キャピラリー電気泳動型DNAシーケンサーは,生命の設計図であるDNAの塩基配列や塩基長を解析する装置である。医療・健康分野や犯罪捜査のためのDNA鑑定などに幅広く利用され,世界中で活用されている。株式会社日立ハイテクは,成長が期待される小型CEシーケンサー市場向けに,多種少数検体の計測に適し,かつ操作性に優れたDS3000を開発し,国内およびアジア市場において上市した。
本稿では,ダイレクトポリマー充填機構と分析試薬のカートリッジ化による多種少数検体の短時間分析,パネルコンピュータとレーザーダイオード採用による省設置スペース,そして遠隔モニタリングシステムによる利便性の大幅向上を実現したDS3000の概要について述べる。
現在のゲノム医療の基盤は,2000年代初頭のヒトゲノム計画にある。日立が開発したキャピラリー電気泳動型(CE:Capillary Electrophoresis)DNAシーケンサー(以下,「CEシーケンサー」と記す。)は,DNA配列解析のゴールドスタンダードとなるサンガー法を効率化し,この計画に大いに貢献した。2005年頃に登場した,短いDNA断片を超並行処理する次世代シーケンサーにより,DNAシーケンサー市場は大きく成長し,基準となるさまざまなDNAデータベース(参照配列)が構築された。2015年頃から,個々のDNAの違いを分析する医療や犯罪捜査といった応用市場が拡大している。
CEシーケンサーは,DNAの任意の箇所を安価かつ簡便に分析できる特長を生かして,法医学におけるDNA鑑定1)に用いられている。また,分子診断の一つのアプリケーションとして,大腸がんなどの固形がんの治療判定補助に関する遺伝子変異検査(マイクロサテライト不安定性検査)2)など医療における重要な役割を担っている。
キャピラリー本数4本以下の小型卓上機の市場は,堅調な成長が期待されている。株式会社日立ハイテクは,試薬開発・製造に強みを持つPromega社とのコラボレーションを通じて,小型市場向けに多種少数検体の計測に適し,操作性にも優れた小型CEシーケンサーを開発した。日立ハイテクは同製品を国内およびアジア市場向けに日立ブランドDS3000として,全世界に販売・サービス網を有するPromega社はグローバル市場に向けて同社ブランド製品として上市した3),4)。
2003年のヒトゲノム計画完了以降,次世代シーケンサーの登場もあり,ハイスループットタイプの大型CEシーケンサー装置の需要は大幅に減少していった。しかし,CEシーケンサーは大学などの学術機関,官公庁所属の研究機関において,医療・健康分野や犯罪捜査のためのDNA鑑定などに幅広く利用されており,特に,個々の研究室で装置を利用する小型卓上市場の需要は堅調である。
小型市場においては,塩基配列解析や,対象DNAの長さと量を測定するフラグメント解析など用途や分析サンプルがさまざまである(図1参照)。そのため,これらの多種少数サンプルへの対応,限られた実験スペースへの設置,専門家でなくても使いこなせるユーザーインタフェースが求められる。また,顧客が迅速な結果確認を要する場合や,結果取り扱いに慎重な場合など,シーケンス受託企業への外注や学内共通機器室の利用ではなく,自身の研究室で装置を保有したいというニーズがある。これに対しては,旧Applied Biosystems社製310型(1本キャピラリー装置)が多く使用されていたものの,2011年に製造中止となり,これに代わる小型機が切望されていた。
そこで,日立ハイテクは本市場のユーザーニーズに対応した,目的によって異なる種類の分析試薬(ポリマー)を容易かつ迅速に切り替え可能で,使い勝手に優れた小型の装置を開発し,市場参入することとした。
図1|分析の目的に応じた異なる種類の分析試薬(ポリマー)の使用CE(Capillary Electrophoresis)シーケンサーでは分析の目的によって異なる種類のポリマーを使用する。複数のユーザーが,フラグメント解析(DNA鑑定や遺伝子変異検査)と塩基配列分析するシーケンス解析を切り替えて使用する。
