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ハイライト

一人っ子政策が長く続いた中国では,急速な高齢化が社会問題化し,養老介護体制の整備が急がれている。

本稿では,「高齢者の自立支援を促し,健康寿命を延ばす」というコンセプトの下,先端計測技術を活用して高齢者の日々の心身の健康状態を把握し,健康寿命と生活品質を向上させる,日立の中国高齢者向けソリューション構想について解説するほか,中国国内で実施された実証実験について紹介する。

目次

執筆者紹介

宮崎 邦彦Miyazaki Kunihiko

  • 日立(中国)研究開発有限公司 デジタルソリューション研究部 所属
  • 現在,中国における健康養老分野の研究開発に従事
  • 博士(情報理工学)
  • 電子情報通信学会会員
  • 情報処理学会会員

殷 颖Yin Ying

  • 日立(中国)研究開発有限公司 デジタルソリューション研究部 所属
  • 現在,磁気センサー型指タッピング装置の研究開発に従事

張 盼Zhang Pan

  • 日立(中国)研究開発有限公司 IoTプラットフォーム研究部 所属
  • 現在,映像解析技術の研究開発に従事

傅 子毅Fu Ziyi

  • 日立(中国)有限公司 養老介護事業推進本部 事業推進部 所属
  • 現在,中国養老介護事業推進に従事
  • 健康心理学会会員

桂 卓成Katsura Takushige

  • 株式会社NeU 所属
  • 現在,脳機能計測技術の実用化に従事
  • 博士(工学)

神鳥 明彦Kandori Akihiko

  • 日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 所属
  • 現在,磁気センシング技術,および,生体磁気計測技術の研究開発に従事
  • 工学博士
  • 医学博士
  • IEEE Senior Member
  • 未来医学研究会理事
  • 日本生体磁気学会理事
  • 日本学術振興会・超伝導エレクトロニクス・第146委員会 副委員長
  • 電子情報通信学会・超伝導エレクトロニクス研究専門委員会・専門委員
  • 日本生体医工学会会員
  • 日本心電学会会員
  • 応用物理学会会員
  • 日本心臓病学会会員

水口 寛彦Mizuguchi Tomohiko

  • マクセル株式会社 光エレクトロニクス事業本部 光イノベーション部 所属
  • 現在,磁気センサー型指タッピング装置の事業推進に従事

李 媛Li Yuan

  • 日立製作所 研究開発グループ 制御イノベーションセンタ 産業システム制御研究部 所属
  • 現在,画像センシングおよび健康養老分野の研究開発に従事
  • 博士(工学)
  • 電子情報通信学会会員
  • IEEE会員

1. はじめに

一人っ子政策が長く続いた中国では,現在,急速な高齢化が進行している。2002年にはすでに,65歳以上人口が7%を超え,国連の定義における「高齢化社会」に突入した。今後もさらに高齢化は進行すると予想されており,2035年には,65歳以上の高齢者が3億人に迫ると見られている(図1参照)。

高い経済成長に支えられ,2010年以来,GDP(Gross Domestic Product)世界第2位となった中国ではあるが,人口一人当たりのGDPで比較すると,まだ日本を含む他の先進諸国より低い水準にあり,「未富先老」(富む前に老いる)が大きな社会課題となっている。

中国政府は,2007年前後から介護の社会化・産業化を図り始め,さまざまな政策を打ち出した。中でも中国の高齢者事業発展の方向性を示す重要な政策は,2011年9月の「中国高齢者事業発展第12次5カ年計画」と同年12月に発表された「社会養老服務体系建設規画」であった。

深刻だった養老介護施設の不足に対し,2015年までに「ベッド数倍増」(高齢者1,000人当たり15床から30床へ)の目標が掲げられ,代表的な施策として,施設インフラの整備,社会保障制度の整備,社区(コミュニティ)・在宅サービスの充実などが進められた。「9073(または9064)モデル」(90%在宅介護,7%社区サービス,3%施設介護)は特に有名である。

これらの施策により,ベッド数は大幅に増加した。2016年末時点で全国の養老介護関連施設の合計ベッド数は約730万床に増加し,高齢者1,000人当たりのベッド数は30.3床と基本的に「倍増」の目標を達成した。しかし,立地の悪さや介護人材不足に起因し,サービスレベルが利用者の期待と合わないケースも多く,入居率は全国平均で約50%にとどまっている。特に,認知症や慢性病など,専門的なケアが必要な分野での人材不足は大きな問題となっている。

そのため,2016年10月の「健康中国2030計画」や,2017年2月の「第13次5カ年国家老齢事業発展・養老体系建設規画」では,医療との連携強化(「医養結合」),専門人材の育成,長期介護保険制度の構築(2016年から全国15都市で試行開始)など,サービスレベル向上を図る施策を打ち出している。

