2019年6月
1898年9月10日,オーストリア・ハンガリー帝国の皇妃エリザベートは,蒸気船に乗ろうとレマン湖畔のホテル・ボー・リバージュを出たところで,暴漢に襲われ命を落とす。欧州秩序の要,ハプスブルク体制の崩壊の始まりである。
WEF(World Economic Forum:世界経済フォーラム)の年次総会,ダボス会議の2019年テーマは「グローバル化4.0:第四次産業革命時代のグローバルアーキテクチャを作る」となった[1]。WEFは1850年を起点にグローバル化1.0,1950年から2.0,1990年から3.0,そして現在を4.0と定義した。
グローバル化1.0の時代の蒸気機関,鉄道をはじめ,各時代の画期的技術は人々の移動を促進した。この動きに乗り自由放任主義などの思想が拡大し,それは格差などの社会課題を生み,二度の世界大戦などを惹起する。
エリザベートを例にとれば,宮廷生活に倦んだ彼女は,時にお忍びで蒸気船などに乗り欧州を放浪した。ハプスブルク専制を嫌った彼女は,皮肉にも無政府主義者に刺殺される。この社会不安の潮流は,彼女の義甥,皇太子フェルディナント暗殺を機に第一次世界大戦を引き起こした。
WEFでは技術が社会構造の転換を促し,それが新たな課題を生むというサイクルを繰り返すと捉えている。
またWEF創始者のシュワブ教授は,グローバル化とは技術がもたらす現象であり,グローバリズムは,国益よりネオリベラリズム的な秩序を優先させる思想であると厳に区別している。
グローバリズムは,時に一部の国家・企業が,他者の犠牲の上に利益を貪る事象を引き起こす。そこでWEFは過去に学び,技術がゼロサム的社会を生まぬよう,時代に沿うアーキテクチャを創ろうと呼び掛けた。
日立製作所会長の中西宏明もメンバーを務めるWEFの分科会IBC(International Business Council)は,グローバル企業トップ100名ほどで構成され,毎年1月のダボスと,8月末にジュネーブのWEF本部で会議を開催する。
8月,中西はWEFの薦めでホテル・ボー・リバージュに宿泊することが多い。ホテルからは,レマン湖名物の大噴水を眺めながらモンブラン橋を通って,無数のヨットが係留される対岸に渡る。地元の名門ヨットクラブの手前で湖畔を離れ,この地域有数の高級住宅地に続く坂の小径に入る。
この辺りには,かつてバイロンが詩人仲間シェリーらと過ごした別荘ディオダティ荘もある。スイスワイン特有のシャスラ種の葡萄畑を越えるとWEF本部だ。丘の傾斜を利用した建物からはレマン湖が一望できる[2]。
IBCでの議論はチャタムハウスルールに則るため,第三者が内容を知ることは難しい。しかし中西によれば,それゆえ各参加者は率直に本音を吐露し,中身の濃い討議ができると言う。
ここ数年IBCが追究するテーマに「CEO現代のジレンマ」がある。短期的成果を求める一部の風潮に対し,社会的利益と長期的経営を念頭にした経営者のリーダーシップを議論している。
本年1月22日,ダボスで行われたIBC「CEO現代のジレンマ」では,中西をはじめフィリップスなどの企業トップが事例を発表し,その概要は例外的にWEFのウェブサイトで公開された。
この日,中西はIBCを終えると「第四次産業革命時代のリーダーシップ」と題するセッションに,同じIBCメンバーであるIBMのロメッティ会長,SAPのマクダーモットCEO,P&Gのテイラー会長と登壇し,IBCの熱気をそのままに長期的経営,雇用や職業スキル,データの取り扱いなど多面的にリーダシップについて論戦を繰り広げた[3]。
中西は,この数年,ダボスで強調している論点,「第四次産業革命のデジタル化は社会構造自体を変えるから,個別の事象に捉われ過ぎず,まずありたき社会像を共有すること」の重要性を説いた。
シュワブ教授も近著『第四次産業革命を生き抜く』で,新しいリーダーシップに必要な4要素を示している。それは,(1)個々の技術ではなく,社会システム全体に注目する,(2)技術で人々の権限を剥奪するのではなく,技術を駆使した新しい権限創出を考える,(3)人間中心のデザイン思考アプローチ,(4)技術に社会的価値観を埋め込む,である。概ね中西と同じ方向を見ている。
