日立評論

ブルネルの夢

快適なモビリティを実現する

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日立評論

執筆者紹介

加藤 兼司

  • 日立製作所 グローバル渉外統括本部 産業政策本部

目次

偉大なる技術者I・K・ブルネル

ヒースロー空港に降り立って,思わずため息が出るのは,長い長い入国審査の行列に出くわしたときだ。人種のるつぼと言われるロンドンの玄関口だけあって,ヨーロッパはもとより,中東,アフリカ,アジア,北米,南米と世界のあらゆる地域から来た人々で,審査場はごった返す。普通で1時間,運悪く到着便が重なってしまうと,2時間以上待たされることもある。長旅の疲れがいや増す。しかし,そこから先は快適である。空港と都心を結ぶヒースロー・エクスプレスが引っ切りなしに発着し,ものの15分でロンドンの主要駅の一つ,パディントン駅に到着する。

[1]イザムバード・キングダム・ブルネル [1]イザムバード・キングダム・ブルネル

三連のかまぼこ型の大屋根で覆われた駅舎の下に,何本もの線路が敷かれている。かまぼこ屋根の頂上部分はガラスがはめ込まれ,陽光が駅舎をひと際明るくする。英王室が所有し,女王エリザベス2世が週末を過ごすウィンザー城にほど近いメイデンヘッドとパディントンの間を結ぶ,グレートウェスタン鉄道が開通したのは1838年。鉄道建設の総指揮を執ったのは,イザムバード・キングダム・ブルネルだ[1]。ブルネルは一般には馴染みが薄いが,地元英国では2002年にBBCが実施した「100名の最も偉大な英国人」投票で,チャーチルに次いで2位を獲得するなど,高い人気を誇る。また2012年のロンドンオリンピック開会式では,ブルネルに扮する俳優がシェイクスピアの『テンペスト』のセリフを口にすると,産業革命が始まるシーンが描かれるなど,英国産業史を代表する技術者である。そして,鉄道デザインの国際コンペティション「ブルネル賞」は,彼の名にちなんでいる。

グレートウェスタン鉄道のパディントン−メイデンヘッド間が開通したのは,前述の通り1838年だが,長い間パディントン駅は木造の仮駅舎であった。パディントン駅が現在の形,かまぼこ型のガラス屋根に覆われた駅舎になったのは1854年。設計はもちろんブルネルである。駅舎の設計は建築家が担うのが常識であり,鉄道技術者のブルネルが設計を手掛けるのは画期的な試みであった。

パディントン駅のガラス屋根のデザインは,1851年に開催された第一回ロンドン万国博覧会の会場に建設されたクリスタルパレス(水晶宮)の影響を受けている。万博の開催委員を務めたブルネルは,クリスタルパレスの企画にも携わっており,このガラスと鉄骨でできた建物を高く評価していた。

[2]ターナー「雨、蒸気、スピード:グレート・ウェスタン鉄道」 [2]ターナー「雨、蒸気、スピード:グレート・ウェスタン鉄道」

ブルネルは,グレートウェスタン鉄道を建設するにあたって,効率性だけを追求せず,利用者が英国の誇る田園風景を堪能して,快適な旅ができるよう,線路をできる限り平坦に設計した。さまざまな技術を駆使して地理的制約を克服し,橋梁や切通し,トンネルがそのために作られた。

英国ロマン派の巨匠ターナーの名画「雨、蒸気、スピード:グレート・ウェスタン鉄道」は,ブルネルが設計したメイデンヘッド鉄道橋を,グレートウェスタン鉄道の車両が疾駆する姿を描いたものだ[2]

ブルネルは鉄道だけでなく,グレートウェスタン号,グレートブリテン号,グレートイースタン号など大西洋を横断する大型蒸気船も設計した。ニューヨークを出発した船客が,英国西部の港町ブリストルまで開通したグレートウェスタン鉄道に乗りロンドンまで辿り着く,シームレスで快適な旅を構想していた。余談だが,蒸気船グレートイースタン号は後に,大西洋海底電信ケーブルの敷設船として活躍する。

