日立評論

小平浪平の志

心地よい街をつくる

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日立評論

執筆者紹介

加藤 兼司

  • 日立製作所 グローバル渉外統括本部 産業政策本部

目次

パリの街づくり

日立ハイテクヨーロッパ社が本社を置くドイツの都市クレフェルト。1801年,この街で一人の人物が生まれた。世界の人々を魅了するファッションブランド「エルメス」の創業者ティエリ・エルメスである。ティエリは,長じてパリに出て馬具職人となる。堅牢な作りの彼の馬具製品は評判を呼び,1867年のパリ万国博覧会では多くの出展品の中からティエリの鞍が銀賞を獲得した。こうしてティエリは皇帝ナポレオン3世をはじめ,ヨーロッパ諸国の王侯貴族御用達となる。1867年のパリ万博と言えば,後に日本の社会的起業家の先駆けとなる若き日の渋沢栄一も,江戸幕府の随行員として視察に訪れているから,あるいは彼もティエリの鞍を見ていたかもしれない。

ティエリがパリに工房を構えた1837年頃,パリは馬車全盛の時代であり,一方で鉄道建設が始まった時期でもある。中世以来の古いパリの街並みを一新して,鉄道と馬車を融合させた都市交通システムを作り上げたのが,ナポレオン3世によりセーヌ県知事に任命されたジョルジュ・オスマンである。オスマンのいわゆるパリ大改造は1853年から始まる。産業革命によりパリも大都市化が進んだが,街路は狭く,下水道なども未整備のため不衛生で,ユゴーの『レ・ミゼラブル』に描かれた貧困層の住むスラムが形成された。オスマンは,都市開発に衛生の観念を取り入れ,上下水道を整備し,街路を拡張して狭い道のスラムを撤去した。大通りはパリ周縁の鉄道駅と結ばれて鉄道と馬車のシームレスな交通システムが完成した。オスマンは街路を拡張するだけでなく,街路樹を植え,また建物のファサード(正面)に統一感を持たせて街の均整美を追求し,多くの公園を造るなど,住民の心地よさにも配慮した都市づくりを行った。

ティエリの工房は息子のシャルルに受け継がれ,1878年のパリ万博で今度はシャルルの鞍が金賞を受賞する。さらに翌1879年にこの大改造に伴い,現在もエルメス本店があるフォーブルサントノレ24番地へ移転した後,馬具工房エルメスは隆盛を極めた。

しかし,ティエリの孫のエミール・モーリス・エルメスの代になると,危機が訪れる。馬車に代わる自動車の普及である。1900年と1913年のニューヨーク5番街の様子は,馬車から自動車への急激な変化の説明にしばしば用いられる1

[1]1900年(左)と1913年(右)のニューヨーク5番街 [1]1900年(左)と1913年(右)のニューヨーク5番街

馬車より快適な自動車の普及は,人々の外出行動にも影響を与えた。フランスのタイヤメーカー・ミシュランが,レストランガイドを出版したのが1900年である。外出の機会が増えた人々は外見の装いにも関心を高めるようになる。

エミールは,自動車メーカー・ルノーの創業者ルイ・ルノーと幼馴染であったためか,馬車から自動車への移行を敏感に察知していた。

そこでエミールは,エルメスの知見・資産を棚卸して,その優位性の源を突き詰めた結果,馬具工房からファッション産業への転換を企てる。エルメスには,馬具製作のかたわら,乗馬用の装身具などを製作した経験もあり,そうして培った皮革加工のノウハウなどを携えて,バッグなど革製品の製作に乗り出したのである。企業が環境変化を敏感に察知し,自社の知識・資産などを棚卸して,環境変化に適応した新たなビジネスを創り出す能力のことを,経営学の分野ではダイナミックケイパビリティと呼び,新たな研究の潮流となっている。既存のノウハウを生かし,馬具工房からファッション産業へと一大転換を遂げたエルメスが発揮したのは,ダイナミックケイパビリティに他ならない。

さまざまな街づくり

[2]大改造前のパリ(シテ島の狭い街路) [2]大改造前のパリ(シテ島の狭い街路)

