日立評論

魔法のいらない生活

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日立評論

執筆者紹介

加藤 兼司

日立製作所 グローバル渉外統括本部 産業政策本部

目次

黄金の1960年代

グレートソサエティ

身長196 cmと歴代米国大統領の中でも,とりわけ偉丈夫でありながら,ケネディとニクソンに挟まれたリンドン・B・ジョンソンの印象は薄い。しかし,彼が推進した「グレートソサエティ」計画は,今,見返すべき政策だ。

彼が大統領になる直前の1964年9月に始まった『奥様は魔女』は,米国に加え,欧州や日本などの各国で人気を博したテレビ番組である。

このドラマは,やや保守的な夫ダーリンと魔女の妻サマンサ,そして彼らを取り巻く家族や近所の住人が巻き起こすコメディだ。妻は,家事で楽をするための魔法は使わない,と保守的な夫に約束する。しかし,魔法を使わずとも,最新のシステムキッチン,冷蔵庫,洗濯機などが,重労働から妻を解放する。世界の視聴者は,最先端の家電やファッションに魅了された。

1960年代,先進国は好景気に沸き,消費社会が到来した。米国では世界に先駆けて1920年代から自動車や家電などが普及し始め,他国の憧れになった。1959年にモスクワで開催されたアメリカ博覧会のモデルキッチンで,当時の米国副大統領ニクソンが,ソ連首相フルシチョフに電化された米国の生活を紹介すると,フルシチョフは皮肉を返すのが精一杯だったという。世に言う「キッチン討論」である。

このモノにあふれる社会を,経済学者のガルブレイスは1958年の著書で「ゆたかな社会」と皮肉を込めて呼んだ。社会全体は豊かだったが,米国は差別や格差など,多くの課題に直面していた。

これらの課題克服を目論んだのが,グレートソサエティ計画だ。公民権法,高齢者医療保障(メディケア),貧困家庭医療扶助(メディケイド),教育,環境保全など,計画は広範にわたる。

この時代は,工業社会から情報社会への転換期,Society 4.0の黎明期だ。ジョンソンが挑んだ課題は,未だ現代に積み残されたものもある。

Society 5.0時代の現在に残る課題をいかに解決するか。そのためにも,この計画は今一度,見直されてよい。

文化に貢献する電気製品を作る

日立の創業者・小平浪平は,後に家電の中心工場の一つとなる多賀工場を設立するとき,「文化に貢献する電気製品の生産」を社員に呼びかけた。

1955(昭和30)年,日立は家電事業に本格参入する。このとき,家電事業の指揮を執った副社長の大西定彦は,カント研究や良心論など倫理研究で多くの論考を残し,日本哲学の父と呼ばれた大西祝を父に持つ。

重電製品と違い家電製品は,広告が重要だ。早世した父の著作を愛読した大西が,広告スローガンに選んだのは「電化で築く家庭の幸福」である。以来,日立の家電事業は「文化に貢献する」と「家庭の幸福」の二つの理念を基礎とする。

本稿では,小平の示した文化や大西が捉えた幸福を念頭に,モノからコトへと移行した社会で,日立の果たすべき使命を考えたい。

文化と幸福

多文化を理解する

[1]意匠研究所でのディスカッション

産業革命以前の社会Society 2.0では,家庭内の仕事=家政は妻と夫が共同した。日本の昔話に「お爺さんは山へ柴刈りに,お婆さんは川へ洗濯に」という定番のセリフがある。柴刈りは,薪や木工の材料となる雑木集めのことだ。炊事は,夫が燃料(薪)や道具・食材を準備し,妻が調理を担うことで完結していた。

しかし,産業革命以降,燃料(石炭・電気)や道具は工場で生産された。夫は家を出て工場に勤め,家庭には妻の仕事だけが残った。

日立は創業当初から,家の外に出された夫の仕事=産業の電化に努めた。妻の仕事=家事の電化に着手したとき,大西たちはデザインの重要性を認識した。そこで,1957年にデザインを担う意匠研究所が,家電関係者3名でスタートした[1]。すぐに中途採用で山本七恵が,新人として東京藝術大学卒の橋本多紀子が入社する。1962年には,使う立場から製品評価を行う実用試験課が研究所に設置され,家政学専攻の女性が数多く入社した。

家電は生活に密着するゆえ,女性の視点に加え,各土地の風土や歴史などに基づく生活習慣を深く理解する必要がある。

1971年設立の家電製造拠点Hitachi Consumer Products(Thailand),Ltd.(HCPT)は,東南アジア,インド,中東など世界70か国に製品を供給している[2][3]

