日立評論

多様な乗客に配慮した交通ソリューションの実現へ

日立の取り組みとインクルーシブデザインの活用

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日立評論

GLOBAL INNOVATION REPORT

多様な乗客に配慮した交通ソリューションの実現へ

日立の取り組みとインクルーシブデザインの活用

ハイライト

鉄道事業において最も重要なステークホルダーは乗客である。より多くの人々が安全かつ快適に利用できる鉄道車両やサービスをデザインするには,エンドユーザーである乗客の視点が欠かせない。少子高齢化などの社会背景に伴って,乗客の多様性は絶えず変化し続けている。

こうした中,ハンディキャップを抱えた人々を含めた乗客のさまざまなニーズに応えるべく,日立はモビリティソリューションに「インクルーシブデザイン」の手法を取り入れることで,人々が利用する製品やサービスの価値を高め,社会への貢献につなげようとしている。

目次

執筆者紹介

Jim Brewin

Jim Brewin

  • Head of UK and Ireland, Hitachi Rail Limited
  • 2008年より,英国の鉄道事業において営業,プロジェクト,製造,運用の全体を管理。現在,上級管理職としてさまざまなグローバルビジネス開発およびプロジェクト管理に従事。

Kendra Ayling

Kendra Ayling

  • Group Head of Brand and Marketing, Hitachi Rail Limited
  • 2012年より,鉄道関連イベントでのグローバルマーケティング戦略の実施,顧客エンゲージメント,ソーシャルメディアおよびオンラインプロモーションなど,さまざまなマーケティングおよびブランド管理業務に従事。

はじめに

日立の鉄道事業部門は,車両,信号,運行管理から保守,デジタル技術,そしてターンキーソリューションに至るまで幅広い製品をグローバルに提供する鉄道総合ソリューションプロバイダーとして,3大陸38か国で事業を展開しており,その従業員は1万2,000人を超える。英国ではIEP(Intercity Express Programme:都市間高速鉄道計画)に最新車両122編成を納入しており,英国における車両への投資額として過去30年で最高を記録した。さらにこの先も,スコットランドを運行する通勤列車向けの完全電化車両のほか,複数のバイモード車両のプロジェクトが控えており,2021年までに286編成を超える日立の新車両が英国で運行を開始する予定である。

日立が事業を拡大する間には,鉄道業界も変化した。車両の調達に際して,さまざまなハンディキャップを持つ乗客について考慮されるようになってきたのである。近年はソーシャルメディアの隆盛,モビリティソリューションの資金構造の変化,鉄道インフラ計画への理解の高まりといった理由から,以前に比べて乗客がより大きな影響力を持つようになった。企業はこれまで,ダイバーシティやインクルージョンの取り組みを自社内で,従業員に対して示すことを重視してきたが,今ではそれが製品のエンドユーザー,すなわち乗客に配慮する方向に変わろうとしている。モビリティソリューションは社会の構成人員の大多数の目的に合致していなければならず,利用に際して特別な支援を要する乗客をサポートする必要があるという考え方が広がったのである。デザインプロセスの中心に乗客を据えることが将来の機会獲得につながり,そうしたニーズをいかにして計画に組み込むべきかを知ることが,英国の鉄道ビジネスにおける成功のカギである。

新たな課題への取り組み

新型コロナウイルスの感染拡大という困難と変化に見舞われる前,英国では交通機関の利用率が過去最高を記録した。それまで減少傾向にあった鉄道利用率は,ここ20年でほぼ倍になった1)。鉄道旅客数も20年前との比較で97%上昇し,2018年から2019年にかけては18億人に達している2)。これは他のどの交通手段よりも急速な伸びである。この傾向は社会にさまざまなメリットをもたらす。例えば,鉄道は他の交通手段に比べて二酸化炭素排出量が少ないため,英国の脱炭素政策に資することになる。また,鉄道は今も最も安全な交通手段の一つであり,乗客10億人・1マイル(約1.6 km)当たりの事故による死亡者数は0.3人に抑えられている3)。しかし,利用率の増加は日立をはじめとする車両メーカーや事業者に,新たな課題ももたらしている(図1,図2参照)。

