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COVER STORY:CONCEPT

産業と社会を変革するAI&デザイン思考

デジタル人財を育むLumada Data Science Lab.

ハイライト

人々の価値観や意識がめまぐるしく変化し,不確実性の時代と呼ばれる現代。コロナ禍によってビジネスや日常生活の景色が一変する中で,経営や社会システムのレジリエンスを高めるために,デジタルトランスフォーメーション(DX)による企業・社会の構造改革と新たな価値創造が求められている。

株式会社野村総合研究所のシニアパートナーである青嶋稔氏は,企業経営コンサルティングの豊富な実績を基に,産業界,特に製造業のDXによる構造改革の必要性を訴えるとともに,日本企業におけるDX推進には課題があると指摘する。

DXによるビジネス変革,構造改革を成功させるために必要なものとは何か。「DX人財」をどう育成していくべきか。デジタル技術の活用による新たな価値創造が期待される領域とは。青嶋氏と,2020年に新設された日立のLumada Data Science Lab.を率いる影広達彦ラボラトリ長との対談を通じて探っていく。

目次

社会におけるミスマッチの解消へ

昨年来のコロナ禍によって企業のデジタル化が進むとともに,デジタル庁の新設,脱炭素とデジタルを軸とした成長戦略など,政府によるDX(Digital Transformation)の後押しも期待されています。青嶋さんは数多くの企業のDXに携わっておられますが,社会全体や産業界でDXが必要とされている背景について教えていただけますか。

青嶋 稔青嶋 稔
株式会社野村総合研究所
コンサルティング事業本部 シニアパートナー
1988年に大手メーカー入社後,トップセールス,米国法人営業マネジメント,CRMプロジェクト,買収後統合,新規事業開発などに従事。
2005年に株式会社野村総合研究所に入社し,グローバル事業コンサルティング部,技術・産業コンサルティング部,電機・精密・素材産業コンサルティング部を経て現職。グローバル製造業に対する中期経営計画,事業戦略,営業改革,M&A戦略立案,買収後の統合戦略などを数多く担当。著書に『リカーリング・シフト 製造業のビジネスモデル変革』,『日本は「パッケージ型事業」でアジア市場で勝利する』,『戦略実行力』,『事業を創る。』,『「強くて小さい」グローバル本社のつくり方』など多数。

青嶋私は野村総合研究所のシニアパートナーとして,DXコンサルティングを主に担当していますが,やはり製造業の皆さんはDXに高い関心をお持ちです。

ではなぜDXが必要とされているのか。その背景をマクロな視点から見ると,社会のさまざまなミスマッチという課題があると思います。例えばモビリティで言うと,自家用車の使用率は日本ではたった4.2%,世界全体でも1割以下にすぎません。つまり,多くの人がほとんど動かさない車をアセットとして持っているのです。そうした動いていない車と,動きたい人をマッチングして車をシェアすれば,アセットを有効活用できます。

エネルギー分野で言うと,脱炭素社会に向けて再生可能エネルギーの比率を高めていくには,電力の需要と供給のミスマッチを解消しなければなりません。デジタル技術を活用すれば,きめ細かな需要予測,デマンドレスポンスによる最適な需給調整,送配電の効率化などが可能になり,電力システム全体の変革につながると期待されています。

さらに産業界全体で言うと,「人財」とジョブや成長機会とのミスマッチが課題です。人財戦略やマネジメントにデータを活用するHRTech(Human Resource×Technology)のようなソリューション,スマートファクトリー化による労働力不足の解消や技能継承の迅速化などが求められています。

これらの課題は従来からあったのですが,ここにきてデジタル技術が一層発展したことにより,「解決に向けて何かできるのではないか」という期待が高まってきたのではないでしょうか。

影広同感です。私は現在,人工知能イノベーションセンタと,2020年4月1日に発足したLumada Data Science Lab.のラボラトリ長を兼務しておりますが,入社以来デジタルやAI(Artificial Intelligence)に関連する分野の研究を続けてきました。ご存知のとおり日立にはさまざまな現場があり,研究開発グループではこれまでもデジタル技術によって現場の課題を克服するための試行錯誤をしてきました。そうしたことが最近になってDXと呼ばれて注目されるようになり,正直なところ少し驚いています。ただ,それはご指摘いただいたように,社会や産業界の課題意識,デマンドに対して,最新のデジタル技術やデータサイエンスをどう生かせば価値を生み出せるのかが,きちんと定義できるようになったためだと言えるかもしれません。