風土や歴史が違えば,生活は大きく異なる。掃除機の場合,砂漠地帯のサウジアラビアでは砂を吸い取る機能が重要だが,トルコなど絨毯文化の地域は,毛足の長い絨毯への対応が必要だ。同様に服が違えば洗濯機の,食材が違えば冷蔵庫の仕様変更が必要だ。

異なる生活習慣を理解するため,家電のセールスマーケターとデザイナーが,各地の生活実態調査を行ってきた。それは,個別に家庭訪問して,掃除機のゴミを収拾するなど地道な作業である。

こうして収集した情報を,すべて満たすのは難しい。そこで,各地のメーカーとの協業も必要となる。だが,ここで重要なのが,モノづくりの哲学である。どれほど力のある企業でも,「文化に貢献する」,「家庭を幸福にする」という理念に共感できない相手と組むのは難しい。

[2]世界70か国に製品展開するHCPT

[3]女性が活躍するHCPTオフィス

幸福について考える

洗濯機の登場以前,人力だけで洗い・すすぎ・脱水を行わねばならなかった。ドイツ語圏の集合住宅には,地下室に共用ランドリーが見受けられる。かつて,そこに共用洗濯釜があった。女性たちは4日もかけて,熱した灰汁で何度も洗濯物の煮沸を繰り返した。濡れて重くなった洗濯物を抱えて階段を登り,各戸のベランダに干した。気の遠くなる重労働だ。洗濯機は,女性を過酷な労働から解放した。

モノが十分にはない時代,家電の供給が,家庭の幸福に貢献できた。しかしコトの時代に,日立は家庭の幸福に貢献できるのか。

幸福度を測定する指標に,ギャラップ社の世界幸福指標(Global Well-being Index: GWBI)がある。GWBIでは,(1)人生目標への動機付けなどを測る意義の幸福,(2)家族・友人との関係を見る社会的幸福,(3)雇用状況などから判断する財政的幸福,(4)地域への愛着度などを測る地域の幸福,(5)モノの豊かさに加え,健康な生活なども含む物質的幸福の五つの側面から幸福度を測る。

事業活動に加え,企業活動や,これまで生活実態調査などを通じて積み上げてきた知見を活用すれば,さらなる幸福への貢献が可能だろう。

企業として文化と幸福に貢献する

キューポラのある街

吉永小百合主演の『キューポラのある街』(1962年)は,鋳物産業の街・川口を舞台に,当時の社会課題を扱った映画である。主人公の父は,頑固な鋳物職人。作業中の事故がもとで,少し身体が不自由だ。

映画公開2年後の東京オリンピックの聖火台を,この街の職人が手掛けたように,川口の鋳物産業は最盛期を迎えていた。しかし当時の社会課題の一つは中小企業の底上げで,主人公の父が勤める町工場にも業界再編,FA(Factory Automation)化の波が訪れる。身体が不自由な彼は失職し,新技術にも適応できず翻弄される。

そんな父を見て,主人公は高校進学をためらう。映画の終章,日立の半導体製造拠点の武蔵工場を同級生と見学した彼女は,働きながら定時制高校に通う数多の女性を見て,自分も同じ道を歩む決意を固める。

成長産業と企業内学校

半導体は当時の成長産業で,精緻な作業に適した多数の女性が活躍し,彼女たちはトランジタスタガールと呼ばれた。当時,日本の高校進学率は,ようやく50%程度。映画同様に中学卒の女性も多かった。そこで,日立では,武蔵工場やテレビ製造の横浜工場,冷蔵庫製造の栃木工場などで,高卒資格の取れる企業内女子高や,ワーキングマザーのための幼稚園などを開設した。

グレートソサエティ計画でも,未熟練労働者がFA化に適応するための新しいスキル習得が課題となるなど,教育は先進国共通の課題であった。

進学率が上昇し公的支援も充実すると,企業内学校などは使命を終えた場合もあるが,日立は企業活動を通じて,さまざまな幸福にも貢献してきた。

地域の強み:ソーシャルキャピタル

また当時,家電品の価格はまだまだ高額だった。1958年のサラリーマンの平均月収16,608円に対し,日立の冷蔵庫Zircon Bearの価格は54,000円だ。そこで日立は,1957年,東京,大阪で割賦金融サービス事業も開始した。現在の日立キャピタル株式会社の起源である。

元来,日本には無尽・頼母子講などの財政的相互扶助の仕組みがあった。一部は相互銀行(現在の第二地銀)として残ったが,多くは明治以降に消滅した。

こうした仕組みは,回転型貯蓄信用講と呼ばれ,東アジアに特徴的である。インドネシアには現在もアリサンという仕組みがあり,低所得者でも仲間同士で負担し合い,バイクやPCなどを購入している。地域の幸福への貢献には,こうしたソーシャルキャピタルも視野に入れた活動が重要だ。

新しい社会をデザインするのは誰か?

