日立評論

SDGsを推す力

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日立評論

執筆者紹介

加藤 兼司

  • 日立製作所 グローバル渉外統括本部 産業政策本部

目次

大煙突と桜の街 日立市

日立創業期の幹部,高尾直三郎は第一高等学校(一高)を経て東京帝国大学に入学後,1908(明治41)年に日立鉱山で実習する。同じ年,彼の一高時代の英語講師である夏目漱石が小説『坑夫』の新聞連載を始める。

鉱山の過酷な現場を描いたこの小説は,足尾銅山がモデルとされる。当時,足尾,別子,日立は三大銅山と呼ばれたが,これら銅山はさまざまな環境破壊も起こした。

足尾は,ばい煙や鉱毒などによる日本初の公害として知られる。別子でも煙害により,鉱山と地域が激しく対立した。

日立鉱山も例外ではない。1909年に日立鉱山に入社した高尾は「風吹けば硫黄の煙来る日ありのどをこらえてコイルひた捲く」※1)と詠んだ。のちに彼は「風吹けば」は歌調を整えるためで,実際は毎日ばい煙に苦しんだと述懐している。

[1]日立市平和通りの桜[1]日立市平和通りの桜

しかし,日立鉱山創業者の久原房之助は,地域との対立ではなく対話を選び,ばい煙撲滅のため社運を賭け,さまざまな投資を行った。周辺農地をくまなく調査し,被害農家に補償金を支払い,また農事試験場を設立し,ばい煙に強い植物を研究した。この成果を基に,ばい煙で山林を失った場所に,ばい煙に強いオオシマザクラを推定260万本も植林した。さらに周辺の山々に気象観測所を設置し,観測気球を飛ばすなどして,煙の流れ,高高度の風向などを調査した。久原は巨費を投じて三つの煙突を建設したが,いずれも煙害を抑止できなかった。そこで久原は気象観測データを基に,高さ約156 mの煙突建設を決意する。のちに日立市民から「大煙突」と親しまれたこの煙突の稼働により,煙害は激減した。

こうした日立鉱山の環境保全の努力は,1996年に茨城県つくば市で開催された「酸性雨国際シンポジウム」で,ケニス・E・ウイルケニング教授が,世界の環境問題解決に向けた啓発的な活動であると発表し,国際的にも知られるようになった。

日立鉱山は,地域の希望者へ桜の苗木を無償提供し,1937年までに約500万本の苗木が提供された。ばい煙対策の実務を担った日立鉱山の角弥太郎を深く尊敬した高尾は,角の偉業を記念して市内に桜塚を建立した。現在,日立市は桜の街として知られる[1]

※1)
高尾直三郎『日立回想録』p.139

スモッグと金融の街 ロンドン

漱石は一高赴任前,1900年から2年間英国に留学した。英国はビクトリア朝時代末期で,産業革命の技術革新が,産業分野から市民生活にまで及び始めた時代である。霧の都ロンドンの空は,工場や一般家庭の煙突からのばい煙に霞み,漱石は日記に「倫敦の町を散歩して試みに痰を吐きて見よ真黒なる塊りの出るに驚くべし」※2)と記している。

久原が日立鉱山を取得した1905年,ロンドンで公衆衛生会議が開催され,ばい煙を含む霧をスモッグと名付けた。また日立が創業した1910年のロンドンを舞台とした映画『メリー・ポピンズ』は,煙突掃除人の労働を明るく歌い上げた劇中歌「チム・チム・チェリー」をはじめ,煙突や煙がモチーフとなっている。

映画の中で大物銀行家が「金融が安泰なら,英国は安泰だ」と語るシーンがある。産業革命の先陣を切り,世界の工場と謳われた英国は,実は恒常的に貿易赤字だったが,その穴を埋めたのがロンドンの金融業であった。

重商主義の時代に貿易大国となった英国で,世界初の株式会社,東インド会社が1600年に設立されると,株式会社に資金提供するさまざまな金融機関が現れた。海運業者の集うコーヒーハウスからロイズが生まれ,近代的な保険制度が整えられた。やがてロイズは海運情報集約のため世界の港湾に電信網を張り巡らす。こうして近代資本主義に必要な金融の制度・技術は主にロンドンで発展した。現在,Brexitを奇禍にロンドンから大陸に拠点を移す金融機関の動きもあるが,長い年月を経て作られたロンドンの金融クラスターに代わる中心地は,すぐには現れないかもしれない。