画像解析技術を産業用途に応用

日立が取り組んできたDXの具体的な事例を紹介していただけますか。

影広 達彦影広 達彦
日立製作所 研究開発グループ Lumada Data Science Lab.
ラボラトリ長 兼 人工知能イノベーションセンタ センタ長
1994年日立製作所入社。University of Surrey 客員研究員,社会イノベーション協創統括本部を経て2020年より現職。博士(工学)。筑波大学大学院 グローバル教育院 エンパワーメント情報学 客員准教授。画像認識,機械学習に関する多数の論文を手がけ,開発特許は50を超える。2009年,「還流型ATM向け海外紙幣汎用識別方式の開発と実用化」において,公益財団法人大河内記念会より大河内記念技術賞を受賞。

影広私はもともと画像処理や画像認識が専門なので,その得意分野の例になってしまいますが,例えば株式会社ダイセルとの協創では,画像処理システムを使って工場における作業者の挙動,設備と材料の動きを解析し,不具合を未然に防ぐソリューションを開発しました。

また,東急電鉄株式会社との協創では,駅の混雑状況などを画像で配信する「駅視-vision(エキシビジョン)※)」というサービスを開発しました。カメラで撮ったそのままの画像にはプライバシー上の問題があるため,人の部分をアイコンに置き換えるという処理を行った映像を配信することで,プライバシーと見やすさの双方に配慮しています。

その他の分野でも,お客さまの課題,お客さまにとっての価値の創出を起点に考え,それに対してわれわれの技術がどう生かせるかというアプローチで,協創によるDXに取り組んでいます。

青嶋生産現場の人たちが持つ暗黙知のようなものを形式知化するうえで,画像は非常に大きなポイントになりますよね。ダイセルの事例は産業界でも注目されていまして,宣伝のようで恐縮ですが最新著の『リカーリング・シフト』の中でも紹介させていただきました。

影広ありがとうございます。カメラを使うと,作業者に負担をかけることなく情報を取得できるため,センシング技術の中でも導入しやすいことがこの技術の利点です。これまでは防犯・監視システム系への応用が多かったものを,産業用途,特に技能伝承やエラー防止といったところに応用できたのは,日立ならではと言えそうです。

※)
駅視-visionは,東急電鉄株式会社の登録商標である。

リカーリングモデルの類型

モノからコトへ,日本の製造業の進化を

青嶋さんは最新著でリカーリングについて書かれていますが,やはりビジネスモデルの潮流がそちらに向かっているのでしょうか。

青嶋そうですね。顧客とのつながりを深めるために,リカーリングビジネスを検討されているケースが多いですね。

DXはさまざまな業種で推進すべきものですが,私が特に期待しているのは,モノからコトへというビジネスモデルの転換をはじめとする,日本の製造業の進化です。とは言え,例えばそれまでコンプレッサーを販売していたけれど,これからは圧縮空気を売るのだと言っても,なかなか簡単にはいかないものです。モノの品質や価値で勝負してきた日本の製造業にとってコト(サービス)への転換は容易ではなく,皆さん苦労されています。リカーリングというのはある種の囲い込み戦略ですから,顧客から絶対に必要なものだと思われないと,ウォンツではなくマストになれないと,継続が難しい。その壁をどう突破するかが問われています。

影広当社でも以前からリカーリングビジネスへの転換に取り組んでいますが,やはり大切なのはお客さまの課題を起点に考えることであり,そのためには顧客協創を強化する必要があります。そこで2015年に,研究開発グループの中に社会イノベーション協創統括本部を設置しました。お客さまの課題の分析から,解決するためのビジョンの共有,仮説構築,価値の検証までをデザイナーと一緒に行う「NEXPERIENCE」という手法を軸として,先ほどご紹介した事例のような新しいビジネスやサービスの創出にお客さまと一緒に取り組む部門です。私もそこに2年ほど所属していましたが,研究開発の中にそのようなフロント部隊をつくることで,お客さまの課題と日立のリソースを結びつけやすくなっていると感じます。

