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Top Interview
日立製作所 東原敏昭執行役社長兼CEOに聞く

ニューノーマル時代だからこそ大切にすべき原点

社会イノベーションのグローバルリーダーとして

[インタビュアー]木場 弘子 フリーキャスター/千葉大学 客員教授

日立製作所が創業110周年を迎えた2020年,世界は新型コロナウイルスのパンデミックに翻弄され,感染防止対策を踏まえた経済活動,移動や人との接触を控える生活様式,リモートワークを中心とした働き方の実現など,ニューノーマルへの対応を余儀なくされた。その中にあって日立はいち早く在宅勤務活用の定着化を発表したほか,国内外での大型買収や事業再編などを推進し,変革を加速する姿勢を示したことにより,ステークホルダーの注目を集めている。

日立グループのめざす姿として「社会イノベーションのグローバルリーダー」を掲げる東原敏昭執行役社長兼CEOは,社会にとって,日立にとってのコロナ禍をどう見たのか。ニューノーマル時代に求められる日立のあり方についてどう考えるのか。

フリーキャスターとして各界の著名人への豊富なインタビュー経験を持つ木場弘子氏が,東原社長の考える日立グループの強み,事業のグローバル化のねらい,変わりゆく世界において変えてはならないものについて迫る。

コロナ禍を通して見えたもの

木場私はエネルギーインフラ施設の取材をライフワークの一つとしているのですが,これまでインフラ企業といえば日立,日立といえば「日本が立つ」のように読めることもあって完全なる日本企業というイメージを持っていました。でも,今や従業員数は海外のほうが多いほどのグローバル企業だと知って驚きました。そうした変貌を遂げた秘密はどこにあるのか,グローバル化を主導された東原社長とはどのような方なのか,本日は直接伺う機会を頂き,楽しみにやってまいりました。

さて2020年は日立製作所創業110周年の節目であったそうですが,新型コロナウイルスの感染拡大による行動制限など,私たち個人も,そして企業もこれまで経験したことのない事態に直面した激動の一年でした。東原社長は,新型コロナウイルスが社会,企業活動にどのような変化をもたらしたとお感じですか。

東原COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響として私がまず感じたことは,人間や企業の強さ・弱さが浮き彫りにされたということです。目に見えないウイルスによる危機感,不安の高まりが,暗部も含めた人間や組織の内面を表出させるきっかけになったのではないでしょうか。

木場経験のない事態にうろたえて守りに入った感はあるかもしれませんね。

東原逆に,危機に直面したことで,日頃の備えや培ってきた基礎的な能力を生かせたケースもあります。今回のような危機を乗り越えるために企業に必要なのは,キャッシュフローをはじめとする経営基盤の強さです。その点では日立は運がよかったと言えます。もしこのコロナ禍が3,4年前に来ていたら苦しかったでしょう。

私は2016年にCEOに就任したのですが,当時はリーマンショック後の大幅赤字から10年かけて進めてきた改革の途上でした。2019年3月期決算でようやく調整後営業利益率8%を達成し,成長分野として位置づけたIT,エネルギー,インダストリー,モビリティ,ライフの5セクターにおいては,コロナ禍がなければ目標とする営業利益率10%超まであと一歩のところまできました。経済停滞の影響から売上収益は減少する見込みですが,現金と金融機関からの融資枠という形で1兆3,000億円の資金を確保してあるため,経営基盤が揺らぐことはありません。そうした意味からCOVID-19は弱点だけでなく,改革を通じて手にした経営基盤の安定性という強みを内外に示す機会になったとも言えます。

木場経営が信頼されているからこその融資枠だと思いますし,危機に耐える力を示したことで社会からの信頼もさらに増したのではないでしょうか。

東原そう思います。多くの命が犠牲になったCOVID-19は決して喜ばしいものではありませんが,個人も組織もみずからの強みと弱みについて確認でき,よりよいあり方をめざして行動を起こすきっかけになったという側面はあると思います。

先行きが見通せないからこその原点回帰

東原ただ先行きが見通せない中で,何を拠り所にして判断し,行動すべきなのか悩みますが,その解の一つは「原点回帰」だと私は思います。日立の場合,創業社長の小平浪平が掲げた「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という企業理念が,物事を考えるうえでの原点であることに変わりはありません。