さらにこれらの計画では,政府運営ベッド数の割合を50%以下にするなど,サービス提供主体を民間にシフトする方針を鮮明にしている。今後は,民間企業の市場参入がさらに増えることが予想され,多様なニーズに応えるサービスを提供することが,養老関連サービス事業者にとって重要になると考えられる。

図1|中国高齢者人口予測中国では急速な高齢化が進行しており,2035年には65歳以上の高齢者が3億人に迫る見込みである。

2. 中国高齢者向けソリューション

ここでは日立が考える,中国高齢者向けソリューションの概要について紹介する。

2.1 ソリューションコンセプト

日立は日本国内において,グループ内に日立総合病院や株式会社日立ライフなど,高齢者向け医療や介護に関わるサービスを提供する事業者を有している。例えば糖尿病重症化防止のための血糖値コントロール指導や,低線量CT(Computed Tomography)検診の普及活動,介護付き有料老人ホーム,小規模多機能型居宅介護,訪問介護などの介護サービス提供を行っている。これらの経験やノウハウを生かし,現在,中国において高齢者向けソリューションの提供をめざしている。

日本の介護サービスに対しては,中国においても一般に好印象を持つ人が多く,中国から日本の施設に視察に来た人々の評価も高い。しかし,日本と中国との文化的な違いや,日本では約20年前から介護保険制度が導入されているが中国ではまだ全国的には導入されていないなど制度上・事業モデル上の相違点もあるため,日本のサービスをそのまま導入することが最善策とは限らない。

そこで中国向けソリューションの検討にあたって,まず設定したのが「高齢者の自立支援を促し,健康寿命を延ばす」というコンセプトである。これは,寝たきりや認知症にならず,健康な状態を長く保つことで,高齢者自身の生活品質の向上と国全体の社会保障費抑制を両立させ,「未富先老」という中国の社会課題解決をめざすものである。

このコンセプトを実現するためには,高齢者の健康状態を正確かつタイムリーに把握し,適切なケア(例えばトレーニングなど)を行うことが必要だが,前章で述べたように,専門人材が不足している中国においては人材スキルに依存した対応には限界がある。

そこで日立では,光トポグラフィ技術や磁気センサー型指タッピング装置,ステレオカメラなどの先端計測技術を活用し,これらの測定データやその他の医療データ,生活データを用いて分析,予測することで,介護サービスを向上させ,高齢者の健康寿命を延伸させる高齢者向けソリューションDCM(Digital Care Management)の実現をめざしている(図2参照)。

図2|中国高齢者向けソリューションの全体像日立の中国高齢者向けソリューションは,先端計測技術を活用することで介護サービスを向上し,高齢者の健康寿命を延伸させる。

2.2 ソリューションを支える先端計測技術

ここでは日立の考える中国高齢者向けソリューションを支える先端計測技術について概要を紹介する。

光トポグラフィ技術は,近赤外領域の光を頭皮上から照射し,その拡散反射光の減衰を計測することで,大脳皮質内のHb(ヘモグロビン)濃度変化情報を得る技術である。光トポグラフィ技術を活用した携帯型脳活動計測装置を用いることで,前頭葉の脳活動を計測することが可能となる。外見だけでは分からない脳活動を知ることで,自分に合った脳のトレーニングを見つけることなどができるようになる。

磁気センサー型指タッピング装置は,両手の親指と人さし指のタッピング運動を,磁気センサーを用いて計測する装置である。この装置を使って計測されたタッピング運動の解析結果から,アルツハイマー型認知症特有の運動パターンを抽出した研究事例などが知られており,今後,アルツハイマー型認知症の早期発見に向けた簡易な検査法の確立が期待されている。

ステレオカメラは,左右に配置された2台のカメラを利用し,同じ物体に対する見え方のずれ(視差)から,三角測量の原理で対象物までの距離を計測するセンサーである。この技術は,自動運転実現に向けた車両周辺センシングなどの目的で利用されている。日立では,現在,この技術を応用した高齢者の歩行能力分析技術の開発に取り組んでいる。

3. 天津での実証実験

ここでは,2018年4月から5月にかけて,ソリューションの実現可能性を評価するために,中国・天津にある高齢者向け施設で実施した実証実験の概要について紹介する。

3.1 実験の概要

中国・天津市にある中福老齢産業開発(天津)有限公司の高齢者向け施設で,同社スタッフの協力の下,施設周辺に住む趣旨への賛同を得た約40名の高齢者に参加してもらい,2018年4月中旬から約1か月間にわたり実験を実施した。

