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Innovators’ Legacy:先駆者たちの英知科学・技術史から探るイノベーションの萌芽[第4章]イスラム科学技術概説(Part3)

2023年2月1日

麻生川 静男

麻生川 静男

  • 1977年京都大学工学部卒業。1977年〜1978年ドイツミュンヘン工科大学短期留学。1980年京都大学大学院工学研究科修了,住友重機械工業株式会社入社。米国カーネギーメロン大学工学研究科に留学し,帰国後はシステム開発,ソフトウェア開発事業などに従事。徳島大学工学研究科後期博士課程修了。2000年に独立し,複数のITベンチャー企業で顧問を務め,カーネギーメロン大学日本校プログラムディレクター,京都大学産官学連携本部准教授を歴任。現在,リベラルアーツ研究家として講演活動や企業研修に携わる。著書に『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』(祥伝社),『教養を極める読書術』(ビジネス社)など。インプレス社のWebメディア,IT Leadersに『麻生川静男の欧州ビジネスITトレンド』を連載中。博士(工学)。

デジタル技術の発達やビジネスのグローバル化,それに伴う企業活動の多国籍化を背景に,技術開発に携わるエンジニア・研究者にも分野を超えた幅広い視野と柔軟な思考が求められている。その中でも特に欠かせないのは,今日の社会のあり方から私たちの生活の隅々に至るまで,絶えずさまざまな変化をもたらし,大きな影響を与えている科学・技術なるものの本質を俯瞰的にとらえる視座であろう。

本連載では,リベラルアーツ研究家として多彩な啓発活動を展開している麻生川静男氏が,古代から近代へと至る世界の科学・技術史をひも解きながら,これからのイノベーションへの手がかりを探っていく。

目次

1.まるで情報がないイスラムの技術

図1|『イスラム技術の歴史』の原書 図1|『イスラム技術の歴史』の原書 出典: https://www.amazon.co.jp/dp/0521263336

前回,イスラムの科学について述べたが,ギリシャ(ヘレニズム)科学をベースにして,最終的には極めて高度に発展したことが分かる。イスラムの科学については,かなり多くの書物があり,ギリシャ哲学,とりわけアリストテレスとの関連も含めて詳細に説明されている。ところが,イスラムの技術となると事情はまったく異なる。私の知る限りでは,現在日本語で読める本は『イスラム技術の歴史(アフマドY.アルハサン,ドナルド・ヒル)』のみである。また,多少これと関連した書籍といっても『ペルシアの伝統技術(ハンス・ヴルフ)』があるのみだ。

少し分野を拡大して工芸品まで見渡すと,『イスラームの美術』という本があり,建築も含み,工芸分野でのイスラムの高いレベルの技術を知ることができる。

総じて,日本におけるイスラムに関する書籍は文学,歴史,宗教は山のようにあるが,科学となると「ぐーん」と少なく,技術ともなると絶滅危惧種よりもさらに少なく,わずか1冊というありさまだ。ただ,間接的にイスラム技術に関する書籍としては,山川出版のシリーズ『世界史リブレット』で幾つかある(参考文献参照のこと)。

しかし,考えても分かるようにかつてはヨーロッパを凌ぎ,世界の富を中国やインドと三分していたような文化圏に語るに足る技術がまったくなかったというのはどう考えても理屈に合わない。また,第四章Part1に述べたように,ヨーロッパ人はイスラム支配下のスペインで,あるいは十字軍によって中東で華やかなイスラム文化に出会い,そしてうらやましく思ったはずだ。それはイスラムの優雅な生活を支えた贅沢品の数々,すなわち香水,化粧水,バラ水,シャーベット,砂糖入り菓子などであった。このような豪奢な生活を支えるには高い技術力がなければおかしいはずだ。

『アラビアンナイト』のようなフィクションには贅沢で優雅なアラブの生活がいわば万華鏡のように展開されるが,本当にこのような生活があったのだろうか,と疑問に感じる人もいるだろう。しかし,本稿を読めば答えは自ずから明らかになるに違いない。

