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ハイライト

全国各地域の4週間先までのインフルエンザ罹患者数をAI(機械学習)を用いて予測し,その結果を4段階の流行度合(レベル0〜3)として情報配信可能な「インフルエンザ予報サービス」を開発した。2019年12月6日より,埼玉県さいたま市内の住民を対象としてインフルエンザの流行予報情報を提供する実証実験を開始した。

感染症予報に関する実証を自治体規模で行うことは,全国初の取り組みであり,損害保険ジャパン株式会社と共同で企画し,行政および多数の団体,企業の賛同・協力を得ている。本実証の準備・実施過程で,サービスに対するさまざまなニーズが見えてきた。今後,サービスの価値を検証しながら,事業性の検討を実施する。

目次

執筆者紹介

丹藤 匠Tandou Takumi

丹藤 匠 / Tandou Takumi

  • 日立製作所 研究開発グループ 計測・エレクトロニクスイノベーションセンタ ナノプロセス研究部 所属
  • 現在,感染症流行予測に関する研究開発,サービス構築に従事
  • 博士(工学)

魚川 大輔Uokawa Daisuke

魚川 大輔 / Uokawa Daisuke

  • 日立製作所 金融システム営業統括本部 金融営業第三本部 第三部 所属
  • 現在,損害保険会社向けの協創案件,デジタルソリューション案件の立ち上げ・推進に従事

立仙 和巳Ritsusen Kazumi

立仙 和巳 / Ritsusen Kazumi

  • 日立製作所 サービス&プラットフォームビジネスユニット Lumada CoE Scale by Digital推進部 所属
  • 現在,デジタルビジネス企画拡販業務に従事

1. はじめに

冬の乾燥した時期には毎年のように季節性インフルエンザが流行する。2018/19シーズン(2018年第36週〜2019年第17週)において全国の医療機関を受診したインフルエンザの累積推計受診者数は約1,200万人に達した1)。インフルエンザがもたらすマイナスの経済効果は約6,600億円とも言われており2),社会全体にとって大きな損失となっている。子を持つ親の視点から見れば,感染症が原因で0歳児が保育園を休む年間の平均日数は約24日と多く3),最優先すべき子どもの健康を脅かす感染症は仕事にも大きな障壁となる。特にインフルエンザは出席停止期間が長く,子どもが罹(り)患した際に親を最も悩ませる感染症の一つである。

筆者らも子を持つ親として,こうした悩みを実感している。「子どもたち,ひいてはすべての人々が感染症に罹患しない世の中を実現したい」,この思いを出発点として,予防啓発を促すための新サービスを検討し,地域ごとのインフルエンザの流行を事前に予測し,その結果を予報として情報提供可能なインフルエンザ予報サービスを開発した。

2. インフルエンザ予報サービス

図1|情報配信の仕組みに関する概略図 図1|情報配信の仕組みに関する概略図 ORCAサーベイランスのデータを主な学習データとしてAIで分析することで,全国各地域の4週間先までのインフルエンザ罹患者数を予測し,その結果を4段階の流行度合(レベル0〜3)として情報配信できる。

図2|Webサイトにおける表示画面 図2|Webサイトにおける表示画面 地図には地域別の現在の流行度合が色分けで表示されている。地図内で特定の地域を選択すると,選択した地域における4週間先までの流行度合の予測結果が顔アイコンを用いて表示される。図中ではさいたま市が選択されている。

インフルエンザ予報サービスは,全国各地域の4週間先までのインフルエンザ罹患者数をAI(Artificial Intelligence)の機械学習を用いて予測し,その結果を4段階の流行度合(レベル0〜3)として情報配信が可能なサービスである。情報配信の仕組みに関する概略図を図1に示す。本サービスは,日本医師会ORCA管理機構株式会社が全国4,000以上の協力医療機関から提供を受け,インフルエンザを含む感染症の罹患者数データを市区町村別にまとめた,「ORCAサーベイランス」のデータを中心に,さまざまなデータを組み合わせてAIで分析することで,予測を実施するものであり,医療機関の提供データに基づいた高精度な予報サービスである。予報結果はWebサイト上に公開され,PCやスマートフォン,タブレット端末などから閲覧可能である。また,コミュニケーションアプリ「LINE※1)」上に専用アカウントを開設し,登録者に対して予報情報を定期的に通知できるようにした。