オスマンがパリ大改造に着手した頃は,産業革命がヨーロッパに行き渡り,中世以来の都市の過密化が始まった時期でもある2。このため,パリだけでなく多くの都市で,生活環境改善のための再開発が行われた。社会改良運動の高まりとともに,理想的な都市計画論が叫ばれるようになった。企業経営者のエベネザー・ハワードが著書『明日―真の改革への平和な道』(1898年)の中で提唱した田園都市構想は,その代表的なものだ。ハワードの田園都市論は,都市と田園の長所を融合させるもので,放射・環状型の都市の中心部には公園,市役所などの公共施設,その外側には住宅,学校,教会などが設けられ,さらにその外側に工場街や鉄道があり,外縁部には農業地帯が拡がるというものである3。そして田園都市の人口は3万2,000人に計画され,人口が増加した場合は,外縁部に拡張することなく,新たな田園都市を建設し,これらを鉄道と道路で結ぶというアイデアであった。

[3]ハワードの田園都市ネットワークのダイアグラム [3]ハワードの田園都市ネットワークのダイアグラム

このハワードの田園都市構想は,世界各国の都市計画に影響を与えた。フランスでは1911年にフランス田園都市組合が設立され,1930年代頃からパリ圏,フランス北部などで田園都市が開発されるようになった。米国では,1923年に設立されたアメリカ地域計画協会が田園都市の普及をめざして運動した。

渋沢栄一も,その影響を受けた一人である。渋沢は1918年に現在の東急株式会社の母体となる田園都市株式会社を設立し,東京,田園調布周辺の住宅開発・分譲を行った。さらに渋沢は,住民の利便性を念頭に鉄道を敷設(目黒蒲田電鉄株式会社:現在の東急の母体)し,日本型田園都市の発展に尽力した。

また,田園都市構想は第二次大戦後に世界中で盛んになったニュータウン開発の計画にも影響を与えている。しかし1960年代に入ると,田園都市構想に基づき機能性や合理性を追求したニュータウン開発に異を唱える人物が現れた。現代の都市開発論にも大きな影響を及ぼしているジェイン・ジェイコブズである。彼女は名高い著書『アメリカ大都市の死と生』の中で,都市を有機体と捉え,ハワードの構想について,都市の複雑・多面的な文化生活を無視するものと指摘している。ジェイコブズの批判もあり,また1970年代以降,欧米の都市課題が都心の老朽化,空洞化などに移ったため,機能主義的な田園都市構想は下火となる。

しかし1990年代になると,田園都市のような理想的な都市づくりが再び脚光を浴びるようになる。米国におけるニューアーバニズム,英国におけるアーバンビレッジ,ヨーロッパのコンパクトシティなどである。コンパクトシティはMaaS(Mobility as a Service)やスマートシティなどの多様なコンセプトと融合しつつ,今日においても発展している。

日立の街づくり

渋沢栄一の甥に,名古屋帝国大学総長などを務めた渋沢元治という人物がいる。元治は,日立製作所の創業者・小平浪平の学生時代からの親友である4。1906年,大手電力会社で電気技術者として責任ある地位にあった小平は,元治に自らのものづくりへの情熱と志を熱く語り,電力会社を退職して新興の日立鉱山へと転職するのである。優れた自主技術で社会に貢献するという小平の信念は,あるいは元治を通じて,社会的起業家の嚆矢である渋沢栄一の間接的な影響を受けていたのかもしれない。

[4]渋沢元治と小平浪平 [4]渋沢元治と小平浪平

さて小平が青雲の志を抱いて日立鉱山に入社した頃,日立の街は一寒村にすぎなかった。しかし,日立鉱山や日立製作所の急速な発展に伴い,小さな寒村は急激に膨張する。鉱山の所有者・久原房之介と小平は,それぞれの事業に専心するだけでなく,村の成長に合わせてインフラ整備にも精を出す。小平が鉱山で着手した業務は,発電所,精錬所の建設,鉱山電車の敷設,社宅の建設などで,鉱山における電気と機械と土木の仕事のすべてを担っていた。

[5]会瀬社宅(茨城県日立市) [5]会瀬社宅(茨城県日立市)

