかし現在では、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)の採択に象徴されるように、社会課題への取り組みは経済活動を駆動する目的因になりました。サステイナブルな社会を実現するために、社会全体の仕組みを再構築することこそが社会イノベーションである、という認識に変わりつつあります。その背景には、リーマンショック以降、製造業を中心とする従来の「モノ」の経済がいきづまりを見せ、サービスや知識産業などを中心とする「コト」(経験)の経済へと移行していく中で、人間や社会の次元に目を向ける企業が増えてきたことがあると言えます。日立はそうした世界的なトレンドに先駆けて、いち早く現在の意味での社会イノベーション事業に取り組んできたわけですが、今から振り返ってみて、なぜそれが可能だったのだと思われますか。

船木日立という企業は、1910年の創業以来、「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」ことを企業理念としています。さまざまな社会インフラ事業を通じて社会システムの構築に貢献し、長年の実績を積んできましたから、社会イノベーション事業を自らの使命として掲げることは自然なことだったと思います。
もう一つ、1950年代から、全社共通のファンクションとして、独立したデザイン部門を擁してきたことが功を奏した面があります。家電に始まり、その後の情報機器/システムのデザインなどを経て、ユーザーエクスペリエンスやエスノグラフィといった新しいデザインアプローチを生み出し全社横断で進化させてきました。これが、社会イノベーション事業へグループ全体の力を結集させるうえで重要な役割を担ってきたと思っています。

紺野私は長年、デザイン経営の観点から「デザイン思考」を知識創造プロセスに基づくイノベーション実現のトリガーとなるものとして捉え、その普及に努めてきました。まさに日立はいち早くデザイン思考を取り入れ、その方法論を磨き、独自の実践知として蓄積してきたわけですね。それが社会イノベーション事業を進めるための推進力になってきたのだと。

船木研究開発部門におけるフロント部隊である、われわれ社会イノベーション協創センタ(Center for Social Innovation:CSI)では、グローバルな社会イノベーション事業の牽引役として、仕事のやり方を大きく変えてきています。従来は、お客様のニーズにお応えして、プロダクトやシステムを提供するというスタイルでしたが、今はお客様とともに考え、課題を見つけて、その解決策を提案しています。事業部門とともに実施するプロジェクトでは、デザイナーや研究者自らがお客様のところへ出向き、ディスカッションをして、一緒に構想を練っているのです。

鮫嶋さまざまな分野の最先端技術を手がけるわれわれテクノロジーイノベーションセンタ(Center for Technology Innovation:CTI)でも、研究者の役割が変わってきたと実感します。かつてのようにひたすら研究するのではなく、応用を見据えてシステム化まで含めて広い視野で考えるようになってきています。各領域に特化した技術とするだけでなく、技術基盤(プラットフォーム)として、応用範囲を他分野に広げていくことで、技術起点のイノベーションを起こそうとしているのです。その動きを一層加速するために、社内だけでなく、社外も含めたオープンイノベーションの体制づくりに取り組んでいるところです。

紺野この10年で世の中は劇的に変わりましたが、日立では、研究開発部門も、会社全体も大きく変わったわけですね。

自律分散的な日本型イノベーションエコシステム

紺野かねてから日立という企業文化の中には、「自律分散」型で経営を行うという考えが根づいているように感じていました。鮫嶋さんご自身は元々自律分散システムの研究者だそうですが、社会イノベーション事業についても同様のアプローチをめざしているのではないでしょうか。

鮫嶋自律分散という言葉に特にこだわるつもりはないのですが、世の中の流れを受けた必然なのだと思っています。自律分散のポイントは、端的に「権限移譲」と言っても良いでしょう。つまり、各自が与えられた場で裁量権を持ちながら自由に研究開発を進めることが、イノベーションの種を生むことにつながる。自律的なものを段階的に組み合わせて、場合によっては新陳代謝もしながら全体像を形成していくというあり方は、研究開発に限らず、企業組織においても、今の時代にふさわしい方法論ではないでしょうか。

紺野自律分散と表現するかどうかはともかく、柔軟でレスポンシブに機能する、つまり機敏に対応するような「イノベーションエコシステム」を組織的に構築することは必須でしょう。そうして変化の波を乗り越えていこうとされているわけですね。

鮫嶋変化の少ない時代であれば、中央集権的に進めるほうが効率が良いでしょう。しかし、現在のような激しい変化の時代を一社だけで乗り切ることはできません。まさにおっしゃる通り、オープンに「この指とまれ」という感じで、課題を共有する者同士が集まって、エコシステムを形成していくことが有用なのだと思っています。

船木特にそれが社会イノベーション事業のような、より早い変化への対応が求められ、ステークホルダーが多くて課題そのものが複雑・多様な領域においては、皆が自律分散型で能動的に動かざるを得ません。事前にロードマップを用意して計画通りに動かしていたのでは間に合いませんから。必然として、自分たちだけではできないことについては、仲間を募り、一緒にやることになります。
CSIでは、まずベースとなる価値観を提示して、それに基づいたビジョンを含めたビッグピクチャー(全体像)を示し、共感する仲間集めをしています。同じ課題を共有する者同士のコミュニティでそのサイクルを回していく、まさにエコシステムを構築することが非常に重要だと考えています。

社会イノベーションに欠かせない
俯瞰的な見方と、個々へのアプローチ

船木エコシステムを構築するにあたっては、一部のグローバル企業のように自分たちのプラットフォームを用意して、その上で他社との協業を促し、強固な商業圏を形成していくというやり方があります。一方、われわれは、社会イノベーションを起こすためのビジョンや行動提案を提示して、オープンに対話することで協創の場としてのエコシステムを形成しようとしています。