ダボス会議のメイン会場コングレスセンターから1〜2分の距離にホテル・ベルヴェデーレがある[4]。1929年,ここで異なるダボス会議があった。仏・独など欧州リーダー達が,第一次大戦後の復興を担う若者のために始めた「ダボス国際大学」である。メインは,新カント派の泰斗カッシーラーと,大著『存在と時間』を著した新進気鋭の哲学者ハイデッガーによるカント解釈をめぐる論戦,世に言う「ダボス討論」である。ダボスは,昔も今もグローバルリーダーが,良き社会をめざし議論する地のようだ。
1月23日,この地で,世耕弘成経済産業大臣,五神真東京大学総長,江田麻季子WEF日本代表,そして中西の4人が,欧・米・アジア・アフリカ等の記者を前に「ザ・ニッポン・チャレンジ:Society 5.0」と題した発表を行った。
世耕大臣は,本年G20議長国の日本が,公正で互恵的なルールに基づく信頼の架け橋を築くことを掲げ,ルールベースの通商・データ流通の国際的枠組み形成など4つのチャレンジを紹介した。
続く五神総長が,知識集約型社会における産学連携の価値を,日立東大ラボの例などを交え説明した。さらに日本では,大学の強みである長期視点に基づいた基礎研究の充実,幅広い分野の知識の蓄積を,高速大容量ネットワークSINETを通じ大学間で共有していると付言した。
中西は経団連(一般社団法人日本経済団体連合会)作成のSociety 5.0の冊子を手に,政府・大学と連携してダボス会議やB20サミットなどを通じSociety 5.0を発信し,理想の社会像を世界と共有したいと述べた[5]。
最後に江田代表が,WEFは日本の産官学連携を歓迎し,官民協調推進の国際プラットフォームとして協力したい旨のコメントを寄せた。
その著書『実体概念と関数概念』で,いち早くモノからコトへの世界観の転換を唱えたカッシーラーが議論を交えた地で,日本のリーダー達が新たな社会コンセプトSociety 5.0を提言したことは実に感慨深い。
日立製作所社長の東原敏昭は,本年のダボスの主眼を,世界のリーダーがAIなど先端技術開発とビジネス倫理の関係をどう捉えるかに置いた。技術に社会的価値を埋め込むべしとするシュワブ教授の課題意識にも合致する。事実,今回,数多くのセッションが技術と倫理について時間を割いた。
ディオダティ荘の座興で,シェリーの妻メアリーが創作した怪奇小説『フランケンシュタイン』は,実は技術と倫理の物語である。よく知られる映画の怪物は動物的で残虐だが,原作ではゲーテを愛読する知識人だ。逆に功名心から怪物を創った若者ヴィクターは倫理に欠け,怪物に「なぜ生命を弄ぶのか」と諭され,神の領域を侵したことを激しく後悔する。AI開発などにおける技術者の葛藤を「フランケンシュタイン・コンプレックス」と呼ぶ由縁だ。
中西が,パネリストとして初参加した2016年のセッション「すばらしい新世界」でも話題の中心は,AIなどの開発と倫理であった。が,明るい題名と裏腹に「AIが雇用を奪ったら」,「ロボットが人間を襲ったら」と悲観的な論調が支配した。
『すばらしい新世界』はSF作家のハクスリーの小説の引用で,元はシェイクスピアの『テンペスト』の科白にある。この小説は,第二次大戦前夜の不安な社会情勢の下で執筆されたディストピア小説の先駆けで,技術が人々を徹底的に管理する未来が描かれる。
技術を主語にすると,人は将来を悲観するようだ。中西は,技術と倫理の議論の意義は認めつつ,人間ではなく技術を軸にする論調に少し違和感を覚えたという。
そこで,彼は翌2017年のダボス会議共同議長を務めたのを機に,人間中心の未来社会Society 5.0を紹介し,まず創りたい社会像を共有しようと唱え始めた。
今回もSociety 5.0の冊子の中で,中西はディストピアとはまったく逆の物語を紡いだ。めざすは,人々がさまざまな制約から解放され,誰もが,いつでもどこでも安心して,自然と共生しながら価値を生み出す社会だ。
グローバル化2.0の主要技術に,テレビが挙げられている。この時代,1966年から1990年に日立が提供した『すばらしい世界旅行』というドキュメンタリー番組があった。番組は,絶海の孤島や密林など厳しい環境の下,産業革命以前の技術を駆使して自然と共生した生活を送る人々を追った。
