ページの本文へ

Hitachi
お問い合わせお問い合わせ

Activities for Future Earth:日立のサステナビリティ戦略ビジネスと人権

2019年7月

執筆者紹介

伊藤 裕理

  • 日立製作所 グローバル渉外統括本部 サステナビリティ推進本部 CSR部 所属
  • 入社後,欧州およびその他の地域における事業開発,欧州企業や研究機関との戦略的提携を担当。その間英国ならびにフランスでも勤務。地球環境戦略室において日立グループの環境戦略や施策の立案,推進,コミュニケーションを担当後,CSR推進部へ異動,ビジネスと人権を担当。2015年より現職。

目次

はじめに

企業にとっての「持続可能性」とは,地球・社会・企業の長期的な存続や発展ができる状態を指す。企業はその実現のために何をどのように提供し,自社の行為が直接的,間接的にどのように環境や人々に影響を与えるのかを考え,行動しなければならない。そのための基本となるテーマが「ビジネスと人権」である。国連のSDGs(持続可能な開発目標)を定めた「2030アジェンダ」の前文においてもすべての人々の人権の実現がめざされているように1),人権は世界共通の目標である。

人権とは

人権とは,すべての人が生まれつき持ち,奪うことのできない権利である。その内容は世界人権宣言に書かれているものを基礎とし,現在も発展しつつある。なぜならその権利は当たり前にあったのではなく,人類が長い時間をかけて獲得してきたものだからである。

人権に関する思想や法体系は主に西欧において発展し,1948年の世界人権宣言によって,普遍的権利として国際的に認められた。1966年の国際人権規約,ILO(国際労働機関)のさまざまな条約など,国際法としても発展してきた。

ビジネスとの関わりでは,世界人権宣言と「市民的および政治的権利に関する国際規約」と「経済的,社会的および文化的権利に関する国際規約」から成る「国際人権章典」およびILOの「労働の基本原則および権利に関する宣言」に記載されている人権が最低限のものとして理解されており,日立グループ人権方針でもそのように記載されている※)

しかし,すべての人がその権利を享受できているわけではなく,また技術発展などにより,新たに侵害の可能性も生まれている。

※)
子どもの権利や女性の権利など,より具体的なテーマについて定めた条約もある。

世界の潮流

ビジネスと人権に関する指導原則

図1|ラギー・フレームワーク

図2|人権デュー・ディリジェンス

歴史的に人権の思想は王や国家といった支配者との関係において発展してきたが,世界では紛争地域など,国が問題を解決できない状況が存在する。

一方,第二次世界大戦が終了し,荒廃した国土が復興・発展するにつれ,さらにはグローバル化の進展により,企業は国際的なバリューチェーンを構築し,その規模,活動範囲,影響力が増大した。従来,公害問題を引き起こしたり,人々から搾取したりする非難すべき対象としてのみ見られることもあったが,企業は一方で人々に便益ももたらす。そこで企業の責任ある行動を促し,協力することにより,問題の防止や解決を図る動きも出てきた。

しかしながら,企業は国家ではなく,すべての問題を解決することはできない。

また,欧州のように人権尊重の仕組みが地域や企業の競争力につながると考える地域もある。

こうして新たに,国家・企業・人との関係において人権を捉え直す必要が出てきた。その結果生まれたのが,国連事務総長特別代表だったジョン・ラギー・ハーバード大学教授が2008年に国連人権理事会に提示した「保護,尊重および救済の枠組み」(通称「ラギー・フレームワーク2)」),および2011年にラギー教授が提出し,同理事会において全会一致で支持された「ビジネスと人権に関する指導原則」(UNGP:United Nations Guiding Principles on Business and Human Rights)である3),4)

ラギー・フレームワークが提示しているのは,国家の人権保護義務,企業の尊重責任,被害者の救済へのアクセスという三本の柱である(図1参照)。UNGPは人権を守る義務は国家にあることを明確に示す一方,企業に,(1)人権尊重のコミットメント,(2)人権デュー・ディリジェンス(HRDD:Human Rights Due Diligence)の実施,(3)侵害が発生した場合に是正を可能とするプロセスの設置を求めている。

