日立評論

変わる技術によって,変わらない価値を守り続ける

安全・安心を支える生活インフラシステムに求められるもの

ページの本文へ

Hitachi

日立評論

COVER STORY:TRENDS

変わる技術によって,変わらない価値を守り続ける

安全・安心を支える生活インフラシステムに求められるもの

ハイライト

生命にとって欠かすことのできない水,日々安心に暮らすための前提となる防災・セキュリティは,快適で質の高い生活を支える重要な社会基盤である。超少子高齢化やグローバル化などを背景に社会環境が大きく変化する中で,かつて「水と安全はタダ」と言われた日本の国民意識も変わり始め,生活インフラシステムの価値が再認識されている。

社会の変化に対応しながら,今後もその価値を維持,さらには向上させていくために必要な要素とは何か。重要インフラの制御システムとセキュリティ,自律分散システムなどに精通する電気通信大学の新誠一教授を迎え,これからの生活インフラシステムのあり方,求められる技術につ いて聞く。

目次

技術が生活と社会を変えてきた

新 誠一
電気通信大学 情報理工学研究科 教授
1980年東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。同年,同大学工学部計数工学科助手。同大学講師を経て,1988年筑波大学電子・情報工学系助教授。1992年東京大学工学部助教授。2001年同大学情報理工学系研究科助教授。2006年電気通信大学教授。工学博士。
計測自動制御学会フェロー・元会長。一般財団法人製造科学技術センター評議員。技術研究組合制御システムセキュリティセンター理事長。

 今回の特集は“Technology for Living and Life”と題し,生活を支えるインフラシステム技術の中から,水環境と防災・セキュリティ分野にスポットを当てています。

近年,経済発展に伴う資源・エネルギー需要の急増,気候変動の深刻化,経済格差の拡大などが世界共通の課題となり,私たちの生活や,その基盤である生活インフラシステムへの影響も広がっています。こうした背景を踏まえながら,これからの社会基盤のあり方についてお聞きしたいと思います。

 今日われわれが享受している豊かで便利な生活は,先人が生み出したさまざまな「技術」によって支えられていますが,逆に考えれば,技術が人間の生物としての能力や進化の限界を超えることを可能にし,生活や社会を変えてきたのだと言えます。日立製作所の創業製品であるモータをはじめとする機械技術による工業社会,ITによる情報社会と,われわれは進化のスピードを加速してきました。その先の未来社会の姿を描いたSociety 5.0(a)では,AI(Artificial Intelligence)などの発展によって進化がさらに加速し,人類や社会の成長曲線がシンギュラリティ(b)に達すると予測されています。技術と人間の関係が,一つの転換点を迎えているわけです。生活インフラ技術について考える際には,そうした人間と技術の関係と,その変化を前提とする必要があると思います。

(a)Society 5.0
政府が第5期科学技術基本計画で提唱する,サイバー空間とフィジカル空間が高度に融合した「超スマート社会」の実現に向けた一連の取り組みのこと。狩猟社会,農耕社会,工業社会,情報社会に続くような新しい社会を生み出す変革を,科学技術イノベーションが先導していくという意味を持つ。
(b)シンギュラリティ
AIが人類の知能を超えるほどに進歩し,それを利用することによって人間の知能の進化が特異点(それまでとは非連続な進化が起きるポイント)に到達すること。

皆が幸せになるために技術を役立てる

舘 隆広
日立製作所 水ビジネスユニット 水事業部 主管技師

 技術によって進化が加速すると,必要な生活インフラも変化するのでしょうか。

 人間の生活に必要な要素は大きく変わらないかもしれませんが,これからは,技術による進化を先進国だけでなくグローバルに拡大し,生活のボトムラインを上げていくことに取り組まなければなりません。冒頭で挙げられた世界共通の課題に対し,国連はSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)を掲げ,貧困や飢餓をなくすことや水と衛生へのアクセスの確保などをめざしています。生活のボトムラインを上げることは,テロや紛争の根本的な原因を減らすことにつながり,安全保障の面でも大きな意味があります。そのために欠かせない要素の一つが,国際社会の経済的・技術的支援による生活インフラの整備です。