この番組の代表作の一つ,日立OGの略歴を持つディレクターの市岡康子氏が制作した「クラ 西太平洋の遠洋航海者」は,モノからコトへの世界観を文化人類学に応用したマリノフスキーの研究を映像化したもので,国際学会で高い賞賛を得た。
クラは西太平洋に点在する離島間に発達した交易である。クラではヴァイガと総称される経済的価値のない2種類のモノが,島々の有徳者の間を展転流通し,副次的に経済的価値を生む物々交換も促進する。ヴァイガは有徳者を展転することで,社会的価値が上がり,これがブロックチェーンのように,物々交換の信用を保証し,また島ごとに言語も違う多文化社会を,クラによる文明圏,いわばクラ自律分散型文明として維持している。
人々はクラのためにカヌーを作り,クラの安全を願いカヌーにまじないを掛ける。技術に社会的価値を埋め込むとは,このことだ。
今日,我々が考える原点がここにある。どれほど技術が発達しても,中心にいるのは人間である。文化人類学は,自己と異なる他文化を容認し,自・他文化を相対的に捉えることで発達した。技術もグローバル化も格段に進展した今,この視点は一層重要である。
グローバル化3.0の幕開けに一役買ったマイクロソフトのWindows 95。そのパッケージに女性が描かれている。バイロンの娘,エイダだ。
エイダは,チャールズ・バベッジが設計したプログラムで作動する機械式計算機「解析機関」のプログラミングを担った。それゆえバベッジはコンピュータの父,エイダは世界初のプログラマーと呼ばれる。
産業革命は元始からダイバーシティが必要だった。いわんや現代をやである。WEFもこれを重視し,昨年の共同議長は全員女性が担い,本年はマイクロソフトのナデラCEOを除き,6名が40歳以下の若手で,うち4人が女性であった。
日立でも昨年の日立ヴァンタラCIOのレネー・マッカスクルに続き,日立レールイタリアなどの役員を兼ねるロレーナ・デラジョバンナが参加した。1月24日,彼女は本年のメインテーマ「グローバル化4.0」と題したセッションに,クローバル企業のCEO,インドネシアの産業大臣と並んでパネリストとして参加し,製造業の未来について堂々の論陣を張った[6]。
これからも日立は多彩な人財をダボスに送り込むであろう。
『ローマの休日(原題:Roman Holiday)』は,バイロンの詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』にある成句「Roman holidy」からの引用だ。Roman holidyには,他人の犠牲の上に成り立つ利益などの意味がある。映画では,新聞記者ブラッドレーが王女のプライバシーを売って一攫千金を夢見,夜ごとのパーティーに飽きた王女は,公務を放棄しブラッドレーとの恋を夢見る。
ダボスの夜も,政府や企業主催のパーティーでにぎわう。日本食PRパーティー「ジャパンナイト」も名物の一つだ。本年は,日本の企業・大学・団体など29法人が協賛,日本政府(農林水産省)後援,全農・JETRO協力により1月23日夜に開催され,安倍晋三首相も初参加し例年以上に盛り上がった。
しかし,その裏で大きな課題もあった。2018年5月,GDPR(EU一般データ保護規則)が施行され,パーティー主催者はデータの取り扱いに細心の注意を払う必要があった。ジャパンナイト主催者も事務局・サーバをEU域内に置くなど,GDPR遵守の対策を敷いた。
安倍首相はこの日の基調講演で,G20サミットでのデータガバナンスに焦点を当てた議論「大阪トラック」の実施や,信頼に基づくデータフロー体制構築を提案した。データ活用はSociety 5.0の基軸だけに,その国際的なルール形成は最重要である。
映画では,ブラッドレーは王女のプライバシーの切り売りを断念,仲間のカメラマンも隠し撮りした写真を王女に手渡し,忘れられる権利を保障する。一方の王女も公務に戻り,それぞれのRoman holidayを放棄する。
