日立評論

人間の「共感」をベースにしたマネジメント

ダイナミックな世界で,より善く生きる未来を創るために

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日立評論

執筆者紹介

野中 郁次郎

  • 一橋大学名誉教授,カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクール ゼロックス名誉ファカルティ・スカラー。早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校にて経営学博士号(Ph. D)を取得。2002年紫綬褒章,2010年瑞宝中綬章受章。著作に,『組織と市場』(千倉書房,1974年/第17回日経・経済図書文化賞受賞),『企業進化論』(日本経済新聞社,1985年),『アメリカ海兵隊』(中公新書,1995年),『知的機動力の本質』(中央公論新社,2017年)が,また主要な共著に,『失敗の本質』(ダイヤモンド社,1984年),The Knowledge-Creating Company: How Japanese Companies Create the Dynamics of Innovation, Oxford University Press, 1995.(邦訳『知識創造企業』東洋経済新報社,1996年),『知識創造の方法論』(東洋経済新報社,2003年),『流れを経営する』(東洋経済新報社,2010年),『国家経営の本質』(日本経済新聞出版社,2014年),『史上最大の決断』(ダイヤモンド社,2014年),『全員経営』(東洋経済新報社,2015年),『直観の経営』(KADOKAWA,2019年)など多数。 2017年11月,カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールより,史上5人目,学術研究者としては初めてとなるLifetime Achievement Award(生涯功労賞)を授与される。

目次

分析的戦略論から人間中心のマネジメントへ

昨年の7月初旬,スコットランドのエジンバラにあるアダム・スミスの旧宅にて「新啓蒙会議」なる会議が催された。“新”啓蒙と称するのは言うまでもなくスミスの啓蒙主義に対してのことである。スミスが『国富論』で示した自由経済という考えがひとり歩きし,ついには他者を顧みずに利潤を追求する市場万能主義や株主資本主義に辿り着いた状況に対してアンチテーゼを唱える狙いがあるためだ。

スミスは『国富論』の前に著した『道徳感情論』で人間の「sympathy(同感)」に注目しており,人間が利己的に動いても社会の秩序が保たれるのは,人間にsympathyがあるからだと考えた。つまり自由経済というのも,元々は人間の道徳や倫理を前提に想定されたものだったのだ。

この資本主義の道徳的側面に,改めて光を当てようと試みたのが先の会議である。具体的には「株主価値最大化への疑義」や「従業員の復権」などで,利益とは本来顧客に向き合い,顧客に価値を届けた結果であること,また従業員を資源と見做すような考えに対し,人間は資源ではなく資源を生み出す「主体」であるとその尊厳回復を訴えた。顧客や従業員,さらには他者,社会へのsympathyに目を向け,同感と自由経済を両立させる,より人間らしい「人間中心」のマネジメントを考えようというのが基本的な主張だ。

この会議の主催者の一人が,今マネジメントの中心的なテーマになりつつあるコンセプト「ダイナミックケイパビリティ(変化対応的な自己変革能力)」を提唱するデイビッド・ティースである。そして彼の弟子のヘンリー・チェスブロウの提唱する「オープンイノベーション」,我々の提唱する「ナレッジクリエイション(知識創造理論)」は,長らくマネジメントの中心にあったマイケル・ポーターの競争戦略論に代表される分析的で科学的な戦略論に代わって,より動態的で人間らしい戦略論を主張する点で相互に深く関わり合う。こうした動向からも,マネジメントの軸足がより人間中心のものへと移り変わろうとしていることがうかがえる。

このような流れに対し,日本の経営は未だROE(Return on Equity)やPDCA(Plan, Do, Check, Act)サイクルなどに偏重し,周回遅れの感が否めない。アメリカ型の分析的な経営手法に過剰適応してしまった結果,日本企業の多くは「over-analysis(分析過多)」「over-planning(計画過多)」「over-compliance(コンプライアンス過多)」の三つの過剰で身動きが取れなくなり,すっかり活力を失ってしまった。昨今のESG経営やSDGsにしても同様で,外側から取り入れた枠組みによって自らを縛りつける結果となっていないだろうか。

