今から30年後の2050年,人類はどのような社会に生きているのだろうか。日本は超高齢化と人口減少に直面し,気候変動や資源不足などの危機によって社会の営みや生命が脅かされているかもしれない。2045年にはAIが人間の知能を超えるシンギュラリティが起こるとも言われ,デジタル技術の進展が生活や仕事,価値観を大きく変えている可能性もある。
「2050年の大学と企業のあり方」をテーマとした共同研究を行っている京都大学と日立製作所。これから予想される社会の変化,未来の社会を見据えた大学と企業のあるべき姿,そして未来の課題克服に向けて大学と企業が協力できることについて,両者のリーダーはどのようなビジョンを持っているのか――。
山極壽一総長と東原敏昭執行役社長が膝を交えて語り合う。
北川2050年の社会において私たちがどのような課題に直面しているのか,日立京大ラボは,京都大学の先生方との対話を通じて探索した研究成果を「Crisis 5.0」としてまとめ,現在,その中で示された未来社会の課題克服にどう貢献できるのかという議論を深めています。本日の対談では,そうした未来社会を見据えた大学と企業の新しい役割について伺いたいと思います。
未来について語る前にまず,不確実の時代と言われる現在の社会をご覧になって,気になることなどおありでしょうか。
山極直近ではやはり新型コロナウイルスのパンデミックです。人類の歴史は感染症との戦いの歴史であるとも言えますが,今この時代に新しい感染症が蔓延しているということは,人間と他の生物を含む自然との関係を問い直しているように思えます。人類は,進化の過程で脳が大型化していくのに伴い,栽培植物や家畜・ペット動物など,みずからコントロール可能な仲間の数を増やすという戦略で生存可能性を高めてきました。しかし,人間が世界をコントロールできるという考えは浅はかなものだったのかもしれません。集団のサイズが大きくなったことは,人間同士のコミュニケーションや,人間とその他の生物,モノとの接触を利用して増殖する細菌やウイルスを利することになりました。この世界はわれわれが思っている以上に複雑で,だからこそホメオスタシス(生体恒常性)が保たれてきたわけです。そのバランスを人間自身が崩している可能性を,感染症の拡大は示唆しているのではないでしょうか。
東原そのことをビジネスの視点から言い換えると,冷戦後,パックスアメリカーナの下で民主主義と自由市場資本主義のシステムが世界に広がり,経済発展と技術革新が急速に進みましたね。それは価値観を共有する仲間を増やすことによる生存戦略だったと言えるかもしれません。ところが,ここにきてそのシステムにほころびが見え始めています。グローバリズムの中でヒトやモノの移動が自由になったことで,旧来の国際秩序や社会秩序が崩れ,社会不安が増大し,自国中心主義が台頭してきました。新型ウイルスに限らず,気候変動,都市化や少子高齢化など,人間のコントロールを超えた課題が世界には山積みとなっています。にもかかわらず,それらを国際社会が一致団結して克服しようという機運が高まらないことも危惧されます。どのようにすればホメオスタシスが維持できるのか,難しい時代になったと感じます。
山極おっしゃるように今,資本主義そのものが行き詰まっていますね。
東原その背景にあるのは,デジタル化の進展によって起きている,モノからコトへという価値の転換です。われわれのような製造業も,単にプロダクトを提供すればよいのではなく,人々が求めている価値は何なのかをまず考え,その価値を生み出すためにモノ,システム,あるいは機能を提供するという考え方に転換していかなければなりません。
山極人間は他人の承認を通して自分の価値を感じられるという生き物ですが,これまでわれわれは主に目に見えるモノを所有することによって他人の承認を実感してきました。しかし,近年はコト,自分が何をしたか,何を見たかといった行為が価値として評価され,他人に承認されるようになりつつあります。
そうしてモノを持たなくなると,人間は「遊動民」になっていく可能性があります。必要な消耗品は必要なときに届けてもらい,家電や家具はシェアリングしながら,誰もが身軽にどこへでも移動して活躍できる社会が来るかもしれません。所有を前提とした資本主義社会に代わり,そのようなシェアリングやコモンズ(共有地・共有資源)を前提とした社会が到来するならば,人間同士のコミュニケーションもまた,共生を基軸としたものへと変化していくでしょう。これまでの社会の変化は自然科学や技術が主導してきましたが,人文・社会科学や芸術が果たす役割も大きくなっていくはずです。