木場その理念で日本の製造業の礎を築かれたのですね。

東原1910年の創業当時,日本の産業は近代化の緒に就いたところで,産業機器は外国製品ばかりでした。日立鉱山のエンジニアとして電気機械のメンテナンスに携わっていた小平は,外国の技術に頼らず国産技術で日本の産業を,社会を発展させたいという高い志で事業を興しました。ですから日立の原点,企業活動のベースは社会貢献です。

コロナ禍で日立は仕事のリモート化を進めましたが,オフィスという環境から離れても仕事の拠り所を見失わないためには,従業員一人ひとりが自分は社会に対してどんな貢献ができるのかを意識することが大切です。そこで,2015年から行っているグループ内のアイデアコンテストの派生形として,昨年4月にCOVID-19対策に特化したアイデアを募集する「Make a Difference! Challenge to COVID-19」というプロジェクトを実施しました。

木場ウェブサイトを拝見しましたら,世界中のグループ従業員からわずか2週間で1,430件ものアイデアが寄せられたそうですね。

東原ええ。その中でも特に多かったのが,困っている中小企業を支援したいというものでした。その具体策として,クラウドファンディングによる少額融資を支援している米国のNPO団体Kiva Microfundsを通じて,感染拡大の影響を受けた世界各国の中小事業者に,日立の基金から総額100万ドルの融資を行いました。

そのほかにもエレベーターのボタンの非接触化やリモートワーク環境の改善など,いくつかのアイデアを社内の取り組みとして形にしたり事業化したりしています。社会の課題を自分ごととして考え,解決に貢献するアイデアを提案し,会社がそれを後押しする。この課題解決モデルを形にできたことも,コロナ禍で得られたものと言えます。

課題を起点にイノベーションを起こす

日立製作所 執行役社長兼CEO 東原 敏昭 日立製作所 執行役社長兼CEO
東原 敏昭
1977年徳島大学工学部電気工学科卒業後,日立製作所入社。1990年ボストン大学コンピュータサイエンス学科大学院修了。電力システム本部長,情報・通信グループCOO,日立パワーヨーロッパ・プレジデント,日立プラントテクノロジー代表執行役社長,日立製作所執行役常務,執行役専務,取締役代表執行役社長兼COOを経て,2016年より現職。

木場社会的な課題としては,気候変動も大きなものとして挙げられますが,その取り組みについてはいかがですか。昨年のHitachi Social Innovation Forum 2020 TOKYO ONLINEの基調講演では,「世界には制約があり,限りがある,その中で豊かになるためのイノベーションが社会イノベーションである」とおっしゃっていましたね。

東原大量生産,大量消費という豊かさを追求して走り続けてきた人類に,このままでいいのかと,立ち止まって考える機会をもたらしたのが気候変動であり,COVID-19であると思います。われわれが改めて気づかされたのは,生活環境には制限があり,資源にも限りがあるということです。その中でみんなが豊かさを享受できるようにするためには,どこかで我慢することも必要です。ほんの少しの不便を受け入れることで脱炭素という価値を生み出すことができるのなら,そのほうが長い目で見たときに社会全体が豊かで幸せになれますよね。

かつては,企業はよい製品を大量に供給することで社会の発展に貢献できましたが,近年は価値の源泉が製品からサービスへ,お客様との協創へと変化しています。さらに今後は,気候変動や超少子高齢化といった社会課題が山積する中で,それらを起点に考え,その克服に貢献することが企業には求められます。社会イノベーションはそのような課題起点のイノベーションであり,世界共通の社会課題である気候変動に対しても,世界各地のパートナーとの協創による貢献をめざしています。

またそれと並行して,2030年に日立グループの事業所全体でカーボンニュートラルを実現することをめざした,われわれ自身の脱炭素の取り組みも推進していきます。

コロナ禍で進んだ在宅勤務

フリーキャスター/千葉大学 客員教授 木場 弘子 フリーキャスター/千葉大学 客員教授
木場 弘子
千葉大学教育学部卒業後,アナウンサーとして1987年株式会社TBSテレビ入社。同局初の女性スポーツキャスターとして多数のスポーツ番組を担当し,1992年フリーランスとなる。2007年洞爺湖サミット・クールアースアンバサダーおよび規制改革会議メンバー,2009年教育再生懇談会メンバーを歴任し,現在,七つの省庁で審議会のメンバーを務め,2013年より千葉大学客員教授。国際石油開発帝石株式会社社外監査役および日本港湾協会理事。
予防医学指導士。