本来,日本型経営には,「三方よし」に見られる道徳心やバランス感覚が絶妙に備わっていた。ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた時代の,野性味溢れるバイタリティを取り戻すためにも,人間中心のマネジメントに視線を向け,日本型経営を見直すことは多くの示唆を与えてくれるだろう。

人間の「共感」から始まるSECIモデル

SECIモデルSECIモデル個人の暗黙知を形式知に変換し,組織全体で知識を創造し続けるためのスパイラル状のプロセスである。

人間を中心に据えた戦略論として我々が提唱する知識創造理論とそのプロセスを説明するSECIモデルは,過剰適応に陥る以前の日本型経営を土台に作られたものだ。とりわけSECIモデルは,分析や計画からではなく人間の「共感」から始める点において,分析的戦略論やPDCAサイクルとはまったく逆のアプローチを辿る。

SECIモデルとは,具体的に(1)他者や自然に対する人間の共感をベースに(共同化:Socialization),(2)対話などにより本質を抉り出して概念化し(表出化:Externalization),(3)個々の概念を結びつけて理論化・物語化し(連結化:Combination),(4)実践をしながら持続的に知を創り続けていく(内面化:Internalization),組織全体で知識を創造し続けるためのスパイラル状のプロセスである。

特に重要となるのが初めの「共同化」で,これを実践する企業の一つにエーザイがある。同社は「ヒューマン・ヘルスケア(hhc)」のスローガンの下,「患者様とそのご家族の喜怒哀楽を考え,そのべネフィット向上を第一義とし,世界のヘルスケアの多様なニーズを充足する」という理念を実現するため,「世界中の社員が就業時間の1%を用いて,患者様と共に過ごす」ことを推奨している。顧客である患者から世界がどう見えるか,「感じる」ことから始めようというのだ。

実際に社員一人ひとりが病棟実習や介護現場などに身を置き,個別具体な患者や家族の状況を知って,彼らの本音や苦しみ,悲しみに共感をする。そして,それぞれに現場・現物・現実で直観したものを持ち寄り,言語化をしながら仮説を立てていく。そうした取り組みの中で薬づくりに対する社員らの考え方が180度変わり,新薬の構想はもちろん患者の治療や家族のケアといったソリューションに至るまで,自分たちの仕事を新たに捉え直す動きが生まれたという。

こういった文脈では日立のLumadaも,共同化に始まるSECIモデルを実践する例と捉えられるだろう。今までの製造業における技術と知見の蓄積をベースに,顧客の現場に深く入り込み,そこで得た共感に基づいて,意味や価値を見いだしながら顧客の事業の本質を探り,顧客と共に協創(co-create)する。そこからさらに膨大な知が集積されて次につながっていく。まさにスパイラル状の知識創造プロセスとなっている。

自己を超えた相互主観を形成する

社員同士のコミュニケーションを促進させる京セラのコンパやホンダのワイガヤも,本質は共同化にある。例えば京セラのコンパでは,社員同士が畳の上で身を寄せ合い,酒を酌み交わしながら,頭も身体もすべて場に没入させた高揚状態で,仕事や働き方,生き方について徹底的に語り合う。そうした知的コンバットの中で,深い共感や相互主観――つまり「私の主観」を超えた「我々の主観」を育むことにより,新たな協創の触発をめざしている。

ホンダのワイガヤはそれを三日三晩かけて行う。近年のホンダジェット開発やF1復活の現場では,国籍や企業の壁を越えてクロスファンクショナルにチームで難題に取り組み,知的コンバットを日常の中に組み込むことによって同様の成果を得ているそうだ。

