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大垣 眞一郎
公益財団法人水道技術研究センター理事長,東京大学名誉教授
1974年東京大学大学院工学系研究科都市工学博士課程修了,工学博士。同年東北大学(工学部土木工学科)助手,1977年東京大学工学部都市工学科助教授,1983-1985年アジア工科大学院(タイ国バンコク)助教授,1989年東京大学工学部教授,2009年国立環境研究所理事長,2013年公益財団法人水道技術研究センター理事長。
この間,東京大学大学院工学部長,工学系研究科長(2002-2004年),日本学術会議副会長(2005-2006年,2008-2011年),国際水協会(IWA)副会長(2006-2008年)などを歴任。
専門は水環境学,水質工学。日本水環境学会学術賞(1998年),日本水環境学会学会賞(2006年),International Water Association-Outstanding Service Award(2012年)受賞。

人が生きていく上で,食べる,外気から身を守る,睡眠を確保する,身の危険を防ぐことがまず求められる。現代においては,個人が孤立して生活を維持することは不可能であり,集団生活を営んでいる社会から恩恵と保護を受けている。

古代より人類は集団で生活し繁栄してきた。塩野七生の『ローマ人の物語』によれば,当時ローマ人は,道路網,水道システム,各種社会制度などをあらわすインフラストラクチャーという言葉を持ち合わせず,「人間が人間らしい生活を送るためには必要な大事業」と呼んでいたそうである。工学分野ではよく引用される言葉である。インフラストラクチャーよりもこの言葉の方が理念をよく言い表しているように感じられる。

この「大事業」を含み込む経済学の体系的な概念として,宇沢弘文が提唱した,「社会的共通資本」がある。社会的共通資本は,自然環境(大気,水,森林など),社会的インフラストラクチャー(上下水道,道路,電力など),制度資本(教育,医療,司法など)の3つの要素から構成されている。宇沢弘文によれば,社会的共通資本の各部門は,職業的専門家によって,専門的知見にもとづき,職業的規範にしたがって管理・維持されなければならないとしている。さらに,社会全体にとっての共通の財産として,社会的な基準に従って管理・運営されるべきものと述べている。

要素のひとつである自然環境に対する破壊は,かつて大気汚染,水質汚濁などの公害として多くの悲惨な被害をもたらした。自然環境保全,汚染防止の理念の確立とその社会的受容,対策技術の開発,監視分析手法の工夫など,日本の行政と産業界はその対応に追われた。世界にはいわゆる公害型の汚染が進行している地域はまだ多い。また,地球規模の自然環境について,気候変動への対応が求められていることは周知の通りである。

社会的共通資本の第2の要素である社会的インフラストラクチャーは,水がその典型である。水の供給と汚水の排除システムは,たとえばポンペイに見るように,社会に必須のシステムとして古代から整備されていた。近代になって,水道は十分な水量,水質面での安全性の担保に加え,さらに圧力を有する水の特性を生かし消防用水としての防災の機能も持つようになった。下水道あるいは衛生的排水処理は,都市の衛生の維持には欠かせないものであり,水環境保全のためにも不可欠なシステムである。人と物の地球規模の移動はますます増え続ける。感染症の世界的大流行(パンデミック)を防ぐ基本インフラとしても,上水道や下水道など衛生管理システムの世界全体での整備が求められている。

地震など災害時の水供給の確保と衛生管理体制は,特に日本において,非常時への対応と共に,通常時の社会システムのひとつとして組み込まれるようになってきている。また,水に関わる洪水,渇水などは災害の中でも古くて新しい課題である。地震の少ない国々では,洪水と渇水が最も大きなリスクとして議論されている。加えて,国際的目標として動き出している国連の持続可能な開発目標(SDGs)はすべての国のすべての社会的共通資本に関わるものである。

社会の防災とセキュリティ確保の仕組みは,外敵からの防御,災害対策(防災・減災)として古代より最も重要な政策として工夫されてきた。高度で複雑なシステムで構成されている現代都市社会においては生活の安全性への要求は極めて高くなっている。情報空間内のデータが実社会の人と物を動かす構造が形成されつつある。社会的共通資本の第2と第3の要素の両方に関わる新しい社会的共通資本の出現である。人々が人間らしい生活を送れるように,この新しい情報社会の仕組みを設計,制御していかなければならない。伝統的な社会的共通資本と新しい社会的共通資本の双方を,世界全体の共通財産として運営,管理し,維持できる科学技術群が求められている。すなわち「人間が人間らしい生活を送るためには必要な科学技術」が求められているということである。

知のフロンティアをめざす科学技術,あるいは,真理を究める科学技術に比べ,日々の生活を守るという異なる次元の価値をめざすこの科学技術は,人々にとってわかりにくい。しかし,これからの社会にとって必須の科学技術であり,いままさにその新しい展開が求められている。創意に富む産業界が,学界および行政機関と協力してその力を大いに発揮することを期待したい。

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