第二次産業革命の時代に,社会全体を巨視的に捉え,人間中心の技術の活用を思い描き,そして実現した偉大な先人に畏敬の念を抱かずにはいられない。

フロンティアを開拓する

鉄道が敷設され始めた1830年代,ヨーロッパでは産業革命の進展により都市化が進み,旧都心の再開拓や外縁部との往来の利便性が課題となった。ロンドンやパリではいわゆる中央駅が存在しない。現在でも新線建設の場合に多く見られるが,周辺住民の同意を得られなかったためである。とりわけ,この時代は鉄道の利便性が十分に理解されていなかっただけに,住民の反対は根強い。民間事業者が主体となった英国とは対照的に,フランスでは王権が中心となり鉄道を敷設したが,ナポレオン帝政から王政への移行期のこの時代,パリ都心部の住民を強制退去して鉄道を敷設できるほど王権は強くなかった。

パリが現代のような姿になるのは,ナポレオン三世によって抜擢されたセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンがパリ大改造を行う1853年以降のことである。オスマンは上下水道整備や公園整備,スラムの撤去と並んで,パリ外縁部に終着駅を持つ各鉄道を街路で結ぶ交通体系の抜本的整備も実施した。もちろん,この時代のパリ市内の交通の主要な担い手は,馬車である。1828年,パリに乗合馬車オムニビュス社が設立された。オムニビュスはラテン語で「すべての人のために」という意味である。これが英国に伝わり,パディントンと都心のバンク間に乗合馬車オムニバスが運行するようになる。これが後にバスの語源となる。オスマンはブルネルと3歳違いであるが,やはり彼もブルネル同様に社会全体を巨視的に捉え,総合的な交通体系を作ることを夢見た。

ロンドンで都市交通の主役に躍り出たのは,地下鉄である。世界初の地下鉄メトロポリタン鉄道は,パディントン,ユーストン,キングズクロス,シティ(シティ・オブ・ロンドン)のファリンドンなど,ロンドンの主要駅を結ぶ路線だ。ブルネルの死後になるが,グレートウェスタン鉄道では,パディントンからシティへの直通乗り入れを目論んでメトロポリタン鉄道に出資した。直接乗り入れは実現しなかったが,めざしたのはシームレスな利用者の移動である。メトロポリタン鉄道は都市交通の担い手としての地下鉄の模範となり,世界各国にさまざまな影響を与えるようになる。「メトロ」が地下鉄の名称として用いられる由縁である。

一方,大西洋を越えた米国では,1890年頃,西部開拓が終わりフロンティアが消滅したとされる。そして米国が次なるフロンティアとして見出したのは天空,つまりビルの高層化である。米国では1880年代にまずシカゴで,次いで1890年代にニューヨークでビルの高層化が始まる。そして同じ1890年頃に摩天楼という単語が生まれたとされる。このビルの高層化を可能にしたのは鉄骨,ガラス,そしてエレベーターである。石やレンガなどの建材を積み上げる従来型の建築では,建材の自重のために高層化に限界があったが,鉄骨とガラスがこれを解消した。また19世紀のロンドン・パリの平均的な建物の高さは5〜6階程度であった。それが,人力で無理なく昇り降りできる限界だったからである。

1853年ニューヨークの万国博覧会で,ブルネルと5歳違いのエリシャ・グレイブス・オーチスが,エレベーターの公開実験を行った。それまでにもエレベーターのような昇降機は存在したが,しばしば落下事故が起き,安全性が十分ではなく,工場内での荷物運搬,鉱山での鉱石移動などに使用されるのみで,対人用に昇降機を使用することは禁止されていた。オーチスは万博会場で,自身の乗ったエレベーターを吊っているロープを切るパフォーマンスを見せた。エレベーターのかごは,2本のガイドレールに支えられ落下することはなく,実験は成功した。安全性の保障を得たエレベーターは,一気に普及の機会を得る。そして1889年にオーチスが電動エレベーターを商品化すると,シカゴ,ニューヨークに高さ100 mを超える超高層ビルが林立するようになった。

天空のフロンティア開拓は,エレベーターが作ったと言っても過言ではないだろう。ブルネル,オスマン,オーチスという三人の同時代人は,それぞれのやり方で利用者の快適な移動の実現を目論んだ。

ムーンショット!

