日立評論

水と暮らす

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日立評論

執筆者紹介

加藤 兼司

日立製作所 グローバル渉外統括本部 産業政策本部

目次

水を楽しむ

クラシックギターの技法に,一つの音を細かく連続して弾くトレモロがある。名曲「アルハンブラの思い出」は,この技を駆使して水が流れるようなメロディを奏で,聴く者を魅了する。事実,作者のフランシスコ・タレガはアルハンブラ宮殿のライオンの噴水に触発され,この曲を作った。

スペインの古都グラナダの丘のアルハンブラ宮殿は,イベリア半島のイスラム王朝ナスル朝が建てた。この宮殿はイスラム建築の装飾美と,近くを流れるダロ川から取水した噴水などの水の演出で,訪れた者の目を楽しませる[1]

イスラム法「シャリーア」の原義は「水場への道」を表す。砂漠気候の中東では特に水が重要なため,水を使った娯楽は大きな癒しであり,紀元前3000年メソポタミア文明には,すでに噴水があったと言う。

以来,水はさまざまな形で人々を楽しませてきた。中東の近代都市ドバイにある世界最大級の噴水「ドバイ・ファウンテン」は,世界中の観光客を惹きつける[2]。この噴水の水は,RO(逆浸透)膜とMBR(膜分離活性汚泥法)を組み合わせた日立の再生水プラントより供給されている。また噴水アトラクション分野を拓いたラスベガスのホテル・ベラージオの噴水ショーには,日立グループのサルエアー社製噴水駆動用システムが使用され,この4月にオープンしたシンガポール・チャンギ空港の施設ジュエルの屋内滝「レイン・ボーテックス」の施工に日立アクアテック社が携わるなど,水を使った文化にも日立は関わっている。

人体の70%前後は水で構成されており,水は人々の生存に欠かせない。それゆえ,水との接し方から生まれる価値はさまざまである。日立と水の関わり方を通して,水との暮らし方について考えてみたい。

[1]アルハンブラ宮殿の離宮ヘネラリーフェ庭園

[2]ドバイ・ファウンテン

水を供する

人と水との関わりで,やはり重要なのは生活用水だ。インダス,エジプトなど古代文明の多くが大河のそばで発生したが,人口が増え都市化が進むと水道が必要になる。古代ローマは人口100万人に達したと言われ,早くからティベル川より取水した水道が発達した。市内に敷設された11本の水道の総延長は504 kmにもなる。またローマ人はすでにコンクリートを知っており,水道橋などの建設に使用している。

ローマ帝国では近代に匹敵する水道文化が栄えたが,帝国崩壊に伴い欧州では,こうした文化や技術が途絶える。清浄な水を供給する水道の登場は,産業革命期に都市化が進んだ19世紀後半のロンドンやパリを待たねばならない。

日立は鉱山機械の修理工場として山あい近くで創業した。社業が発展した1930(昭和5)年,利便性を求め常磐線に近い助川町(現 日立市)に新工場を建設する。

工場拡張に伴い,町の人口も急増した。そこで当時の日立工場長・馬場粂夫が,町周辺に150万都市を想定したインフラ整備を計画する。そして1940(昭和15)年に日立全額出資の日立水道会社を設立し,20 kmほど南の久慈川から取水して地域一帯に水を供給した。戦後,この水道会社は日立市に譲渡され,日立市水道局の礎となった。

後年,馬場は「水道の仕事は地味ではあるが,極めて大切なことである」と述べ,工場長時代の大きな思い出と述懐した。創業社長・小平波平の理念「優れた自社技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」を体現した事業である。小平記念館に,この事業への想いを込め馬場が揮毫した「給足以養衆」という扁額が残されている。

現代の話に移ると,インド洋の島国・モルディブ共和国の首都マレは大きな水源がなく,都市住民の生活用水確保に難儀していた。日立は同国政府の要請に応じ,2010年にマレ上下水道会社(MWSC)の経営にも参画し,海水淡水化・配水管網の見える化などに貢献している。MWSCに海水淡水化装置を供給した日立アクアテック社は,東南アジアを中心とした水の確保に苦労する地域での,この装置の普及をめざしている。そこには馬場の「給足以養衆」と通底する思いがある。