2.アラビア人の実利,現実主義

日本屈指のイスラム研究の大家といえば,惜しくも故人となられたが,アラビア語の原典から『アラビアンナイト』を訳した前嶋信次氏と,初めてコーランを日本語に訳した井筒俊彦氏が双璧だ。両者ともにイスラムだけではなく,ギリシャ・ローマ,インド,中国など幅広い文化を背景とした含蓄の深い文章を多く残している。井筒氏はどちらかといえば理念的で,テーマも哲学・宗教に関する話題が多い。井筒氏は『イスラーム思想史』の中で,アラビア人の本質を次のように指摘している。

「アラビア人は感覚的で,物質主義者である。個物を超えた一般者には彼らは全然用がない。(中略)現実的な彼らは(プラトンの主張したような理念的な)イデアの世界はかつて顧みたことがなかったのである。激烈な,妥協を許さぬ現実主義,徹底的な感覚主義と個別主義がそこにあった。(中略)アラビア人は個々の物を詳しく直観的に捉え,それから激しい感動を受けることにかけては天才的であったけれども,この感動と,その表現とは飽くまで印象的・断片的であった。個々の感動を整理して,これに論理的構成を与えることは彼らのよくせぬ所であった。」

つまり,アラビア遊牧民(ベドウィン)は,理念より現実,論理より個別を重視したということだ。

3.アル・ジャザリーの巧妙な機械

図2|アル・ジャザリーの象時計 図2|アル・ジャザリーの象時計 出典: https://www.stratochem.com/2020/04/06/ismail-al-jazari-medieval-robot-maker/

一方,前嶋氏は文学者的な雰囲気で人々の生活ぶりにまで踏み込んだ話が多い。単行本にならなかった論文を集めた『千夜一夜物語と中東文化』には「中世イスラム世界の時計台―ジュバイルとジャザリーの機械の書」と題した文が載せられている。

ここで言及されているアル・ジャザリー(Al-Jazari,1136〜1206)とはトルコ出身の発明家で,機械エンジニアであり,同時に数学者や天文学者でもあった。『巧妙な機械装置に関する知識の書(The Book of Ingenious Devices)』には50種もの機械装置が図解入りで説明されている。これらは単なる空想でもなく,おもちゃ(gadget)でもなく,一部は実際に作られていた物であることが旅行記から分かる。12世紀から13世紀にかけてイスラム圏を旅行したイブン・ジュバイルは『イブン・ジュバイルの旅行記』の中で,シリアの都・ダマスカスを訪れたとき世にも不思議な時計を見た,と述べる。「ジャイルーン門から出ると右側,前にある柱廊の壁に部屋が一つあり大きな円いアーチの形になっている。その中にもいくつかの真鍮のアーチがあり,小さな扉になって開いている。扉は昼の時間の数だけあり,工芸的な仕掛けがある。日中,一時間が過ぎると,二つの真鍮の器の上にそれぞれ立っている二羽の真鍮製の鷹の口から,真鍮の錘(おもり)が落ちるのである。それらは,一つは一番初めの扉の下に,もう一つは一番最後の扉の下にある。二つの器には穴があいていて,玉がそこに落ちると壁の内側からその部屋に戻る。鷹が玉を持って首を器の方に伸ばし,驚くべき仕掛けで素早く玉を落とすのを見れば,魔術による幻かと思われる。玉が器に落ちると音が聞こえ,その時間の真鍮板の扉が即座に閉まる。日中は一時間が過ぎるごとにこれが続き,やがて何時間も過ぎて扉が全部閉まり,こうして初めの状態に戻るのである。……」

アル・ジャザリーのこの本は1974年になってようやくイギリス人,ドナルド・ヒル(Donald Hill)が英訳し出版されて世界に知られることになった。1922年生まれのヒルは兵役に着いたあと,ロンドン大学で工学を学び,ついでイラクの石油会社に入社し,シリアやカタールで実務に就いた。実業から引退後,中世イスラムの技術史を研究し,何冊かの書物を発表した。そのうちの一冊で1974年に出版されたのが,前述のアル・ジャザリーの書である。先ほど紹介した前嶋氏の文章は,1979年に発表されたものなので,前嶋氏はヒルの翻訳後,直ちにこれを入手して読んだことになる。私は,日本のイスラム学者の本はかなり読んだがジャザリーの機械に関してこれほど中身のある文章を見た記憶がない。