図2|DS3000の外観および消耗品装置外観(a)およびメインドア開時,消耗品およびそれらの配置(b)を示す。装置正面扉には,装置制御用パネルコンピュータが設置された。消耗品試薬類は使い捨て容器を用いてカートリッジ化し,キャピラリーアレイも容易に装着できるようにした。
DS3000の開発においては,多種多様な計測を簡便に行いたいというユーザーニーズに対応すべく,ダイレクトポリマー充填機構とポリマーカートリッジを新規開発した(図2参照)。また,操作・一次解析を行うパネルコンピュータを内蔵し,小型・省設置スペースを実現した。さらに,装置はユーザー環境のネットワークに接続され,ユーザーが保有する汎用PCで測定データを取得し,装置稼働状態の確認などを可能にする遠隔モニタリング機能を開発した。本章では,この製品の特徴を説明する。
図3|ポリマー送液方法比較および送液フローDS3000用ポリマー送液システムは,ポリマーカートリッジと送液アクチュエータで構成される。ポリマーカートリッジは,ポリマーを保持する消耗品で,かつシリンジの機能を持つ。また,送液アクチュエータは,ポリマーカートリッジの底面を押し上げ,4本のキャピラリーに同時にポリマーを送液する。本方式により,ポリマー種類変更に要する時間と手間が大幅に軽減された。
本製品の主な想定ユーザーは,臨床研究やDNA鑑定を行う小規模研究室でDNAシーケンサーを共有して使用する複数の研究者である。それぞれのユーザーが塩基配列解析あるいはフラグメント解析などのアプリケーションに対応したポリマーを,簡便にキャピラリー内に充填できることが望ましい。
従来機種ではポリマー種類の変更に約60分を要する。ポリマー交換作業に時間がかかる理由は,交換時に流路をポリマーで置換し,ポンプブロック内流路に混入した気泡を除去する必要があるためである。
日立ハイテクはこの問題を克服するために,ポンプブロックを廃止し,使い捨てポリマーカートリッジとキャピラリーを直接接続する,送液アクチュエータで構成される新たな送液システムを開発した(図3参照)。本システムにより,前述の気泡除去作業を必要とせず,アプリケーションに応じてポリマー種類を容易に変更可能となった。また,従来は装置本体の一部であったシリンジの機能を消耗品であるポリマーカートリッジに搭載し,ポリマーの結晶析出固化が懸念される箇所を消耗品の一部にすることで,顧客メンテナンスであるポリマー送液機構およびその周辺の洗浄作業が不要となった。
図4|ネットワーク接続方式と遠隔モニタリング機能測定中に離れた場所から装置の稼働状態,測定中のエレクトロフェログラムをリアルタイムでモニタリングでき,かつ,ブラウザを介して測定結果やレポートをダウンロードすることも可能であり,アクセシビリティの向上を実現した。
装置操作と測定結果の配列解析を行うパネルコンピュータを内蔵し,かつ,光源にレーザーダイオードを適用して光学系を小型化することにより,従来比60%の省設置スペースを実現した(図5参照)。
光学系の小型化に際して,新規505 nm励起半導体LD(Laser Diode)を光源として採用した。従来機種は,DPSS(Diode Pumped Solid State:LD励起固体)を光源として用いていた。DPSSは結晶励起およびレーザー光連続波発振用のレーザーヘッドユニットと制御用のコントローラから構成される。また,CCD(Charge Coupled Devices)データ転送時の励起光遮断のためのメカニカルシャッタを設けていたため,スペースを要していた。本開発機では,LDからのレーザー光自体をパルス発振でき,レーザーヘッドとコントローラの一体モジュール化,シャッタレスにより小型化を実現した。
本章では,多種検体の分析事例について述べる。ここで紹介する事例は,それぞれの解析で異なるポリマーや装置設定を必要とするものであり,多種検体に対応するDS3000の特長が生きる実例と言える(表1参照)。また,ここに挙げる例以外にもDNA鑑定5),医療研究での使用例が報告されている。
表1|各解析で使用した装置設定DS3000は表に示す分析用の試薬(ポリマー)や装置設定(アッセイと蛍光色素の数)を容易に変更できる。
