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INSPIRATIONS 社会イノベーションをめぐる対話 vol.05INSPIRATIONS 社会イノベーションをめぐる対話 vol.05

  • 広井 良典
    京都大学
    こころの未来研究センター 教授
  • 八尋 俊英
    株式会社日立コンサルティング
    代表取締役 取締役社長

今、資本主義を基盤に、世界市場がさらなる拡大・成長を希求する一方で、若い世代を中心に組織を越えた働き方やシェアリングエコノミー、地方に根ざした社会課題解決の取り組みが目立ってきている。特に今後の人口減少を前に社会構造が大きく変わりつつある日本では、さらなる拡大・成長を追うよりも、豊かなで幸せな持続可能な社会をめざすべきではないか――。ポスト資本主義社会の未来のあり方として、こうした「定常型社会」を提唱する京都大学こころの未来研究センターの広井良典氏に、これからの日本が向かうべき社会、企業、個人のあり方について聞いた。

広井 良典Hiroi Yoshinori
1961年岡山市に生まれる。1984年東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)、1986年同大学院総合文化研究科修士課程修了。厚生省勤務をへて、1996年より千葉大学法経学部(現・法政経学部)助教授、2003年より同教授、この間(2001‐02年)マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。2016年より現職。専攻、公共政策、科学哲学。著書に『日本の社会保障』(岩波新書、エコノミスト賞受賞)、『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書、大佛次郎論壇賞受賞)、『ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来』(岩波新書)など、著書・編著書多数。
八尋 俊英Yahiro Toshihide
IT分野の投資銀行業務を学んだ長銀を最初に、ソニーを経て経済産業省に社会人中途採用1期生として入省。商務情報政策局情報経済課企画官、情報処理振興課長、大臣官房参事官(新需要開拓担当)兼 新規産業室長を経て2010年退官。その後シャープのクラウド活用新サービスなどに従事、新設されたクラウド技術開発本部長、研究開発本部副本部長を経て2012年退社。日立コンサルティング取締役を経て2014年より現職。

人類は拡大・成長と定常化を繰り返している

八尋広井先生が「定常型社会」を唱えていらっしゃるのは、ビッグヒストリーから俯瞰して、成長・拡大をめざしてきた資本主義経済が、この後、定常化へ向かうであろうと予測されているからですね。

広井はい、人類の歴史を長い目で見たときに、定常化のサイクルが3回あったというのが私の持論です(図3参照)。
 約20万年前にアフリカでホモ・サピエンスが誕生し、狩猟・採集社会の前半に一気に人口が増えましたが、後半は安定して、定常化しています。時代が下って、約1万年前にメソポタミアあたりで農耕が始まり、また人口が増えて各地に波及していきました。ところがこの農耕社会においても、後半は定常化していく。さらに時代を下った約300〜400年前には産業化・工業化社会が始まり、またさらに一気に人口が増えました。そして今、私たちは、第四の拡大・成長へ向かうのか、あるいは第三の定常型社会を迎えるのか、その岐路に立っています。

人類史の中の定常型社会図3 人類史の中の定常型社会

しかしそもそもなぜ、拡大・成長を経て、定常化へ至るのか。その原因はエネルギーの利用にあります。最初の狩猟・採集社会では、人口が増えたことで狩猟・採集だけでは十分な食糧確保が困難になったのでしょう。農耕社会でも、拡大・成長の過程で「都市」を生み出していきますが、やがて資源・環境的制約にぶつかって、定常化していった。工業化社会も同様で、数億年にわたって生物の死骸が蓄積した結果できた化石燃料に頼ってきたけれど、それもあと100年ほどで使い切ると言われています。つまり、人間が自然からいかにしてエネルギーを得るかということが、拡大・成長と定常化のベースになっているのです。
 実は興味深いことに、拡大・成長から定常化へ向かう際に、精神的な革命とも言うべき、文化的なイノベーションが起こっているんですね。狩猟・採集社会では約5万年前に、人類学や考古学の分野で「心のビッグバン」などと呼ばれる現象が起こっています。ラスコーの洞窟壁画や縄文時代の装飾品などに代表される、今で言うアート作品が生み出されたわけです。

八尋確かに、縄文土器にしても機能的な形ではありませんね。

広井ええ。生産という観点からは一見、無駄に見えますが、広い意味での遊びというか、文化の創造が起こったんですね。農耕社会でも同様に、定常型社会へ向かう紀元前500年くらいにドイツの哲学者ヤスパースが「枢軸時代」と呼んだ精神革命が、同時多発的に起こりました。この時期、インドでは仏教、中国では儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東では旧約思想(キリスト教やイスラム教の源流でもある)などの普遍的な思想が生まれています。
 私の解釈では、精神革命が起こったのは、環境史の研究が明らかにしてきたように、ちょうどその頃、土壌の侵食や森林の枯渇などの資源や環境の有限性という問題が生じたためではないかと思っています。つまり、物質的な生産を量的に拡大していくことに行き詰まり、限界に直面して、精神的・文化的な新たな価値を見出そうとしたのではないか。物質的な拡大から精神的な喜びや幸福へと価値観を転換させるものとして、これらの普遍的思想が生まれてきたのではないかと考えているのです。

ローカルから社会課題解決が始まる?