 日立もSDGsを念頭に事業を行っていますが,技術で貢献できることは数多くあると思います。

 皆が幸せになるために技術を役立てるという考え方は,日立の創業精神とも一致していますね。そこで大切なのは,その国や地域の実情に即した,真に必要な技術を提供し,日立と顧客双方が持続的に発展できるような形をめざすことです。特に,新興国や途上国では,先進国の経験を踏まえたインフラ整備への貢献が強く求められていますから,100年以上の歴史あるモータから最新のIoT(Internet of Things)プラットフォームLumadaまで,日立が蓄積してきたあらゆる技術を棚卸して整理したうえで,必要な時に使えるようにしておくことが重要だと思います。

 インフラ分野では,かつて国内向けに開発して埋もれていた技術が,最近になって海外で日の目を見ることもあります。何でも最先端がいいということではなく,それぞれの課題解決に必要な技術を一緒に考えるという姿勢が大切ですね。

サイバーによってフィジカルの限界を超える

宮尾 健
日立製作所 サービス&プラットフォームビジネスユニット セキュリティ事業統括本部 副統括本部長

宮尾 一方で,最先端の領域ではデジタルトランスフォーメーションが進行し,サイバーの領域が拡大しています。このことは生活インフラをどう変えていくと思われますか。

 生活インフラの変革の方向性を考えるとき,サイバーとフィジカルの関係は欠かせない要素です。CPS(c)やIoTが最近のキーワードとなっていますが,仮想と現実が混ざり合うことは今に始まった話ではなく,そもそも金融の世界でも古くから「信用」という仮想的な概念が取り入れられて発展してきました。ただし,バブル経済のように仮想領域が実体とかけ離れて肥大しすぎると危ういことになります。両者のバランスをとりつつ,サイバーによってフィジカルの限界を超えて進化させるような使い方をすることがポイントになるでしょう。

 わが国の上下水道は,設備の老朽化,熟練技術者と予算の減少といった多くの課題を抱えています。CPS/IoTなどのデジタル技術によって,それらの克服をめざす動きも起きていますが,経済産業省と厚生労働省の水道事業CPS委員会に学識者委員として参加されている新先生は,どのようにお考えでしょうか。

 大切なのは,変わるものと変わらないものを見極めることです。わが国では,官民が一体となった努力によって,安全・安心な水の安定的な供給が実現されてきました。その変わらない価値を,変わる技術によって,いかに時代に合わせながら守っていくかを考えなければなりません。複数の水道局を導管で物理的につなぐだけでなく,例えば,日立が提唱してきた共生自律分散(d)のコンセプトでサイバー空間でも連携させれば,全体最適化による効率的で柔軟な運用が可能になります。災害時に連携して対応することも,もっと容易になるでしょう。

運用技術の継承やアセットマネジメントでは,これまで紙の図面やマニュアルなど個別に分かれていたものを一体化し,施設の3Dマップ上で運用操作のシミュレーションができるようになれば理想的です。実際に現場を経験することは必要ですが,通常では見えにくい部分や平常時にはできない経験を仮想的に可能にすることは,デジタル技術の生かしどころです。

発展から維持管理,縮小,安定運用へという生活インフラのライフサイクルは,今後,他のアジア諸国なども経験することになるでしょう。それらの国が将来,わが国と同じ問題に直面したとき,これから蓄積していく技術やノウハウは必ず役立つはずです。

(c)CPS
Cyber Physical Systemの略称。フィジカル空間(実世界)のさまざまな状態をデータとして収集し,サイバー空間でビッグデータ処理技術などを用いて適正に分析,その結果をフィジカル空間の制御対象にフィードバックすることによって,より高度で最適な制御を実現するシステム。IoTと似た概念だが,CPSはインターネットを介さずにフィジカルとサイバーが融合した組み込みシステムなども含む,より広い意味で用いられる。
(d)共生自律分散
これまで日立が交通や産業の制御システムに適用してきた自律分散のコンセプト(サブシステムの自律的な連携によって高信頼で拡張性の高いシステムを構築する)をシステムレベルに拡張したもの。現場の機器や設備の最適化だけでなく,経営層まで含めて情報を共有・分析・活用し,コーポレートレベルでの全体最適化,さらには他社も含めたバリューチェーン全体での最適化や価値創造の実現をめざす考え方。