ゲノム中には,1〜6個の特異的なDNA塩基配列が数十回繰り返されるマイクロサテライトと呼ばれる領域がある。このマイクロサテライトにおける突然変異をMSI(Microsatellite Instability:マイクロサテライト不安定性)といい,ミスマッチ修復酵素の異常を予測するバイオマーカーとして知られている。MSI分析は,1塩基単位で分布するピーク波形を検出・比較する必要があるため,サイジングの精度や再現性に高い性能が求められる。ここでは,市販のパラフィン包埋切片を用いて実施されたMSI分析を紹介する。
試料にはMSI不安定性が確認された標準サンプル(MSI,HD830)※1)および野生型のサンプル[MSS(Microsatellite Stable)HD831]※1)を使用した。次にPromega社のMSI analysis system ver. 1.2を用いてマイクロサテライト領域を増幅し,得られた増幅産物をPolymer7を用いて電気泳動した。
波形データの解析結果を図6(a)に示す。MSI特異的なピーク波形が漏れなく検出されていることが分かる6),7)。
低頻度変異は複数の細胞から成る試料のうち一部の細胞で発生する突然変異を指す。がんの発生や進行の原因となることがあるため,がん研究における有用性が知られている。塩基配列解析において,低頻度変異に由来する信号は,試料の大多数を占める野生型DNAの信号に埋もれてしまうため,低頻度変異の検出には高い感度と精度が要求される。ここでは,DS3000を用いて,がん原遺伝子(KRAS)上の低頻度変異を検出した例を示す。
試料は遺伝子解析用標準サンプル※1)を使用した。この試料は,特定の部位に突然変異を持つDNAであり,変異部位と頻度が公開されている。これを野生型のDNAで希釈して低頻度変異の模擬サンプルを作成した。次にKRASを標的として塩基配列解析を行った。得られた波形データをSoftGenetics 社のMutation Surveyor v5.1.2で解析した。一例を図6(b)に示す。10%の低頻度変異を検出していることが分かる※2)。
食品アレルギーは成人の1〜3%,小児の4〜6%に発生し,しばしば命を脅かす重篤な症状を示すことがある。そのため,アレルゲンの検出と表記は食の安全を維持するうえで重要な課題である。ここでは,貝類に広く存在し,アレルギーの要因となるトロポミオシン遺伝子を標的に,マルチプレックスPCR(Polymerase Chain Reaction)とキャピラリー電気泳動を組み合わせた高感度検出法を紹介する8)。
初めに,市販の貝類(ハマグリ,アワビ,ムール貝,カキ)からDNAを抽出し,等量ずつ混合した。次にトロポミオシン遺伝子とポジティブコントロールの18S rDNAをマルチプレックスPCRで増幅した。得られた産物を,Polymer4を用いて電気泳動した。結果を図6(c)に示す。この結果,わずか0.01 ngの貝類のDNAに由来するピーク波形を得ることができた9)。
図6|DS3000で実施したさまざまな解析の概要(a)は,MSSとMSIの波形データを重ね合わせたものである。ピーク波形はGeneMarker v3.0.1(SoftGenetics社)で描画し,加工した。(b)はKRASで認められた低頻度変異の波形データを示す。グアニン(G:黒で表示される波形)のピーク波形に対して10%の低頻度変異であるシトシン(C:グレーで表示される波形)のピーク波形が重なり,混合塩基(S)の判定表示をしている。低頻度変異の検出感度は,サンプルの状態や周辺の塩基配列により変動する。ここでは限定された条件下の一例を示す。(c)は0.01 ngの貝類のゲノムDNAを用いて実施したマルチプレックスPCR産物の波形データ(GeneMarker HID v2.9.3,SoftGenetics社)を示す。
本稿では,多種少数検体の計測に適した日立ハイテクの小型CEシーケンサーDS3000について述べた。
今後は顧客課題を把握し,先行的な技術開発を活用したCEシーケンサーの応用市場の創出・拡大をめざすとともに,ゲノム・医療・健康・環境など多様なデータ情報との融合によるデジタルソリューション事業へ展開し,健康で安全な社会づくりに貢献していく。