私もつい最近,この英書を入手した。まだ通読はしていないが,それでも原図と機構の構造図がふんだんに入っているので,ところどころ拾い読みしているだけでも十分楽しめる。

アル・ジャザリーの機械について言葉で説明するよりも,図で見るほうが遥かによく分かる。次のサイトをチェックしてほしい。

MuslimHeritage.com, FSTC Ltd and managed by the Foundation for Science, Technology and Civilisation, UK

https://muslimheritage.com/overview-on-al-jazari-and-his-mechanical-devices/
https://muslimheritage.com/al-jazari-the-mechanical-genius/

4.イスラムの高度な技術の数々

(1)造船・航海術

ヨーロッパ(ポルトガル,スペイン)は15世紀になってようやく大海へ乗り出したが,それ以前の大航海技術はすべてイスラムが握っていた。元来,中東のアラビア人はインドや南海と,地中海諸国との仲介貿易で富を築いてきた。イスラム各国には多くの造船所があり,1,500人乗り・1,000トンもの巨大船を建造していたともいわれる。船の木材は,腐りにくいインド産のチーク材を使い,エジプト産の麻の丈夫なロープを使った。大三角帆を上手に操り,向かい風でも航行することができた。さらには,天文学の知識を使い,夜でも星を頼りにして現在位置と方角を知ることができたので,大海も難なく航海できた。その方法とは,まず目的地の緯度にまで垂直(南北)に移動する。それから緯度を保ったまま,水平(東西)航行する。そうすると必ず目的地に到着できる。安全に航海するためには,航海術とともに,緯度計測と世界各地の海図(ポルトラーノ)は必須であった。緯度計測用の簡便な機器としてカマル(kamal)がある。北極星と水平線を同時に見えるように,腕の長さを調整することで,緯度が自動的に算出できるようになっているすぐれものである。

ヨーロッパ語には,航海や海事に関してアラビア語から多くの借入語がある。例えば,admiral(海軍大将),arsenal(兵器庫),felucca(小型帆船),monsoon(モンスーン),sirocco(熱風),tariff(税率)などがそうだ。借入語の多さが当時のイスラム技術のレベルの高さを示しているといえよう。

(2)農業・灌漑

イスラム圏は砂漠が多いが,地下にトンネルを掘り,地下水を水平方向に流す水路(カナート,カーレーズ)を掘り,灌漑を行った。水源から30 kmも続く地下水路や,ニーシャープール(Nishapur)のように,上水を全面的にカナートに依存する都市もあったという。カナートの上の地表には約30メートルおきに穴を掘って,風車や畜力を使って地下から水を汲み上げた。穴の深さは50メートルにも達することがあったという。カナートの地下水路を水平に掘るためには,測量技術だけでなく,高度な数学も必要とした。つまり,地形から掘るべき深さを計算するには三角関数なども用いて計算する必要があったからだ。

また,カナートだけでなく,河川のダム建設にもイスラムの測量技術の高さがうかがえる。驚くことに,7〜8世紀に造られたダムが現在でも壊れずに使われている。それというのも,堤防に使う石に穴をあけ,鉄のダボで連結し,溶けた鉛を穴に注いでしっかりと留めているので非常に強固であるからである。

肥料として鳩の糞を集めたが,そのために鳩の塔(Pigeon Tower)と呼ばれる設備もあった。一塔には,1万数千羽収納し,年間2トンの肥料が取れたという。もっとも,鳩は「空飛ぶネズミ」ともよばれるぐらい,クリプトコッカスをはじめとしたさまざまな病原菌を持つ鳥であるので,そういった糞を利用していて,果たして人々の健康に害はなかったのだろうかと心配になる。

低湿地帯を干拓することも行われていた。そこでは,生育に大量の水を必要とする米やサトウキビが栽培されていた。サトウキビから採られる砂糖は中東からヨーロッパに輸出されていたが非常に高価で,当初は薬品として用いられていた。