図1│移動に問題を抱える鉄道利用客が直面する現状の課題 図1│移動に問題を抱える鉄道利用客が直面する現状の課題 障がいを抱える乗客の多くは,他の乗客と同じく「速い」,「便利」,「楽しい」という理由から鉄道を利用している。また,障がいを持つ乗客の21%が鉄道の利用に難しさを感じており,約半数が「私は鉄道利用時における困難は障がいを持つことの一部であると受け入れます」というポリシーに同意している。

図2│移動に問題を抱える人の割合 図2│移動に問題を抱える人の割合 英国では高齢化が進んでおり,公共交通機関の利用時に不便を感じる乗客も多い。

乗客数の増加は,障がい者を含む乗客層の多様化を意味する。英国では何らかの障がいを持つ人の数が1,400万人近くにのぼる4)。障がいの種類は人口全体で多岐にわたり,しかも,目で見てすぐ分かるものばかりではない。鉄道での移動中に,物理的または心理的なバリアを経験することは日常的にある。乗客の行く手には数々の潜在的な問題が待ち受けている。移動自体に問題が起きる場合もあるし,時には精神的・身体的な問題が降りかかることもある。実際の問題はもちろんのこと,乗客が移動の際に経験するバリアの程度も,障がいのある人々および周囲の人々の障がいに対する認識によって左右されることが多い。そこには「価値のヒエラルキー」とでも言うべきものが存在しており,ある種の障がいを持つ人に対する支援は,他の人々への支援に比べて「価値」が低いと見なされることがある(あるいは障がいを持つ人々自身がそう見なしてしまっている場合もある。)5)。多くの事業者や鉄道の駅は,移動支援サービスを提供しており,これらを利用することは多くの場合非常に有効である。しかし,支援の基準には極めて大きな幅がある。そのうえ,どのようなサービスが利用できるのかを支援の対象者が知らないことも多い。また,1人で移動する人は,グループあるいは同伴者と共に移動する人とは異なる経験をするだろう。英国の場合,移動に問題を抱える乗客のうち平均50%は単独で行動している。日立は,こうした乗客,特に1人で移動する乗客をサポートするため,車両のデザインを一から見直す必要があるという認識に至った。

車載システムや車内の設備は,直感的に理解できて,大多数の人ができるだけ利用しやすいものでなければならない。駅のホームに到着したら,列車に乗り込んでから最終目的地で降車するまでの間のさまざまな意識的行動が,頭の中を駆け巡る。「乗る列車を間違えていないか」,「座る場所はあるか」,「荷物を安全に置けるか」,「移動時間はどれくらいで,いつ頃降りる準備をすればいいか」など,こうした意識的行動の数は28以上に及ぶ。インクルーシブデザインの目的は,このような意識的行動をできるだけシンプルにすることである。すなわち,心配の種を減らし,ストレスを最小限に抑え,日常的な動作をサポートし,個々の乗客が何を求めているかにかかわらず誰にとっても使いやすいソリューションを提供することである。

共同研究の機会

変化の必要性を認識した日立は,乗客体験を定量化する方法を検討するプロジェクトに取りかかった。デザインの段階で見直しが可能な移動の要素を明らかにするためである。そうすれば,将来の入札活動に合わせて新たに生じるニーズに対処することもできるし,現在運行中の列車で乗客数の増加に対応することもできる。英国のHitachi Rail Limitedと日立製作所の社会イノベーション協創センタ,英国の交通系コンサルタント企業であるFirst Class Partnerships,およびケンブリッジ大学エンジニアリングデザインセンターが協力し,新しい方向性について検討が始まった。さまざまな年齢および能力の人々の身体機能,認知機能,感覚機能が明らかになれば,将来の乗客の最大のニーズを予測することができる(図3参照)。

