モノづくり企業が継続して顧客に安全・安心を届けるためには,製品の品質を保証するとともに,製品を通じて顧客との信頼関係を築くことが大切である。本稿では,それらの信頼を確立するにあたって,「モノ」だけではなく「コト」や「ヒト」に関する情報を製品と関連づけ,顧客に新たな価値を提供する総合トレーサビリティ技術構想について述べるとともに,適用場面として自動車業界におけるトレーサビリティ活用イメージを紹介する。さらに,製品の開発・試作から製造・保守や修理などを含めた製品のライフサイクル全体のトレースを実現する将来構想についても述べる。
図1|製品のライフサイクル全体を対象とした総合トレーサビリティイメージ 製造プロセスだけではなく,市場に提供された製品の使われ方や保守,アップデート履歴をひも付け,品質作り込みへフィードバックすることで,製造業およびエンドユーザーの双方に価値を提供する。
近年のモノづくりでは,製造拠点や調達ルートは世界中に広がり,製品はグローバルな市場へと供給される。また,製造過程や検査の記録を確実に保持し,必要に応じて開示できることがモノづくりの前提となり,顧客からの要求事項にもなりつつある。一方,自動車に代表されるように,製品の電子化が進行するとハードウェアだけではなくソフトウェアを含めたバリエーションが多様化し,仕様の複雑化が進む。このような製品に不良が発生した場合,その原因を特定するための情報収集や解析には多くの工数が必要である。こうした背景から,構成部品の素性や製造プロセスに関わるさまざまな情報を製品に関連づけて管理するトレーサビリティ技術が必要とされている。
さらに,これからの経済活動ではさまざまな場面で新型コロナウイルスの感染防止対策が行われると想定されるが,その一環としてモノづくりや物流・販売プロセスにおいてもモノとヒトの接触記録が必要とされる場面は増えていくものと考えられる。
本稿では,それらの記録によって成り立つ信頼を確立するにあたって,モノだけではなくコトやヒトに関する情報を製品と関連づけ,顧客に新たな価値を提供する総合トレーサビリティ技術構想について述べる(図1参照)。
トレーサビリティを実現するにあたって,業務における三つの「際(きわ)」とそれらをつなぐための考え方がポイントとなる。三つの際の位置づけを図2の上部に示し,本章では際の課題と対策について述べる。
以上,(1)〜(3)の三つの「際」をシームレスにつなぐ環境をいかに実現するかが,トレーサビリティシステム実現のポイントである。
三つの際をシームレスにつなぐためには,素材から完成品に形作られるまで,「モノ」がどのように変化したのかを捉え,どのような出来事(コト)によりそれらの変化が起こったのか,そのコトはどのようなスキルの作業者(ヒト)が行ったのか,という「モノ」,「コト」,「ヒト」の三つの視点に基づき,整合性の取れたデータでつなぐことがポイントと考える。データをつなぐ「モノ」,「コト」,「ヒト」のトレーサビリティとその関係を図2の下部に示す。
これまでは,素材や部品の素性を製品とひも付ける「モノ」のトレーサビリティが主体であった。これからは,モノとモノをつなぐ活動としての「コト」と,その主体である「ヒト」の動作に関する情報をひも付けた新たなトレーサビリティにより,顧客に安心を提供するだけではなく,顧客との信頼も育むことができる。
自動車業界を例としたトレーサビリティ情報の収集,蓄積,活用の場面を図3に示す。本章では,自動車の製造ラインにおけるデータの収集,蓄積,活用の各場面のポイントについて述べる。
図3|自動車製造業におけるトレーサビリティ情報の収集と蓄積,活用のイメージ サプライヤから構成部品情報,工場から設計や製造情報,ディーラーから顧客の利用情報を集約し,ライフサイクルDBを構築する。トレースフォワード,およびトレースバックにより,工場だけではなくエンドユーザーにもさまざまな価値を提供する。