※2)
平岡敏夫編『漱石日記』p.26

ESGとロンドン

[2]ESGとSDGsの位置づけ[2]ESGとSDGsの位置づけ

2020年1月の第50回ダボス会議のテーマが「持続可能で結束力ある世界のためのステークホルダー(Stakeholders for a Cohesive and Sustainable World)」であったように,近年,サステナビリティ(持続可能性)は世界の最重要関心事項の一つだ。その象徴が,言うまでもなく2015年の国連総会で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)である。

同じく関心高まるESG(Environment, Social, Governance)は環境・社会・ガバナンスの観点で,企業がステークホルダーと良好な関係を維持する概念で,SDGs達成のための企業の活動指針としても活用できる[2]

ESGは2006年にアナン国連事務総長(当時)が,金融機関の投資先選択のために提唱した考えが基である。この概念を明文化したのが責任投資原則(PRI:Principles for Responsible Investment)だ。日本では2015年GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がPRIに署名してから,その投資残高が急増している。

このPRI推進団体の本部はロンドンにある。PRIより前に,これと方向性を同じくする社会的責任投資(SRI:Socially Responsible Investment)という概念があり,ロンドンの金融クラスターにSRIのノウハウ集積があったことが大きい。

ESGの投資手法にはネガティブスクリーニング,インテグレーション等々の手法がある[3]

ESG投資残高が最も多いネガティブスクリーニングは,ESG基準で問題のある事業を投資対象から外す手法だ。この手法は,一般に1920年代に米国,英国のメソジスト派教会が,教会の建設や維持のための資産運用にあたり,聖書の倫理に基づいてアルコール,ギャンブルなどの産業への投資を忌避したのが最初とされる。ESG投資の主要な担い手である年金基金は,投資から利益回収までの期間が長いため,長期視点で投資に臨める。欧州には完成まで数世紀に及ぶ寺院があるように,教会の資産運用も長期視点に立つ。

余談だが,ローマのサンピエトロ大聖堂の建築・改修費は,ローマ教皇レオ10世が1515年に発行した贖宥状で賄われた。ドイツの鉱山町マンスフェルトの坑夫を振り出しに,努力と倹約の末に銅精錬業者として財を築いた父を見て育ったマルチン・ルターは,この贖宥状に宗教上の疑問を持ち,95箇条の提題を発表した。宗教改革の始まりである。英国の宗教改革の端緒はエドワード8世の離婚問題だが,その背景には主権国家として英国がローマ教皇の影響から脱するという意味がある。大陸でプロテスタントとなった諸侯にも,教皇からの独立の意図があった。近年のBrexitやEU(欧州連合)の求心力のゆらぎと比べて興味深い。

ネガティブスクリーニングに戻ると,メソジストの思想の根底には,英国国教会の司祭で信仰復興運動(メソジスト運動)の創始者ジョン・ウェスレーによる1760年の説教集の一章「金銭の使い方」がある。ウェスレーはその中で飲酒とギャンブルを戒め,「できる限り多くの利益を得」,「できる限り節約し」,「できる限り他者に与えよ」としている。彼の説教は聖書の「不正な管理人のたとえ」(ルカによる福音書16章)などにある「管理者責任(スチュワードシップ)」に由来する。神は人をこの世のものの管理者として創ったゆえ,人は託された信頼に応え,しっかり管理すべしという教えだ。

ウェスレーの言葉は,現代にも影響を及ぼす。英国のSRIに拍車を掛けた2000年の年金法改正にあたり,ブレア政権のティムス年金担当相が議会で,「金銭の使い方」を引用し,2008年のリーマンショックを契機に,英国で金融機関のガバナンス強化のためスチュワードシップコードが制定された。

[3]ESGの投資手法[3]ESGの投資手法

狂騒の20年代:100年前の二都物語

ESGの萌芽があった1920年代,米国では技術革新が社会を大きく変えた。電力網,高速道路などのインフラが整備され,ニューヨークに超高層ビルが建ち,都市化が進む。自動車,映画,ラジオなどの新技術・製品の出現に人々は酔いしれ,大衆消費社会が到来した。「狂騒の20年代」と呼ばれるこの時代,連邦憲法修正19条が成立し,女性参政権が確立するなど女性の社会進出が進む一方で,移民排斥感情も増し,移民法が成立した。

こうした社会状況を作家フィッツジェラルドは『グレート・ギャツビー』(1925年)の中で余すところなく描いた。謎の富豪ギャツビーの大邸宅では,毎週末,着飾った人々が集い,夜通しパーティーが開かれた。勤勉で,若くして富豪となった彼はアメリカンドリームを象徴する人物のように見えたが,実は酒の密売で富を得た。米国ではメソジストなど厳格なキリスト者の運動の結果,1919年に禁酒法が成立している。

