ページの本文へ

Hitachi
お問い合わせお問い合わせ

Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察アフターコロナ時代のイノベーション経営人間の力を引き出し,社会と経済をつなぎ直す環境革命を

2020年8月28日

執筆者紹介

紺野 登

紺野 登

  • 多摩大学大学院 教授
  • エコシスラボ代表,一般社団法人Future Center Alliance Japan(FCAJ)代表理事,一般社団法人Japan Innovation Network(JIN)Chairperson。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)特別招聘教授。「知識生態学」の観点から,知識創造やイノベーション,デザイン思考,「目的工学」などの研究・実践にかかわっている。著書に『ビジネスのためのデザイン思考』,『知識創造経営のプリンシプル』,『構想力の方法論』,『イノベーション全書』などがある。

目次

クライシスが常態化する世界

私たちがこれから生きる「アフターコロナ」とはどんな世界か。その世界像をめぐりさまざまな議論が交わされている。私自身はそれを「メニーコロナ」,すなわち今後も新型コロナウイルスのような脅威(ブラックスワン)が頻出する世界と見ている。それは感染症によるパンデミックに限らず,地球環境・社会環境・都市環境の変化に基づく自然災害ないし人災,それに伴う経済危機や政治危機といった従来の知識や経験からは予測できないさまざまなクライシスが常態化する世界である。

今回の新型コロナウイルス蔓延の原因として,行き過ぎたグローバリゼーションや地球環境および生態系の変化などが挙げられているが,そもそもその深層にあるのは産業革命以後200年以上続けられた経済優先主義であり,言い換えれば,「社会」と「経済」を断絶させる利己的な営みを続けた私たち人間の大きなツケにほかならない。

振り返れば,このような環境と経済の軋みは1972年にローマクラブの『成長の限界』によって指摘されたように近代を通じて,ずっと社会の伏流にあった。特に近年の企業によるCSR活動やESG経営,さらにSDGsへの取り組みなどもそれを緩和しようとする試みであるが,こうして今,その軋みがコロナ禍という大きな痛みを伴い顕在化した。こうした流れは今後いっそう加速していくだろう。

このような21世紀の時代状況を,日本を代表する科学史家・科学哲学者の伊東俊太郎氏は「環境革命」の時代と呼んだ。それは環境問題への配慮という次元に留まらず,その克服を軸とするもので,約20万年前に人類が誕生した「人類革命」,農耕と牧畜が始まった「農業革命」,都市が形成された「都市革命」,東西の世界宗教が生まれた「精神革命」,そして現代につながる「科学革命」に続く人類史の根本的な転換期を指している。その意味するところは,「人間による自然支配」という科学技術ないし現代文明を支える自然観や哲学を見直し,人間を生態系の一部としてその全体を調和させる新しい文明のあり方を探ろうとするものだ。

つまり私たちは今,数々の地球規模の課題を前に,自然や資源の収奪や経済優先主義といったこれまでの思考・行動様式を再考し,社会と経済をつなぎ直す生き方,新しい倫理を模索する時を迎えたということなのだ。そのような意味で今後,イノベーションこそ私たちの中心的な仕事になっていくはずである。

企業経営の面から見ても,VUCA[Volatility(不安定),Uncertainty(不確実),Complexity(複雑),Ambiguity(曖昧)]の時代と言われるように,経営環境は予測のつかない混沌とした世界に変じており,従来の戦略やビジネスモデルが通用しない。そればかりか,盤石と思われた安定的な本業でさえ陳腐化して消滅することも珍しくない。これからはすべての企業において,イノベーションを経営の中核として,みずから変化を生み出していくことが迫られる。それは新規事業の立ち上げといった限定的な範囲に留まらず,本業を含む既存事業,関連した進化事業,非連続的な新領域事業のすべてを対象とするもので,そのポートフォリオが課題となるだろう。

意識革命と21世紀のイノベーションモデル

では,そのような21世紀型のイノベーションには具体的にどのような姿勢が求められるのか。この手掛かりとして,次のようなアルベルト・アインシュタインの言葉がある。

「われわれの直面する重要な問題は,その問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない。」

つまり,前述したような地球的課題の解決のためには,私たちの「意識の革命」が必要なのであり,戦略手法や方法よりも,むしろものの見方や観点,意識のあり方が問われる。したがって,イノベーションとは,自分の日常とは無縁な,「技術」による「破壊と創造」のみを指すのではなく,「私たちがどう生きるのか」,「いかに社会のために役立つ価値を作り出すのか」といった主観に基づく新たな世界観の構築である。それはひとえに人間の「草の根」の知の力に懸かっている。

これはドラッカーが著書『イノベーションと企業家精神』の中で説いた,誰もがアントレプレナー(起業家)のマインドを持ち,創意工夫をしながらより良い社会を創っていく「知識社会」の姿と重なる。これまで人類が辿った農業社会および工業社会では,生産手段である土地や機械設備を有する領主や資本家が経済主体であったが,知識社会では生産手段が頭脳や能力に移ることで,それを担う人間一人ひとりが経済主体となる。そこではネットワークを形成する自律的な「都市民」の知識こそが価値の源泉となると言えよう。

