日立評論

無線式列車制御システムによる安全性の刷新

デジタル技術の応用と持続的なパートナーシップ

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無線式列車制御システムによる安全性の刷新

デジタル技術の応用と持続的なパートナーシップ

ハイライト

近年,モビリティという社会インフラの中で鉄道の果たす役割がますます大きくなるとともに,輸送力の強化をはじめ,さらなる安全性・信頼性の向上などさまざまな課題が浮上している。そうした課題を解決するため,JR東日本と日立は,デジタル技術を活用しATACSと呼ばれる革新的な列車制御システムを開発した。

安全に直結する列車制御システムを協創によって実現した経緯とともに,ATACSをキーテクノロジーとした今後の展望などについて,長年にわたって開発プロジェクトに携わってきた3人に聞いた。

目次

鉄道インフラが直面する課題を解決するために

馬場 裕一 氏馬場 裕一 氏
東日本旅客鉄道株式会社 東京電気システム開発工事事務所 次長

図1|ATACSが導入された埼京線埼玉県南部と東京都内を結ぶ埼京線は,1985年の開業以来,通勤・通学などの足として首都圏の旅客輸送を支えている。

2017年11月,東日本旅客鉄道株式会社(以下,「JR東日本」と記す。)の埼京線において,革新的な列車制御システムの運用がスタートした(図1参照)。ATACS(Advanced Train Administration and Communications System)と名づけられたそのシステムは,さまざまな改良を加えられながら140年以上にわたって使用されてきた信号保安システムとは,根本的に異なる仕組みを持つ。安全を担保する中核システムが今,なぜ変わろうとしているのか。その背景の一つには,老朽化への対処など,近年の社会課題となっているインフラの維持管理の問題があった。

JR東日本がATACSの開発に着手したのは1995年のこと。公益財団法人鉄道総合技術研究所が開発したCARAT(Computer And Radio Aided Train control system)をベースに,実用化に向けてその研究開発を受け継ぐ形となった。

ATACSと従来の列車制御システムとの大きな違いは,軌道回路の有無である。従来のシステムは,レールに電流を流して列車の位置を検知し(軌道回路),信号機によって後続列車の運転士に対して走行可能な区間と速度を指示している。そのため,列車は信号機で限られた1区間(閉そく区間)に1列車しか運転することができないうえ,線路の周りに軌道回路,地上信号機,ケーブル類など多くの地上設備を設けなければならない。また,運転間隔を見直す場合も,閉そく区間を変更する工事が必要なため,手間とコストがかかってしまう。さらに,首都圏などの輸送密度が高く効率的な運転が要求される場合,短い単位で軌道回路を設置する必要があり,地上設備が膨大になるといった問題もあった。

一方,ATACSは,軌道回路が不要のシンプルなシステムであるため,その設置コストやメンテナンスの労力を低減させることができる。その開発に当初から携わってきた馬場裕一氏(東日本旅客鉄道株式会社 東京電気システム開発工事事務所 次長)は,次のように説明する。

「1872年に米国で初めて軌道回路が導入されて以来,鉄道信号システムはそれをベースにシステムが構築されてきました。長い歴史を持つ軌道回路は高い安全性が担保されているものの,天候などといった現場の環境に影響されやすく,設備障害の割合が高いのが実情です。また何より,従来のシステムは一重系の設備であるため,故障が列車の運行停止につながりやすく,鉄道を利用するお客様にご不便をおかけすることが多くありました。ちょうどATACSの開発をスタートした当時は,めざましい勢いでICT(Information and Communication Technology)が進展していて,そうした最新技術を活用しながらシステムチェンジに取り組んだわけです。」

すなわち,信頼性の向上やライフサイクルコストの低減とともに,利用者のさらなる利便性向上をめざしてATACSの開発が始まったのである。

地上設備主体からICTをベースにした制御へ

佐々木 英二

佐々木 英二
日立製作所 鉄道ビジネスユニット 輸送システム本部 輸送システム部 主任技師

ATACSは,列車の位置検知を軌道回路によらず,走行する列車自らが在線する列車位置を検知し,無線を使って車上・地上双方向に情報通信を行うことによって列車の減速や停止などの制御をするという仕組みである(図2参照)。

システム全体は,地上に配置する在線管理装置,システム管理装置,拠点装置などの「地上システム」,車上に配置する車上制御装置,列車前後の運転台に設ける運転台表示装置,またそれらを結ぶ伝送装置などの「車上システム」,無線基地局や車上無線局などの「無線システム」の3つで構成され,個々の装置を多重系化することで,一重系設備をなくし,安定したシステム構築を実現している(図3参照)。

