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はじめに

大橋 弘 大橋 弘
東京大学 副学長
公共政策大学院/大学院経済学研究科・教授
東京大学経済学部卒業。2000年米国ノースウエスタン大学卒業(経済学PhD取得)。カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学経営商学部助教授,東京大学大学院経済学研究科/公共政策大学院准教授(2012年より教授),公共政策大学院院長を経て,2022年より現職。専門は,産業組織論・競争政策。総合資源エネルギー調査会,電力・ガス取引監視等委員会等の各種委員会委員を歴任。宮澤健一賞(公正取引協会),円城寺次郎賞(日本経済研究センター)等受賞。著書に『競争政策の経済学』(日本経済新聞社)など。

ともすると負担面が強調されがちであった地球温暖化対策へのまなざしが大きく転換している。世界規模での脱炭素化に向けた取り組みが加速する中,新たなビジネスモデルを創出し,産業構造を転換する機会と捉える機運がわが国で高まっている。カーボンニュートラル(CN)にいち早く移行するために,カーボンプライシング(CP)を経済社会システム全体の変革(GX:グリーントランスフォメーション)を牽引するきっかけとすべきという見方が台頭してきている状況が,まさにこの機運を象徴するものと言えるだろう。

わが国においては,GX経済移行債の発行やCP導入を盛り込んだ「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律」(GX推進法)が2023年5月12日に衆議院本会議で可決,成立した※1)。2032年までの今後10年間にわたって,20兆円規模のGX経済移行債を発行して,非化石エネルギー(水素・アンモニアや再エネ・原子力など)や省エネ,炭素固定技術といった新技術の研究開発や社会実装に対する支援を行うものとされている。

こうした先行投資を支えるGX経済移行債の償還財源として,CPによる収入を充てる。わが国では温対税が既に導入されており,加えて炭素比例の課税ではないものの,化石燃料に対する「暗示的な炭素税」が課せられている。その額は,炭素1トン当たり平均で6,000円ほどとも言われている1)。欧州ではCBAM(Carbon Border Adjustment Mechanism:EU炭素国境調整メカニズム)の施行が見込まれる中,GX推進法では,炭素の排出削減を促進する措置として,CP炭素に対する賦課金と排出量取引を新たに導入する。

炭素に対する賦課金は,化石燃料の輸入事業者など,いわゆる上流の事業者を対象にし,2028年度から導入を開始するとされる。現在,GXリーグの中で試験的な先行実施が予定されている排出量取引については,2026年度から本格導入を行い,再エネ賦課金がピークアウトするとされる頃から発電事業者を対象とする有償オークションを開催するとしている※2)

CPの負担規模といった詳細は,今後詰めていくこととなるが,炭素に適正な価値づけがなされることが,例えばCCUS(Carbon Capture, Utiliziation and Storage:二酸化炭素回収・貯留・利用)を事業ベースで行ううえでも必要である。省エネにおける規制やエネルギー諸税など,既存の「暗示的な炭素税」との重複を解消しつつ,炭素に対する負担は,比例的でなくても実質負担として明示化することによって,エネルギー種別や技術に中立な制度とすることが望まれる。

本稿では,CPの前提となるGX投資促進策において,留意すべき事項を政策立案の観点から論じてみたい。

※1)
衆参それぞれで修正が入ったために,最後は衆議院での成立となった。
※2)
GX推進法案では2033年度の開始とされている。

GX投資の特徴

わが国は2020年10月に2050年CNをめざすことを宣言するとともに,2021年4月には,2030年度の新たな温室効果ガス排出削減目標として,2013年度から46%削減することをめざし,さらに50%の高みに向けて挑戦を続けると方針を示している。

わが国がCNを実現し,さらに世界全体のCN実現にも貢献しながら,今後10年間での官民投資額全体を150兆円超にまで高めていくためには,個別の産業において炭素中立へ移行するための代替手段を開発する必要がある。

CNへの代替技術がある企業に対しては,行動変容を促すためのCPは有効に機能しうる。しかし,代替手段がない企業や産業に単にCPを課せば,それはリーケージ(国外への移転)を誘発することにもなりかねない。そうした代替技術のない産業の新技術の開発に対して,規制と一体となった支援が求められる所以がここにある。

また代替技術が社会実装された後にも,取り組みが先行する企業とそうでない企業が出てくることが予想される。こうした取り組み強度の違いによる不公平を是正するために,排出量を調整する仕組みとして排出量取引が検討された。そもそもCNとは,異なる主体による人為的な排出量と人為的な吸収・除去量が国内・世界において均衡している状況を指しており,異なる主体によるクレジットを通じた量の取引が成立していることが前提となっている。将来的に必要となる排出量を調整する仕組みの導入を踏まえ,自ら掲げた目標値を達成するための自主的な排出量取引の仕組みを措置し,これを将来の仕組みに向けた準備のための取り組みとして位置づけたものが,「GXリーグ」での活動となっている。GX推進法の取り組みは,GXリーグの取り組みが大企業のみならず,中小企業にも均霑した先の姿をめざしたものとも言えるだろう。