人権デュー・ディリジェンスとは,人権リスクを予防するための継続的なプロセスである(図2参照)。バリューチェーン全体について,優先して対応すべきリスクを決めて対策を行い,追跡評価して取り組みを知らせる。その過程で影響を受けうるステークホルダーなどと対話を行い確認する。また,侵害が発生した場合,企業は関与の度合いに応じて是正・救済や働きかけを行う。

ラギー・フレームワークとUNGPはISO 26000(2010年)やOECD(経済協力開発機構)の多国籍企業行動指針(2011年)に反映された。UNGPの考え方は世界に広がり,後述するように,各国法で規定される例も出てきている。

また,各国は行動計画を作ることを奨励されており,既に20か国以上がこれを公表し,日本も準備中である。2015年のG7,2017年のG20サミットでの首脳宣言では,サプライチェーンでの人権尊重や国別行動計画などの政策的枠組みが求められている。

なお,UNGPは自主的に取り組む「指導原則」であるが,国連では多国籍企業を法的に拘束するための条約化を推進する動きもある。成立すれば締結国以外の大企業にも大きな影響を与える可能性がある。

バリューチェーン全体での人権尊重

従来,企業は取引先での人権侵害は責任範囲外であると考えてきた。しかしそうではないことを知らしめたのが,1990年代の大手スポーツ用品ブランドへの批判と不買運動である。同社が製造を委託する東南アジアの工場で強制労働,児童労働,劣悪な環境での長時間労働,低賃金労働が発生しているとして,メディアやNGO(非政府組織)が批判し,世界的にデモや不買運動が起きた。同社は売上減,レイオフ,株価低下,ブランド毀損などの影響を受け,根本的対策を迫られた。

現在,ビジネスと人権に関して取り上げられる項目としては,例えば自社やサプライヤ(一次サプライヤより上流を含む。)における強制労働や児童労働,採用時や昇進の差別,ハラスメント,安全衛生,ダイバーシティ,外国人労働者の労働条件,工場やプラント建設時の先住民の権利,広告宣伝における差別的表現,製品の販売先や使用状況などに及ぶ。NGOだけでなく,顧客や投資家,調査会社,監査会社から質問や訪問,要求を受けることも増えている。さらには個人情報保護,忘れられる権利や,AI(人工知能)などの技術発展がもたらしうる影響にも注目が集まっている。

こういったさまざまな課題に個別企業で取り組むには限界がある。そこで例えばNGOと組んで対策を行う,他社と協力して団体を作り,共通基準でサプライヤ監査を行うといった取り組みもされている。

日本企業も指摘を受けるようになってきており,人権に関するグローバルレベルでの評価対象になっている企業もある。経団連は,2018年の企業行動憲章改定で,新たに人権尊重について記載した。

法制化

前述した条約化のほかに,サプライチェーン上で発生しうる現代奴隷や児童労働などの人権侵害について,企業に方針や取り組み状況の開示,デュー・ディリジェンスの実行を求める法律が英国,フランス,オーストラリア,オランダなどの国や州で成立し,香港,カナダ,米国,ドイツなどでも検討されている。

EU(欧州連合)では輸出管理法規にHRDDを含める議論が2016年から始まっている。

そのほか,英国,フランスでは男女の賃金格差についても情報開示法がある。

これらの法律は中身を詳細には規定していない。情報開示やHRDD実施を定めることで,UNGPが求める国際的な水準での人権尊重を企業に促すものである。

これらの例に限らず,法令順守だけでは不十分であるということを強調しておきたい。例えば海外操業先の法定最低賃金が生活できないほど低ければ,たとえ法に基づく最低賃金を払っていても人権が守られているとは言えない。また,国内法が国際的な水準と矛盾することもありうる。加えて,そもそも法律と社会的期待の間には時間的ギャップがある。企業は,国内法で定められていないものも含む社会からの期待にいかに応えていくか,自ら考えて取り組み,情報を開示しなければならない。そのための指針がUNGPなのである。

日立の取り組み

日立グループ人権方針

企業活動の拡大に伴い,グローバルスタンダードに則る必要があると認識したため,2009年に日立製作所は国連グローバル・コンパクトに署名し,会社として人権を尊重する立場を明らかにした。また,2010年頃から,欧州日立グループのCSR (企業の社会的責任)作業部会において,ビジネスと人権について勉強を始めた。