木場COVID-19対策としてリモートワークを拡大されたとのことですが,日立はコロナ禍よりも随分前から働き方改革を推進されていますね。ニューノーマルに対応した働き方,その中で重視すべきことは何であるとお考えですか。

東原柔軟な働き方や交通混雑の緩和に貢献することなどを目的に,以前から都内近郊の駅周辺にサテライトオフィスを整備してきました。在宅勤務にはもう一歩踏み込めていなかったのですが,緊急事態宣言後は全国の在宅勤務比率が7割超まで高まりました。従業員アンケートでも約半数が今後も在宅勤務を希望しており,ウィズコロナの時代にはリモートワークを活用した働き方が常態となっていくでしょう。

そのときに重要なのは,従業員一人ひとりが自分のゴールを自分で設定することです。日立は課題起点の社会イノベーションに取り組むだけでなく,そのグローバルリーダーとなることをめざしています。リーダーは先導者ですから比べる相手はなく,目標やゴールを自分で設定しなければなりません。自分の関わる分野でグローバルリーダーとなるために何をすべきなのか,考えるのは自分です。それは自分と社会の関係を考えることでもあります。

経営層はトップダウンで大きなビジョンを示し,従業員はボトムアップで自分が事業を通じてどう社会に貢献できるのか考える。このトップダウンとボトムアップのバランスがこれからの時代は重要になるでしょう。

ジョブ型で柔軟な働き方を

木場働き方だけでなく人事制度の改革にも早くから着手され,ジョブ型人財マネジメントへの転換とそれを支えるグローバル人財マネジメントの基盤構築などに取り組んでおられるそうですね。

東原リモートワークでは特に,自分の仕事のアウトプットを明確にしないと人事評価ができません。チームで仕事を進めるにも,役割というものが明確でないとうまくいかないでしょう。また,日立の従業員の海外比率は5割を超えていますから,人財マネジメントもグローバル化する必要があります。海外では,あるジョブに対して適した人を充てるというジョブ型雇用が一般的で,人財の流動性も確立されています。日本もそうなっていくことで柔軟な働き方が実現できると思うのですが,それには新卒一括採用のような長年の慣習を変えていく必要があり,時間もかかるでしょう。そこで,まずは国内15万人の日立グループ従業員の中だけでも人財の流動性を高めることに取り組んでいます。例えば,介護で地元を離れられない人が,所属部署で業務を続けることができなくなった場合に,それまでと同じジョブで地元にある別のグループ会社で働いてもらうこともできるのではないか,といったことを考えています。

木場それはとても助かると思います。当事者には切実な問題ですからね。

幸せを軸とした「働きがい改革」

東原働き方改革と言うよりも,「働きがい改革」なのです。肝心なのは,従業員一人ひとりの働きがい,生きがいです。従業員とその家族の幸福が優先される環境があってこそ,仕事の社会的価値,社会とのつながりを実感できるのだと思います。そのうえで,自分の仕事が社会にどんな幸せや価値向上をもたらしたのか,意識しながら仕事をすることが大切です。そのために毎日1分でもいいから一日を振り返り,「今日,自分は社会にどんなグッドをもたらしたか」を考える時間を持ってほしいと従業員には呼びかけています。

木場幸せな働き方という意味では,昨年,矢野和男フェローが,人間の幸福感を定量的に計測するスマートフォンアプリ「Happiness Planet」を組織マネジメントに活用する事業を立ち上げたことが話題になりました。

東原矢野フェローは,幸せを計測する方法を研究する中で,幸せな職場や集団の特徴を発見したのです。それは簡単に言うと,メンバーの関係が平等で会話が活発,会話の相手と身体的な同調が多い,すなわち共感度が高く「つながり」のある組織です。その特徴をリモートワークでも意識することが重要だと矢野フェローは言っています。リモート会議で全員が発言できるようにすることや,会話では相づちを意識すること,リモートワーク中も頻繁に声をかけることなどです。私はそのことを「バーチャル密」と名づけましたが,リモートでもつながりを強めることで,幸せに働き,前向きに行動できる組織になれるのです。