図3│よりよいデザインを実現するインクルーシブデザイン 図3│よりよいデザインを実現するインクルーシブデザイン プロジェクト開始時点からインクルーシブデザインにフォーカスすることで,日立はより多くの人々をサポートできるソリューションを提供する。

図4│Ford Motor Companyの高齢者疑似体験スーツの活用 図4│Ford Motor Companyの高齢者疑似体験スーツの活用 Ford Motor Companyとの協創を通じ,高齢者疑似体験スーツを用いて実際の課題を体験することで,移動に問題を抱える乗客に寄り添う鉄道をデザインする。

このプロジェクトではまず,現在運行中のいくつかの列車を対象に,乗客の人口構成と,乗客の移動が制限される可能性を定量的に評価した。これにより,障がいを抱えた乗客が経験する可能性のある問題の大きさが明らかになった。関節炎や加齢による手の機能低下を再現するグローブや,視覚障がいを直接体験できるメガネなどを装着し,同じ経験をしてみることで,そうした乗客に共感するとともに,同じ視点に立ってデザインを行うことで,将来のプロジェクトにプラスの変化をもたらすことができると気付いた。

ケンブリッジ大学との共同研究では,新しい研究手法を導入した。その一つが,Ford Motor Companyから貸与されたサードエイジスーツ(高齢者疑似体験スーツ)の活用である(図4参照)。数々の受賞歴を誇る車種「Ford Focus」が設計された際には,このスーツの活用を通じて,運転手や同乗者がさまざまな動作をどのように行うか,よりインクルーシブな自動車はどうすれば作れるかといった知見を得ることができ,その結果,さまざまな人にとって使いやすい利用者体験が実現された。このスーツが列車の車両デザインに利用されたのは初めてのことだったが,手や腕,胴,脚,視覚や聴覚の障がいを疑似体験しながら車内設備の利用を経験するのに役立った。

その後,乗客が日立の車両をどのように利用しているかについてさらなる調査を進め,同時に,乗客の利用が制限される場面を減らすためのデザイン変更や提案を行った。これを基にサプライチェーンに関わる企業やその他のパートナーと議論を行い,乗車中だけでなく,駅構内のルート案内や乗客情報システムなど,乗客の移動をより幅広く捉えた新たなモビリティソリューションを検討した。現在はこうしたプロジェクトをさらに発展させ,ケンブリッジ大学やその他の主なパートナーとの連携を強化して,インクルーシブデザイン手法を土台に将来の研究提案をサポートすることを計画している。

日立のブランド価値向上

インクルーシブデザインは多くのエンジニアにとって進歩的な考え方である。英国が先鞭をつけたこの手法を世界中に,そして日立のグループ企業全体に大きく広げれば,デザイン活動のあらゆる側面で役立てることができる。特に鉄道事業では,この手法が将来,車両の入札活動に生かされることになるだろう。また,この考え方は,現在運行中あるいは今後運行開始される列車にも適用できる。これによって顧客の期待を上回る乗客体験を提供することが可能になり,顧客との協創による乗客体験の改善も見込める。このような創造的な方向性を定めることで,日立の鉄道事業部門は今後,鉄道市場のリーダーとなることをめざし,輸送業界に広く乗客ファーストの考え方を定着させていく。

これに伴い,次世代の従業員の育成にあたっては,デザインやエンジニアリングの能力を育成するインクルーシブデザイン研修を行う予定である。それにより,この革新的なデザイン戦略はイノベーションの実現に向けた日立の標準的なアプローチとなるだろう。

おわりに

人口動態は絶え間なく変化を続けている。製品も同様に,社会のあらゆる場面で役立つような変化と進化を遂げなければならない。日立は将来の車両ソリューションの提供を見据え,車両デザインのイノベーションを推進している。モビリティはさまざまな都市や文化を結びつけるために必要不可欠な存在であり,今後も日立のパワーを結集して社会のニーズに応えていく。

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