青嶋赤坂の社会イノベーション協創センタや,国分寺の「協創の森」には私もお邪魔したことがあります。技術ありきで売り込もうとするのと,まずお客さまのビジョンを引き出してから必要な技術を一緒に考えることには大きな差がありますよね。顧客自身も気づかなかったニーズを引き出せる可能性もあるわけで,顧客にとってのウォンツで終わるかマストになれるかの違いはそこにあるのではないかと思います。

DXの普及・進展には,フロントで顧客のビジョンやニーズを引き出せる人をいかに増やすかが重要です。もちろんAI技術者やデータサイエンティストは必要ですが,まずはそうした人がいないと,いくら優秀なデータサイエンティストがいても宝の持ち腐れになってしまいます。「DX人財」ということを誤解している企業は意外に多く,日立のように体系化された手法や組織を持っている企業は少ないのが実情です。

DXは目的ではなく手段である

Lumada Data Science Lab.のミッション

影広日立も道半ばですが,おっしゃるとおり,「ビジネス力」と「データサイエンス力」,「エンジニア力」の三つがそろわないと顧客協創のDXはうまくいかないということを,実際の事例を通して感じています。ただ,ビジネス力を持っている人財は限られていますよね。

私がラボラトリ長を務めるLumada Data Science Lab.は,データサイエンティストのトップ人財として,AI・データアナリティクス分野の研究者,OT(Operational Technology)に精通したエンジニアやコンサルタントなど約100名を集めて協創の森に設立されました。先ほど挙げていただいた赤坂の社会イノベーション協創センタも協創の森にオフィスを移転し,同じ建屋の中で仕事をすることで連携を深めています。フロント人財がお客さまの課題を発見してブレークダウンし,データサイエンティストが分析や仮説構築を行い,エンジニアが実装するという三位一体の体制を整えることで,Lumadaを活用したデジタルソリューションを素早く,確実に提供していきたいと考えています。

青嶋協創の森を見学したときも感じましたが,あのようなシンボリックな場をつくるということは,人財が育つ場=プロジェクトづくりという面でもプラスになりますね。

今の日本社会に足りないのは「デザイン思考」だと思います。技術や現場の強みだけに依存していたのでは,DX時代に生き残るのは難しいでしょう。まず社会や顧客の課題を発見し,解決に必要なことを顧客と一緒に考え,アジャイル方式で動くことが必要なのですが,日本企業にはまだそのような仕事のやり方を経験している人財が少ないのです。協創の森のような場とプロジェクトを通じて,そうした人財の基盤をつくっていくことは重要だと思います。

IMD(International Institute for Management Development:国際経営開発研究所)のマイケル・ウェイド教授は,日本におけるDXはそれ自体が目的化していると警鐘を鳴らしています。GoogleやAmazonのような自社と比較対象にならない企業の取り組みをベンチマークしていることも多く,表層的な議論にとどまっていると指摘していました。彼の言うとおり,DXは目的ではなく手段であり,最初に「何を実現したいか」を明確にしないと何事も実現できません。そうした意味でも,日立の手法や体制は注目に値すると思います。

QoLや幸せを軸とした,DXによるまちづくり

ここまで製造業の進化や人財に関して議論してきましたが,青嶋さんはDXの展開で今後どのようなことを日立に期待されますか。

オープンな協創エコシステムをめざす「協創の森」オープンな協創エコシステムをめざす「協創の森」

青嶋一つはウィズコロナ時代のスマートシティです。例えば先ほどの混雑状況可視化サービス,あるいは人流解析技術などはソーシャルディスタンスの確保に活用できますよね。また,さらに先を見据えると,都市のレジリエンスを高めるためには,いわゆる「都市OS(Operating System)」のような都市のデータ活用プラットフォームも必要になり,日立が貢献できる領域は多いと思います。

影広まちづくりは研究開発のテーマとしても大きく,われわれも注力しています。これからは効率化や経済価値という側面だけでなく,環境価値や社会価値,住む人・利用する人のQoL(Quality of Life)向上や「幸せ」が大切であると考え,それらを実現する都市のあり方などを検討しています。

青嶋QoL,健康,幸せなどはこれからの社会の重要なキーワードですね。それらに関連するかもしれませんが,今,サイバー空間ではAIによる予測やレコメンドが当たり前になり,逆に思いがけない出会い,セレンディピティがなくなりつつあります。本でも何でもそうですが,過去データからのレコメンドにはない意外な発見が,楽しさや成長につながると思うのです。リアルでもサイバーでも,ある種の「人間らしさ」の演出と言いますか,本人が気づかなかった発見をもたらしてくれるようなAIの開発も,技術的なチャレンジとしては面白いのではないでしょうか。