イスラムの農産物の特産品としては,これ以外に稲,綿,亜麻,ゴマ,ザクロ,メロンなどがある。また,嗜好品としては,シロップ,エキス,キャンディ,シャーベットなどがあった。また現在は,フランスが有名な香水や化粧水などは,元来イスラムで発明され,ビジネスベースで大量生産されていた。このように,当時のヨーロッパの貧しい生活水準からは想像もできない豊富な物産があったのがイスラムであった。

(3)風車・水車

風車はペルシャ(イラン)が発祥で,すでに紀元前2世紀には使われていたといわれる。ただし,風車の回転軸はわれわれが見慣れている水平ではなく,垂直であった。このあたりでは,常に一定方向に風が吹く(例えばアフガニスタンでは,常に北風が吹く)ので特定の方向に隙間を空けておくことで風車を回転させることができる。強風の時は,隙間を閉じることで容易に回転数をコントロールすることができる。風車は,製粉,揚水,サトウキビの圧搾など多目的に利用された。われわれが見慣れている水平軸風車はヨーロッパで発明されたと中世科学史家のリン・ホワイトは主張する。

一方,水車は中東の地形と降雨の少ない気候から限定的であった。河川を利用した水車はティグリス・ユーフラテス近辺と地中海沿岸が主であった。また,河川の水量が少なくなっても稼働するように,水車を固定式ではなく,平底船の横に水車をつけて船上で製粉する方法もあった。船に水車を取り付ける方式は河川だけでなく海につながる河口でも見られ,潮の満ち引きの時に発生する水流を利用して駆動した。

水車は製粉だけでなく揚水にも利用された。シリアのハマーという都市にあるノリア揚水車群は有名で,現在では人気の観光スポットになっている。一番大きなノリアは直径22 mもあるそうだ。かつて十字軍の一員としてドイツ兵がやって来た時,ノリアを見て感心し,故郷に戻り,同じ仕組みをバイロイト近くの町にも作った。

水車にはバケツが少し傾いた状態で付いており,下でバケツに水が入り,上では側面から流出する仕掛けとなっている。また,壺を数珠つなぎにして回して,上部で水を吐き出す壺花輪という方式もある。ちなみに,揚水には畜力(ラバ,ラクダなど)を利用したサーキアという方式もある。揚水技術は,飲み水だけではなく,鉱山の水の汲み上げにも応用された。

これ以外にも水車は一般の産業用の動力として広く使われた。その時は,回転運動をピストン運動に変換させるクランク機構を用いて,フェルトを叩いて縮絨したり,大きな材木を切る鋸を駆動したりした。

いずれにせよ,水車の本格的な多目的利用に関してはイスラムはヨーロッパより200年は進んでいたといえる。

(4)工芸品―陶器・タイル・絨毯

ペルシャ陶器は,金属性の光沢(玉虫色,ラスター彩)を放つ極めて美しい工芸品で,奈良の正倉院にも類似の陶器があるといわれる。ラスター彩はペルシャの華ともいわれたが,13世紀のモンゴルの侵入でペルシャの陶業が壊滅した。ニーシャープールは東イラン最大の陶業地として13世紀まで栄えた。その理由は,ラスター彩の透明さを出すには鉛を必要とするが,このあたり一体に鉛鉱物が豊富に産出するからであった。

ペルシャ絨毯は,紀元前からあり,製造技術はシチリアにも伝播した。逆に,刺繍は中国の影響を受けたといわれる。

本の製造には紙が欠かせないが,中国の紙製造技術が8世紀半ばに伝来して以来,イスラム各国(サマルカンド,バグダッド,ダマスクス,エジプト)に製紙工場が造られ,エジプトのパピルスや羊皮紙(パーチメント,ヴェルム)の市場を奪った。しかし,中国と異なり紙の原料には亜麻(リンネ,ボロ着)を発酵させたものを使ったため,表面が粗く,ペン書きには不適であった。そのため,表面に陶砂を塗り滑らかにした。また,紙の繊維を柔らかく砕くため,水車も利用された。

イスラム諸国では多くの家畜が飼われているため,皮革産業が盛んだ。現在でも高級な本の装丁には皮が用いられる。コルドバのコードバン革,モロッコのモロッコ革が有名である。皮革技術は古代から19世紀まで変化がなかった。紀元900年ごろ,バグダッドでは100か所以上の製本工場があったというほど,イスラムはヨーロッパとは比較にならないほど製本業が盛んであった。