Society 5.0のデザイン

前述のように家庭外の仕事は夫,家庭内の仕事は妻という役割は,Society 3.0の古い規範で,Society 4.0の社会には既に合わなくなっていた。

第二次大戦中,多くの男性が戦場に赴くと,労働力補充のため,女性が社会で働く習慣が定着した。戦後に新しい産業が勃興すると,トランジスタガールのように,数多くの女性が働き始めた。

政治の世界でも,1960年に中山マサが日本初の女性閣僚として厚生大臣に就任した。同じ年,セイロン(現 スリランカ)のシリマヴォ・バンダラナイケは,世界初の女性首相に就任した。

『奥様は魔女』はコメディだが,世相を反映したストーリーが埋め込んである。例えば,魔女は宗教的マイノリティを意味する。女性の社会進出を受け,サマンサは魔法の国の女王に即位して公務を執るが,それが原因で夫とけんかになる。サマンサ役の女優エリザベス・モンゴメリーは,番組中に3子を出産したワーキングマザーだ。番組も,この事実を生かしてサマンサがタバサとアダムの二人を出産し,ワーキングマザーとなる。

産業革命時の価値観は,確実に古びた。1980年代にレーガン政権が,米国の産業力強化のためさまざまな政策を打つ。1987年には米国政府の委託で,ハドソン研究所のビル・ジョンストンらが「Workforce 2000」というレポートを発行した。このレポートは,白人男性中心の企業組織の限界を唱える。

ここから米国企業のダイバーシティ対応が始まるが,先進的に思える米国企業の対応も,ビル&メリンダ・ゲイツ財団のメリンダ・ゲイツ共同会長から見れば,十分ではない。

彼女は近著『The Moment of Lift』で,あるアフリカ系女性コンピュータ科学者のエピソードを紹介する。その女性は,顔認証ソフトを使用すると,自分だけ認証エラーとなる事態に何度か遭遇する。女性は,ソフト開発者が,無意識に開発者と近い属性に最適化したプログラムを組んだと推定した。

ソフトが「認証しない人」は,ある日突然,預金引き出しも,入管通過も不可能になるかもしれない。ゆえにゲイツ氏は,AI(Artificial Intelligence)やロボットが主軸となる時代に,ソフト開発でダイバーシティが確保されないことへ警鐘を鳴らす。確かに,新たな社会課題を生まぬよう,データ駆動型社会のアーキテクチャデザインには,ダイバーシティの確保は必須だ。

家庭から社会へ−360°ハピネス−

日立の意匠研究所は,デザイン研究所,デザイン本部と名を変えたが,山本,橋本が切り拓いた道は,今も続く。2014年デザイン本部長となった鹿志村香は,学生時代から『誰のためのデザイン?』などで著名な心理学者ドナルド・ノーマンの論文に親しみ,人間中心のデザインを探求し続けていた。現在,彼女は,日立グローバルライフソリューションズ株式会社取締役・CLO(Chief Lumada Officer)として,単身高齢者向け見守りサービス「ドシテル」の提供をはじめ,IoT・デジタル技術を活用してQoL(Quality of Life)向上をめざすスマートライフ事業の開発に従事している。

日本は2021年頃から団塊の世代が後期高齢者となる。この超高齢化社会で,人々が健康で幸福に過ごすには,「夫は会社・妻は家庭」型の社会デザインでは間に合わず,さまざまな違いを超克したデザインが必要だ。そのためには,一層のダイバーシティが要求される。今,家電事業のスローガンは,大西の言葉を昇華させた「360°ハピネス 〜ひとりひとりに,うれしい暮らしを〜」である。

新しい社会に向けて

Global Women’s Summit

[4]第3回Global Women’s Summit(シンガポール)

日立ではダイバーシティ推進を経営戦略に取り入れ,多彩な人財が活躍できる環境づくりのため,意識改革をはじめさまざまな取り組みを進めてきた。日本だけでなく,グローバルでも取り組んでおり,その一つに全世界の日立グループ女性社員が集うGlobal Women’s Summitがある。毎年場所を変え開催し,2018年はシンガポールに,社長の東原敏昭を含め世界17か国から170名の社員が集った[4]

スタンフォード大学のグラノヴェッダー教授の「弱い紐帯の強み」説によれば,イノベーションのヒントは,家族や友人,同じ職場の仲間より,ちょっとした知り合いなど,つながりの弱い人からもたらされる可能性が高いと言う。