さて人類のフロンティア開拓は,とうとう地球を飛び出す。1969年7月21日,アポロ11号のアームストロング船長が月面に降り立った。ムーンショットの瞬間である。ムーンショットとは,このアポロ計画に由来する言葉で,未来を展望し,実現へのハードルは高いが,達成すれば大きなインパクトをもたらす壮大な目標や挑戦を意味する。

[3]大みか工場 [3]大みか工場

1960年代は世界的にさまざまな課題を抱えながらも,アポロ計画のような壮大なイノベーションの気風が現れた時代でもあった。アームストロング船長が人類の偉大な一歩を踏み出した,ちょうど1か月後の8月21日,日立も新たな一歩を踏み出した。日立工場・国分工場などの配電盤,制御装置,計算制御装置などの部門を統合した,制御システム部門の専門工場として大みか工場(現 大みか事業所)が操業を開始したのである[3]

日立の制御の歴史は創業間もない1911(明治44)年にさかのぼるが,1960年代には,制御システムは大きな節目を迎えていた。産業革命以来の古典制御理論からルドルフ・カルマン教授が唱えた現代制御理論への転換期であった。アポロ計画においても,カルマン教授の生み出した公式「カルマンフィルター」が,宇宙船の軌道制御に用いられ,計画を成功に導いている。

[4]GO綱領 [4]GO綱領

大みか工場においても,時代の清新な気風を反映し,日立の企業理念「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」を下地にして,創業の精神の一つである開拓者精神に溢れるGO綱領を策定した[4](GOはGreater Oomikaの意である)。

余談だが,翌1970年4月,中西宏明(現 日立製作所 取締役会長 執行役)が大みか工場の新人1期生として入社する。

大みかでは,このGO綱領の下,さまざまな制御システムを開発してきた。その一つがCOMTRAC,COSMOSなどの新幹線運行管理システムである。東海道・山陽新幹線運転管理システムCOMTRACは1972年山陽新幹線の岡山開業とともに導入され,その後も機能向上が図られ,2011年には九州新幹線との相互乗り入れ対応に伴い機能増強が図られている。

ニュー新幹線総合システム COSMOSは,東北・上越新幹線などにおける,列車ダイヤなどの計画作成,列車の運行,設備の監視制御・保守などの新幹線業務全般を一貫して管理する,大規模広域分散型システムだ。

信号機などのリアルタイム自動制御や,列車ダイヤ予測による運転整理支援などの高信頼リアルタイム制御システムは,人々の快適な移動(モビリティ)を実現するという,かつてブルネルが思い描いた夢と軌を一にし,新幹線の高速・高密度・正確・安定輸送を支えている。

1960年代,日本でも天空の開拓が始まった。超高層ビル時代の到来である。1963年,建築基準法が改正され,ビルの高さを31 mに制限していた規制が撤廃されたのである。

こうして作られた超高層ビルの嚆矢が,1968年に竣工した霞が関ビル(霞が関ビルディング)である。前述したように,ビルの高層化にはエレベーターの発展が不可欠である。日立では,当時としては日本最速の分速300 mのエレベーターを霞が関ビルに納入した。その後も1974年に分速540 m,1993年に分速810 m,2016年に分速1,200 mなどの世界最速エレベーター(いずれも開発当時)を世に送り出した。

[5]数値流体解析によるかご表面圧力変動の評価 [5]数値流体解析によるかご表面圧力変動の評価

2000年代に入ると天空の開拓もグローバル化し,中国を中心としたアジアや中東でビルの超高層化が始まる。2019年,中国・広州市の広州周大福金融中心に納入した分速1,260 mの日立製エレベーターが稼働を開始した。世界最速を目標とするのは,まさにムーンショットであるが,目的はエレベーターを通じて社会に貢献すること,すなわち,人々の快適な(垂直)移動を実現することである。分速1,260 mは時速75.6 kmに相当し,空気の流れ,レールのわずかな段差や曲がりが騒音・振動に大きな影響を与える。また急激な気圧変化による耳詰まり(耳閉感)などが起こり,利用者の快適性に課題が生じる。そこで日立では,最速を実現する駆動・制御技術と同時に,快適性・安全性の技術を追求した。騒音源の低減のために,高速鉄道開発で育んだ数値流体解析技術を用いてカブセル構造のかごを開発した[5]。また耳閉感低減のために気圧制御装置を開発するなどした。