なお,『イスラーム美術』(岩波書店)にはこれら以外に建築,羊皮紙,絵画,宝石などの工芸についても豊富な写真とともに説明されているが,いずれにせよ,生活に密着したさまざまな技術がイスラムにあったことが分かる。

5.ヨーロッパ人のイスラム技術軽視

イスラム技術に関する本が少ない原因の一つが,欧米の科学技術史家の中にヨーロッパ文化中心主義の観点からイスラムの科学技術を低く見る人がいることが挙げられる。

この点を厳しい口調で非難しているのが,アルジェリア出身で,現在はイギリスのマンチェスターでイスラム科学史を研究しているアル・ジャザリー(Al-Djazairi Salah Zaimeche)だ。彼は,2006年に『The Golden Age and Decline of Islamic Civilisation(イスラム文明の黄金期と衰退)』という本を出版した。これは800ページを超える大作であるが,最近,内容を増して3分冊にリニューアルして再刊された。この本には「Technology and Engineering」という節があり,イスラム技術について60ページほど概説されている。この本では,彼は欧米の科学技術史家たちの偏見を厳しく糾弾している。とりわけ,リン・ホワイト(Lynn Townsend White Jr.)がイスラムの技術をまったく評価しないだけでなく,イスラムに技術革新がなかったという意見を助長し,ヨーロッパ至上主義的な偏見を広めたと非難する。

アル・ジャザリーがこのように非難する根拠は,ヨーロッパにおいて12〜13世紀になって機械要素技術が急激に発達したのは事実だが,それはスペインにいたムスリムの技術者がスペイン各地や北イタリアへ移住して技術を伝播した結果であることに由来する。つまり,現在の機械要素技術の源は,ヨーロッパではなく,イスラムにあったということになる。彼はさらに続けて,「欧米のイスラム技術研究家の多くは,ホワイトの意見を踏襲しているが,ホワイトの意見に反対し,イスラムの技術を正当に評価したのは,ドイツ人のアイルハルト・ヴィーデマン(Eilhard Wiedemann)(1852〜1928)が初めで,継いでイギリスの科学史家のチャールズ・シンガー(Charles Joseph Singer)(1876〜1960)がいる。現代では,ドナルド・ヒル(Donald Routledge Hill)(1922〜1994)がいるが,残念ながらイスラム技術関連で出版されている書籍は多くはない」と述べた。

6.UNESCOの支援によるイスラムの科学技術書の出版

図7|『History of Science and Technology in Islam』Fuat Sezgin 図7|『History of Science and Technology in Islam』Fuat Sezgin 出典: https://archive.org/details/history-of-science-and-technology-in-islam-fuat-sezgin

アル・ジャザリーの上記の本にも触れられているが,UNESCOが近年になってイスラムの科学技術に関する研究調査をバックアップしてくれたおかげで,成果が着々と挙がっている。一例としては,ファト・セジーンが2010年に出版した『History of Science and Technology in Islam』という1,146ページにも及ぶ大冊がインターネットで無料公開されている。私がこのサイトを知ったのはつい最近で,まだこの大冊について述べるだけの知見はない。それで全部で5巻,13章ある本書の概要だけを以下に示す。


第1巻:イントロダクション

第2巻:天文学

第3巻:地理学,航海術,時計,幾何学,光学

第4巻:医学・医術,化学・錬金術,鉱物学・化石

第5巻:物理学と技術,建築,軍事,工芸品


残念ながら,この本には農業や染物,香水などの生活に密着した技術は取り上げられていない。

このように,徐々にイスラムの技術に関する出版物も増えてきたようだが,過去の資料はいまだに手書きの原稿のままで,活字になっていないものが数多くあるという。状況はイスラム科学より一層困難なようだ。