東原人間の「幸せ」の中身も変わっていくでしょうね。共有や共生をベースとした社会では,他者を理解する力がこれまで以上に必要になると思います。ゼロサムゲームではなくWin-Winの発想,自利利他の精神で,自分だけの幸せではなく他者の幸せも意識し,共存共栄する社会をどう構築するかを考える時代の転換点にあるのかもしれません。今後はテクノロジーの使い方も,人間の幸せや共生という観点からコントロールしていくことが求められるでしょう。そのための倫理について,大学や企業,社会全体でもっと議論をしなければならないと思います。
北川価値の転換,新しい社会の形やコミュニケーションのあり方など,さまざまな示唆を頂きました。それらを踏まえ今後,求められる大学教育のあり方,大学と企業・社会とのあるべき関係とはどのようなものか,山極総長のお考えをお聞かせください。
山極日本の大学教育や産学連携のあり方は,海外に後れをとっているなどと言われますが,だからといって他国の成功モデルを後追いしても仕方がありません。地理的な多様性に富む日本では,大学を中心に,それぞれの地域における知というものを大切に育ててきました。いわば「知のプラットフォーム」を,日本の大学は各地域で培ってきたのです。その強みを生かさなければならないと考えています。
“Think Globally, Act Locally”というフレーズがありますが,これからは逆に “Think Locally, Act Globally”であるべきでしょう。インターネットによって世界が一つに結ばれたことで,地域のニュースも,地域の意見もあっという間に世界中へ伝わるようになりました。そう考えると,グローバル社会の本質は画一性ではなく多様性にあり,今後,地域の多様な考えをいかに世界へ発信し,他の地域と連携,協働できるかが問われるようになると思います。
そうした動きの核になるべきなのが,大学という知を生み出し,利益を直接追求しない存在です。日本では47都道府県すべてに国立大学があります。そのそれぞれが地域コミュニティの核となり,行政,産業界,地域の方々を引き込んで,地域の知を生かしたイノベーションを起こし,それらを組み合わせて世界に発信できるものを生み出していくのです。その土台として,東原社長がおっしゃったような倫理と,世界の人々の役に立ちたいという志を持った人財を育てていくことも欠かせません。
東原京都大学では,社会に通じた窓を開けて風通しをよくし,野生的で賢い学生を育てることをめざす,「WINDOW構想」を打ち出されていますね。地域,社会の核となるために,開かれた存在であるべきということでしょうか。
山極私は,京都大学に限らず国立大学というものを,公共財として使い倒してほしいと思っています。学生はもちろん社会人も含め,コミュニティのさまざまな人が大学の中に入り,大学の知を利用していただきたい。大学は知を発信するだけではなく,知を使って新たな価値を生み出す場所でなければなりません。
そのために重要なのは,やはり多様性です。2050年の社会課題解決に向けての出発点は,まず大学が開かれた存在になり,さまざまな考えを持つ個が,分野を越えて異なる能力や発想に出会い,対話を楽しみ協力関係を築くことにあると思います。
開かれる先というのは国内に限らず海外も視野に入れています。特にアジアやアフリカには,SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)で示された課題に直面している国が多くあります。そうした地域からも人財を取り込み,あるいは送り込んでネットワークをつくり,課題克服に貢献していきたいと考えています。
北川社会課題の解決に向けて,大学は開かれた存在であるべきとのことでしたが,企業としては,これからの社会において果たすべき新しい役割についてどのようにお考えでしょうか。