水を活かす

水は大きな力を秘める。この力を端的に活かした例が水力発電だ。三島由紀夫の小説『沈める滝』は,物語の大半が山奥のダム建設現場で進む。現場宿舎で建設会社の社員たちがダム建設を巡って議論するシーンがある。ある人物が,技術者はダムというモノづくりに執着して,ダムの効用や社会との関係性を見落とす,結果,効用のみが突出してしまうと説く。

確かにダムは水の活力から大きな効用=経済価値を生むが,同時に環境価値や社会価値を大きく損なう可能性もある。

日本のダム開発と言えば,黒部ダム(通称:黒四ダム)が思い浮かぶ。国立公園に指定された秘境,黒部峡谷での難工事に,施主である関西電力は,当時国立公園を管掌する厚生省環境部などと周辺環境の維持について,幾度も議論を重ねたと言う。環境保全の一環として,3基の発電用水車を据え付けた,高さ40 m,長さ125 m,幅20 m,6階建ての発電施設が,地下150 mの場所に埋設された。当時の日本には,総貯水量2億トンの黒部ダムから,落差545 mで放出される大容量の水を受け止められる水車の実績はなく,2基は西ドイツ・フォイト社製水車が採用された。しかし3基目は,最大出力9万5,000 kW,最高落差580 m,最大水量18.7 m3/sの性能を持つ日立製立軸単輪六射ペルトン水車が採用され,1963年6月より発電を開始した。その実績が認められ,1973年には4基目の日立製水車が据え付けられた。

計画当時の日本は高度成長期を迎え,産業振興と家電の普及が目覚ましかったが,関西地域は恒常的な電力不足に悩まされていた。黒四ダムの電気が,関西の経済成長と市民の文化的な生活向上を支えた。水の持つ活力から,単に経済価値だけでなく,環境価値・社会価値を引き出した関西電力の世紀のプロジェクトの一端に,日立の先人も関わったことは誇らしいことである。

水を浄める

前述の作曲家タレガが3歳のとき,近所の者が彼を側溝に投げ込む事件が起きた。彼が生きた19世紀後半,欧州でも下水道設備は充実しておらず,側溝は汚物まみれだった。この件の影響もあり,彼は徐々に視力を失う。

下水道の歴史は古く,インダス文明のモヘンジョダロ遺跡にその跡が見られる。古代ローマでは,上水路よりも下水路が先に整備された。

19世紀前半,ロンドンには八つの水道会社があったが,多くはテムズ川の生水を取水する一方,下水もテムズ川に垂れ流しであった。1829年チェルシー水道会社が,砂によるろ過を始める。19世紀半ばにロンドンでコレラが蔓延するが,この水道会社の配水地域にコレラの発生が少なかったため,次第に浄水設備を伴う上下水処理場が普及し始めた。

浄水の方法は,砂を使った緩速ろ過のほか,19世紀末に米国で開発された薬品により縣濁物質を凝集させる急速ろ過や,RO膜を使ったろ過,微生物処理によるろ過などがある。

日立は前述のドバイやモルディブなど国内外に多くの上下水処理の実績を持つ。微生物処理では,硝化菌を使って硝化・脱窒処理を効率的に行う省エネルギー型の包括固定化窒素除去システム「ペガサス※)」を開発し,国内やマレーシアの汚泥処理場などへの納入実績がある。

※)
ペガサスは,地方共同法人日本下水道事業団および日立製作所の日本における登録商標である。

水を守る

[3]日立 中央研究所内にある大池

東京西郊の多摩川が武蔵野台地を削り取った,国分寺崖線,府中崖線などの河岸段丘は,この地域の言葉で「ハケ」と呼ばれる。東京の人口が200万人を超えた明治後期から,遠く富士山を望める国分寺崖線上の成城や田園調布に,松方正義,久原房之助など政財界の大立者が別邸を建て始める。

