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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察Act Locally, Change Globally地球市民としての企業経営

2020年3月27日

執筆者紹介

白井 均

  • 株式会社日立総合計画研究所 取締役社長
  • 1979年日立製作所入社,佐和工場技術部,日立総合計画研究所主任研究員などを経て,1999年日立製作所公共情報事業部電子政府プロジェクト推進統括センタ部長,2003年都市開発システムグループ 事業開発部長,2005年日立総合計画研究所副所長,2009年日立アジア社取締役副社長,2010年日立グローバルストレージテクノロジーズ社取締役(兼務),2011年日立総合計画研究所取締役所長,2013年取締役社長。
  • 著書に『電子政府(デジタル・ガバメント)−ITが政府を革新する−』(東洋経済新報社)。

目次

グローバリゼーションの歴史

かつて経営学者ピーター・ドラッカーはグローバル経営を考える際の視座として,“Think Globally, Act Locally”の重要性を挙げている。経済活動がグローバルに広がる中で,国ごとに異なる市場や事業環境に対応しつつ,グローバルに統合された競争力ある経営をいかに確立するかは,グローバル経営を追求する企業にとって常に重要課題である。グローバル社会が直面する課題が経済,安全保障,環境など広範囲にわたり,かつ深刻化する今日,改めてこの言葉に着目してみたい。

第二次大戦後,世界はほぼ一貫してグローバリゼーションの潮流の中にあった。とりわけ1991年の冷戦終結以降は,国境を越えた投資,技術や人財の自由な移動が加速し,新興国を中心に経済発展の大きな果実をもたらした。しかし近年は中国の台頭に伴う米中関係の緊迫もあり,グローバリゼーションは明らかな停滞期を迎えている。歴史の上では,中国に限らず急激に経済成長し,プレゼンスを高めた国が先行する国の批判を浴びるのは珍しいことではない。相互の関係が浅い時代には意識されなかった制度や仕組みの差異が相手国のプレゼンス拡大により,異質な,場合によっては不当な障壁として意識されるためである。

歴史をさかのぼれば,1950年代には欧州に投資を拡大し経済プレゼンスが急拡大した米国企業が,欧州社会のナショナリズムや保護主義的感情の高まりによりさまざまな批判にさらされた。1980年代後半には,日本も同様の批判に直面する。この時期,日本の自動車,半導体,コンピュータなどの対米輸出拡大により,日米貿易摩擦が緊迫化した。日本の流通市場の閉鎖性や「系列取引」などが米国と異なる不公正な商慣習・制度として取り上げられ,それらを基盤にした日本企業の輸出拡大によって,米国企業の経営が悪化し,従業員のレイオフや工場閉鎖に追い込まれているとの批判が連邦政府,議会,そして米国社会へと広がっていったのである。

「企業の社会的責任」の時代

そうした批判への対応もあり,日本企業はこの時期に米国での現地生産を急拡大した。最も重要な市場である米国において,“Made in Market”を推進することにより,米国での雇用拡大,米国企業との取引拡大を通じて,米国社会の一員となることをめざしたのである。米国現地生産の経験を通じて日本企業が学んだことは多い。

「企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)」もその一つであろう。日本と異なる社会の中で日本国内の延長線上では捉えきれない責任を果たすことが求められた。地域社会における自発的な奉仕活動,慈善的寄付行為,メセナなど芸術文化への支援に長い歴史を有する欧米諸国において,企業は「良き企業市民(Good Corporate Citizen)」であることが日常的に期待された。当時の日本企業は「郷に入っては郷に従え」の立場で,いわば経験を通して受動的に対応していった。

日立総研では,1980年代後半から1990年代初めにかけての日本企業の海外現地生産が急拡大した時代に,NIRA(National Institute for Research Advancement:総合研究開発機構)の支援を得て「海外現地生産時代の企業の社会的責任」,「経済活動のグローバル化と企業文化」という二つの研究プロジェクトを実施している。当時既にグローバル展開していた欧米主要企業のアニュアルレポート分析,アンケート,インタビュー調査などによって,グローバルに事業展開する企業には,追求する共通価値が存在することが明らかになった。それは,経済的価値,社会的価値,倫理的価値であった。

自由主義経済の下で企業が他社との競争を勝ち抜くために効率を高め,製品やサービスの革新を追求することは当然の行為であり,それが経済社会の発展にもつながる。ただし,企業が利益拡大を追求するに際には,公共利益(Public Interest)との調和が前提となる。競争の中で環境問題のような外部不経済やカルテルなどの反競争的活動が行われれば,社会の福利厚生が大きく低下する。したがって,企業が売り上げ,利益など経済的価値を追求する際には,進出した国,地域の法律や社会規範など倫理的価値を順守することが大前提となる。地域社会の文化や慣習に対応して,主体的に地域社会の発展を社会的価値として追求することも期待されていた。