思えば,20世紀のイノベーションとは,時おり起こる技術革新に裏づけられ,企業の研究開発や製品開発としてのイノベーションを川上から川下へ普及させる「サプライサイド(供給側)」のロジックを主流としていた。しかし,これからのイノベーションモデルでは,社会や環境の持続,人間的な価値の探求といった顧客や社会への洞察・共感を起点とする,今までとは逆向きの「デマンドサイド(需要側)」のロジックへの転換が求められる。現在,多くの企業で,顧客との共感を起点とするデザイン思考が注目されているのはそうした時代の潮流に対応するためなのだ。

実際,それに伴い,経済社会の価値構造も大きく変化してきた。これまで製造業は,自社のプロダクトの価値を上げるために「機能的価値」を高め,それでは差別化できなくなると「モノからコトへ」と言われたように「意味的価値」を付加していった。しかし,結局のところ,そのどちらも供給者側の論理を起点としたモノの世界の思考にすぎなかった。

それに代わり人々が今,潜在的に求めているのは,自身の生活に本質的に関わらない付加機能や価値よりも,個々の生活や人生の情況に適した解決やアイデアを通じた人間的かつ審美的価値である。自社のプロダクト単独では顧客に価値を提供することはいっそう難しくなり,これからは同じ目的を有する多様なプレイヤーとエコシステム(市場生態系)を形成することでそれを実現させていくという姿勢が欠かせない。産業という概念自体も,モノを中心には捉えられなくなり,エコシステムそのものを指すように変化していくだろう。

三つの障壁と人間のイノベーション

一方で,人間はこのような危機的状況においてさえ現状維持に執着し,変化を阻む自身の矛盾やジレンマ,思い込みによってなかなか行動を起こせないものだ。これは,脳科学の知見と照らすと,人間には脳の構造(知性脳・感情脳・運動脳)に基づき,「知のカベ」,「心のカベ」,「体のカベ」という三つの壁があると考えられる。

これらを突破するには,前述の意識革命がもたらす「新しい視点(Perspective)」に加え,「目的(Purpose)」,「共感(Passion)」,「場所(Place)」の三つの要素が重要で,それはイノベーション実践のために開かれた窓とも言える。私はこれを「人間のイノベーションを実現する四つのP」ないし「イノベーションのトライポッド(三脚=正四面体)」と呼んでいる。顧客と社会を起点とするイノベーションの実現には,出発点となる目的と共感,接点としての場所が重要なのは言うまでもないが,以下ではより実践的な手掛かりを見ていきたい。

イノベーション実践の障害と三つの窓 イノベーション実践の障害と三つの窓

(1)知のカベと目的の創出

一つ目の「知のカベ」とは,目先の利得に囚われ,真の目的や長期的リスクに無知になることだ。例えば,数値や指標などの「目標」への過剰な傾斜によって「目的」を喪失していないだろうか。企業に社会的存在としての役割が求められる今,自社のための目的なき利益追求を続ける企業ほど利益を出せなくなる一方,社会的目的を持つ企業が着実に利益を上げ始めている。

実際に欧州では,「長期的な研究開発投資は,社会的課題の解決においてのみ正当性が担保される」とするResponsible Innovation(責任あるイノベーション)という考えが主流になっている。

加えて多くの企業では,既存の事業モデルの賞味期限が切れ始め,それに代わる新たな価値や提供形態が求められており,その面からも「何のために」を問い直すことは重要だ。

また,目的は組織を駆動させる力も持つ。すなわち社会的な意味を持ち,その対象と行為,アウトカム(帰結)を明示・共有できる明確な目的は,一人ひとりに自律的な行動と協働を促し,組織の知をまとめ上げる。より具体的には,目的を階層構造で考えることが有効で,共通善とも言える,しばしば長期的視点を持つ「大目的」を掲げつつ,資源や技術を有する個々の組織や部門あるいは個人の目的である「小目的」との間を行き来しながら,プロジェクトのミッションとも言える「いつどこで何を」といった具体的に達成すべき「中目的」を作り上げることで,目的を実践に結びつけていく。われわれはこのような目的と実践をつなぐ方法論を「目的工学」として提唱している。

(2)心のカベと共感の創出

続く二つ目の「心のカベ」は,根拠のない思い込みやバイアスなどで,例えば「日本には創造力が欠けている(カイゼンの方が向いている)」,「日本はモノづくりに強い」といった思い込みや成功体験への囚われは,イノベーションを実践するうえで大きな足かせとなる。しかし一方で,それを乗り越えるのも「感情」の力であり,顧客や社会の現場に対する強い共感ないし義憤が私たちを突き動かすのだ。

観察とアイデア創出,プロトタイピング,そしてストーリーテリングから成るデザイン思考は,まさにそのような共感の力から始まる知識創造のプロセスであり,それは以下のように,経営学者の野中郁次郎氏の世界的に有名なイノベーションモデル「知識創造理論」のプロセスとそのまま対応することが分かる。