小平は日立製作所を創業してからも街のインフラ整備に力を尽くした。日立製作所の社員も急増し,住宅整備は喫緊の課題であった。1935年,海岸工場に隣接する土地約8万坪に会瀬社宅を造成する5。会瀬社宅には社宅の他,社員寮,野球場,体育館なども整備され,生活環境への配慮がなされている。社宅の設計にあたったのは,東京帝国大学教授にして,東大安田講堂を設計した内田祥三。社宅の建設に建築界の権威を起用したところに,小平がいかに住宅整備を重視していたかをうかがい知ることができる。彼のものづくりへの情熱と住環境の整備は表裏一体を成していた。

小平は社宅建設の他にも交通インフラとして電鉄会社・バス会社の設立や,社員・地域住民の健康管理面から体育施設の建設,病院の運営などにも着手した。また小平は教育への投資も忘れていなかった。社員教育の徒弟養成所の他に,地域の小学校建設への寄付なども多数行っている。中でも特筆すべきは官立多賀高等工業学校(現在の茨城大学工学部)への設立協力である。1940年,政府は当時の金額で4,400万円の資金を投じて高等工業学校11校の設立,既設7校の拡充などを計画したが,結局予算は大幅減額されて,7校の建設費472万円に留まった。多賀については,小平から茨城県知事へ300万円の寄付が実施され,高等工業学校の誘致に成功した。

また,日立の事業拡張に伴い工場周辺の助川町・日立町も拡大の一途をたどり,1939年に両町が合併し,日立市が誕生した。このとき,日立は新生・日立市のインフラ整備のために100万円の寄付を行い,日立特殊土木事業として実施された。

小平の優れた技術で社会に貢献するという志は,単にものづくりだけでなく街づくりにも発揮された。

新たな街づくり:スマートシティの時代

スマートシティは現在,世界のさまざまな地域で実証実験や開発が進んでいる。国民の幸福度ランキングで毎年世界上位に名を連ねるデンマークもその一つである。欧州各国ではHorizon2020において,福祉や輸送など成熟型社会の七つの課題を提示し,その取り組みを推進している。特にデンマークでは電子政府の普及などを下地として,環境負荷低減,医療費削減などの分野で高い目標を掲げている。そして,このデンマークでは首都コペンハーゲン,第二の都市オーフス,第三の都市オーデンセなどでスマートシティの計画が進んでいる。

デンマークの都市開発で注目すべきは,ヒュッゲという価値観である。ヒュッゲとは一家団欒や隣人・友人との心地よい交流を過ごす時間・空間が融合したものを意味し,デンマークの人々が非常に重視する価値観である。いかにヒュッゲというライフスタイルを維持するかが,デンマークのスマートシティ開発,街づくりの背景にある。

デンマークでは国として2050年に再生可能エネルギー100%を実現する目標「エネルギー戦略2050」を掲げているが,首都コペンハーゲンは独自に,2025年に世界初のカーボンニュートラル首都を実現するという野心的な目標を掲げ,その実現に向けたエネルギー政策「CPH2025」を2012年に発表した。CPH2025では,市内の移動の75%を徒歩・自転車・公共交通機関にする,通勤・通学における自転車比率を50%にまで高める,2009年と比較し公共交通機関の利用比率を20%まで高めるなどの目標を掲げている。

コペンハーゲンではすでに自転車利用が有名であるが,こうした計画が着々と進む背景には,ヒュッゲを下地にした人間中心の考えが基盤にあり,地域住民が計画の当初から積極的に参加する「ユーザードリブンイノベーション」が根付いている土壌がある。地域住民が,日頃の生活の中で新しい技術を試すことに抵抗感が少なく,そのため実証実験などによる試行錯誤が容易である。

こうした土壌に着目し,日立は2014年11月にコペンハーゲンに日立ビッグデータラボを設立した。コペンハーゲンなどデンマーク主要都市での産官学イニシアティブや現地機関とのユーザー参加型の実証実験への参加を通して,デンマーク政府が重要テーマに掲げる「環境エネルギー」,「トランスポート」,「ヘルスケア」などの分野で,新しいサービスやビジネスモデルの構築に取り組んできた。