小説の中で,ギャツビーが密かにフランクリンを範としていたことがうかがえる。実業家,政治家などさまざまな顔を持ち,米国建国の父として知られるベンジャミン・フランクリンだ。

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)で,その倫理と精神を体現した成功者として彼を挙げている。ウェーバーはカルヴァン派や,その教義の影響を受けたメソジストなどピューリタンと呼ばれるプロテスタントの禁欲的で勤勉な倫理観が,近代資本主義を作り出したとする。

しかし,密造酒で富を得たギャツビーに,フランクリンのような宗教的倫理感はない。実はウェーバーの結論もここにある。ウェーバーは,前掲書で自らの言説の要約としてウェスレーの言葉「私が懸念しているのは,富が増大すると,その分だけ宗教の実質が減少してしまうことである」※3)を引用し,続いて「金銭の使い方」に言及する。さらに資本主義が最も発達した米国では,営利活動が宗教的・倫理的意味合いを失い,時にはスポーツ感覚で行われていると憂う。

狂騒の時代を誰もが楽しんだわけではなく,社会の混乱の中で宗教的倫理に救いを求める人々もいた。米国のESGはそうした時代背景の下に生まれた。

一方,英国では,第一次大戦を経て米国に世界の覇権が移り,石炭から石油へのエネルギー革命により,重要産業であった石炭産業が衰退の兆しを見せる。長年,保守党・自由党の二大政党が立憲政治を維持してきたが,産業革命の進行に伴い増加する労働者の権利拡大に努めた自由党は,皮肉にも労働者の要求に十分応えられず,1922年のロイド・ジョージ退任後,労働党に取って代わられた。

こうした社会情勢下で出版された『チャタレイ夫人の恋人』(1928年)が,スキャンダルを呼んだのは,大胆な性描写だけが理由ではなく,クリフォード・チャタレイ準男爵の令夫人コニーと森番メラーズの「階級」を越えた道ならぬ恋を描いた点にある。非英国国教徒であるピューリタンの庶民階級に生まれ,小学校を卒業すると刻苦勉励,独学で弁護士となったロイド・ジョージが首相に昇り詰めても,英国はいまだ階級社会だった。

作者のD・H・ロレンスは坑夫の父と敬虔なメソジストの母の間に生まれ,炭坑町で育った。1926年のゼネストで坑夫の悲惨な生活を目にした彼は,この作品の執筆を思いたつ。

クリフォードは,領邦テバーシャル村の炭坑再建に尽力するが,貴族主義の彼は,久原とは対照的に地域との対話もせず,坑夫たちをローマ時代の奴隷と同等にみなす。コニーは,領邦の森でメラーズと出会い「生」を取り戻す。英国の森はエネルギー源として,17世紀には伐採され尽くしたが,18世紀にコークスが普及したおかげで,森は再生される。ロレンスは,森を生の象徴と捉えた。

ピューリタンの禁欲さに反発したロレンスも,坑夫たちの境遇に同情はするが,米国の狂騒が伝わり浪費を覚えた彼らに共感はしない。メラーズの口を借りて,生活することと消費することの違いを説き,質実でも楽しく生活できると述べる。

やはり英国でも,すべての人がバブルに浮かれたわけではなく,階級格差や環境破壊に直面して,より自然的な生き方を求める人々がいた。英国のESGもそうした時代背景の下に生まれた。

※3)
マックス・ウェーバー(中山元 訳)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』p.475

SDGsを推進するエネルギー

2019年10月,英国で改訂版の「スチュワードシップコード2020」が発表された。同コードには,気候変動を含むESGが明記され,投資先企業のESGへの意識が一層強く問われることになる。前述したようにESGの基礎は,聖書に由来する。ウェスレーの考えは我々にも受け入れやすいが,日立にはさまざまな経歴の約30万人の社員がおり,さらに多様なステークホルダーとも関係する。ダイバーシティ&インクルージョンを考慮すると,やはり自分の言葉でESGを捉える必要がある。

日立の企業理念は「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」である。また日立創業の精神は「和」,「誠」,「開拓者精神」だ。高尾は,その中でも和を第一に挙げる。ダイバーシティという言葉もない時代に,彼は和の重要性について「会社にはいろいろの方面のいろいろの特徴と性格の人が,互いに他人の特徴を認め,他人を尊敬し,手を握って,仲良く相和してゆくことが必要となる」※4)と述べている。

