日立評論

ポスト情報化時代の展望と地球倫理

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日立評論

執筆者紹介

広井 良典

  • 京都大学
  • こころの未来研究センター 教授
  • 千葉大学法政経学部教授,マサチューセッツ工科大学客員研究員などを経て2016年より現職。専攻は公共政策,科学哲学。『定常型社会』,『死生観を問いなおす』,『ポスト資本主義』など著書・共編著多数。

目次

情報的生命観を超えて

話題の「シンギュラリティ」をはじめ,デジタル革命の本質を考えるうえで近代以降,科学技術の基本コンセプトがどのように変遷してきたかを知ることは重要な示唆になるだろう。まず17世紀,科学革命をもたらしたニュートン力学が対象としたのは主に「物体・物質」だ。19世紀に入る頃から,電磁気や熱現象など力学では十分扱えない現象が科学的探究の対象となり,「エネルギー」という概念が提案され,石油や電気を用いた重工業が発達した。さらに20世紀には「情報」という概念が中心に躍り出ていったが,これには二つの背景があった。一つはメンデルから始まる遺伝学・生命科学の流れであり,もう一つが通信の数学的理論を確立したシャノンから始まる情報科学だ。20世紀半ばからはコンピューターや半導体が経済成長を牽引し,パソコン,インターネット,携帯電話などの登場が人々のコミュニケーションのあり方を大きく変えた。

では,このまま情報の時代が続くのかと言えば,情報は技術的応用と社会的普及の段階を経て既に成熟安定期に入っている。今後,情報に代わって科学技術の主流になるのは「生命」であろう。生命の原理に学びつつ,情報を組み合わせる新たなモデルも現れつつある。

ギリシア哲学の「質料と形相」に照らしてみると,物質とエネルギーは「質料」つまり素材に当たり,情報は質料がかたちづくるパターンである「形相」に属する。近代科学は当初自然現象を外から眺め,つまり物質とエネルギーから成る現象として自然を捉え,理解できるものと見なしてきた。やがて対象が高度化し人間自身を含むようになると,そこでは個体間のコミュニケーションや伝達ということを組み込まざるをえなくなるので,情報という概念を新たに導入したわけだ。興味深いことに,実は19世紀には「エネルギー一元論」と呼ばれるような考え方が一時主流になりかけていたが,情報という,ある意味で非常に便利なコンセプトを得たために,生命現象もすべて情報概念で理解できるという流れが生まれたことになる。私はこれを「情報的生命観」と呼んでいる。

天文学者のカール・セーガンは,情報には遺伝情報と脳情報があると言った。遺伝情報はDNAとして親から子へ引き継がれるが,生命が複雑化すると遺伝情報だけでは不足してしまうため,脳が発達し,脳情報として個体間のコミュニケーションを通じて情報を伝達するようになった。人類はさらに脳情報も容量不足となり,そこで脳を外部化したコンピューターが生まれ,いわば脳情報からデジタル情報へと拡大することで発展を遂げてきたわけである。

しかしながら,こうした把握はまさに情報的生命観に立った考えであり,脳の情報をすべてコンピューター上にアップロードし,「永遠の意識」を作って不老不死を獲得しようとするポスト・ヒューマン論やシンギュラリティ論はその極致と言える。一方で再生医療は遺伝情報を操作し生命そのものをコントロールする方向に進んでいる。これらはいわば「スーパー情報化」とも呼べる方向だろう。しかし私の認識では,むしろ私たちは今,「ポスト情報化」の時代に入ろうとしており,単なる情報概念を超えた,生命,自然そのものが有する内発的な原理を探究することが求められている。

この場合の「生命」とは,「生命科学」といった場合の狭い意味ではなく,英語の「ライフ」がそうであるように,「生活」や「人生」という意味を含み,またマクロの生態系(エコシステム)をも含意するような,広い意味のものである点に留意することが重要だ。

ローカルから新たな「地球倫理」をめざす

ポスト情報化の生命,自然を論じるにあたって,私たち人間自身の存在を差し置いてはいけない。環境問題には地球環境に関する外的自然だけでなく,人間の内側に広がる内的自然も含まれるはずである。

昨今,幸福やウェルビーイングをめぐる議論が世界的に高まっている。こうした現在の状況は,ドイツの哲学者ヤスパースが「枢軸時代」と呼び,科学史家の伊東俊太郎氏が「精神革命」と呼んだ紀元前5世紀前後に重ね合わせて捉えることができるだろう。この時代には,インドの仏教,中国の儒教・老荘思想,中東のユダヤ教,古代ギリシア哲学など,後の世界に大きな影響を与える普遍宗教ないし普遍思想が一斉に登場した。それは人類が人間にとっての幸福とは何かを初めて論じた成果でもあった。その大きな要因として,今から1万年前に始まった農耕文明が資源的・環境的限界に直面していたことが考えられる。また当時は,領土や資源をめぐって大国間での紛争が頻発・大規模化し,現在に通じる「危機の時代」でもあった。

このように考えると,私たちの生きている現代が,枢軸時代とよく似た状況にあることに気づくだろう。そして,近代の工業文明が地球環境問題という限界に達した今日の私たちも,物質的な豊かさを拡大するだけではなく,幸福とは何か,豊かさとは何かを考えることが必要になっている。

世界に先駆けて人口減少社会に突入した日本は従来の拡大成長路線をめざすのか,それとも定常型社会に転換するのかの重要な分水嶺に立っている。この課題はいずれ世界中が共通して直面するものであり,既成の資本主義を超えた成熟社会のモデルを提示する好機でもある。

経済規模の拡大成長を制御し,定常型社会を実現しようとする試みは実は近代以降でも三つあった。一つ目は19世紀半ば,ジョン・スチュアート・ミルが唱えた「定常状態論」で,人間の経済は土地の有限性にぶつかり,やがて定常化すると論じたのだが,工業化や植民地の獲得が進むとミルの議論は忘れられていった。二つ目は1970年代のローマクラブによる『成長の限界』で,これは一言で言えば「工業化の資源的限界」を地球レベルで明らかにしたもので,ミルの議論の根本的バージョンと言える。そして三つ目がリーマンショック後の現在であり,情報化と一体になった金融グローバル経済自体が成熟期に入るとともに,格差や貧困の広がり,幸福やウェルビーイングなどの議論が活発化している。私たちが日立京大ラボとの共同で行った研究は,AIを活用することで『成長の限界』の現代バージョンを考えるような意味もあったと言える(詳しくはニュースリリース「AIの活用により,持続可能な日本の未来に向けた政策を提言」を参照)。

以上のような大きな時代の流れを振り返ると,ちょうど紀元前5世紀の枢軸時代においてさまざまな普遍宗教が生まれたことに匹敵するような,新たな理念あるいは思想が求められる時代を私たちは迎えつつあり,私はそれをさしあたり「地球倫理」と呼んでいる。

そうした関連で,私は現在,全国8万か所に及ぶ神社寺院を拠点に,ローカル(地域)とユニバーサル(宇宙,普遍)を媒介する地球的視点から“鎮守の森”の意義を再発見する「鎮守の森コミュニティプロジェクト」をささやかながら進めている(詳しくは「鎮守の森コミュニティ研究所」のHPを参照)。地球上のローカルな多様性・個別性を包含しながら,それらを俯瞰的に把握し,かつ地球上のさまざまな宗教の根源にある,生命や自然の内発性に対する感受性を再発見するような「地球倫理」の可能性を,森羅万象に八百万の神を見いだす日本の精神文化の中に模索していきたい。(談)

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