[6]デンマークのスーパーホスピタル構想 [6]デンマークのスーパーホスピタル構想

ヘルスケア分野の実績では「スーパーホスピタル構想」への協力推進がある。スーパーホスピタル構想では40か所ある公共病院を16か所の最先端医療施設「スーパーホスピタル」に統合し,病院経営効率を25%向上させることを目標としている6。日立はスーパーホスピタル構想に参画し,2014年11月よりビスペビャー・フレデリクスベー大学病院との協創によるソリューション開発にあたった。具体的には救急病棟・入院病棟・放射線治療科などでスタッフにウエアラブルセンサー(ビジネス顕微鏡など)を装着して人流を解析し,12%の移動距離削減の見込みを提示した。この結果は,新病棟のレイアウトに反映された。この他,日立は同病院と院内感染制御などさまざまな協創を実施した。

またデータ駆動型社会,Society 5.0の時代にあっては,データの円滑な流通が都市や社会の成長の鍵を握る。そこで日立は,コペンハーゲン市が推進するシティデータエクスチェンジ(CDE)プロジェクトにも参画した。その中で日立は都市における官民事業主体のデータ流通を促進させるため,さまざまな組織によってデータの販売・購入・共有が可能なSaaS(Software as a Service)型のデータ取引市場を開発し,2016年5月にはコペンハーゲン市にてサービスを提供した。

さらに交通分野においては,前回も記したように,コペンハーゲンメトロでダイナミックヘッドウェイの実証実験を展開している。ダイナミックヘッドウェイは,需要の増減にリアルタイムで輸送能力を追従させるドライバーレス信号運行管理システムであり,CPH2025にも貢献できるであろう。

受け継がれる小平の志

冒頭で触れたファッションブランド「エルメス」のロゴには四輪馬車と従者の姿が描かれているが,主人の姿が描かれていない。主人は,この製品を持つ顧客自身であるというエルメスの顧客(人間)中心主義を表していると言われる。馬具工房からファッションブランドへと変化した今も,ティエリ以来の企業姿勢をエルメスは貫いている。

小平が日立を創業した110年前とは,日立を取り巻く社会環境も大きく変わっている。日立は変化適応力・ダイナミックケイパビリティを発揮して,OT×IT×プロダクトの社会イノベーション事業に構造転換を図った。街づくりへの関わりも,かつて小平が直接日立の街のインフラ開発を担ったときとは,大きく変わっている。しかし,日立は小平が掲げた志を変わることなく引き継いでいる。

参考文献など

1)
加藤勝美:技術王国日立をつくった男−創業者小平浪平伝−,PHP研究所(1985.11)
2)
菊澤研宗:成功する日本企業には「共通の本質がある」−ダイナミックケイパビリティの経営学−,朝日新聞出版(2019.3)
3)
斉田英子,藤井さやか,外:世界のコンパクトシティ−都市を賢く縮退するしくみと効果−,学芸出版社(2019.12)
4)
佐藤暁子,外:デジタル基盤で支える「People Centric City」,日立評論,101,3,330〜335(2019.6)
5)
谷繁幸,外:デンマークにおける病院経営効率向上ソリューション,日立評論,96,6-7,348〜353(2015.7)
6)
成熟型社会の先を描く─デンマーク・スーパーホスピタル構想─,日立評論,97,1-2,26〜31(2016.1)
7)
谷繁幸,外:データ流通により加速する社会変革 欧州での取り組み,日立評論,99,3,298〜303(2017.6)
8)
戸矢理衣奈:エルメス,新潮新書(2004.1)
9)
中島健祐:デンマークのスマートシティ−データを活用した人間中心の都市づくり−,学芸出版社(2019.12)
10)
中野茂夫:企業城下町の都市計画 野田・倉敷・日立の企業戦略,筑波大学出版会(2009.7)
11)
野村敦子:ユーザー・ドリブン・イノベーションによるスマートな街づくりに向けて−海外における「スマートシティ2.0」への取り組み−,JRIレビュー,日本総研(2017.8)
12)
野村敦子:オープンイノベーションのプラットフォームとしての都市,JRIレビュー,日本総研(2018.2)
13)
葉村真樹 編:都市5.0−アーバン・デジタルトランスフォーメーションが日本を再興する−,翔泳社(2020.3)
14)
日立製作所:日立事業発達史−100年の歩み−,日立製作所(2011.12)
15)
日端康雄:都市計画の世界史,講談社現代新書(2008.3)
16)
東急株式会社:街づくりの軌跡(2020年9月参照)