昨今のソフトウェア開発の主流であるアジャイル開発の一つ,ジェフ・サザーランドの「アジャイルスクラム」も実はSECIモデルの共同化がベースとなっている。サザーランドは軍で最も危険な偵察機ファントムのパイロット経験を持ち,二人一組で目の前のミッションに命懸けで臨んだ体験とSECIモデルの共同化を結びつけ,相互主観を持つ一心同体の「ペア」を発想した。

ソフトウェア開発者とクオリティコントロールを行う者がペアを組み,一台のパソコンを前に知的コンバットを行って開発を進める。そのようなペアを基本単位に自在にスクラムを組むことによって,俊敏かつダイナミックに機能する自律分散系の組織を構想した。

ちなみにスクラムという名称も,1980年代の日本企業が顧客から課された難題に対し,先のホンダのように部門横断的,クロスファンクショナルにスクラムを組み,一心同体となって取り組む様子を我々が直観で名付けたものだ。

人間が意味を作り出すのは,まさに共感によってである。他者や自然に全身全霊で向き合い,まるで母親と赤ん坊のように自他不分離な関係,すなわち相互主観を持った一心同体となり,相手の立場に立って物事を見て考える。そのような深い共感に基づく対話を通じてのみ,自分と他者の感覚の共通点や違いを実感することが可能となり,そこから新たな意味や価値が創造されていく。

SECIモデルはこのような深い共感によって体得した暗黙知を,徹底的に言語化し概念や理論といった形式知にまで変換することを重視する。形式知としてそれらを組織の中で共有し実践知に高めていくことで,知識創造のプロセスを高速回転させていくのである。

人間の「生き方」を軸とした物語り戦略

競争戦略論をはじめとする分析的で科学的なアプローチを,我々が問題視しているのは,そこに人間の「生き方」が希薄なことだ。経営や価値を生み出す主体は人間であるにもかかわらず,そのアプローチは人間の主観や主体性を軽視し続けた。どれだけ新規参入の脅威や交渉力を客観的に分析しても,「それらを何のために行うのか」,「どんな物語を作っていきたいのか」など,「生き方」とも呼べる大きな目的やビジョンにコミットできなければ,人間は主体的に動かない。まして組織が一心同体となり,目の前の現場・現物・現実に対し自律分散的にアクションしていくことは難しい。このような理由から,我々は人間を中心とする知識創造理論を推し進める力として,人間の生き方を軸とする「物語り戦略」を重視するのである。

人間を突き動かす経営者のビジョンや生き方,つまり大きな物語の「プロット(筋書き)」に加え,もう一つ重要となるのは,ビジネスにおける個別具体な場面でどちらへ行くべきか,その判断や行動の指針となる「スクリプト(台本)」である。このスクリプトは,言葉を聞けばすぐに行動ができるほど,直観的に本質が伝わる肚に突き刺さるレトリックで表されることが望ましい。そして,それが組織の中で徹底的に身体化されることが理想的だ。

マックス・ウェーバーの主著に『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』があるが,このプロトタイプとなるのがアメリカ合衆国建国の父とも呼ばれるベンジャミン・フランクリンである。彼は「酔うほどに飲むなかれ」,「時間を空費するなかれ(Time is money)」といった,現代の我々にも伝わる13の徳目を説いた。彼の生き方に通ずるこの徳目が,プロテスタントにとってのスクリプトとなり,彼らの生き方になるほど,意図しない資本が蓄積されたのであった。これは冒頭にも述べた道徳と資本主義の両立にも通底する話と言えよう。

京セラには,創業者の稲盛和夫名誉会長の経営哲学が凝縮された78項目の「京セラフィロソフィ」がある。「常に創造的な仕事をする」,「渦の中心になれ」など,それらはどれも簡潔で直観的に理解しやすいスクリプトとなっている。全社員に配布される京セラフィロソフィ手帳では,それらを理性的にも理解しやすいよう各項目一つひとつについて意味や考え方が具体的に説明されているため,社員は自分の状況に合ったスクリプトを選び取って行動に落とし込んでいくことができる。さらにスクリプトを身体化させる仕組みとして,社員が自分の解釈や実践を語る日々の朝礼や斉唱などが習慣となっており,先のコンパも社員同士の認識の差を埋める対話の場として機能している。