Webサイトにおける表示画面を図2に示す。画面内には地図,顔アイコン(流行度合の表示),インフォメーション欄が設置されている。地図には地域別の現在の流行度合(昨日から過去7日間の平均値)が色分けで表示されている。地図内で特定の地域(市町村)を選択すると,選択した地域における4週間先までの流行度合の予測結果が顔アイコンを用いて表示される。インフォメーション欄には,流行度合の定義や予測に関する詳細説明が表示できる。流行度合のレベルについては次のように定義した。

「レベル3」:昨年度(2018年度)の流行ピーク時期(2019年1月21日から1月27日)と同等以上の新規患者数の発生状態

「レベル2」:レベル3の約半数以上の新規患者数の発生状態

「レベル1」:レベル3の半数未満の新規患者数の発生状態

「レベル0」:新規患者数の発生がない状態

一般ユーザーが流行度合を感覚的に理解しやすいように,昨年度の流行ピーク時期の罹患者数を基準として流行度合の閾(しきい)値を設定した。

本サービスを利用することで,「傘を持って出かける」,「遠出は控える」といった日々の計画に役立つ天気予報のように,地域のインフルエンザの流行予報に応じた事前の対策を取れるようになる。また,手洗いやうがいといった予防行動だけではなく,例えば,子育て世帯では,仕事の調整やレジャーの計画見直し,学校への対応といった,罹患した際に備えた行動を取りやすくなるなど,生活支援につながることが期待できる。

※1)
LINEは,LINE株式会社の商標または登録商標である。

3. さいたま市の住民を対象とした実証実験

インフルエンザ予報サービスの実証実験を損害保険ジャパン株式会社と共同企画し,2019年12月6日から2020年3月20日にかけて,埼玉県さいたま市をフィールドとして行った。

3.1 実証実験の必要性

インフルエンザ予報サービスの事業性を検討する中で,2019年2月に損害保険ジャパンに対してサービス内容の紹介を行った。「世の中の感染症罹患者数を減らし,女性の社会進出の阻害要因を少しでも減らしたい」というビジョンが一致し,損害保険ジャパンとの共同企画がスタートした。サービスに対するニーズや課題を明確化するために,まず複数の団体や民間企業に対してヒアリングを実施した。その結果,インフルエンザ予報サービスのコンセプトには多くの共感が得られたものの,一方で「予報情報は人々の予防意識を高めるのか,その結果として本当に(予防に向けた)行動変容が起こるのか」,「感染症の流行情報は風評被害につながるのではないか」などの意見が挙がり,本格的なサービス提供前に検証すべき課題が見えてきた。

このため,上記課題を検証する方法を検討した結果,最終的には実際にインフルエンザ予報サービスを地域を限定して提供したうえで,対象地域の住民の率直な意見を収集することが課題の検証に有効であり,かつサービスの有用性も同時に確認できるベストな方法であると考えた。

3.2 協力体制の確立

実証フィールドの検討にあたり,関東圏の大型都市の一つであり,約130万の人口を有するさいたま市をターゲットとした。選定理由は,損害保険ジャパンがさいたま市と連携協定を締結していること,また,さいたま市は「公民+学」との連携により,AIやIoT(Internet of Things)といった最先端の技術や知見を活用しながら「スマートシティさいたまモデル」を構築中であることなどである。提案当初,さいたま市側からは,「インフルエンザ予報が住民の不安を煽(あお)る可能性がある」,「さいたま市健康科学研究センターが情報配信しているインフルエンザ週報(速報)がすでに存在するため,情報過多となり,住民が混乱するかもしれない」などの懸念点が挙がった。これらの懸念点に対しては,予報情報のデザインやコンテンツを分かりやすく,かつ親しみやすいものとなるように工夫することで,対策する方針とした。最終的には,住民のQoL(Quality of Life)向上につながる施策である点が評価され,実証実験への協力を得られることになった。

また,さいたま市の賛同をきっかけとして,その他多数の団体および民間企業(美園タウンマネジメント協会,一般社団法人さいたま市薬剤師会,一般財団法人日本ヘルスケア協会,イオンリテール株式会社,ウエルシア薬局株式会社,ソフトバンク株式会社,サラヤ株式会社,LINE株式会社,埼玉高速鉄道株式会社)にも今回の実証実験への協力を得られた。

図3|チラシおよびポスターのデザイン図3|チラシおよびポスターのデザインWebサイトへアクセスできるQRコードやURL,LINEアカウントに友だち登録可能なQRコードなどを掲載し,住民が予報情報にアクセスしやすいようにした。問い合わせ先として,コールセンターも準備した。