一方,2011年に,サプライヤの海外現地法人における派遣労働者の労働問題について,海外NGOなどから当社やグループ会社に対し,取引先に是正指導をするよう,極めて多くの要求が寄せられた。取引先の労働問題であり,自社に法令違反がない場合であっても具体的行動を求められることを体験として知ることとなった。

このような背景を踏まえ,UNGPに基づいた人権尊重に取り組むこととし,2013年に日立グループ人権方針を制定し,日立製作所で社規化した。同時に,グループ各社にも社規化を要請した。

人権方針では,(1)日立製作所および連結子会社の役員と従業員に適用すること,(2)ビジネスパートナーやその他関係者にも人権尊重を求めること,(3)日立の企業理念や行動規範を補完するものであること,(4)UNGPに基づくこと,(5)HRDDを行うこと,(6)国際的に認められた人権と各国法に矛盾がある場合,国際的な人権の原則を尊重するための方法を追求すること,(7)社内教育を実施すること,(8)関連する外部ステークホルダーとの対話も行うことを定めている。

また,2018年に改訂された日立グループ行動規範では人権尊重の章において,是正・救済を行うことや,差別を行わないことなども定めた。

推進体制

日立製作所では1981年度より中央人権問題推進委員会を設け,人財部門担当役員を委員長として,コーポレート部門の担当者が施策の取り組み状況や今後の方針などについて審議している。審議,決定された方針は事業部門(BU:ビジネスユニット)や事業所に伝達される。また,コンプライアンスやハラスメントなどの通報・相談窓口も設置している。

教育・啓発活動

図3|人権役員研修

2014年より,世界人権宣言が採択された日を記念する世界人権デー(12月10日)にCEOメッセージを役員および従業員に向けて配信している。2018年は25万8,258名に送付した。その年の世界や当社の状況に触れつつ,各人が自らを振り返り,人権を尊重する行動を促す内容である。

日立製作所の執行役には年1回外部の専門家を招いて研修を行っている(図3参照)。毎年さまざまな観点から経営と人権の関わりについて理解を深める機会となっている。

また,3年ごとに役員や従業員向けのe-ラーニングも実施している。

人権デュー・ディリジェンスの実施

すべての企業活動における人権リスクの洗い出しと優先度付けを一度に行うのは難しいため,何らかの基準で絞って対策を始めることが考えられる。当社の場合,業容が幅広く,会社数が多いため,グループ横断機能を担う調達部門と人財部門から始めた。

まず調達部門では2015年度に作業部会をつくり,サプライチェーン上の人権リスクの評価ととるべき施策について検討した。外部専門家の指導を受けながら,本社・事業部門・グループ会社の調達とCSR担当者が調査・検討を行い,優先すべき国や課題を挙げた。これに基づき翌年,CSR調達ガイドライン,紛争鉱物調達方針,サプライヤ向けセルフチェックシートを全面改訂した。また,サプライヤとのエンゲージメントが重要との観点から,CSR・環境監査のほかに中国でのサプライヤ説明会を毎年行っている。

さらに,日本ではCSR・BCP調達委員会,欧州と中国にはCSR調達作業部会があり,グループ内の調達部門への方針伝達や検討,情報共有,理解促進を行っている。

次に人財部門については,2016年度と2018年度に研修と検討を行った。ワークショップでは,特に相談窓口の整備・改良が必要との意見が出た。

加えて,2018年度は,いくつかのBUとグループ会社がおのおのの人権リスクの評価を行い,今後の計画を検討した。共通の人権リスクもあれば,ビジネスモデルによって異なるリスクや優先度,施策もあるからである。

このような取り組みを通じ,各BUやグループ会社が自律的にHRDDを実施できるようになるのが目標である。

おわりに

企業にとっての人権尊重はリスク管理プロセスの一つと言える。が,「人を傷つける行為をしない」という傍観者的姿勢ではなく,予防し,行動するという能動的な姿勢が求められる。また,人財やCSR部門だけではなく,研究開発・設計・調達・営業を含むすべての部門にとって取り組むべき課題である。人へのリスクは事業リスクとなりうる。つまり人への負の影響を除くことはわれわれを含む人々を幸せにすることになり,企業の存続や発展につながるのである。