木場今のお話もそうですが,東原社長は「つながり」ということを大切にしていらっしゃいますね。

東原ええ,社会イノベーションでも,カギとなるのはつながりです。通常のイノベーションが個々の技術的な進化であるのに対し,社会イノベーションは製品と製品,システムとシステム,データとデータ,人と人,企業と企業のつながりが価値を生み出すイノベーションです。2016年にスタートしたLumadaも,お客様とのつながり,協創を通じてデジタルイノベーションを加速するプラットフォームと位置づけています。

社会イノベーションは「スケール・バイ・デジタル」

木場Lumadaに関連して,今,デジタル技術による変革,デジタルトランスフォーメーション(DX)への期待が高まっていますが,これからの展開についてはどのようにお考えでしょうか。

東原DXという言葉はさまざまに捉えられていますが,日立としては「スケール・オブ・デジタル」ではなく「スケール・バイ・デジタル」であると解釈しています。スケール・オブ・デジタルは,ビジネスを先進のデジタル技術によって直接的に成長させること,従来のIT化の延長線上にある業務改善です。これに対し,日立が得意とする社会インフラ,産業インフラなどをデジタル技術で革新することによって新しい価値を生み出すのがスケール・バイ・デジタルです。例えば,デンマークのコペンハーゲンメトロでは,AI(Artificial Intelligence)による人流解析やセンサーデータを用いて今後の乗客数を予測し,乗客の数に合わせてダイヤを最適化する実証実験を行いました。何かイベントがあって人が多いときは数分間隔で電車が来ますが,人が少ないと10分に1本になるといったイメージですね。その路線は日にちや時間帯によっても乗客数の増減が大きいため,それに合わせて運行を最適化することでCO2排出量が削減できます。

ただし,空いている時間帯に利用する人は少し待たなければなりません。でも,ほんの少し我慢すれば環境負荷の低減に貢献できるのなら,協力していただけるでしょう。こうしたことが環境価値を起点にした社会イノベーションであり,スケール・バイ・デジタルの一例と言えます。これ以外にも,Lumadaを使うことにより,さまざまな領域で社会課題を克服しながら新たな社会像を提示する社会イノベーションが実現できます。

木場DXではデータの活用がカギになりますが,その課題についてはどうお考えですか。

東原DXに欠かせないビッグデータの自由な流通や共有のためには,それを支えるプラットフォームとデータ自体の信頼性,有用性が問われます。公共データなどのオープンデータ化が進む中で,その管理には高い倫理,国際的なトラスト(信頼)を保つための枠組みも必要です。そうしたことは一企業ではできないため,日立としてはWEF(World Economic Forum:世界経済フォーラム)が世界各国に設立しているC4IR(Centre for the Fourth Industrial Revolution:第四次産業革命センター)などで主導的な役割を果たしながら,その一端を担っていきたいと考えています。

初めてオンラインで開催されたHitachi Social Innovation Forum 2020 TOKYOの基調講演(2020年11月)

組織の枠を越えた協創で社会課題に向き合う

木場「つながり」や「信頼」という点では,日立は国内外や分野を問わず,学術機関や実にさまざまな企業とオープンなコラボレーションを行っておられますね。

東原これからの時代の豊かさや幸せについて考え,社会イノベーションの起点となる社会課題を見つけ出し,その解決策のヒントを探るには,技術や自然科学の知だけでなく人文・社会科学の深い知との連携が欠かせません。そのために研究開発部門が中心となって大学や研究機関とのコラボレーションを推進しています。特に東京大学,京都大学,北海道大学とは「産学協創」のラボを設置し,東京大学とは政府の推進するSociety 5.0を軸としたスマートシティのビジョン作成,京都大学とはAIを用いた未来分析や生物に学ぶシステムモデルの考案,北海道大学とは数学モデルを取り入れた社会課題の解決策など,それぞれの大学の特色を生かし,ビジョン創成とイノベーション創造に向けた共同研究を行っています。

また,神戸医療産業都市の中に設置した日立神戸ラボでは,iPS(Induced Pluripotent Stem)細胞の自動培養装置を手掛け,再生医療分野でのオープンイノベーションに取り組んでいます。神戸アイセンターと連携し,視覚障がいのある方々に対して幅広いサポートを行うロービジョンケアのプロジェクトにも参画しています。

