デジタルトランスフォーメーションを加速する技術革新
超スマート社会や高度な顧客価値創出の実現に向けて,フィジカル空間とサイバー空間との融合によって既存システムをより知的に進化・融合させていくことが重要になる。
本稿では,システムの進化という視点に着目し,これを実現するためのAI・アナリティクスの研究開発戦略について述べる。具体的には,価値創出,ビジネスモデル,システムアーキテクチャ設計とAI・アナリティクスの技術開発を並行して推進する複合・融合型の研究を強化することによって,新たなサービスプラットフォーム事業の成長をめざす。
企業に蓄積されている大量のビッグデータやIoT(Internet of Things)によって収集されるデータを活用し,新たな顧客価値の創出や自社のオペレーション改革を行う動きがさまざまな産業において活発化している1)。今後は,日本政府がビジョンとして掲げているサイバー空間とフィジカル空間が高度に融合した超スマート社会(Society 5.0)の実現に向け,日立は高度なデジタルソリューション事業の創生に取り組んでいる(図1参照)。
本稿では,日立がめざすサービスプラットフォームとこれを支えるシステム進化,AI(Artificial Intelligence)・アナリティクスの進化による研究開発戦略を述べる。
図1|将来ビジョンの実現をめざすデジタルソリューション事業サイバー空間とフィジカル空間が高度に融合した「超スマート社会」の実現に向け,AI(Artificial Intelligence)・アナリティクスによるデジタルソリューション事業を創生する。
AI・アナリティクスの進化は,サービス向上に向けたヒト接点(ユーザーインタフェース)の高度化のみならず,モノ(人工物)を対象にした複合的システムの知能化に貢献していく(図2参照)。社会課題解決に向けて,作業補助,能力拡張,役務代替,および新価値創造の順に提供価値が拡大し,進化していくと想定する。
図2|AI・アナリティクスの提供価値ヒト接点の高度化とシステムの知能化の両面から社会課題解決に広く適用される。
技術進化としては,これまでは,専門家の知識をモデル化し応用した第一世代,第二世代の最適化・演繹(えき)推論と,データから特徴量を抽出する帰納型のNN(Neural Network)/機械学習(第三世代)が進んできた(図3参照)。今後は,これらのAI・アナリティクスを融合させて,第四世代として,演繹・帰納融合型の新たなAIを生み出していく。
図3|AI・アナリティクス技術の進化演繹・帰納モデル融合による先端AI・アナリティクスを開拓する。
AI市場は2025年には318兆円(そのうちAI搭載ロボットは130兆円)に急拡大すると予測されており[JEITA(一般社団法人電子情報技術産業協会)による調査],各分野において幅広い事業機会が見込まれる(図4参照)。AIの役割が作業補助から新価値創造に進化するにつれて,ビジネス機会に関しても,人間の役割のサポートから代替に変化し,さらには,人間を媒介しないシステム間のインタラクションや取引が実現されると想定する。
第2章で述べたように,AI・アナリティクスの活用はさまざまな産業分野に広がるが,いずれにしても新たな価値を実現する手段にすぎない。逆の見方をすると,あらゆるイノベーションにおいて,AI・アナリティクスは必須の技術基盤であるとも言える。すなわち,高度情報社会の現代において,その研究開発戦略はあらゆる技術開発の根幹に位置づけられる。
その研究開発戦略策定のステップを図5に示す。その戦略策定においては,技術そのもののトレンドを追うのではなく,どのような顧客価値を実現したいか,実現すべきかを起点にする必要がある。そして,顧客価値の仮説を設定したら,次にその価値を実現するためのシステム進化の仮説を構築する。ここでいうシステムとは,計算機や機械の組み合わせから構成される人工物だけではなく,いわゆるビジネスエコシステムを意味する3),4)。すなわち,価値実現の仕掛け,それを支える人工物,その人工物を提供するエージェントの集合という3層から構成される。システム進化の仮説構築が完了したら,次のステップで,その第二層の人工物のイネーブラーとなる具体的なAI・アナリティクス技術を同定する。もちろん,技術だけではシステムを実現することはできない。サステイナブルなエコシステムを構築するためには,経済性,ルール形成,顧客やパートナーへの働きかけなども考慮する必要がある。これらの数多くのイネーブラーとセットで,技術開発戦略を具体化していく。
その次の仮説検証では,プロトタイピングや社会実験を行い,仮説が棄却された場合には,前のいずれかのステップに立ち戻る。このステップでは,基本的に研究開発行為が発生するため,戦略策定の一部に位置づけることは奇異に感じられるかもしれない。しかし,デジタルトランスフォーメーションの時代においては,研究開発を実行する過程で,常に戦略そのものも見直していくアジャイル性が求められる。戦略策定工程と研究開発工程はいわば一体化していくのである。同図に示したサイクルをいかに早く回すかが,技術開発競争の鍵を握る。
図5|研究開発戦略の策定ステップ顧客価値の明確化を起点に考える。
図5に示した最初の仮説設定に関して,日立は,顧客協創の方法論NEXPERIENCEを体系化し,さまざまな手法やツールを開発してきた5)。NEXPERIENCEは,顧客課題の発見やサービスアイデアの創出から事業価値のシミュレーションまで,幅広いフェーズをカバーしている。