GX投資支援における立案・評価

不確実性が高く,他方で民間企業が自ら投資をするのに躊躇するような技術開発の案件は複数年を要し,また金額も巨額になる傾向がある。こうしたGX投資の特徴を鑑みると,GX投資に対する支援政策には,従来の政策とは異なる考え方が求められる。

これまでの政策は,単純化して表現すれば,「単年度主義」・「透明性」・「公平性」の三つが求められてきたと言える。予算は会計年度内で使われて翌年度に持ち越されることはなく(単年度主義),評価が次の立案に使われることなく,公開がなされれば良しとされ(透明性),一つの企業や業種に巨額の投資支援をするよりは,できるだけ多くの企業に対して広く薄く予算を蒔く(公平性)が一般的であった。

GX投資支援で求められるのは,「単年度主義」・「透明性」・「公平性」からの脱却である。経済社会情勢が不確実な中において,複数年にわたる支援(従来の「単年度主義」からの脱却)を,少数の企業や業種※3)に投じるもの(従来の「公平性」からの脱却)である。GXで求められるニーズが社会経済の変化とともに変わる以上,GX投資の方向性や目標も,社会経済のニーズに応じて,機動的に微修正を施せるよう,政策立案の段階である程度の尤度を確保する必要がある。

こうした政策立案のあり方を「アジャイル型政策立案」2)という。アジャイル型政策立案を可能とするには,政策を執行しながら(リアルタイムに)データを取りつつ,会計年度とひも付けることなく適宜評価を行い,必要に応じて政策変更を可能とする仕組みを政策立案の段階で内製することが求められる。とりわけ5年超を見据えたGX投資を支援するには,アジリティを持った機動的な政策立案と評価が不可欠となる。こうした評価への取り組みは,DX(デジタルトランスフォーメーション)を伴った動きにつなげるべきだろう。またこのGXの取り組みは,最初に立てた目的は変えるべきではないという「行政の無謬性」という社会からの暗黙の要請と,それに基づく呪縛から解放(従来の「透明性」からの脱却)するための一助にもなる。

※3)
この点はGXのみならず,例えば経済安全保障における半導体における企業支援についても言える。

日立東大ラボの取り組み(Phase 2)のミッション日立東大ラボの取り組み(Phase 2)のミッション

GX投資支援を実効化するための体制

不確実性が高くアジリティを求められる政策執行において,どのような評価軸やKPI(Key Performance Indicator)を置くべきかは,GX投資支援を進めていくうえでの課題になる。例えば,政策の結果責任を成果ベースで問うことが考えられるが,市場環境や国外・国内の技術競争,あるいは人事異動などといった外部環境に応じて,成果が異なる可能性があるからである。こうした再現性の乏しいプロジェクト評価においては,成果ベースを評価軸とするには問題が多いことが既に指摘されている3)

一例に,エネルギー生産性の改善を評価軸に取った場合を考えてみよう。このとき,労働生産性の低下や高付加価値製造業の海外移転とエネルギー生産性の改善とは見分けがつかない可能性があり,また収益性を評価軸とすると,収益に反映するまでに時間が掛かる脱炭素投資は評価がされず,投資が進まないということになりかねない。

他方で,こうしたアウトカムやアウトプットの評価ではなく,インプットの評価をしたとしても,モラルハザードを避けることは難しく,GX投資がベストエフォートでなされたことを識別するのは困難であると考えられる。つまり投資行為をもって,支援政策の評価が困難であるとすれば,GX投資におけるモニタリング・評価のあり方は新たな政策立案・評価の手法を求めるものとして検討がなされるべきではないか。アウトプットやアウトカム評価が難しいとすれば,GX投資に対する市場の評価といったものも使うことが求められるかもしれない。「単年度主義」・「透明性」・「公平性」から脱却した先にある,行政の無謬性に頼らない,政策の立案・評価のあり方を議論すべきときにある。

2050年CNに向けて

日立東大ラボでは,2023年3月24日に第5版となる『提言 Society5.0を支えるエネルギーシステムの実現に向けて』を公開した4)。7章63ページからなる提言では,地政学的な変化,脱炭素に向かう世界的潮流,国・地域特有の個別事情の三つをポイントにしつつ,合計18の提言を打ち出している。

雇用も含めて公正な移行に対応するためには,2050年CNが訪れるまでのエネルギー・トランジションの在り方をしっかり捉える必要があるとともに,GHG(Greenhouse Gas:温室効果ガス)排出量を生産ベースではなく,消費ベースで捕捉することで,消費者の行動変容を促す仕組み作りを世界的に進めていくことが重要である。このためには,デジタル化によるカーボン・フットプリントにより,GHGにおけるサプライチェーンの見える化をすることも不可欠な視点だ。

今後10年間で官民投資150兆円の絵姿を実現するには,規制・支援一体型政策パッケージの評価のあり方を含めて,政策のあり方という根本的なところから丁寧に取り組んでいく必要がある。GX推進法が制定された今,政策の執行段階に移行しつつあるが,政策立案を評価と一体として捉えることの重要性をしっかり踏まえ,アジア地域を巻き込みながら,2050年CNに向けて世界が行動変容を起こす技術的・政策的な基盤インフラをわが国から生み出すことが期待される。まさに日立東大ラボが日本の産官学の英知を結集してGX推進を先導すべきときだろう。

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