木場企業とのコラボレーションについてはいかがですか。

東原協創プロジェクトは数多くありますが,先ほどお話ししたデンマークのコペンハーゲンメトロなどの海外案件に加えて,日本国内でも製造業,金融業など,幅広い業種のお客様と協創を進めています。乗用車販売やトラックリース,ロジスティクスなどを主な事業とする北米のあるパートナー企業とは,日立のLumadaを活用して,米国国内でリースしている多数のトラックを対象に,センサーでトラックの状態を把握し,故障の予兆を捉えて最適なタイミングで部品交換を行うことで車両稼働率を向上させる仕組みを構築しました。日立は長年,自動車部品事業も手がけてきましたから,センサーデータから部品の故障の予兆を高い精度で捉える知見を持っています。そのような現場の知と技術力を生かしたソリューションです。

「黒船来航」で真のグローバル化を

木場海外事業では,ABBのパワーグリッド事業や米国のJR Automationの買収など,積極的な事業拡大や統合を進めておられますね。世界情勢は不透明で今後も混迷の度を増していくと思われますが,日立はどのような姿をめざしているのでしょうか。

東原めざしているのは,真の意味でグローバル企業へと変貌を遂げることです。日立のグローバル化が本格化したのは鉄道事業の英国進出からです。それまで国内事業で蓄積してきた車両技術を生かしつつ,現地の事情を踏まえて開発した車両が高く評価され,今では日立の英国での都市間特急車両シェアは50%を超えています。その成功を踏まえてイタリアの鉄道車両メーカー,Ansaldo Bredaと,信号システム大手のAnsaldo STSを買収し,海外事業を大きく伸ばしました。これは,国内で蓄積した力を海外で発揮する「インサイドアウト」のグローバル展開です。

ABBの場合は逆に,すでに90か国以上で事業を展開し,15,000社以上の顧客を持つ世界シェア首位のパワーグリッド事業を取り込み,強みを吸収するという「アウトサイドイン」のグローバル展開と言えます。私はこれを「黒船来航」に例えています。1853年の黒船来航は何も知らなかった当時の日本人に大混乱を巻き起こしましたが,この買収はグローバル事業というものを知ったうえで私が意図して呼び込んだ黒船であり,日立の事業のあり方,企業文化をグローバルに通用するものへと変革するためのドライビングフォースにしたいと考えています。

木場ただ,企業の買収,特に海外企業となると,文化や社風の違いが障壁になることもあると思うのですが。つながった後にどう「融合」するかも重要ですよね。

東原そのために相互理解の深化を目的としたプログラムなども実施しています。実は,ABBの前身は1900年にスウェーデンに設立されたElektriska Aktiebolaget Magnet社で,鉱山や発電所などの産業に電気機械設備を提供する企業でした。日立よりちょうど10年早く,しかも鉱山の設備がルーツという,これはすごい偶然ですよね。

木場驚きました。ということはDNAも似ているのでしょうね。

東原そうなのです。事業の基本理念も社会貢献で,従業員を大切にするという精神も共通しています。私がこの買収を決断した決め手の一つは,先方のトップと会談したときに感じた,ケミストリー,相性が合うという肌感覚なのです。

現場を知る日立だからこそ

東原そして事業でのポイントは,ABBが育ててきた変圧器や高圧直流送電システムなどの世界トップレベルの製品を提供していくとともに,Lumadaの予兆診断サービスなどを組み合わせることで,世界各地のニーズに合わせたDXサービスを提供していくことです。さらにそこへ鉄道やトラックなどの他分野のサービスもつないでいくことができれば,社会イノベーションが加速します。グローバル企業になること自体が目的なのではなく,データとデジタル技術を駆使して,それぞれの地域ごとの社会課題を解決し,新たな価値を提供することが真の目的です。

木場おっしゃっていたスケール・バイ・デジタルのグローバル展開ですね。

東原そうです。そこで重要になるのは,例えばABBがパワーグリッド分野で蓄積してきたような,コアとなる専門知識や経験知,いわゆるドメインナレッジです。日立は産業,インフラのさまざまな領域でドメインナレッジとOT(Operational Technology)を培ってきました。デジタル技術にそれらを加えたイノベーションがスケール・バイ・デジタルなのだと私は考えています。それは,ITだけの企業が提供することは難しい,現場を知る日立だからこそできることだと言えます。