エーザイにも「赤本・青本」というものがある。赤本は社長のビジョンすなわち生き方が記されたもので,青本は社員たちによるその事例研究となっている。青本には,ビジョンの実践の中で得た「こういう文脈でこういう行動をしたら上手くいった」という実例が集められ,社内に新たなスクリプトとして蓄積されていく。このように組織の知を共有し,その時々の文脈で最善と思える行動を実践し続けることで,新たな知が獲得され,知はさらに豊かになっていく。そのようにして終わりのない物語は進化を遂げていくのである。

多くの分析的戦略論は,市場や産業構造などの外部環境や企業の内部条件を緻密に分析することで戦略を導き出す。しかしながらそれらの理論が想定する,すべての条件が統制された静態的な環境は実在しない。現実の世界はさまざまな事象が絡まり合い,刻一刻と変化する不確実で動態的なものである。そのような世界では,物語という人間の生き方を起点に,さまざまな矛盾や問題が立ち現れるダイナミックな環境の只中「いま・ここ」に向き合い,他者との関係性の中で意味や価値を見いだし,主体的な生き方を創造していくことが重要だ。我々はそのプロセスこそ戦略であると考える。それは同時に未来を創造する方法論だと言えるだろう。

共通善をめざした社会変革へ

私が今,最も注目する経営者の一人がマイクロソフトの三代目CEOサティア・ナデラである。彼は「empathy(共感)」を掲げてマネジメントを行うアメリカでも稀有なリーダーだ。empathyとは,頭で考えて相手に同感を示すsympathyとは異なり,SECIモデルの共同化でめざすように相手に一体化して共感する心の在り様である。事実,同社の経営会議では,経営状況の分析データといった数字を報告し合うことをやめ,リーダーたちが自らのエクスペリエンスを共有し合い相互主観を育むことを重視している。

彼はempathyという考えの下,人間の幸福を考えた世界のイネイブラー(支え手)となることをめざす。その考えは,AI開発競争においてその目的を「人間の置き換え」ではなく,人間を中心に据えた「人間の能力拡張」と明確に示す点や,自社を中心としたシェア拡大という考えからオープンソースという発想へ移行した点などにも表れている。今の世界で蔓延する自社の利潤最大化を追求する行動とは異なる次元にある考えだ。

アリストテレスは「あらゆる行為や選択はすべて何らかの善を希求する」と説き,人は生まれながらにして共通善(common good)をめざすという人間観を示した。つまり「生きる」とは人々が社会的な関係性において新たな意味を求め続け,常に「より善い」を追求することに喜びを見いだすことに他ならない。したがって人間の共感に基づき,終わりのない物語を作り続けることは,自ずと社会全体の共通善を追求することにつながっていくのである。

ソーシャルイノベーションというのもまさに社会の共通善のため,既存の社会の仕組みでは十分に行い得ない社会課題の解決をめざした活動である。しかもそれらはすべて共通善を希求する個人や組織,つまり人間の信念や思いが起点となっている。同時に,知識や意味は関係性の中から生成される。これからの日本企業は,和や絆といった共同化の実践に適した本来の特質を見直しながら,知識創造のプロセスに産・官・学・民をすべて巻き込み,知の社会的エコシステムを確立させることで,道徳と繁栄を両立させるような,より善い生を生きる社会の実現に挑んでいってもらいたい。

特に日立はLumadaの取り組みに代表されるように,既に人間の共感を軸とした知識創造プロセスを体現している企業だ。その動きは協創の大きなうねりを生み出すものであると研究者の直観が私に教えてくれる。現在,掲げている「POWERING GOOD」,まさに共通善と言える方針の下,信念を持った社会変革の起点となることを期待している。

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