紺野確かにプラットフォームを提供することで商業圏を形成するビジネスモデルが一世を風靡していますが、それらは国際取引で収益を獲得することに長けた米国や中国の企業ならではの仕組みと言えます。それとは一線を画して、大きな目的やビジョンへの共感を軸に仲間を募るような日本企業独自のコンセプトを打ち出せれば、そこには大きな意義があるはずです。構想力こそが日本企業の弱みであり、今後不可欠のものだと思うのです。まさにその点において、私はこれからの日立に大いに期待しているのですが。

船木仲間と社会イノベーションを起こしていくうえでカギとなる取り組みには、二つのレイヤーがあると私は考えています。
一つは、社会全体を俯瞰して、どこに課題があり、どの課題から優先して取り組むべきか、世界のオピニオンリーダーとともに考え、そのチャレンジを世の中に提示していくということです。これに関して現在、われわれは、ダボス会議などを主催する国際機関、WEF(The World Economic Forum:世界経済フォーラム)のC4IR(Centre for the Fourth Industrial Revolution:第4次産業革命)とともに活動しています。C4IRとは、AI(Artificial Intelligence)、IoT(Internet of Things)などを活用した第4次産業革命に関する取り組みを集中的に議論し、実証事業などを実施する拠点であり、まさに社会課題を俯瞰して取り組む足がかりとなります。また、東京大学や京都大学、北海道大学などの各大学にオープンイノベーションのためのエンベデッドラボを設立し、フロンティア分野の共同研究とともに情報発信や提言を積極的に行っているところです。
もう一つのレイヤーは、世界各地のローカルな現場にリーチして課題を見極めることです。例えば、現在、ある国の首都の人々が、どのような生活をしてどのような課題に直面しているのかが分かれば、そこで解くべき問題が具体的に見えてきます。しかし、実際にはそれを日立の社員だけで把握するのは難しい。そこで、それぞれの地域で暮らす方々に、手持ちの携帯端末などで特派員のように現地の様子を取材・撮影してもらうといった地道な情報収集にトライしています。社会イノベーションのための、まさに草の根的なエコシステムを作ろうとしているわけです。

紺野ここでも、やはり自律分散的なアプローチがカギになりそうですね。私は現在、社会的なオープンイノベーションのための組織、一般社団法人Future Center Alliance Japan(FCAJ)の代表理事を務めています。「フューチャーセンター」という場とともに社会実験のための「リビングラボ」の概念を訴求・展開しています。これは従来の技術普及のための実証実験の仕掛けではありません。サービスを使うユーザー側を観察対象とするだけでなく、開発の段階から巻き込んで、アイデアを生み出す側へ主体的に関与してもらうことで、「協創」を通じて、従来にはなかった新たな製品やサービス、イノベーションを起こそうという取り組みなのです。
すでにある菓子メーカーなどでは商品開発の段階から生活者を参加させる取り組みがありますが、これが成り立つのは、お互いのベースとして企業に対する信頼があればこそです。このような信頼関係に基づく、リビングラボ的機能を持った自律分散型の研究開発ネットワークこそ日本ならではと思われます。イノベーションへの草の根的なアプローチは、アジア諸国をはじめ世界に受け入れられる新たなプラットフォームになり得るのではないかと考えています。

エンドユーザーを見据え、SDGsの達成に貢献していく

紺野ところで、さきほど船木さんのお話にあった社会課題の俯瞰には、地球規模の課題であるSDGsも含まれるわけですね。

鮫嶋SDGsは、「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という企業理念に合致した内容であり、日立としても、17のゴールのうち、事業戦略を通じて達成に大きく貢献できる5つの目標、企業活動全体で貢献する6つの目標を特定しています。また、他の6つの項目についても、どのように貢献できるかという点を継続して検討しています。SDGsで掲げられた社会課題を具体的によく見てみると、実態は地域によって大きく異なります。グローバルとローカル両方の視点、すなわちグローカルな視点を持って、どの課題について、どの地域で取り組んでいくのかを考えることこそが、われわれの役割なのではないかと思っています。

紺野SDGsは持続可能な社会を実現するための目標群ですが、企業としてはその目標を達成する事業によって継続的に収益を上げなければなりません。そのためにはPR的にSDGsの各目標に事業を対応させて見せるのでなく、より大きな構想、自社能力に基づく独自の目的の創出が不可欠です。また、その過程では何らかの形で価値の定量化やエビデンスに基づく視覚化が必須となると思いますが、いかがですか。

船木現状は、日立の取り組み全体でどのくらいのインパクトが出せるかの算出は難しい問題ですが、日立のソリューションがどのような価値を生み出し、SDGsにどのように貢献できるかを事前にシミュレーションするNEXPERIENCE/Cyber-PoC(Proof of Concept)という手法を編み出しています。例えば、鉄道システムを導入すると、渋滞の解消やエネルギー効率にどの程度寄与するのかといった具合に、事前に社会に対する提供価値を示しながら、事業として貢献できる部分を明確に意識して取り組んでいます。

鮫嶋政府が打ち出している「人」中心の超スマート社会「Society 5.0」というコンセプトが一つのカギとなるかもしれません。英国の高速鉄道システムにしても、われわれは単に車両や鉄道システムを納入するだけの事業だとは思っていません。通勤時間を従来の半分以下に短縮することで、「利用する人たちに朝の家族の団欒を提供する」ところにこの事業の本質的な価値があります。このように、社会インフラの先にいる人、エンドユーザーへの価値提供を軸に、その効果や満足度などを定量化しながら事業を行うことが、ひいてはSDGsへの貢献につながるのではないでしょうか。

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