現代では,人々の価値観が多様化・複雑化し,誰もが求める明確な価値というものは存在しない。最上位レベルでは,SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)が国際社会の共通目標として国連サミットで採択されている6)。しかし,これを具体的にブレイクダウンしようとすると,国家レベルでも個人レベルでも多様であり,共通認識を得ることが難しい。このような価値の不明瞭さ,不定さゆえに,価値仮説を設定するうえで,データを活用した価値の可視化が不可欠である。すなわち,AI・アナリティクスの技術戦略を策定する際に,AI・アナリティクス技術が活躍する。
価値を実現するシステムの進化を考えるうえで起点となるのは,価値がどこで生まれてどのように転移していくかという点である。マクロなシステムの進化を図6に示す。個別・単体のシステムの中で,価値が生産・消費されるレベルから,複数の同一個から構成されるシステムの中で価値が共有されるレベルに移る。さらに,同じ目的を持つ異なったシステムが連携するようなSystem of Systemsに進化する。最終的には,異なる目的を持つ複数のシステムが,それぞれの目的遂行が可能な範囲で協調し,共存共栄を実現するようなシステム共生に至る7)。
一般的には,価値を上げようとするほど,システムも複雑化して進化していくことになる。例えば,単体システムレベルでは,あえてエコシステムと呼ぶほど複雑な形態ではなく,提供者と利用者の間で価値を実装した製品やサービスの交換が行われることが一般的である。一方,システム共生のレベルでは,複数の利害関係者の間における総合的なインタラクションの結果として価値が実現される。そのため,価値を生み出す技術を開発するだけではなく,その技術をシステムの中にどのように組み込むかまで設計する必要がある。
次章において,産業分野を例に具体的な指針を示す。
産業分野におけるシステムの進化を図7に示す。データからオペレーションルールを学習することによるBPO(Business Process Outsourcing)サービス,エコシステムが進展する。具体的には,工場のスマート化に関しては,作業の自動化が進み,ヒト作業の補助や代替が進展する。オペレーションの自動化に関しては,サプライチェーン全体を視野に入れ,生産モデルの自動化とスケジュールの自動生成が行われる。これらの工場作業とオペレーションの自動化がさらに進展すると,マスカスタマイゼーションに対応した生産・業務の自動化と即時化を実現するクラウドマニュファクチャリングが行われる。
図7|産業の事業機会とシステムの進化データからオペレーションルールを学習することによるBPO(Business Process Outsourcing)サービス,エコシステムが進展する。
製造現場の3M(人,設備,製品)情報を用いて製造計画を高精度化・見える化する生産モデル自動学習,生産最適化AIが進展し,次に効果の高い対策を自動探索するダイナミックスケジューリングが進展する(図8参照)。これらにより,CCC(Cash Conversion Cycle)改善,稼働率最大化によるROA(Return on Assets)向上が見込まれる。その後,マスカスタマイゼーションを実現すべく,工場や企業ごとに閉じていた業務システムが共生自律分散システムとしてクラウド上で統合される。複数企業にまたがるE2E(End to End)プロセス構築が自律判断機能を持つマッチングAIによって自動化される。
日立が開発している代表的なAI・アナリティクス技術を以下に概説する。
数理計画技術の一つである制約プログラミングによる計画策定技術を開発している8)。この技術を列車運行予測に適用することで,業務運用,信号状態,走行速度などの運行条件を制約式としてモデル化し,列車運行予測時刻を算出している。本技術は実際の鉄道路線に適用され,日々の安全と正確な列車運行を支えている。
公共スペースや商業施設などにおいて,接客・案内などのサービス支援を行うヒューマノイドロボット「EMIEW3」を開発している9)。店舗内での対話や案内を実現し,店舗内の顧客に対して,商品の売り場の案内やお薦め品の紹介を行うほか,販売管理システムと連携した接客を検討している。
このAIは,入力データの網羅的な組み合わせを生成して組み合わせ特徴量とアウトカムとの関係を総当たり計算することにより,データに潜む複雑な相関性を統計処理によって発見する10)。ドメイン知識に基づいたモデリングやチューニングに依存しない点が特徴であり,さまざまな産業分野で活用が進められている。
今後,上述した演繹型,帰納型が融合した新たなAIの開発をめざすと同時に,グローバル地域別のナレッジ獲得,集約を,グローバルな研究チーム「Insights Laboratory」によって実現し,活動のスパイラルアップ化を図る。特に北米のビッグデータラボ(BDL:Big Data Laboratory)を中心としてオープンコミュニティの活用を強化する(図9参照)。これらのツール,ノウハウ,ユースケースを日立のIoTプラットフォームLumadaに蓄積していく。
図9|グローバル展開グローバル研究チーム「Insights Laboratory」により,地域別のナレッジ獲得,集約を実現する。北米のBDL(Big Data Laboratory)を中心にオープンコミュニティを活用し,基盤技術を整備する。各地域の強化テーマでユースケースを開拓する。
本稿では,システム進化を加速させる新たな観点でのAI・アナリティクスの研究開発戦略を述べた。
システムの進化とAI・アナリティクスのすり合わせによって,新たな顧客価値を創出する。これらを,ビジネスモデル,システムアーキテクチャ設計とAI技術開発を並行する複合・融合型の研究によって推進していく。