  1. 観察=共同化(顧客現場での暗黙知の獲得)
  2. アイデア創出=表出化(対話による概念の抽出,暗黙知から形式知への変換)
  3. プロトタイピング=連結化(伝達可能な形式知の創出)
  4. ストーリーテリング=内面化(顧客現場や組織構成員の深い理解の形成)

このように二つを照らし合わせると,デザイン思考においても「共感に基づく共同化」が重要で,それがなければ一連のプロセスも機械的な作業でしかなく,有意義な発見が得られないのは明白だ。昨今の「アート思考」への注目も,そうしたデザイン思考が陥りがちな無機質な操作手法に対する反発の表れであり,20世紀に支配的だった論理分析的な思考が軽視し続けた共感や内発的動機など,人間の感情に根差す能力の復権を望んでいるという点で,実は両者は同質のものと言えるだろう。

(3)体のカベと場の創出

残る三つ目の「体のカベ」とは,変化を嫌う本能や定着した行動習慣を指す。イノベーションを実現するためには既存事業に代表される従来の仕組みや慣習を脱して取り組む必要があるが,企業の組織の多くは既存事業に最適化されているため,そこで同じように仕事をしているだけでは変化を生み出すのは難しい。これに対し,哲学者の西田幾太郎が「人が環境をつくり,環境が人をつくる」と語ったように,「場」を変えることは,縛られていた思考や発想から私たちを解放してくれる。

同時にイノベーションは個人の発想や思考だけから生まれるわけではない。そこでも人と人,人と環境の相互作用を誘発するような知の協働作用の場が必要となる。既に一部の企業は,将来の方向性を模索し仮説を立てるフューチャーセンターや,仮説や自社技術・資産に基づいてプロトタイピングを進めるイノベーションセンター,街やコミュニティを対象に生きた社会実験を行うリビングラボなど,新たな場づくりを実践するための具体的な空間を備えており,そうしたアクションは社内外に向けた経営者の重要な意志表示にもつながっている。そのエッセンスはアフターコロナの世界でも等しく重要である。

これらの場が力を発揮するためには,一つのセンターで完結するのではなく,さまざまな企業や組織が外に開かれた中間子的なハブを持ち,おのおのの役割や機能を生かしながらハブとハブが連携していくことが理想的だ。そのような境界を通じ,自社の枠を越え,社会の一員として語り合っていくところにこそ真の意味がある。また実際の運営では,それらの場が自律性を保ち,むしろ本社の資源を横串にして社会とつながりつつ自由闊達な議論を促進すること,つまり本業をそのまま温存したままの「出島」にならないことが重要で,本業も革新の対象としながら活動してくことが必要であろう。

イノベーションは試行錯誤するという仕事

最後に,私がしばしば引用する「ビュリダンのロバ」の寓話を紹介したい。

ある一匹の空腹のロバがいる。ロバから見て全く同じ距離に,全く同じ量と質の二つの干し草が置いてあったらどちらに進むべきか。ロバは理性を用いて分析を行い論理的に判断しようとするが,どう分析しても同じ結果となるので,結局,選べないまま考え続けるうちに死んでしまう。

これはいかにも滑稽な話に聞こえるかもしれないが,分析し,論理的な議論を重ねるだけで,いつまでも判断できず,行動を起こせないままの企業や組織の姿に重ならないだろうか。

冒頭で述べたように,これからはクライシスが常態化するメニ―コロナの時代である。そのような文明の転換期に「理性・分析・論理」に偏重して思考停止に陥っていては,このロバのようにタイムアウトを迎えてしまう。また予測不可能な世界では,分析だけで答えを導き出せるはずもない。まずは私たちの「自由意志」を発動させ,一歩踏み出してみることだ。そうして得た手掛かりから,また一歩踏み出し,トライアンドエラーを重ねながら,目的の実現や成功に近づいていく。すなわちイノベーションとは,試行錯誤するという仕事にほかならないのだ。

そのような未知の旅を支えるのは,これまでのデータ至上主義の背景にある,世の中には必ず本質や唯一の答えがあると考える「本質主義」やシンギュラリティ(単数形)の思考ではなく,今ここの世界に身を投じて可能性を拓いていく「実存主義」やプルーラリティ(複数形)の思考に違いない。

そもそも現代社会を築き上げた科学・技術それ自体は「目的」を持たない。それをどのように使うかは人間次第であり,幸福や豊かな社会を作るためには必ず人間の意志や判断が必要となる。つまり,「私」という一人の人間が,意志を持って行動するから世界が変わるのである。

社会と経済をつなぐことを基点に,社会・環境・経済価値の協創をめざす日立の社会イノベーション事業は環境革命が本格化する今日,まさに時宜に適ったものである。新しい視点と「目的・共感・場所」の力を杖とし,人間の意志に基づく新たな価値創造を期待している。

Adobe Readerのダウンロード
PDF形式のファイルをご覧になるには、Adobe Systems Incorporated (アドビシステムズ社)のAdobe® Reader®が必要です。