こうした従来に例のないシステムの開発には,長年にわたる鉄道システムインテグレーターとしての実績を評価された日立をはじめ,メーカー各社も参画した。

「当時はビッグ3と呼ばれる海外の鉄道メーカーが世界市場をほぼ寡占する中で,日本企業の連携によって海外でも通用するシステムをめざしていました。」(馬場氏)

日立側でプロジェクトを牽引した佐々木英二(日立製作所 鉄道ビジネスユニット 輸送システム本部 輸送システム部 主任技師)も次のように述懐する。

「抜本的な技術革新が不可欠となるシステムチェンジに際し,当社は地上システムの構築を担うことになりました。汎用コンピュータ制御技術や情報通信技術などを有する総合電機メーカーとして,何としてもプロジェクトを成功させなければならないと気が引き締まる思いでした。」

プロジェクトでは,第1期として1997年から基本機能の試験が実施され,続いて2000年から第2期として応用機能の試験が進められた。試験は,いずれも宮城県内を走る仙石線で行われた。仙石線は,地方線区でありながら直流電化区間であり,また地上区間だけでなく地下区間があるなど,首都圏への展開を予定していたATACSの開発を進めるうえでの条件がそろっていたのである。

図2|従来の仕組みとATACSATACSは無線を用いた新しい列車制御システムで,軌道回路によらず,走行する列車自らが在線する列車位置を検知し,無線を使った情報通信によって列車を制御する。

図3|地上システムの構成地上システムは,在線管理装置,システム管理装置,拠点装置などで構成される。

知見と技術を持ち寄って困難を克服

ATACSの開発において最も重視されたのは安全性であり,その一端は無線システムの開発からもうかがうことができる。

現在,地下鉄やモノレールなど都市交通を中心に世界各地で導入が進められているCBTC(Communications Based Train Control)もATACSと同様に無線式の列車制御システムだが,こちらは汎用の広帯域無線,いわゆる2.4 GHz帯のWi-Fi※)を使うのが一般的だ。それに対してATACSは,列車制御用に割り当てられた専用波を利用し,独自の通信方式による無線通信システムを開発することによって信頼性の高い伝送を実現している。さらに,雑音などの自然的妨害,盗聴,改ざん,無線通信妨害などの人為的妨害から安全を確保するために暗号化などの対策も施しているのも,開かれた環境かつ首都圏での運用に耐えられるようにするためである。

また,プロジェクトでは,システムに異常が発生した場合,どのように安全を確保するのかも大きな課題となった。その検討が始まったのは,ATACSの基礎開発が終わり,無線を用いた列車制御システムの実現の可能性が見えてきた頃のこと。ところが,検討を進めるうちに,システムが故障してから安全にシステムを回復をさせる処理が極めて難しいことが分かってきた。この難しさは軌道回路をなくすことにより生じる問題であり,それを解決しない限り,ATACSの実用化は不可能であることが明らかになった。

「開発メンバーは日々,解決策を模索し続けましたが,なかなか決定的なものを得るまでには至りませんでした。数か月後,当社側のメンバーで解決策のベースとなる案をようやく見いだし,それをもとに日立の技術者と一緒に詳細な機能検討を行い,新しい機能を完成させることができました。そのとき,私たちはATACSの実用化を確信したのです。」(馬場氏)

その機能を搭載しているのが,日立の担当した在線管理装置である。簡単にいえば,システムの異常から回復する際に安全を確保するためのもので,一部の装置が故障しても,列車に付けられたIDを用いて列車の在線状態を確実に把握することができる(図4参照)。これは新しい考え方に基づく機能であり,このようにJR東日本とメーカーの両者が試行錯誤を繰り返し,知恵を出し合いながら,システム全体として安全を担保する仕組みをつくり上げていったのである。

※)
Wi-Fiは,Wi-Fi Allianceの登録商標である。

図4|在線管理機能の概要ATACSでは車上装置による位置認識方式を採用していることから,車上制御装置もしくは拠点装置が故障し,全列車の位置把握ができなければ,位置の不明な列車に衝突する可能性がある。そこで,故障状態から復帰時の列車在線状態の把握を確実かつ容易にするため,一部の装置が故障しても常に在線把握を行える仕組みを採用している。