3.3 実証実験における情報配信方法

さいたま市における実証実験では,Webサイト,LINE(毎週金曜日に通知),市内の小売店に設置されたサイネージなどを用いて予報情報の配信を行った。まず,さいたま市内の公立の小学校,中学校,保育園,および幼稚園に,本実証実験に関するチラシを配布した。また,協力団体,企業にはポスター掲示を依頼した。チラシおよびポスターのデザインを図3に示す。チラシ,ポスターにはWebサイトへアクセスできるQRコード※2)やURL,LINEアカウントに友だち登録可能なQRコードなどを掲載し,住民が予報情報にアクセスしやすい仕組みを整えた。なお,本実証用のWebサイトでは,さいたま市に関する「現在の流行度合+予報情報」が表示されるようにした。Webサイト上では他の地域の情報も閲覧可能であるが,さいたま市以外の地域は現在の流行度合のみが表示されるようにした。

3.4 実証実験終了後の評価

今回の実証実験では,日立,損害保険ジャパン,さいたま市で共同のニュースリリースを発表したこともあり4),数多くの民間企業および報道関係者から問い合わせがあり,インフルエンザ予報サービスの将来性に手応えを感じた。

今後,さいたま市の住民を対象としたアンケートや今シーズン(2019年度)のインフルエンザ罹患者数のデータ解析を実施し,本サービスの有用性や,罹患率の低減効果などを検証していく予定である。

※2)
QRコードは,株式会社デンソーウェーブの登録商標である。

4. 今後の展開

実証実験を準備・実施していく過程で,多くのステークホルダーと情報交換,議論を行った。その中で,インフルエンザの罹患者数情報にはさまざまなニーズがあることが分かった。インフルエンザの罹患者情報を「過去データ」と「予測データ」に分けて考える。

4.1 罹患者数の過去データの活用

罹患者数の過去データは予測モデルの検討(将来の罹患者数の算出)に必須となり,研究開発用途として重要なデータとなる。また,罹患者数の過去データと,ある商材の過去のPOS(Point of Sales)データの相関を明らかにできれば,需要予測モデルの構築なども可能となる。

4.2 罹患者数の予測データの活用

罹患者数の予測データは,事前に与えたリスク情報による人々の行動変容(ナッジ:そっと後押しする)が期待され,自発的な予防行動による罹患率の低減や,予防商材の販売促進に関するマーケティング戦略などへの活用が期待できる。住民の罹患率の低減は,増大し続ける国や自治体の公的負担(社会保障費)の抑制にも貢献できるものと考える。

4.3 情報インフラの構築

今後はさらに地域に密着した情報配信を可能にすべく,日本医師会ORCA管理機構との協力体制の強化に加えて,罹患者関連情報を有する薬局,学校,企業などとの協力体制も構築し,情報インフラとしての拡充をめざしていく。また,インフルエンザに代表される感染症は日本だけではなく,世界共通の課題である。SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)への貢献にも目を向け,将来的には本サービスをグローバル展開することも視野に入れながら,検討を進めていくことが必要であると考えている。

5. おわりに

昨今,世の中のあらゆる分野においてデジタル化により劇的な構造変革が起こっている。デジタルイノベーションとは,換言すれば,モノの価値(有形資産)からコトの価値(無形資産)への移行である。変革のポイントは「データの価値化」であり,(1)データを活用していかに社会の生産性を向上させることができるか,(2)データを基として創生した新たなビジネスモデルがどれだけ有効な市場を創り出せるか,が重要となる。インフルエンザの流行情報にはさまざまなニーズが期待され,関連するデータは新しい価値を生み出す可能性が見えてきた。また,本サービスは全人類にとっての脅威である新型コロナウイルス感染症(COVID-19)などの新興感染症に関する情報配信にも応用できる可能性があり,人々の安全・安心のための情報インフラとなることをめざして,今後サービス内容の検討を進めていく。本サービスはLumada事業として,日立グループのめざす「社会価値」および「経済価値」の両立に貢献していけるものと考えている。

参考文献など

1)
病原微生物検出情報,国立感染症研究所,Vol.40,No.11(2019.11)
2)
関西大学プレスリリース,宮本勝浩名誉教授が試算。インフルエンザによるマイナスの経済効果は6,628億263万円(2019.11)(PDF形式、385kバイト)
3)
野原理子,外:保育園での追跡調査および保護者へのアンケート調査による男女労働者に対する育児支援策の検討,東京女子医科大学雑誌,第81巻,第6号,p.408〜415(2011.12)
4)
日立ニュースリリース,日立と損保ジャパン日本興亜,全国初,さいたま市でAIを活用したインフルエンザ予報サービスの実証を開始(2019.12)
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