木場OT,IT,プロダクトを兼ね備えている企業は世界でも稀だと伺っています。

東原ええ,Lumadaは,その三つを有する日立の強みを生かしたプラットフォームです。スケール・バイ・デジタルは,一般に言うところのCPS(Cyber Physical System)による課題解決という表現もできるでしょう。CPSはサイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムです。コペンハーゲンメトロの例で言うと,AI画像解析やセンサーデータから予測した,今後のホーム人数のデータをサイバー上に送り,分析して,電車の運行間隔を制御する。これを実現するには,データを生み出すプロダクト,解析するITに加え,プロダクトを制御するOTのナレッジが不可欠です。このようなCPSが社会のあらゆる領域に浸透して,これまでにないサービスや価値を生み出し社会課題を解決していくのが,日本政府が提唱しているSociety 5.0であり,Lumadaでその実現に貢献していきたいと考えています。

「グローバル野武士」になろう

木場最初にコロナ禍に遭っても不変なものとして企業理念を挙げておられましたが,グローバル企業へと変貌していく過程でも変えてはならないものは何であるとお考えですか。

東原まずは,技術へのこだわりです。自前主義にはこだわりすぎないようにしていますが,日立は技術で社会に貢献する会社ですから,製品の技術力を磨くことで世界ナンバーワン,オンリーワンの製品も生み出しています。それから「日立らしさ」ですね。かつて「野武士」と呼ばれた日立のエンジニアらしさ,すなわち泥臭く,汗をかきながら,本質的な課題を自分で考え,すべての課題を自分ごととして解決していく姿勢です。

課題を自分ごととして考えるというのは,原点回帰でもあります。日立も最初は小平創業社長が数人で立ち上げたベンチャー企業でした。創業製品である国産5馬力のモータの開発では意見の対立もあったと思いますが,方向性が決まれば「和」の精神で一丸となって取り組みました。製品にトラブルが発生したときは「誠」の精神でお客様に誠実な対応をしました。そして「開拓者精神」で,失敗しても諦めませんでした。この「和・誠・開拓者精神」という日立創業の精神は,企業理念とともに変えてはならないものです。そのうえで,これからは環境や高齢化といったグローバルな課題に向き合う,「グローバル野武士」になろうと従業員に呼びかけています。

そのときにもう一つ忘れてならないのは「利他」の精神です。これは日立創立者の一人である馬場粂夫が,仕事の心構えとして説いた,「己(おのれ)を空(むな)しうして唯(ただ)孚誠(ふせい)を盡(つく)す」という言葉に由来します。わがままを捨て去って,相手を思いやる誠の心で仕事をしなさい。そうすると見えてくるものがあるという教えですが,COVID-19の影響でギスギスとした今の世の中だからこそ,改めて噛みしめたい言葉です。

木場企業として利益を上げることは重要だけれど,お客様とその先のお客様の笑顔や感謝があってこそ,社会を幸せにしてこその利益ということですね。

利他の精神で社会に変革を

東原矢野フェローの研究も含め,「人間の幸せとは何か」という問いかけは,これからも続けていかなければなりません。幸せという価値をどう向上させていくかも,これからの大切なテーマです。

AIが社会のあちこちで活用され始める中で,AIは人間を幸せにするのかといった不安が語られることもあります。けれども,利他の気持ちで技術を活用すれば間違った方向には行かないはずであり,そのことをベースにDXの時代にふさわしい新たな倫理を確立する必要もあるでしょう。光による脳機能の計測技術を開発し,脳科学の教育への応用を研究している小泉英明名誉フェローは,倫理の源泉は「温かい心」にあると説いています。小泉名誉フェローは私たちによくこう言いました。人間は利己的な生き方もできるけれど,人生の最後で幸せを感じられるのは,やはり利他の精神で社会に貢献し,誰かを幸せにした人である,と。DXの時代をリードしていく企業として,日立は利他の精神と,温かい心に根ざした新しい倫理の確立にも貢献していきたいと思っています。

木場本日は,御社のさまざまな革新的な技術のお話を伺いましたが,でも,根底にあるのは,「利他」や「温かな心」というところにとてもホッといたしました。利他というのは素敵な言葉で,リタという響きは名前のように聞こえますよね。そう思って調べてみましたら,Litaは欧米の女性の名前であるとともに,一説では「光」という意味合いを持つそうです。利他の精神は,「社会を照らす光」と言えるかもしれないですね。

東原それいいですね,どこかで使わせていただきます。これまでの常識が通用しなくなるニューノーマル時代だからこそ大切にしたい社会貢献,利他の精神をもって,日立は社会イノベーションをリードしていきます。

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