八尋今のお話を現代に当てはめてみると、前編で述べたような新しい価値観を持つ若い人たちの出現や、SDGsに代表される持続可能性の追求、シェアリニングエコノミーの登場などが、精神革命に当たるのかもしれませんね。
 しかしながら、そうした精神的な変革が企業からはなかなか起こりにくい。グローバル企業の経営者以外は、日本の中でお金が回るのであれば、今の状況のままでも当面は倒産することはないし、変革を急ぐ必要はないと思っているのかもしれません。若年層の人口が減る中で、若者の声は届きにくく、彼ら彼女らを応援する機関や社会的な仕組みもまだまだ少ないように思います。
 もっとも精神的な変革を牽引するのは、これからは企業でないのかもしれません。地方創生を担う第三セクターやNPO、ベンチャー企業になるのかもしれませんが、なかなかそのアクターが見えないところがもどかしいですね。

広井地方あるいはローカルというのは一つのキーワードになると思っています。
 例えば、岐阜県と福井県の県境の石徹白(いとしろ)地区で、小水力発電をベースに地方再生を始めたNPO法人 地域再生機構の副理事長を務める平野彰秀さんという方がいます。彼は、東京大学で都市工学を、同大学院で環境学を学んだ後、外資系のベンチャーで仕事をしていましたが、グローバルな紛争の原因となるエネルギー問題や食糧問題を解決するには、まずローカルでそれらを循環できる仕組みをつくることが重要であると考えて、故郷の岐阜に近い石徹白へ移住した人なのです。最近では、『おだやかな革命』という自然エネルギーによる地域再生を描いたドキュメンタリー映画で中心的な人物として描かれ、注目を集めています。
 これからは平野さんの取り組みのように、ローカルから出発して、それほど組織も大きくならないまま、グローバルな社会課題を解決していくというモデルもさまざまな形で出てくるかもしれません。
 ちなみに、ドイツには、いわゆるHidden Champion(隠れたチャンピオン)と呼ばれるローカルの中小企業が数多くあるんですね。つまり、地方都市などにベースを置いているけれど、世界に開かれていて、ある部品では世界シェアNo.1を誇るといった企業です。これからは、こうした企業が変革の担い手になっていくようにも思います。

八尋確かに、日本にもそういう企業がたくさんありますね。昨年くらいから経済産業省も地域未来投資促進法に基づき、地方を牽引する中核事業者や先端企業を支援する動きを始めていますし、愛知県や福岡県、沖縄県などは人口も増えて元気です。
 一方で、元気のない地域も多く、地域間格差をどうすればいいのかというのが大きな課題です。やはり、大規模小売店舗法(大店法)のような、社会のあり様を大きく変える制度が必要なのかもしれません。交通事故の増加や地域商店街とのバランスはありますが、人や物の移動がクルマに変わる時代には大型ショッピングセンターとクルマの移動が掛け算されて、自動車産業の発展、ひいては日本経済を大いに支えたという点では効果的な法制度でした。
 では今後、どのような枠組みを整備すべきなのか。例えば、アメリカでは今フリーランスの人が急増していて、同様に日本でも若い人たちの中にはフリーランスの働き方を希望する人が増えています。そうした個人事業主を支援するような制度があってもいいのかもしれません。

定常型社会がめざすべき未来の姿は「地方分散型」

広井これまで東京にすべてが集中してきた背景には政策の影響がありました。それも3段階くらいあって、第1段階がいわゆる高度経済成長期で、農村から都市に人口が大移動して工業化を推進する中で、強い言い方をすると「ムラを捨てる」政策が進められてきました。これにより、1960年代から食料自給率が一貫して下がっていきますが、これは先進諸国の中で日本だけに見られるパターンなのです。
 続いて第2段階は1980〜1990年代で、大店法をはじめ、自動車中心の社会あるいはアメリカンモデルの都市像を築く中で、今度は「マチを捨てる」政策が進められてきました。クリティカルな言い方をすれば、シャッター通りに代表される地方都市の空洞化は、実はこれらの政策の成功の帰結なのです。
 そして、希望をこめて言えば、第3段階が2000年代ないし2010年代以降の展開です。これまでの方針から舵を切り、中心市街地の再生などを促進するまちづくり三法が施行されました。さらに、数年前には、国土交通省が「国土のグランドデザイン2050」を公表、その中で、各地域に多様な小さな拠点をつくり、それらを結ぶネットワークが重要であるという方針を打ち出しています。
 まだまだ課題は山積していますが、現在各地で起こりつつある展開に私自身は希望を抱いています。「多極集中」モデルと言っているのですが、極となるコンパクトな地域が増え、再生エネルギーの活用などにより、自律した循環の仕組みを構築していくというのは、定常型社会のめざすべき姿だという気がします。

八尋沖縄が元気である背景にも政策があって、2002年に沖縄振興特別措置法が施行されて以来、経済金融活性化特区、情報通信産業振興地域・特区などが設けられ、データセンターやコールセンターの移設などにより雇用が生み出されてきました。施策をうまく使うと、地域全体を大きく変えることができるわけですね。

