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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察日立倫理の源流から未来に向けて

2019年6月

執筆者紹介

小泉 英明

  • 日立製作所名誉フェロー
  • 日本工学アカデミー上級副会長
  • 日立製作所にて環境・医療などの分野で多くの新原理を創出し社会実装した。中国工程院外国籍院士はじめ世界各国の研究機関や財団のボードを多数兼務。理学博士。

目次

倫理の本質は「温かい心」にある

倫理という言葉を厳密に定義することは難しい。中には,道徳と同じように社会が変われば,倫理も変わると考える人もいるだろう。しかし,筆者は倫理をより深く,人間性の本質に根ざした普遍的なものとして捉えたい。カントが最晩年に書いた著作に『人倫の形而上学』があるが,その中でカントは「自分の幸福を追求するのは当然の権利である。しかし,他人の幸福を促進するのは義務である」と喝破している。「他人の幸福を自分の幸福より優先する」ことが人間の理想だと読めるのである。

筆者は以前,ある高名な仏教指導者に倫理の本質について尋ねたことがあった。その人物はしばらく沈黙した後,一言だけ“Warm-heartedness”(温かな心)と答えられた。一般に倫理と言うと,少し堅苦しいものと感じがちだが,上から目線ではない他者への思いやりがその本質であり,逆に言えば,それを欠いてしまえば,真の倫理とは認めがたいということであろう。これは人間だけが獲得した高次の共感性に関して,脳科学が導き出す知見とも合致する見解である。

昨今,法律に違反してさえいなければ,あらゆる行為が容認されるかのような風潮が一部に見られるが,倫理的に考えると,到底そうは言えないはずである。特に社会や人々の暮らしに大きな影響を与えるグローバル企業の経営者には倫理に裏付けられた人格が求められる。また今日,コンプライアンスという概念を越えて真の倫理を備えた企業だけが国際社会から信頼され,生き残ることができる時代となりつつある。

「日立大煙突」に見る日立倫理の源流

渋沢栄一らがリードした近代日本の資本主義勃興期においては,「三方よし」で知られる近江商人の心得や石田梅岩から始まる石門心学をはじめ,江戸時代に主に儒学者が確立した思想が精神的支柱となった。倫理を最優先に掲げた経営哲学は多くの経営者に影響を与え,日本的経営の興隆を支えた。

戦前の重工業発展期に,日立製作所創業の母胎となった日立鉱山をはじめ,多くの事業を手掛けた久原房之助はそうした経営哲学の系譜を引き継ぎながらも,一企業家という枠を越えて,倫理に基づく大胆な理想を掲げていた。久原は最初に手掛けた小坂銅山において,黒鉱自溶洗練というイノベーションを確立して成功を収めた。それのみならず従業員と家族のための福利厚生を拡充し,娯楽施設を優先的に建設するなど,事業を通して地域の繁栄に貢献する共存共栄モデルを創出した。続く日立鉱山はその経験を生かし,「産業ユートピア」とも言うべき久原の理想を実現するための壮大な挑戦であった。そこに結集したのが小平浪平をはじめ,小坂銅山で苦楽を共にした若き俊英たちだったのである。

よく知られた足尾銅山の鉱毒問題をはじめ,急激な重工業化に伴い,多くの社会問題が噴出した時代にあって,久原は鉱山の宿命であった煙害問題に真正面から対峙し,当時世界一高い大煙突の建設を決断する。後に久原自身が「苦心惨憺」と回顧したように,鉱山事業そのものの存亡を賭けた大英断であった。これにより致命的な煙害は回避され,地域住民と盤石な信頼関係を築いたことがその後の日立鉱山,日立製作所の躍進を導いたと言える。まさに倫理に基づく経営者みずからの信念によって成し遂げられた日立大煙突の建設は,日本公害史に打ち立てられた金字塔であり,ここから今日の私たちが学ぶべきところは多い。

産業ユートピアを追い求めたイノベーターたち

小平浪平は,将来を嘱望された東京電燈での要職を捨て,日立鉱山という新天地に身を投じ,その地で日立製作所を創業するに至った。なぜそのような茨の道をみずから選んで進んだのか,その詳細は語られていないが,産業ユートピアという理想を掲げる久原への共鳴が大きな要因であったことは疑いを容れない。事実,小平自身もまた自主技術の確立に邁進しながら,従業員や地域との信頼関係を第一に重んじる倫理的な経営に徹した。日立製作所創立と同時に設立された日立工業専修学校は,今も健在であり,筆者自身,工場時代に多くの素晴らしい知己を得た。日立病院は茨城の基幹病院へと発展し,看護学校生も活躍を続けている。さらに日立の研究所群は日本の科学技術を牽引し,小平会館はベーゼンドルファー・インペリアルというピアノの名器を備え,国際水準の文化を地域に提供した。このように日立グループの事業発展のみならず,産業ユートピアの理想構想も脈々と具現化されて来たのである。

久原はやがて,日立や日産の一切の事業を義兄の鮎川義介に委ね,さらに大きな理想を実現すべく,政治の世界へと歩みを進めることとなる。地政学上の国際ビジョンをもって,スターリン,毛沢東,周恩来と直接会って交渉し,一方で膨大な資金をもって孫文(孫中山)を助けた。孫文は近年,中国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として「国父(国家の父)」と呼ばれている。誤解を持つ人々も少なくない中で,久原は一切財産を遺さずにこの世を去ったが,後に残された孫文の多数の証文書や感謝状は歴史的事実を詳らかにしている。

今日の社会イノベーションや持続可能な開発目標(SDGs)に通じる壮大なビジョンの下,理想の社会を作り出そうと苦心惨憺する姿は,まさにイノベーターと呼ぶに相応しい。しかもその理想の根底には,他者への思いやり(Warm-heartedness),すなわち倫理があった。久原の思いは小平という,もう一人のイノベーターによってさらなる飛躍を遂げ,日立創業の精神として今日まで受け継がれることとなる。こうした先人の生き様を振り返る中で確かな将来ビジョンを感じられるのである。

自然を知ることと確かな倫理と

現生人類は言語を持つことによって,未来を考えることができるようになり,未来の一部を変える自由を獲得した※)。未来の進むべき方向を指し示す羅針盤は,古代ギリシアのプラトンが創始したアカデミーの理想形であろう。プラトンは近隣諸国を命がけで訪問した体験を基に40歳の時にアカデミーを造った。ルネッサンスの画家ラファエロが描いた『アテネの学堂』(アカデミー)では,中心に自然哲学についての自著(後期対話編)を持つプラトンと,倫理についての自著(ニコマコス倫理学)を持つ弟子のアリストテレスを配している。人間を含めた自然を深く知ることと確かな倫理が,羅針盤として最も重要なことを示唆している。

筆者は前回取り上げたars(art:芸術)とtekhne(techne:技術)という同じ語源を持った言葉の奥底に,夜空の天体と白日の太陽の下,38億年の進化がもたらした生命への憧れと畏敬の念があったと思い描く。進化の頂点に立つ人間が協創する「自己と他者の共存」(共生ともいき),そしてdiversity(多様性)とinclusivity(包摂性)の両立,さらにars/tekhneから新たな普遍的倫理が生まれる希望を感じつつ本稿を終えたい。

参考文献など

※)
小泉英明,『脳の科学史』,角川書店(2011)
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