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PORTRAITS 変化を歩む人 vol. 2PORTRAITS 変化を歩む人 vol. 2

坂入 実さん
日立製作所 基礎研究センタ チーフサイエンティスト

Minoru Sakairi | 1981年日立製作所中央研究所入所。中央研究所ライフサイエンス研究センタ長、主管研究長などを経て現職。高感度計測、生体計測、環境計測を専門とし、環境モニタリングシステム、フィジカルセキュリティシステムなどを多数製品化。現在は尿を用いたがん検査、ドライバーモニタリングシステム、生物機能を用いた計測システムの開発などに従事する。博士(理学)/日本化学会フェロー。

ひたすら技術に向きあう先に、
ある日突然、突破口が見えてくる。

「がん患者を尿で識別できる。」
そんなニュースを耳にした方も多いだろう。
がんは働きながら治療する時代、といわれる今、がんの早期診断への期待を背負う画期的な技術。その開発の中心にいるのが坂入実さんだ。
安全・安心な社会の実現をめざして数多くの開発を手がけ、実用化してきた坂入さんだが、自分がこれほど長く研究者を続けるなんて夢にも思わなかったという。
新たなテーマを次々に創生し、チャレンジし続ける今の研究スタイルは、どのようにして生み出されたのか。

2つのエンジン。

安全・安心な社会の実現をめざし、今、起きている課題の解決に向けて、技術開発の最前線で走り続ける坂入さん。
熱い胸の内には、彼を突き動かす2つのエンジンがある。
まず、1つめのエンジンが生まれたきっかけは、「感激の体験」だった。

「膨大な時間をかけて実験するも失敗ばかりだったのですが、29歳のときに初めて、自分で新しい物理現象を見つけました。脳科学的に言うならば、脳内にドーパミンが大量にあふれ出たのではないかと思います。この体験が非常に大きかった。再び、全身に電撃が走るような感激の体験を味わいたい、という思いが、常に前向きに実験に向かう大きなドライビングフォースになっていったのです。」

坂入さんは1981年、日立に入社。後にDNAシーケンサで知られることになる神原秀記名誉フェロー(当時は主任研究員)の最初の部下となった。
正直、強い意志があって入社したわけではなかった。ましてや研究者として生涯やっていこうなど思ってもみなかった。
「多分それを感じ取っていた神原さんは、厳しく私を鍛えようとしたのだと思います。毎日のフォローアップと、そのための実験を繰り返す日々。いやというほど大変で、当時はただ辛い思いしかありませんでしたが、この20代の経験は、私の基盤を形作る上で重要な礎になったと思います。」

自分なりの工夫を加えながら実験する楽しさを感じ始めた頃、坂入さんの研究人生の原体験ともいえる出来事が起きる。

イオン化に関する新現象の発見。
それは、坂入さんの言葉を借りるなら「幸運の女神」。
「これまでとは異なるわずかなスペクトルの違いを見つけた瞬間、最初はすごい違和感を覚えました。しかし、その再現性が確認できると分かってからは、無我夢中。ひたすら実験を続けました。疲れも眠気も全く感じなかった。」

ひょっとしたら、自分なら出来るかもしれない。
このとき湧いた自信が坂入さんを支える1つめのエンジンとなった。
実際、話を伺っていても、坂入さんからは前向きな言葉しか出てこない。

そして1990年。2つめのエンジンが生まれる。
坂入さんはイオン化に関する新現象の発見をまとめた論文が評価され、客員研究員として米国国立衛生研究所(NIH:National Institutes of Health)へ留学する。世界から集まった同年代の優秀な研究者たち。彼らは明確な独自のアイデアを持ち、実現に向けて精力的に研究に没頭していた。
目標、考え方、全てにおいてレベルが違う。
自分には、彼らのような難しい技術課題に挑もうとする「チャレンジ精神」が大いに不足している。

米国留学中から計測分野の研究に難しさと面白さを見出していた坂入さんは研究目標を自ら定めた。
「小型で高感度のセンシング技術を開発し、安全・安心な社会の実現に貢献する。」
この目標そのものが、坂入さんの2つめのエンジンになった。

突然、見えた解決の糸口。

米国からの帰国後、坂入さんが最初のテーマに選んだのは「ダイオキシン類(PCB*)のモニタリングシステム」だった。
1990年代、焼却炉のダイオキシン排出が世界的に問題となっていた。これが開発できれば、社会的インパクトは大きい。
だが、開発は困難を極めた。
焼却炉の排ガスには予想以上に多様な成分が含まれ、目的であるPCBの検出を妨害する。
なかなか成果が出せず、「プロジェクト中止勧告」という土俵際まで追い込まれた。

そんな中、若きリーダーの坂入さんを助けたのが日頃繰り返しつけていた「実験ノート」だ。
ノートに書かれていたいくつかのアイデアを試作していたある日。
試作した装置に、実験上の失敗がうまく融合し、これまでにない新しいイオン源の開発へと繋がった。またもや「幸運の女神」が微笑んでくれた瞬間だった。
難局を突破したこの時を、坂入さんは今も鮮明に覚えている。
「乗り切った、という安堵感から、開発チームの仲間たちはしばらく呆然としていました。」

とにかく、朝から晩まで考え続けるという坂入さん。考察、実験、を繰り返す中で得た気づきは、取りも直さず実験ノートへ記録する。
「このノートには何度も助けられました。米国留学のきっかけ、土壇場での新しいイオン源の着想、そして今取り組んでいる研究テーマ…みんなここから生まれたといっても過言ではない。」