参考文献

[92]
『イスラム技術の歴史』,アフマドY.アルハサン,ドナルド・ヒル(多田博一・訳),平凡社(1999)
イスラム技術に関しては邦書では唯一ともいえる本である。全体で350ページ足らずではあるが,イスラム技術を非常に幅広く捉え,単に機械や建築といった目立つ分野だけでなく,生活に密着した技術も説明している。
[93]
『Islamic Technology: An Illustrated History』,Ahmad Y. al-Hassan, Donald R. Hill Cambridge University Press(1987) ISBN-13 : 978-0521263337
上の『イスラム技術の歴史』原本(英書)。
[94]
『ペルシアの伝統技術』,ハンス・ヴルフ(大東文化大学現代アジア研究所・監修),平凡社(2001)
1907年生まれのドイツ人のヴルフ(Wulf)氏はイランの高等技術専門学校の校長であったことからイランの伝統工芸技術に興味を持ち,現地の職人の仕事を見て,話を書き留めた。第二次世界大戦でそれらの資料の多くを失うも,戦後再び資料を集め直して,本書を出版した。写真の豊富さといい,技術的内容の詳細な説明といい,ドイツ人の徹底ぶりにまったく頭が下がる,たいへん貴重な良書である。
[95]
『イスラーム美術』,ジョナサン・ブルーム,シーラ・ブレア(桝屋友子・訳),岩波書店(2001)
イスラム美術は西洋美術と異なり「小美術」,「装飾美術」と見なされる美術が重要な役割を果たすという。また,書 (Calligraphy) の重要性も西洋美術には見られない。また,「火の美術」と総称される陶器,ガラス器,金属器などもイスラム美術では重要視される。ほぼ隔ページにカラー写真があり,美術書としても楽しめる。
[96]
『イスラームの生活と技術』(世界史リブレット),佐藤次高,山川出版社(1999)
[97]
『浴場から見たイスラーム文化』(世界史リブレット),杉田英明,山川出版社(1999)
この2書は,いずれも100ページに満たない小冊子であるが,単一のテーマに特化しているため他書では見られない記述が多い。イスラム技術が実際に使われている生活の様子が彷彿とする記述に,ついつい引き込まれてしまうであろう。
[98]
『イスラーム思想史』,井筒俊彦,中央公論社(2005)
さすがにイスラム,アラブを知り尽くした碩学だけあって,簡潔で要領の得た指摘の数々に満ちている。アラビア遊牧民は,不撓の戦闘精神を持ち,獰猛極まりない掠奪と復讐の習性がある,と指摘する一方で,感覚の鋭敏さは異常に発達していると褒める。しかし,彼らは非合理的で非論理的であると断定する。「アラビア哲学の代表的人物は大多数ペルシャ人である」との指摘は,イスラム哲学・イスラム科学を理解するうえで核心を衝く言葉だ。
[99]
『千夜一夜物語と中東文化』,前嶋信次,平凡社(2000)
本文参照。
[100]
『The Book of Ingenious Devices』,Springer(2011), ISBN-13:978-9400997882)
アル・ジャザリーの有名な『巧妙な機械装置に関する知識の書』。邦訳はまだない。
[101]
『イブン・ジュバイルの旅行記』,イブン・ジュバイル(藤本勝次・池田修・訳),講談社(2009)
12世紀にスペインに生まれたイスラム教徒のイブン・ジュバイルがメッカまで巡礼した旅行記。技術に関連した記事を二つ紹介しよう。メッカのカアバ神殿の入口の壁面に取り付けられている大理石は,鋸で切られたので同じ模様をしている,との記述が見える。水車を利用した鋸で切断したものと分かる。またあるモスクでは円柱は一本の柱のように見えるが,実際は切断された円筒の石のブロックが連結されたものだという。ブロックは互いにほぞで連結され,ほぞ穴には溶けた鉛が注ぎ込まれて,ぴったりとくっついている。その上に漆喰が塗られてピカピカに磨き上げられているのであたかも一本の白大理石のように見えるという。
[102]
『The Golden Age and Decline of Islamic Civilisation』,S. E. Al-Djazairi(2006)
本文参照。
[103]
『History of Science and Technology in Islam』,Fuat Sezgin,
イスラムの科学技術に関する,1,000ページを超える大冊。UNESCOの支援のおかげで,インターネットで無料公開されている。
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