日立は,全世界に多様な業種を抱える。仕事内容も,住む地域の習慣も違う女性社員たちが集うこのサミットに,新たな社会に見合うイノベーション創生を期待したい。

社会との連携

社会や地域の幸福などを追求するには,やはり政府や地域社会などさまざまなパートナーとの連携が重要だ。

12億の人口を抱えるインドは,大都市と地方のインフラ格差を含め,さまざまな格差が社会課題だ。2014年にモディ政権が成立すると,これらの課題解決に向け,行政サービスを電子化する「Digital India」や金融サービスを全国に普及させる金融包摂政策「Pradhan Mantri Jan Dhan Yojana」(PMJDY)を開始した。

PMJDYでは,あらゆる人が銀行口座を持つことで,農村でも大都市同様の金融サービスを受けられることを企図する。インドでATM約6万台,POSシステム約100万台を運用する日立ペイメントサービス社(HPY)は,政府の動きに呼応し,最大手の国営銀行インドステイト銀行と合弁会社を設立し,新たな電子決済サービス事業の開発をめざしている。

PMJDY促進に一役買っているのが,インドの国民識別番号制度「Aadhaar」を核としたプラットフォーム「India Stack」だ。世界が注目するIndia Stackは,個人認証,電子署名,口座間送金などのサービスをオープンAPI(Application Programming Interface)で提供する。

HPYでは既にサービスの一部としてIndia Stackでの決済が可能な端末を提供しているが,India Stackによる決済の急成長に鑑み,さらなる開発を進めている。

魔法のいらない生活

Society 3.0時代,夫は会社,妻は家事という役割ができた。サマンサの時代には,魔法を使わずとも,最新家電が家庭を幸福に導けた。Society 5.0では,誰もが会社・家庭・地域社会を行き来するゆえ,魔法の代わりに企業・政府・地域社会などが連携し,社会全体の幸福をめざす必要がある。

そのためにも,まず日立が,新しい社会の幸福に貢献できるよう,さまざまな施策を通じて組織を変えていく。

そして,家電のセールスマーケターたちが足で集めた生活情報や世界各地の日立グループの知見を生かして,経団連や日本政府,各国政府へ新しい社会デザインの提言活動を進めていきたい。

2019年のGlobal Women’s Summitは,10月に東京開催の予定で,主に海外からの参加者を対象に日立創業の地を訪れるツアーも計画されている。

今後,我々は,さまざまな価値観を持った多くの人々と交流していく。そのとき,我々が最も大切にしたいのは,小平や大西が残した哲学である。

この哲学があれば,魔法はいらない。

参考文献など

1)
大西定彦:父操山から学ぶ,大西さんの遺稿,「大西さんの遺稿」編集委員会(1970.4)
2)
尾ア俊哉:ダイバーシティ・マネジメント入門 経営戦略としての多様性,ナカニシヤ出版(2017.4)
3)
小島庸平:無尽講と金融,経済社会の歴史,名古屋大学出版会(2017.12)
4)
末次俊之:リンドン・B.ジョンソン大統領と「偉大な社会」計画 “ニューディール社会福祉体制”の確立と限界,専修大学出版局(2012.3)
5)
村山伸子,外:QOLと現代社会 「生活の質」を高める条件を学際的に研究する,明石書店(2017.2)
6)
森明子:洗濯機以前と以後,日用品の二十世紀 20世紀における諸民族文化の伝統と変容,ドメス出版(2003.4)
7)
デザイン研究所25年史編集委員会:デザイン研究所25年のあゆみ,日立製作所 家電事業本部 デザイン研究所(1983.5)
8)
日立グラフ第四巻第四号,日立評論社(1961.6)
9)
ルース・シュウォーツ・コーワン(高橋雄造訳):お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史,法政大学出版局(2010.10)
10)
ハービー・J・ピラト(庄野勢津子,外訳):「奥さまは魔女」よ,永遠に,ワニマガジン社(1998.4)
11)
Leena Datwani: India’s Push for Financial Inclusion: The Story Two Years On, CGAP (2017.2)
12)
Melinda Gates: The Moment of Lift: How Empowering Women Changes the World,Flatiron Books (2019.4)
13)
インディア・スタック事例から考えるSociety5.0時代のガバナンス《前編》〜AI/SUM Report 10 (2019年7月参照)
14)
思想家紹介 大西祝,京都大学大学院文学研究科・文学部ウェブサイト(2019年7月参照)
15)
篠田真希子:コードとダイバーシティー ("The Moment of Lift" by Melinda Gates)|きのう,なに読んだ?(2019年7月参照)
その他,多賀・栃木・横浜・武蔵の各工場史を参照した。