 広井実は2017年9月に、日立京大ラボとの共同研究として、AIを活用した持続可能な日本の2050年に向けたシミュレーションと政策提言を行ったのですが、その際の最良のシナリオとして出てきたのも、都市集中型に対する地方分散型というモデルだったのです。AIを活用して約2万通りのシミュレーションを行い、それらをグループ分けして、持続可能であるとともに、格差、雇用、健康、幸福といったさまざまな観点から望ましいものとして示されたのが地方分散型という姿であり、私自身、大変驚きました。AIの言うことなら皆さん、耳を傾けてくれるのではないでしょうか(笑)。

集団を越えるための心の拠りどころ

八尋変革の重要性は分かっていますが、いまだ日本社会の各所には、例えば「御恩と奉公」といった古い価値観が残っています。どう乗り越えていけばいいのでしょうか。

広井「忖度」もそうですね。確かに日本ではこれまで、集団の中でいかにうまく同調してやっていくのかが拠りどころになっていたように思います。ところが、江戸時代までの日本人というのは、集団の空気というよりも、むしろ神仏儒、すなわち神道と仏教と儒教の道を大切にしてきたと言えます。実はこれは、学校の銅像で有名な二宮尊徳が言っていることなのです。二宮尊徳は今風に言えば、財政再建や農村の復興事業などを手がけた、地方再生コンサルタントのような仕事をした人ですが、重要なのは「さじに神を半杯、仏儒をそれぞれ4分の1」といった言い方をしています。
 ところが、明治維新の際、黒船ショックを受けた政府がいわば突貫工事で国家神道をつくり、やがて世界大戦へと突き進みますが敗戦となり、それらがすべて否定されます。戦後は、経済成長がそれに取って代わり、ある意味では宗教のように人心を一つにする役割を果たしてきたと言えます。
 では、これまでのような経済成長が望めない今、何を拠りどころとすべきか。私は「地球倫理」と呼んでいるのですが、現代的な新たな視点で神仏儒を見直すとともに、それを地球という視点とつないでいくというビジョンです。そこで着目したのが、鎮守の森です。実は、全国のコンビニ店舗の6万弱に対して、寺社はそれぞれ約8万か所もあるんですね。2013年には、「鎮守の森コミュニティ研究所」を立ち上げ、鎮守の森を地域コミュニティの一つの拠点として、また自然エネルギーの拠点として積極的に活用しようと活動しています。

八尋経済成長の限界にある今、やはり集団を越えた拠りどころや地球倫理のようなものが必要ですね。

広井さらに言えば、グローバルの意味を問い直すべきではないかと思っています。ローカル、グローバル、さらにはユニバーサル(宇宙、普遍的)と分けて考えると、ローカルの個別性・多様性とユニバーサルの普遍性をつなぐものとしてグローバルがあるのではないか。つまり、地球上のローカルの多様性を包含したグローバルな地球倫理へと向かうべきなのではないかと考えています。

定常型社会のビジョンのカギを握る「Life」

八尋一方で、グローバル企業以外は、世界を揺り動かしている大きなパラダイム転換に関しても性急に対応を迫られることなく、依然として危機感も薄いように思います。残念ながら、2040〜2050年くらいまで、日本は長く低迷してしまうのではないかという悲観的な思いもあります。

広井悲観的な気持ちや危機感は私も強く持っています。ただ、期待を込めて言えば、人間は経済社会の変化に多少遅れて意識や行動様式が変化していく。若い人からシフトは始まっているけれど、変化のスピードが速いので、全体としてはまだ追いついていないのかもしれません。

八尋リーダーとなるべき企業が勇気を持って今から取り組めば、低迷することなく未来を変えられると思います。そのためには、やはりもう少し迫力のある地方分散のための制度なり仕組みなりが必要なのかもしれませんね。

広井分散というのは、重要なキーワードですね。そもそも情報化というのは一律統御ではなく自律分散型システムであり、それがAIの進展にもつながっています。
 少し長い歴史の話をすると、17世紀にヨーロッパで科学革命が起こって以来、科学の発展は4つのステップを経てきました。最初の科学の基本コンセプトは、ニュートン力学に代表される物質と力にありました。それが19世紀になると電磁気や熱現象といったエネルギーへシフトして、工業化の進展に大きく寄与します。そして20世紀後半は、クロード・シャノンがビット(情報量の単位)の概念を生み出し、情報へと移っていく。自律分散型システムが広まったわけです。
 では次のコンセプトは何か。それは間違いなく「Life」(生命)だと思います。Lifeは、生活、あるいは人生と訳すこともできるように、単に生命科学の進展だけでなく、これからは個人の生活の質や幸福まで含めたビジョンが重要になるでしょう。

八尋「人生100年時代」になると言われていますが、場合によっては企業の寿命より、個人の寿命のほうが長くなるわけですからね。個人の生活、健康、生命、幸福といったものが重視されるようになるのは当然のことなのでしょう。
 本日は多岐にわたり、示唆に富むお話を頂きまして誠にありがとうございました。

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