データ収集にあたっては,モノ・コト・ヒトのトレーサビリティのベースとなる4M1E(Human,Machine,Material,Method,Environment)情報を中心に,利活用の場面を意識したデータを取得することが重要である。製造現場ではデータ収集が作業者の負担にならないよう,RFID(Radio Frequency Identification)やIC(Integrated Circuit)タグ,画像認識などによる読み取り技術を活用してデータを自動収集する工夫が求められる。またスムーズなデータの利活用を考え,設備固有の情報や製造ラインのみで通用するコードについては,全社で標準化したシンプルなデータ構造を持つコードに変換して収集する必要がある。データ収集の段階で車両と部品の関連を直接ひも付ける場合のほか,工程における車両通過時刻と部品の使用時間帯を突き合わせ,タイムベースで車両とそこに搭載された部品をひも付ける方式もデータ収集の簡略化に有効である。
収集したデータの蓄積にあたっては,4M1E情報や組立実績情報などが格納された個別DB(Database)の情報を基に,ユーザーの目的に沿ってデータのひも付けを行い,車歴情報としてライフサイクルDBに格納する。モノを特定する管理番号は,素材ロット番号と部品製造番号,エンジン刻印番号と車両の製造番号(VIN:Vehicle Identification Number)などの工程ごとに異なるが,これらの管理番号のひも付けができるような蓄積方法および管理ルールが重要となる。サプライヤが保持している素材ロット番号と部品製造番号の関係など構成部品情報についても,最終的に車両の製造番号にひも付けられるように考慮する。
また,今後WP(World Forum for Harmonization of Vehicle Regulations Working Party)29※)により策定される規制に見られるように,車載コンピュータのソフトウェア更新履歴についても完成車メーカーで管理することが求められる傾向にあり,これらのアフターマーケット情報をディーラー経由で取得し,車歴情報としてライフサイクルDBに蓄積する必要がある。
日立では,このようなトレーサビリティ情報の取得パターンやデータフローをルールとして定義したガイドラインを策定し,プロジェクトに関わる部門で広く共有することで,バリューチェーンを一貫するトレーサビリティのスムーズな実現を推進している。
蓄積されたトレーサビリティデータの活用形態には,トレースフォワードとトレースバックという二つの考え方があるが,日立は,今後,自工程の製造結果が後続工程に及ぼす影響をトレースするトレースフォワードが重要になると考える。
トレースフォワードでは,品質の作り込みにより従業員のモチベーションアップ,および技能の向上をねらうとともに,車両の製造過程が明確になり,モノとしての品質証明,ひいてはモノづくりの信頼性を高め,ブランド価値を向上させることができる。また,車両の電子化に伴い車載ソフトウェアの更新・管理が自動化され,リモート環境においても常にソフトウェアを最適状態にすることが可能となっている。これらの技術を活用してドライバーの操作特性に合わせたソフトウェアの自動カスタマイズを行い,個々のドライバーに最適な乗り心地を提供することができる。
トレースバックでは,問題が発生したVINから製造ラインや製造日,構成部品情報,設備環境情報などを抽出し,不良要因の究明を短期間で行うことができる。
また,トレース情報から得られた品質課題は設計部門にフィードバックすることで,新たに設計を行う車両の品質の作り込みにも貢献できる。
今後は,スマートフォンなどの電子デバイスや自動車のように,ユーザーの使い方に合わせて製品が進化し,ハードウェアやソフトウェアのアップデートが繰り返される製品が一般化する。これらの製品では,自動カスタマイズにより,「あなたのために作られた製品」という価値をユーザーに提供することで,企業とユーザーの関係がより密接なものになる。
加えて,製品とともに変化し続けるさまざまな情報を取り込むことで,製品のライフサイクル全体を俯瞰する総合トレーサビリティが新たな価値を創出する。これらのトレーサビリティ情報を保持するIoT(Internet of Things)プラットフォームを整備することで,モノづくり企業はグローバル市場でより強固な競争力を得ることになるものと考える。
ニューノーマル時代においても,モノづくりの本質は変わらない。日立は,自動車をはじめとするモノづくりの現場で培った総合トレーサビリティのノウハウを生かし,製造業だけではなく,流通や消費のフィールドとも連携しながら,新たな価値創出に向けた取り組みを進めていく。