東原山極総長がおっしゃったように,企業もみずからの強みに目を向けるべきです。その一つが新しい倫理の確立であり,社会や環境に貢献する姿勢であると思います。昨今,世界ではESG(Environment,Social,Governance)投資が注目されていますが,日本企業にしてみれば,社会貢献を企業活動の前提とするのは当然のことです。われわれ日立も1910年の創業以来,「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という理念を変わらずに保ち続けてきました。そのことを改めて意識しようと,昨年発表した2021中期経営計画では,経済価値だけでなく社会価値と環境価値を重視し,お客様と一緒に追求していくことを前面に打ち出しました。
今後,テクノロジーの進化によって「働きがい」が薄れていくのではないかという懸念もあります。しかし,だからこそ,従業員一人ひとりが「今日一日頑張って,これだけ社会や環境に貢献できた」と感じられるような事業を展開することが,企業としての大切な役割になるはずです。そして,トップダウンだけではなくボトムアップのマネジメントにより,一人ひとりが仕事に対する充足感を得られるような環境をつくることが,われわれに限らず日本企業に求められていると思います。
山極そうですね。さらには近い将来,われわれは労働や仕事以外の営みに生きがいを見いださなければならなくなるかもしれません。私は,これからの社会では共同性(Community),社会性(Sociality),精神性(Spirituality)という三つの概念が重要になると考えています。経済性(Economy)はその三つに奉仕すべき概念です。これまでは経済発展こそが国民を幸福にすると信じられ,社会が経済に奉仕しているという状況をつくってしまったために,最初に言ったような行き詰まりが生じているのだと思います。
山極精神性に関して言えば,イスラエルの歴史学者,ユヴァル・ノア・ハラリ氏は『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』で人類の過去と未来について考察し,その続編である『21 Lessons』では,気候変動やテクノロジーの進歩による不安が増大している現代において,心の安らかさ,幸福を得るための最善の方法は瞑想であると語っています。ユダヤ教とキリスト教の社会で生きてきた彼が,瞑想という禅の精神につながる方法論に行き着いたというのは,とても興味深いことですね。瞑想は自分の内面に目を向け,心の中に入っていく方法です。心という,自然そのものであり,人工物や言葉すらない世界と深く向き合い,理解しようとすると,自然の一部としての人間のあり方に気づくのではないでしょうか。
西洋近代思想の根幹を成す二元論では人間と自然を分離して捉えます。一方,東洋思想に根ざした日本文化では人間と自然とを一体として捉えます。二元論は是か非か,ゼロサムの世界で,デジタルもそうですね。これに対して日本の文化は,「間(あいだ)」というものを大切にしてきました。このことを明らかにしたのが,西田幾多郎と和辻哲郎,そして私の師匠である今西錦司です。瞑想やマインドフルネスがアメリカの企業経営者にも注目されているのは,この「あいだの思想」がこれからの世界に必要であるということに,西洋社会が気づき始めていることの表れかもしれません。
東原あいだの思想は,経営の本質を突いていると思います。経営というものには,トップダウンとボトムアップ,マーケットインとプロダクトアウトというように,必ず両極があります。そのどちらかに振れるのではなくバランスをとること,「中庸」が経営の本質であると,私はずっと思っているのです。中庸の中は,仏教で言うところの「空(くう)」と同じで,何も無いということですが,これは存在の否定ではなく,「とらわれない」ということを意味しています。対立する二項のどちらかにとらわれない,あいだをとるという考え方が,これからの企業や大学の運営にも,社会のあり方にも必要ではないでしょうか。
北川日本の文化や精神性が世界の課題解決に貢献できる可能性があるというお話には,とても希望が持てます。今後,大学と企業が社会課題に対して一緒に取り組めることとしては,どのようなことをお考えでしょうか。
東原「Crisis 5.0」の中で示した,「信じるものがなくなる・頼るものがなくなる・やることがなくなる」という2050年の社会における三つの喪失を乗り越えるために,日立は「Imagination 5.0」というコンセプトの下,社会をより良くするために科学技術をどう育むか,市民参加型の社会システムをどう作るかという議論を深めています。その過程で大切なのは,「あるべき社会とは何か」,「人間の幸せとは何か」という本質論です。