そして,日立製作所社長の東原敏昭は「日立 統合報告書2019」の中で「これまで社員に『Show me cash!』と言い続けてきましたが,利益の先に何があるのかを示す必要がある」,「人生の大半の時間を仕事に費やすなら,それを通じて人々や社会が喜んでいる姿を実感できること。目の前の仕事を通じて,人々や社会に役立っている――。すなわち社会価値,環境価値への貢献が,自分自身の成長や働きがいの大きな原動力となる」※5)と述べている。これらの言葉はウェスレーの思想とも相和し,特定の経歴などに依拠せず,多くの人が共感できるものだと思う。

[4]日立の環境ビジョンと環境長期目標[4]日立の環境ビジョンと環境長期目標

また2021中期経営計画では,社会イノベーション事業を通じた「社会価値」,「環境価値」,「経済価値」の向上を明記している。環境について付記すると,日立は環境負荷低減に対する国際社会の要請を踏まえた経営戦略「環境ビジョン」を策定し,このビジョンの下2016年に「低炭素社会」,「高度循環社会」,「自然共生社会」の実現をめざして2030年・2050年を見据えた環境長期目標「日立環境イノベーション2050」を発表した[4]

さらに森林保全に言及すると,日立では東京都水道局の「みんなでつくる水源の森実施計画」の一環の「東京水道〜企業の森」活動趣旨に賛同し,2017年から水道水源林内の森林整備活動に従事しており,また日立グループとして日本,中国,ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国,英国,米国,ドイツなどで,さまざまな形で植樹・森林保全活動に取り組んでいる。

今年2020年は,日立が日立鉱山から独立,法人化して100周年となる。奇しくもESGは,ほぼ同時期に生まれた。100年前に日立の親会社たる日立鉱山が,また小平や高尾など創業幹部に多大な影響を与えた久原や角弥太郎たちが,ステークホルダーとどう対話し,何のために投資を行ったかを,角たちが植えた日立市の桜を愛でながら思い起こしたい。

現在と同じく混乱の極みにあった100年前の先人の偉業は,持続可能な社会の貢献に向けて,世界中の人々が望む「良いこと」に,ステークホルダーと共に力を注がんとする日立を推すエネルギーとなるだろう。

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※4)
高尾直三郎『日立回想録』p.144
※5)
『日立 統合報告書2019』p.13

参考文献など

1)
相浦玲子:漱石の英国留学とその成果のゆくえ,滋賀医科大学基礎学研究11巻(2001.3)
2)
川崎寿彦:森のイングランド,平凡社(1987.5)
3)
北川哲雄,外:ガバナンス革命の新たなロードマップ,東洋経済新報社(2017.7)
4)
黒田一賢:ビジネスパーソンのためのESGの教科書,日経BP(2019.5)
5)
株式会社ジャパンエナジー・日鉱金属株式会社:大煙突の記録―日立鉱山煙害対策史―(1994.2)
6)
高尾直三郎:日立回想録,日立印刷株式会社(1985.2)
7)
夏目漱石:坑夫,新潮社(1976.7)
8)
日立製作所:日立 統合報告書2019(2019.9)
9)
日立市報2018年3月5日号,茨城県日立市市長公室 広聴広報課
10)
平岡敏夫 編:漱石日記,岩波文庫(1990.2)
11)
三浦豊彦:自然と環境―快適環境のフォークロア―,労働科学67巻4号
12)
村上芽,渡辺珠子:SDGs入門,日本経済新聞出版社(2019.6)
13)
ピーター・クラーク(西沢保 他,訳):イギリス現代史1900-2000,名古屋大学出版会(2004.8)
14)
F・スコット・フィツジェラルド(野崎孝 訳):グレート・ギャツビー,新潮社(1974.6)
15)
D・H・ロレンス(伊藤整 訳):チャタレイ夫人の恋人,新潮社(1996.11)
16)
リチャード・ローズ(秋山勝 訳):エネルギーの400年史,草思社(2019.7)
17)
マックス・ウェーバー(中山元 訳):プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神,日経BP社(2010.1)
18)
Kenneth E. Wilkening: Acid Rain Science and Politics in Japan: A History of Knowledge and Action toward Sustainability(Politics, Science, and the Environment), The MIT Press(2004.5)
19)
Global Sustainable Investment Alliance: Global Sustainable Investment Review 2018(2018.3)
20)
一般社団法人常陸太田市観光物産協会:日立の大煙突(公害対策)を通して環境を学ぶ(日立市),(2020年1月参照)