技術をだれもが理解できるように伝える

宮尾 CPS/IoT時代の到来で,インフラのサイバーセキュリティという新たな課題も生じています。インフラの安全・安心を守っていくうえで,どのような課題があるでしょうか。

 デジタル社会の安全・安心において今後ますます重要な課題となるのが,さまざまな意味でのリーダビリティ(readability:可読性)です。AIの学習によってシステムが賢くなっても,学習の結果としてどのような変化が起きたのかを人間が読み取れず,ブラックボックスになってしまうのは危険です。機械任せにせず,機械が何をしているかを理解しておかなければ,いざという時に対応できません。

また,技術者や研究者の皆さんには,テクニカルコミュニケーションというものを重視していただきたいですね。技術がこれまで以上に深く生活に入り込んでいく中で,利用者の安心を高めるには,技術についてだれもが理解できるように文章化して伝える責任があると思います。そうしたことは,今後社会インフラの現場で技術の分かる人材が減少しても,変わらずに維持できる体制を築くうえでも重要になるでしょう。

 生活インフラのOT(Operational Technology)には,制御と運用という2つの側面があります。制御技術のコアの部分は技術者でなければ分からない部分がありますが,運用についてはノウハウや知見をマニュアルなどで明文化しておくことも大切ですね。

 セキュリティ上,秘匿が必要な技術やノウハウ以外は,人に分かるようにしておくことが,災害などの緊急時の対応には必要です。自然災害の多いわが国では,助け合いの文化で災害への対応力を高めてきました。そうした強みを生かしながら,生活インフラの事業継続性やレジリエンス(復元力)をさらに強化するには,災害時に複数の組織がどう連携して対応するのか,事前にマニュアルを整備しておくことが欠かせません。それに加えて,シミュレーションなどのデジタル技術を活用して訓練を行い,PDCA(Plan,Do,Check,Act)を回して即応性や柔軟性を磨いていくこと。これらはサイバーとフィジカル両方に通じる,セキュリティ対策の重要な柱ではないでしょうか。

人間ならではの気づきの能力を高める

宮尾 技術が高度化することによって新たなリスクも発生しますが,PDCAを回すことで,課題に気づいて改善していくことが重要ですね。

 おっしゃるとおり,まさに「気づき」が大切です。さきほど言った機械任せにしないための重要なポイントは,人間ならではの気づきの能力です。その力を高めることが想定外の変化にも対応できる力,レジリエンスにつながります。気づきの能力には,知識や経験の蓄積というバックグラウンドが必要で,それをできるだけ早く習得するためにデジタル技術を利用するという考え方もあります。聴音による漏水検査などのような熟練の技能が継承されているうちに,デジタル技術を活用した教育システム,あるいは検知システムを開発しておくべきでしょう。

『四書五経』の一つである『大学』の中に,「物に本末あり,事に終始あり。先後する所を知れば,すなわち道に近し。」という一節があります。原理原則を正しく把握することの大切さを説いたもので,それはよい技術者であるためにも欠かせないことです。技術に関する原理原則は時代とともに変わっていくものですが,それを理解して初めて気づきが得られるのです。日立には,そのことを踏まえつつ,サイバーとフィジカル両面の技術を発展させることで,安全・安心という生活インフラの変わらない価値を守り続けていただくことを期待しています。

宮尾 最近は仕事を通じて原理原則を学ぶ機会が減っており,それも課題かもしれません。われわれ内部での知見や技術の継承にも取り組みながら,社会全体のレジリエンスをより高められるような生活インフラの実現に貢献してまいります。本日はありがとうございました。

Adobe Readerのダウンロード
PDF形式のファイルをご覧になるには、Adobe Systems Incorporated (アドビシステムズ社)のAdobe® Reader®が必要です。