ATACS導入によって得られたさまざまな効果

図5|ATACS技術開発時の列車間隔制御実験ATACSは,開発過程において機能や安全性に関する入念な検証が行われた。

その後,2003年10月からATACSの機能と安全性を検証するためにプロトタイプ試験を実施するとともに,JR東日本は社内外の有識者によるシステム評価委員会を設置し,システムの安全性などの検証を行った(図5参照)。これら開発,試験結果とシステム評価委員会での検証結果を受け,2011年10月には仙石線あおば通・東塩釜間においてATACSの使用が開始される。そして, 2017年11月,冒頭に記したように埼京線での運用がスタートした。

その結果,地上設備のスリム化はもちろん,当初のねらいであったさらなる安全性の向上も実現した。システムを多重化したこともそうだが,ATACSでは車上装置は無線から指示された位置までに停止や減速制御をするための速度のパターンを演算し,そのパターンに従って減速するため,速度超過を防ぐことが可能となるからだ。同時に,列車制御がパターン制御方式となることで,運転操縦性,乗り心地も向上している。また,仙石線では世界に先駆けて踏切制御機能を運用しており,踏切しゃ断時間の適正化を実現した。

一方,日立も20年に及ぶプロジェクトを通して,さまざまな経験を得ることができた。

「担当した地上信号システムは,データの取り扱いが非常に重要となるため,汎用コンピュータの多重系構成によるデータ照合技術をはじめ,ネットワーク技術,線路沿線の限られたスペースに設置するための機器の小型化など,当社が持つ技術やノウハウを存分に生かすことができました。また,こうして完全軌道回路レスの列車制御システムが安定稼働を続けていることも大きな自信となっています。」(佐々木)

無線を利用した列車制御システムによる高機能化・高安全化・高信頼化は今や世界的な潮流と言える。その中でもATACSは,列車間隔制御から踏切制御,臨時速度制限まで,多くの機能を搭載したトータルシステムであることから,2012年にUIC(International Union of Railways:国際鉄道連合)のイノベーション賞を受賞するなど,海外からも高い評価を得ている。

鉄道というモビリティの革新をめざして

長井 聡

長井 聡
日立製作所 鉄道ビジネスユニット 輸送システム本部 輸送システム部 部長

現在,首都圏の他線区へのATACSの導入が検討されているが,馬場氏はATACSのさらなる可能性について次のように語る。

「クルマの自動運転が始まっていく中で,鉄道も変わっていかなければならない時代になっています。輸送システムを変革するには,地上・列車間で高信頼な双方向通信ができ,ソフトウェアを付加すれば新しい機能の追加が可能なATACSがそのカギとなるはずです。これまで,私たちはATACSの実現に注力していましたが,今後はそれを基盤にいかに付加価値をつけていくか,いろいろなアイデアを出していくことが課題だと考えています。理想とする輸送システムの実現に向けて,日立との協創を一層進めていきたいですね。」

具体的には,運行管理システムとの連携やCBM(Condition Based Maintenance:状態基準保全)への活用などが考えられるという。首都圏ではJR東日本と日立が共同開発したATOS(Autonomous decentralized Transport Operation control System:東京圏輸送管理システム)が運用されており,ATACSと連携させれば,列車在線位置に基づくダイヤ予測精度の向上や運行管理の質の向上が可能になる。また,ATACSは,列車のさまざまな情報をリアルタイムに把握できるため,そうしたデータをモニタリングしてスマートメンテナンスへ展開することも考えられるだろう。

日立側のプロジェクト取りまとめ役を担ってきた長井聡(日立製作所 鉄道ビジネスユニット 輸送システム本部 輸送システム部 部長)は,こう決意を語る。

「ATACSという世界に冠たる列車制御システムの実現に関わることができたことは当社としても誇りであり,今後もJR東日本とともに次なる革新的なシステムをつくっていきたいと考えています。自動運転,あるいはIoT(Internet of Things)活用の設備メンテナンスなど,さまざまな方向性があると思いますが,それらを実現できる日立でありたいですし,そうした取り組みこそが企業理念である『優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する』ことだと信じています。」

現在,自動車の世界ではEV(Electric Vehicle)化・自動運転化といった革新が起きているが,モビリティという社会インフラの中で鉄道が重要なプラットフォームの一つを今後も担っていくことは間違いない。日立は,多様化する利用者のニーズと鉄道事業者の期待に応えるため,今後もチャレンジを続けていく。

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