そして,こうした活動は直接あるいは短期的に収益に結実しないとしても中長期の視点に立って実行すべき「啓発された自己利益(Enlightened Self-interest)」として位置づけられていた。

グローバル企業に求められる視座グローバル企業に求められる視座

「地球市民」としての企業経営

翻って経済活動が飛躍的にグローバル化する中で,SDGs(持続可能な開発目標)に象徴される国境を越えた複合的課題にグローバル社会が直面する今日,グローバル企業は各国において地域の「良き企業市民」であるだけでなく,特定の国や地域の利害を超えた「責任ある地球市民」でもあることを再認識する必要がある。2006年に,当時のアナン国連事務総長が提唱した責任投資原則(PRI)を起点に拡大したESG投資は,財務情報だけではなく,環境や社会への責任を果たしているかを投資判断に加え,投資家や運用機関に市場を通じて企業に直接影響力を行使することを求めている。その後2015年には国連がSDGsとして気候変動,貧困,人権問題など17の目標と169項目の達成基準を示し,企業に対しても受動的な社会貢献ではなくより主体的な社会課題解決への行動を促すこととなった。

かつて日本企業が海外現地生産を加速した1980年代後半から1990年代における“Think Globally, Act Locally”は,進出企業にグローバル経営の視点を持ちつつ個々の国や社会の独自性への受動的対応を求めるものであった。しかし,グローバリゼーションが各国の社会にもたらした矛盾の顕在化,地球環境問題の深刻化など現代社会が直面する諸課題は企業の存続基盤にも影響を与えている。国家や地域社会という単位は厳然として存在するものの,地球全体も経済,社会,環境が構成する一つのシステムとして相互に影響を強めながら存続する時代となり,企業も地球的視座に立って自らの活動に責任を持つことが不可欠となっている。

人々のQuality of Lifeを向上させ社会価値を高めることは経済発展に不可欠であり,それを実現することは今後も企業の重要な役割である。デジタル技術に代表されるように技術革新による新たな地平も展望される。一方で,それは「プラネタリーバウンダリー(地球の限界)」と呼ばれる安定的で回復力ある自然の限界を超えるものであってはならない。現代の企業はより主体的に社会価値を高め,地球環境改善へ貢献することにより環境価値を高めることが市場からも期待されている。

近年の世界を見ると,残念ながら地球的課題の深刻化を前に,理性に基づいた健全な政策や国際協力に基づく政府間の合意形成が,国家間の対立と大衆の怒りを背景としたナショナリズムに圧倒される状況となっている。こうした現実を前に企業は立ち尽くすのではなく,「責任ある地球市民」として共有すべき価値観に立って,地域や社会を構成する利害関係者とともに面前の課題と対峙たいじする経営を求められている。何より企業自らの主体的かつ先行的な取り組みと行動,その集積が社会を変え,市場を変え,最終的に世界を変える。“Act Locally, Change Globally”の時代が到来している。

“Act Locally, Change Globally”の時代へ

“Think Globally, Act Locally”の時代,世界地図を見ながら企業戦略を練ったグローバル企業の経営者は,“Act Locally, Change Globally”の時代においては地球全体を俯瞰ふかんするより広い空間軸に立った経営課題への対応を求められている。同時に,企業収益において投資家の期待に応えるという短期的な視点だけでなく,数世代後の人々が生きる地球も変わらず水平線から希望の光がさし込む世界にする責任を担う,長期の時間軸も忘れてはならない。

ガラスの海の向こうには広がりゆく銀河

地球という名の船の誰もが旅人

ひとつしかない私たちの星を守りたい

朝陽が水平線から光の矢を放ち

二人を包んでゆくの瑠璃色の地球

松本隆 作詞

松田聖子「瑠璃色の地球」より

日本音楽著作権協会(出)許諾第2002383-001号

参考文献など

1)
NIRA(総合研究開発機構),日立総研:海外現地生産時代の企業の社会的責任(1988)
2)
NIRA(総合研究開発機構),日立総研:経済活動のグローバル化と企業文化(1994)
3)
Christopher A. Bartlett & Sumantra Ghoshal:Managing Across Borders: The Transnational Solutions, Harvard Business School Press(1989)(吉原英樹監訳:地球市場時代の企業経営 トランスナショナル・マネジメントの構築,日本経済新聞社)
4)
Nancy J. Adler:International Dimensions of Organizational Behavior,PWS-KENT Pub. Co.(1991)(江夏健一,桑名義春監訳:異文化組織のマネジメント,マグロウヒル出版)
5)
梅沢正,上野征洋編:企業文化論を学ぶ人のために,世界思想社(1995)
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