崖下の土地には,そこかしこに台地がろ過した湧水がある。日本映画の全盛期,東宝など大手映画会社がフィルム現像に必要な清冽な水を求め,ハケに撮影所を建てた。黒澤明の『七人の侍』は撮影所に加え,ハケの地勢を活かして周辺でも撮影された。また1963年にサントリーがビール事業を始めるときに,やはり澄明な水を探し,ハケに工場を建てた。荒井由美のヒット曲『中央フリーウェイ』に登場するビール工場「東京・武蔵野ブルワリー」である。ザ・プレミアム・モルツはここで生産されている。ハケの清水が名画と銘酒を支えている。

国分寺崖線沿いに,湧水を集めて流れる小川「野川」がある。その上流には深大寺,国立天文台,野川公園など武蔵野の面影を残す緑地が広がる。

さらに上流には,やはり深い雑木林に囲まれた源泉・大池がある[3]。この辺りにも明治の銀行家・今村繁三の別邸があった。1942年,日立はこの土地に,馬場を初代所長として中央研究所を開設した。今年4月この研究所内に,オープンな協創を通じ,社会課題を解決するイノベーション創生のための施設「協創の森」が開設された。

小平は研究所建設にあたり,武蔵野の自然を残すべく「良い立木は切らずよけて建てよ」と指示した。豊かな水源涵養や清浄な水質保持に,森林保護は欠かせない。彼は中央研究所の目的を,目先の課題解決だけでなく10年後,20年後を目標に置いたというが,水を守るという点でも慧眼であった。日立では水を守る活動として,東京都が推進する「東京水道〜企業の森」活動に賛同し,2017年より山梨県甲州市の森林整備活動に取り組んでいる。

水を治める

[4]黄河と南水北調計画

水は人々の生活に施しを与える反面,時として大きな災いももたらす。

1937年頃,茨城県南地域を豪雨が襲い,土浦周辺が洪水に見舞われた。東京出張の帰りに,この洪水を目撃した馬場は,工場に戻るとすぐに出荷直前のポンプを洪水地域に据え付け,わずか一日で水をかい出したという。

古代中国で夏朝を開いた伝説的な帝禹は黄河治水に功が有り,帝瞬の跡を継いだとされ,治水の神として崇められている。

黄土高原を流れる黄河は,流砂の量が非常に多い。黄河の年間平均流水量は580億立方メートル,平均砂量は16億トンである。もう一つの大河・長江は,流水量9,616億立方メートル,砂量5.3億トンである。黄河は流水量で長江の約1/16だが,砂量は3倍にもなる。このため黄河下流は大量の砂が堆積し天井川となり,頻繁に氾濫した。黄河の治水は,歴代中国の為政者の大きな社会課題であった。

氾濫を繰り返す黄河は,元・明の時代には,南流して淮河と合流し,黄海に注いだ。明の官僚,潘季馴は分散する流れを一つにまとめ,水の勢いで砂を押し流す「束水攻沙」を実践した。この方法は長年治水に成功するが,1855年に黄河は再び大氾濫して流れを変え,現在のように渤海湾に注ぐようになる。

近代に入り流域の人口増大,農・工業発展により,元来水量の少ない黄河に大きな負担が掛かり始める。1972年,水が枯れ下流が干上がる現象「断流」が起き,以後頻発する。

明の始祖・朱元璋の末裔である朱鎔基首相(当時)は2002年,豊富な水量を誇る長江の水を使って断流を制する壮大なプロジェクト「南水北調」を計画する[4]。まさに給足以養衆の深謀遠慮である。

2005年,日立はこのプロジェクト初のポンプ場「宝応ポンプ場」に,3台の可動翼斜流ポンプで,100 m3/sの送水を行う設備を完成させた。さらに日立ポンプ製造(無錫)有限公司が中国メーカーとして当プロジェクトに参画し,54台のポンプを納入するなどしている。