実験では各参加者に,原則として毎週1回,合計4回施設に来てもらった。ただし都合により4回参加できなかった人もいる。各参加者には脳機能トレーニングなどを体験してもらったほか,2つのグループに分けたうちの一方のグループには,日本の株式会社メディヴァ監修の下,当該施設で提供している,姿勢や動きの改善効果が期待される高齢者向け身体トレーニングも体験してもらった。またこれらのトレーニングの前後に,2.2節に述べた携帯型脳活動計測装置,磁気センサー型指タッピング装置,ステレオカメラを使った計測を実施し(図3参照),実験最終日には,体験の感想についてアンケートを実施した。

なお,本実験は医学的な目的で実施されたものではなく,今回の実験結果によって特定のトレーニングの医学的な効果の有無を主張するものではない。また計測に用いた各機器は医療機器ではない。

図3|天津での実証実験の様子天津の高齢者向け施設において,高齢者約40名による実証実験を実施した。

3.2 実験結果

図4|トレーニング前後の脳活動量変化実証実験の結果,実験4週目を除いて,トレーニング実施後に脳活動量が増加した。

実験結果の一例を図4に示す。脳活動計測装置で計測したデータを分析したところ,高齢者向け身体トレーニングメニューを実施したグループでは,トレーニングの前後で脳活動量が増加する傾向が見られた。図中のN週目は,それぞれ実験第N週目の参加者(身体トレーニングあり)の平均データを示す。また縦軸は,トレーニング前後での脳活動量の差分を表しており,正の値であれば,トレーニング後のほうが脳活動量が高かったことを示す。実験第4週目を除き,トレーニング実施後に脳活動量が上がったことが分かる。身体トレーニングの実施が,脳活動にポジティブな影響を与えた可能性が示唆される。なおデータ分析の際には,あらかじめデータ品質の確認(例:測定時の問題に起因すると見られる異常値の有無など)を行い,一定水準に達していないデータを除去したうえで統計分析しているため,グラフの母数(n)は実際の実験参加者数とは一致しない。

一方,一日の間での変化ではなく,4週間を通じた脳活動量の変化についても分析したが,今回は身体トレーニングを実施したグループと,実施しなかったグループとの間で顕著な差は見られなかった。これは実験期間が1か月と短く,またトレーニング回数が週1回と少なかったためだと考えられる。

また本実証実験に関し,参加者からは好意的な反応が多く,アンケート結果(有効回答24名)では約92%の参加者が「またやりたい」と回答した。特に,脳機能計測については75%が「いちばん好き」と回答しており,自身の脳機能についての関心の高さがうかがわれた。

4. 北京での展示会出展

中国においては,「自立支援」型の介護というのは比較的新しい考え方で,まだなじみが少ない。そこで養老産業関連の展示会に出展し,日立の考える「高齢者の自立支援を促し,健康寿命を延ばす」というコンセプトに対するニーズを確認した。

2018年8月29日〜31日に北京市で開催された「中国(北京)国際健康服務業博覧会」では2日間半の会期中,日立ブースに2,000名以上の来場客があった。特に,先端計測技術については関心が高く,体験コーナーでは,脳活動計測装置約260名,磁気センサー型指タッピング装置約160名,ステレオカメラ約100名の来場者が体験を行った(図5参照)。アンケート結果(有効回答数375名)によれば,日立のコンセプトに対して約67%が「とても共感した」と回答し,「共感した」と回答した人を合わせると約86%に達した。体験した多くの人,事業者などの共感が得られたことから,日立のコンセプトの将来性は大いに期待できると考えている。

図5|北京展示会の様子中国(北京)国際健康服務博覧会の日立ブースの様子を示す。2日間半の会期中の来場者数は2,000名以上に及んだ。

5. おわりに

急速な高齢化が進む中国では,養老介護体制の整備が急務となっている。日立は「高齢者の自立支援を促し,健康寿命を延ばす」というコンセプトの下,先端計測技術の活用による効率的なソリューションの実現をめざしている。これまでの実験や展示会などを通じて,中国市場での期待の高さを確認できた。今後は早期事業化を進め,中国の高齢者問題解決に貢献していく。

参考文献など

1)
傅子毅:「未富先老」「4・2・1家族」現象から見た高齢者産業の挑戦と機会,日中経協ジャーナル(2018.4)
2)
牧敦,外:脳の疾患に挑む,日立評論,97,9,534〜538(2015.9)
3)
アルツハイマー型認知症に特有の指タッピング運動パターン抽出,技術革新,日立評論,99,1(2017.1)
4)
鈴村彰太,外:軽度認知機能障害者及びAlzheimer病患者の手指運動機能評価─指タップ運動と認知機能の関係─,Jpn J Compr Rehabil Sci,Vol 7,pp.19〜28(2016)
5)
志磨健,外:自動運転の進化を牽引する基盤技術,日立評論,98,07-08,489〜493(2016.7)
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