ブルネルの夢を継ぐ

1999年,日立の鉄道事業のヨーロッパ展開が始まる。メイデンヘッドに本社を置く日立ヨーロッパ社の当時の社長は,大みか工場副工場長から転じた中西だ。翌2000年,日立ヨーロッパ社に1名の鉄道担当者が赴任する。ブルネルがグレートウェスタン鉄道で最初に開通させたメイデンヘッドから,日立の鉄道事業のヨーロッパ展開が始まったことに,偉大な先達・ブルネルとの縁を感じざるを得ない。

2019年6月,イタリアの鉄道会社トレニタリア社から受注した新型2階建て通勤車両「カラバッジオ」は,イタリア国内における,大都市と郊外を結ぶ地域鉄道や通勤列車への大量輸送ニーズに応えるもので,ヨーロッパと日本で日立が培った高度な技術が生かされている。例えば安全性を確保する,ATP/ATC(Automatic Train Protection/Automatic Train Control)システムでは,イタリアの従来システムと欧州相互乗入技術要求(TSI)に基づいた列車制御システムの双方を統合した「ダブルスタンダード」プラットフォームを基盤としている。

また日立がデンマークのコペンハーゲンメトロで実証実験を展開するダイナミックヘッドウェイは,需要の増減にリアルタイムで輸送能力を追従させるドライバーレス信号運行管理システムであり,やはりヨーロッパと日本で培った技術が生かされている。

そして今,ブルネルが遺したグレートウェスタン鉄道の線路の上を,日立製車両クラス800シリーズが走る[6][7]。あたかもブルネルの夢を継ぐかのようにも見える。日立の開拓者精神は,ブルネルの夢を継ぐものであると信じる。

[6]日立製車両クラス800シリーズが走るグレートウェスタン本線 [6]日立製車両クラス800シリーズが走るグレートウェスタン本線

[7]パディントン駅に停車する日立製車両クラス802 [7]パディントン駅に停車する日立製車両クラス802

参考文献など

1)
クリスティアン・ウォルマー(安原和見,須川綾子 訳):世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革,河出書房新社(2012.2)
2)
大澤昭彦:高層建築物の世界史,講談社現代新書(2015.2)
3)
大宮昭弘,外:超高層大規模ビルに対応するエレベーターの研究開発,日立評論,98,12,731〜734(2016.12)
4)
木村英紀:制御工学の考え方 産業革命は「制御」からはじまった,講談社(2002.12)
5)
小池滋,外(編):都市交通の世界史 出現するメトロポリスとバス・鉄道網の拡大,悠書館(2012.4)
6)
佐藤健吉:ブルネルの偉大なる挑戦 時代を超えたエンジニア,日刊工業新聞社(2006.8)
7)
ハワード・サールマン(小沢明 訳):パリ大改造 オースマンの業績,井上書院(2011.8)
8)
マルコ・サッチ,外:新型大量輸送EMUプラットフォーム「カラバッジオ」,日立評論,100,5,500〜505(2018.9)
9)
株式会社日立製作所大みか工場:日立制御技術の歩み(1979.8)
10)
株式会社日立製作所大みか工場:総合システム工場をめざして 大みか工場20年の歩み(1989.12)
11)
日端康雄:都市計画の世界史,講談社現代新書(2008.3)
12)
アンガス・ブキャナン(大川時夫 訳):イザムーバード・キングダム・ブルネルの生涯と時代,LLP技術史出版会(2006.10)
13)
アンドレアス・ベルナルト(井上周平,井上みどり 訳):金持ちは、なぜ高いところに住むのか 近代都市はエレベーターが作った,柏書房(2016.6)
14)
松岡秀佳,外:世界最高速を実現した分速1,200 mエレベーターの開発,日立評論,98,12,712〜721(2016.12)
15)
山口恵,外:ダイナミックヘッドウェイが実現する鉄道の未来像「定刻どおりの運行」から「需要に応じた運行」へ,日立評論,100,5,540〜543(2018.5)
16)
西田健:第2回 制御の基礎概念(2)(2020年7月参照)(PDF, 914kB)