そして,水と暮らす

今回は人と水の関わり,日立の水への接し方を振り返ってみた。改めて,水は人にさまざまな恵みを与えてくれるが,人が水の経済価値にのみ執着すれば,社会価値・環境価値を大きく毀損することを感じた。

これに関して世界最大の環境破壊と呼ばれる例がある。1940年代にソ連が農業生産性向上を主目的に,中央アジアのアラル海に注ぐ河の水を利用した大規模な綿花・水稲栽培を実施した。

ソ連政府は,この綿花などの栽培を計画経済の勝利と世界に喧伝した。しかし1960年代以降アラル海の水が顕著に減少し,世界4位の面積を誇った湖は,いくつかの小さな湖に寸断された。加えて,乾燥地域での強引な灌漑は塩害を引き起こし,農業生産も逓減した。

1930年代に社会主義・自由主義の経済学者間で,計画経済の是非を巡る議論,経済計算論争があった。ポーランド人経済学者オスカル・ランゲが,一般均衡理論を用いて説明した数理計算論に対し,後にノーベル賞を受賞するフリードリヒ・ハイエクは,十分なデータを収集する現実的手段がなく,また人は必ずしも自分の欲求を具体的に自覚しているわけではないとし,机上論に過ぎないと一蹴した。

歴史は,ハイエクの理論の正しさを証明した。しかし,IoTの進化により膨大なデータ入手がより容易になりつつあるSociety 5.0の時代ではどうか。

日立が開発した顧客協創手法「NEXPERIENCE」では,デザイン思考などの手法により,顧客の潜在的なニーズを引き出したり,蓄積されたデータのシミュレーションやAI活用により,一つのイノベーションがどのような連鎖を惹起するかを,より精緻に求めることが可能である。

日立は創業以来,さまざまな形で水と接してきた。その経験を礎に,NEXPERIENCEなどの手法を駆使して,社会価値・環境価値・経済価値をより充実させる新たな水との暮らし方を提案したいと考えている。

その源泉は,小平・馬場の想いが浸透した協創の森にある。

参考文献など

1)
上田新次郎:グローバル水ビジネスへの取り組みと課題,信州大学ものづくり振興会記念講演会(2014.9)
2)
大熊那夫紀,外:水処理事業のグローバル展開,日立評論,93,9,590〜595(2011.9)
3)
沖大幹:水の未来――グローバルリスクと日本,岩波書店(2016.3)
4)
笠原知子:明治・大正期の別邸敷地選定にみる国分寺崖線の風景文化論的研究,公益財団法人東急財団(2009年)
5)
「語り継ぐ日立の心」編集委員会:大洋わたれ 大空かけれ,日立製作所電力システム社(2010.3)
6)
北康利:胆斗の人 太田垣士郎 黒四(クロヨン)で龍になった男,文藝春秋(2018.10)
7)
篠原久文,外:健全な水循環を支える大型ポンプ設備,日立評論,95,8,558〜562(2013.8)
8)
中川良隆:水道が語る古代ローマ繁栄史,鹿島出版会(2009.8)
9)
中野茂夫:企業城下町の都市計画 野田・倉敷・日立の企業戦略,筑波大学出版会(2009.7)
10)
中村千代吉:馬場さんを偲んで,「馬場さんを偲んで」編集委員会(1978.8)
11)
日立製作所 中央研究所30年史編さん委員会:日立製作所中央研究所史1,日立製作所中央研究所(1972.4)
12)
日立ニュース:関西電力株式会社黒部川第四発電所納95,000 kWペルトン水車発電機運転開始,日立評論,44,10(1962.10)
13)
三島由紀夫:沈める滝,新潮文庫(1963.12)
14)
湯浅赳男:文明の中の水 人類最大の資源をめぐる一万年史,新評論(2004.10)
15)
李国英,外:生命体「黄河」の再生,京都大学学術出版会(2011.5)