影広おっしゃるとおりセレンディピティは大事ですね。レコメンデーションも研究テーマの一つですが,統計的な正しさと意外性は相反する要素ですから,そのバランスがなかなか難しいのです。けれども,やりがいのある研究だと思います。

人財の流動化で社会全体に活力を

青嶋あとは,最初に言った人財のマッチングですね。社会全体の活力,成長力を高めるためにも人財の流動化が重要です。まずは個々の企業内で人財を可視化し,流動化していくこと,そして社会全体で必要な人財のスキル定義の明確化とマッチングが実現していくと,流動性が高まるはずです。日立グループではジョブ型雇用への転換と流動化に取り組んでおられるそうですが,そのソリューション化にもぜひ取り組んでください。

さらに言えば,人の潜在的な能力を見つけ出したり,ジョブに求められる要件を導き出したり,それらをマッチングしたりするAI,能力育成のヒントを出してくれるAIなどが実現できると素晴らしいと思います。

影広そうですね。技術的には能力の解析やマッチングは可能なのですが,それ以前に,個人の属性データのようなものを統一的に整備して一元管理できるようにすることが大きな課題となります。日立グループでも,ジョブディスクリプション(職務の見える化)に取り組んでいるところなので,今後グループ内で運用しながら最適なモデルをつくっていきたいと考えています。

そうした人財のマッチングをはじめ,AI技術の社会への展開や適用では,倫理面の課題も指摘されていますが。

影広日立は社会インフラを担う会社として,昨今言われているAI倫理においても責任を持つ義務があると思っています。AIの社会実装には,技術そのものへの対応だけでなく,その技術が適用された社会システムやサービスがどう扱われて,どのようにユーザーに影響するかを考えることが不可欠です。そのために精度やロバスト性を高めるとともに,透明性・説明性の保持,データの管理など,「信頼されるAI」のための技術開発をさまざまな角度から進めています。

環境価値の向上へ「産業シンバイオシス」にも期待

AI関連の研究開発で,特にフォーカスしているのはどの領域でしょうか。

影広長期的な視点で言うと,複数のAIの全体最適をどう実現していくかが今後の課題になります。例えばスマートシティなどが拡大していくとCPS(Cyber Physical System)も大規模化し,その中で複数のAIが同時並行で動くようになるでしょう。それぞれのAIが異なる解析結果を出した場合,全体としてどうまとめるのかというポリシーやそれを実現する技術が必要になります。

日立では画像,言語,ログデータなど,さまざまな個別のAI技術を磨いていますから,それらを束ねてうまく調整する技術,全体を最適化する技術についてもLumadaの中で実現すべく,技術的な検討を進めています。AIも含めたシステム全体の生態系としてのバランスをとっていくことが,超スマート社会実現のポイントになると考えています。

青嶋ITだけでなくさまざまな事業を手がける日立だからこその発想ですね。生態系と近い話で言うと,「産業シンバイオシス」のようなテーマにも挑戦していただけたらと思います。シンバイオシスは共生という意味ですが,デンマークをはじめ北欧では,企業活動で発生する廃棄物を「副産物」として考え,他社と交換して燃料や原料などに活用する産業シンバイオシスが発達しています。デジタル技術を活用すれば,「副産物」を可視化して活用する仕組みも構築しやすいと思いますし,そうした意味での生態系をつくることは,環境,脱炭素という側面からも重要ではないかと思います。これは個人的な思いなのですが,地域で副産物などのリソースを利用し合う共生型社会,豊かな循環型社会が実現できることを願っています。

影広日立も環境価値は重視しており,再生可能エネルギーの使用量の可視化など,脱炭素社会の実現に貢献するデジタル技術の開発を進めていますけれど,おっしゃるような社会のあり方から変えていく取り組みも必要ですね。

社会の変化が加速する中で,お客さまとの価値協創プロセスもスピードアップが求められています。われわれ研究開発グループでは,Lumada Data Science Lab.を起点としたオープンイノベーションに力を入れ,アジャイル型の研究開発の強化も図っていきたいと考えていますので,引き続きアドバイスなど頂けると幸いです。本日はありがとうございました。