開発着手から実に5年。
やっとのことで製品化に至り、ふと周りを見れば、し烈な開発競争の中で製品化に成功したのは日立だけだった。それは、他社にとってもいかに困難な開発であったかを示していた。

「ダイオキシン類(PCB*)のモニタリングシステム」は現在、全国のPCB処理事業所に導入され、稼動している。そして、この開発を機にさまざまな分野から声が掛かった。爆発物探知、不正薬物探知、化学剤モニタリングなどのフィジカルセキュリティ分野への展開もそのひとつだ。驚くべきことに、これらすべてが製品化に成功し、今も、各分野で日々使用されている。まさに企業における研究者の面目躍如といえるだろう。

研究のインパクトを世に問う。

ときは2007年。7年間の管理職を経て、坂入さんは再び研究職へ。管理職時代にも、指静脈生体認証、職場復帰支援、大規模DNAシーケンシングプロジェクトなど、積極的に新しいテーマを立ち上げ、坂入さんの研究者魂は遺憾なく発揮されてはいた。
しかし研究職への復帰にあたり、かなり大胆な構想を抱く。

「異なる方法論で、複数の研究テーマを立ち上げることができないか、と。この時点でおぼろげながら、アイデアが頭に浮かんでいました。」

坂入さんは30代後半のユニットリーダー時代、個人的に先輩らの研究テーマを徹底的に分析し「研究テーマ立ち上げの方法論」を整理していた。その方法論に基づき、「実験上の気づき」と「社会的インパクト」を掛け合わせ、取り組む研究テーマの方向性を3つ考え出した。驚いたことに、これらはすべて同時期に、自らチームを立ち上げるところからスタートしたという。

研究テーマ1:不正薬物・爆発物探知向けフィジカルセキュリティシステムの自動サンプリングシステム

(方法論1、既存技術同士を融合し、新たな社会価値に変換する)
それまで爆発物探知システムは特殊な布で検査対象物を拭き取って検査装置にかける、拭き取り型が主流。電気掃除機で使用されているサイクロン技術の融合により、爆発物の微粒子を自動で高速に採取し探知することを可能にした。

研究テーマ2:車載用呼気アルコール検知器

(方法論2、新しい現象の発見により、新しい社会的価値に気づく)
別の実験で自分の呼気がノイズとなりイオン強度が変化するという現象を発見。幾度となく実験と考察を通して、人間の呼気であることを証明する簡便な呼気検出法を編み出した。ナノテク技術を活かし、装置の小型化を実現。

研究テーマ3:尿中代謝物によるがん検査の開発

(方法論3、多様な専門家との議論を通して、新しい社会的価値を見出す)
「尿の線虫を用いたがん検査」について大学の先生方と議論するなかで、線虫が何を検出しているかに関心が向くように。尿中代謝物を網羅的に解析したところ、尿中代謝物を用いてもがん検査ができることが判明。

アイデアの実現にあたって、坂入さんが大切にしているのはプロトタイピングだ。
専門家によるチームを組んで、短期間で動作する試作品を作り、世の中に問うてみる。
反響がなければそれだけのもの。
研究には資金も人も必要だ。まずは一歩踏み出していくことで、物事が動き始める。
幸い、上記に列挙したどの研究テーマにも大きな反響があり、多くのメディアに紹介された。これが新たな顧客獲得や共同研究に繋がった。
そして、社内外へ何度も問いかけ続けた結果が、坂入さんの執務室の壁にも表れている。

壁には、文部科学大臣表彰など社外表彰の数が20を超える。調子の良いときは、「もっとやれるはず」という戒めに、調子が出ないときには「結構がんばってきたよね」という慰めになるという。

そして今…

坂入さんは、また新しい方法論で新しい研究テーマに挑戦している。本当に懲りない人だ。

研究テーマ4:線虫を用いたがん検査

(方法論4、研究の方向性を徹底的に考え、新しい社会的価値を生み出す)
線虫の嗅覚機能を用いてがん検査を行う方法を突き詰め、将来特定の匂い物質を検出した場合に生物の一部を光らせて可視化できないか研究中。

小型で高感度のセンシング技術。
坂入さんがずっと変わらず持ち続けてきた目標を突き詰め、行き着いたのが「生物を利用した計測」だ。
「自分の専門外だからできない、という発想は私にはありませんね。」

社外の専門家と連携しながら、生物学という新境地へ研究フィールドを広げる坂入さん。
その探究心はとどまるところを知らない。

坂入さんに聞く、「変化を歩む極意」
「ゴールは最初から見えない、ともかく1歩踏み出すことだ。」

「そうだ、あの実験をしてみたら、どういう結果が得られるだろうか」
難しい技術に挑戦する場合、最初はゴールがはっきりしない場合がほとんどです。この段階で、机上検討ばかりしていてもほとんど意味がありません。一方で、一歩踏み出すと、見える周りの風景が大きく変わり、ゴールへの道筋がわずかに見えてくる場合があります。
どんな新しい研究分野に飛び込んでもポジティブに考えられるようになったのも、若い頃に身につけた、昼夜を分かたず自分の頭で考え、ダメもとでトライする習慣、そして、その結果として新しい現象に何度か出会えた感激の体験が、非常に大きいかもしれません。
研究者の中には、結果が出ないかもしれない、失敗するかもしれないという恐怖感から、なかなか従来の研究テーマから出られない場合が多くあります。しかし、私はいつも勇気を持って一歩踏み出すことを心掛けています。これからも挑戦は続けていくつもりです。