課題解決のための新しい発想を生み出す方法の一つにアナロジー思考がありますが,人間の幸せを考えるにあたっては,山極総長のご専門である霊長類をはじめとする生物や,生態系に学ぶことも有効であると思います。日立京大ラボは,京都大学の先生方に監修いただいて「生き物ひらめきカード」というものを開発しました。これは例えば,細胞同士のコミュニケーション現象を分散型システムに生かせないかといったように,生命現象から社会システムを着想できるような構成となっています。こうしたツールや大学の知を活用させていただきながら,人間の幸せに寄与するテクノロジー,社会システムなどを具現化していきたいと考えています。
さらに言えば,大学を核とした地域の知のプラットフォームに,われわれ企業や住民の皆さんも加わり,イノベーション創出だけでなく協創によるボトムアップ型のまちづくりにまで発展させていくことが長期的なビジョンとして大切です。それぞれの地域における「幸せ」とそれに必要なファクターを,大学と企業の知を融合させて考え,実現していくことをめざしたいですね。
山極それが日本らしいスマートシティのあり方だと思います。日立京大ラボの活動は非常に斬新ですね。ただ,われわれの中に埋蔵されている人文知をまだ使い尽くしていないように感じます。人間が生き生きと暮らし,幸せを実感するには驚きや意外性が欠かせませんから,そのためにも均質化や効率化とは異なる多様な発想で社会やまちの姿を考えることが重要です。私は「大学はジャングルだ」と言っているのですが,要するに多種多様な学者がいて,お互いのことを深く知っているわけではないけれど共生していて,新しい種,すなわち新しい知がどんどん生み出されていく場が大学なのです。そういう知の多様性に富んだ場には,まだまだ可能性があります。
東原多様性はこれからの時代の重要なキーワードですね。われわれ企業にとっても,グローバル競争の中で自社の強みを発揮するには,先ほど言った三つの価値を支える多様な人財が欠かせません。そのために,さまざまな人種や国籍の方々が活躍し,自由な発想ができる環境を整えることをめざしています。そして,総長がおっしゃっていたように,社会人になってからも大学へ行くなど,さまざまな人財が大学と企業,社会の「あいだ」を自由に行き来しながら,一生学び続けることができる世界ができれば理想的です。そのために企業としても貢献したいと考えています。
山極多様性を尊重するというのは「あいだ」を認めることです。大学と企業の「あいだ」,多様な人と人との「あいだ」から,新しいものが生み出されるのだと思います。京都周辺に多くある里山は,ハレとケ(非日常と日常)のあいだにあって人間と動物が行き交う場所です。日本人はそのような場所を大切にし,その財,恵みを生かして暮らしを豊かにしてきました。そして,人間と自然とを隔てない死生観を形成してきたわけです。そうした中に潜む人間の,生命の真理を見いだそうとした西田哲学は,あらゆる知の領域に及び,京都大学にも連綿と受け継がれています。その思想を価値観の揺らいでいる今の時代に再び掘り起こし,デジタル技術をはじめとする現代の科学技術とどう組み合わせれば人が幸せになれるのかをデザインしていくという発想が,大学と企業による課題克服に向けた取り組みでは欠かせないと思います。
2025年の「大阪・関西万博」のテーマは,「いのち輝く未来社会のデザイン」です。これはまさに本日お話ししてきた日本文化の可能性と,それをもってわれわれが未来社会をどうデザインするかを世界に発信する,大きなきっかけになると期待しています。
東原同感です。「いのち」や「幸せ」というものを中心に据えた未来社会のデザインを日立京大ラボだけでなく日立全体の中でも探求して,万博をはじめとするさまざまな機会を利用しながら,社会に問いかけていきたいですね。
北川大学も企業も多様性を受け入れることで,個と個のあいだから創造性を発揮できるということに,改めて気づかされました。本日はどうもありがとうございました。
この対談は2020年2月19日に実施したものですが,感染症の拡大についての洞察は,地球規模での取り組みの重要性の認識に通じると考えます。改めて感染拡大防止にご尽力されている皆さまには深く感謝申し上げます。