プライバシー保護のため,GDPRのような規制はもちろん必要だ。一方で医療や交通などで集積されたデータは公共の利益にも適う。またデータはその性質上,企業や国家が独占・寡占しやすい。信頼に基づくデータフロー体制の構築は,WEFの唱えるアーキテクチャの根幹を成すものである。
1月24日,日立代表団は全予定を終え,この夜は街のレストランで内輪の夕食となった。それぞれ好きな料理を摂り,ほとんど輸出されないと言うシャスラ種のワイン等と合わせる。
栽培技術の進化とグローバル化のおかげで,シャルドネ,リースリングなど,どの種も欧州,チリ,豪州,インド産など各地のワインを入手できる。一方で愛好家は,土壌や気候,地形などワインの味を引き出すテロワールと言う要素を重視する。
社会の軸がモノからコトへ移り,さまざまな分野で国際ルール形成が急務であるが,統一基準下でも優位性のある事業機会は見つけられるだろう。
マリノフスキーは文化が異なれば人々は異なる幸福を望むと説き,人々の不可量的行動を記録して,文化人類学の重要な手法,参与観察を編み出した。
日立でも顧客協創方法論「NEXPERIENCE」にこうした手法を採用し,各地の社会イノベーション協創センタには,文化人類学などに知見のあるデザイナーを置いている。
スイス料理とワインのマリアージュを楽しみながら,東原の振り返りを聞き,自らも考えを巡らせる。
東原はダボスを結論を出す場ではなく,方向性を議論する場だと言う[7]。事実,ここでは非常に幅広いテーマが扱われ,結論を出すのは難しい。個々の参加者が議論の中で掴んだものを,どう行動に還元するかが問われる。
東原は特に気になった課題として,(1)人間中心社会の実現,(2)リスク管理,(3)成果の公平な分配を挙げた。
日本を除くG7首脳が勢ぞろいした昨年と較べ,本年のダボスは盛り上がりに欠けたという声もあった。しかし,WEFスタッフが「(政治)ショーを企図しているわけではない」と口をそろえるように,こうした見方は会議の本質を捉えていない。
この点,日本が産官学連携でSociety 5.0を訴え,かつB20,G20などを通じ世界に問い続ける意義は大きい。
一方で,今回のテーマは過去に学び,新しいアーキテクチャを創ろうとするものだったが,多くの議論は,今ある課題に直入し,歴史を顧みる余裕が無いように見えた。
ネオリベラリズムを市場原理主義と同一視する向きもあるが,「見えざる手」を唱えたアダム・スミスは道徳の重要性も説き,カントに傾倒した新古典派経済学の始祖マーシャルは,ビジネスリーダーの倫理「経済騎士道」を唱えた。スミスやマーシャルがダボスに参加したなら,やはり倫理に基づくデータのルール形成を唱えたのではないか。
マーシャルは,また「生活基準」という概念も創り出した。これは経済的な豊かさを表す生活水準と異なり,人間の内面的な幸福なども含む。クオリティ・オブ・ライフにほぼ相当する概念だ。
そして彼は人々の生活基準向上が,経済騎士道を支えると唱え,それには「教育の充実」,「賃金上昇」,「労働時間の短縮」が重要と説いた。これらは,産官学連携なしには達成し得ない。
東原の振り返りに戻ると,「データ解析技術などの発達で,システム思考での課題解決がより容易になっている」,「未来をデザインするためバックキャストでリスクを管理し,ビジネスを創造していく」,「ビジネスリーダーの社会的価値追求の必要性がいや増す」ことなどを述べたが,最も印象に残ったのは「社会的価値の追求には,明治期の創業者の哲学を振り返ることが肝要」と述べた点である。
実はシュワブ教授も,技術に社会的価値を埋め込むには,ビジネスリーダーがその哲学を企業理念に表すことが有効としている。
日立の企業理念「優れた自社技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」を今一度思い起こす。
第四次産業革命は,あまりにインパクトが大きく,またグローバル化も非常に速い。ゆえに目前の事象に捉われがちになるが,システム全体を見渡すことと,ゆるぎないアーキテクチャの礎として創業者の想いの意義を考えさせられた。
今後,折に触れ創業者たちの想いを綴ってみたいと思う。