日立評論

デジタルバイオマーカー活用を通じたQoL向上と高齢者向け予防支援

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ハイライト

デジタルバイオマーカーとは,人の心身状態を理解するために,生理学的または行動学的な特性を計測した客観的な指標である。健康増進分野や疾病予防・治療分野においては人々に適切な介入や行動変容支援を行ってQoLを向上させるため,デジタルバイオマーカーによる日常生活の心身状態の評価が有効である。

本稿では,センシング方法の観点でデジタルバイオマーカーを分類して近年の動向を示した後,日立が研究開発を進めてきた健康増進分野と介護・疾病予防分野におけるデジタルバイオマーカーの活用事例を紹介する。

目次

執筆者紹介

佐野 佑子Sano Yuko

佐野 佑子

  • 日立製作所 研究開発グループ ヘルスケアイノベーションセンタ ヘルスケアIT研究部 所属
  • 現在,ヘルスケア分野のデータ計測・分析技術の研究開発に従事
  • 博士(情報理工学)

小幡 亜希子Obata Akiko

小幡 亜希子

  • 日立製作所 研究開発グループ ヘルスケアイノベーションセンタ ヘルスケアIT研究部 所属
  • 現在,心身機能の評価技術開発・認知科学に関する研究に従事
  • 博士(医学)

敦森 洋和Atsumori Hirokazu

敦森 洋和

  • 日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 所属
  • 現在,生体センシング技術開発・認知科学に関する研究に従事
  • 博士(工学)

田中 毅Tanaka Takeshi

田中 毅

  • 日立製作所 研究開発グループ ヘルスケアイノベーションセンタ ヘルスケアIT研究部 所属
  • 現在,ヒトの行動・生体データの計測,および分析技術の研究開発に従事
  • 情報処理学会会員

伊藤 奈桜Ito Nao

伊藤 奈桜

  • 日立製作所 研究開発グループ ヘルスケアイノベーションセンタ ヘルスケアIT研究部 所属
  • 現在,生体計測解析・疲労評価に関する研究に従事

三幣 俊輔Minusa Shunsuke

三幣 俊輔

  • 日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 所属
  • 現在,ヒトの行動・生体データの計測,および分析技術の研究開発に従事

豊村 崇Toyomura Takashi

豊村 崇

  • 日立製作所 研究開発グループ ヘルスケアイノベーションセンタ ヘルスケアIT研究部 所属
  • 現在,生体計測および生体データ分析の研究開発に従事

1. はじめに

デジタルバイオマーカー(以下,「DBM」と記す。)とは,人の心身状態を理解するために,生理学的または行動学的な特性を捉える客観的な指標である。近年,健康増進分野や疾病予防・治療分野において人々のQoL(Quality of Life)を向上させるために,生体データを日常的に記録して適切な介入や治療につなげる重要性が高まっていることから,DBMが注目されている。

DBMが記録する生体情報は,心拍・脈拍・血圧・心電図・皮膚電気活動・血糖値などの生理学的指標と,歩行・運動・発話・視線などから得られる行動学的指標がある。これらの指標は,健康増進分野では,健康経営・安全運転・安全就労・スポーツ支援など,疾病・介護予防分野や治療分野では,疾患早期発見・疾患予防/重症化予防・デジタル薬・デジタル治験・オンライン診療などにおける活用が検討されている。

DBMのセンシング方法には,さまざまな型がある(表1参照)。ここでは,計測対象者への侵襲性の有無の観点で、侵襲性のない環境設置型・ポータブル型・アプリ型・ウェアラブル型・AR(Augmented Reality)/VR(Virtual Reality)型と、侵襲性のあるインプラント型・体内摂取型に分類している。

環境設置型には,電化製品の使用頻度を検知する電化製品型と,壁・ベッド・トイレなどに設置して身体動作・バイタル情報・排泄状態などを評価する住居設置型がある。ポータブル型には,中赤外光レーザーを用いた非侵襲の血糖値計測や呼気アルコール検知などがある。アプリ型は数多くあるが,例えば,スマートフォンやPCのカメラを用いて,運動機能や心理状態を評価するアプリが挙げられる。ウェアラブル型は,スマートウォッチなどのリストバンド型のほか,指輪型,眼鏡型,胸章型,衣服型があり,身体動作の他にも,心拍・心電図・皮膚電気活動・呼吸などを計測可能である。AR/VR型は,仮想空間上に視覚情報を提示した際の脳波や行動を計測することで,視力や脳機能を評価可能である。

また,侵襲性があるものとして,インプラント型と体内摂取型がある。体内摂取型は,経口摂取により深部体温や服薬状況を記録できる。インプラント型には皮下埋め込み型やコンタクトレンズ型があり,血糖値を計測可能である。

これらの中で,インプラント型・体内摂取型は体内の状態を計測できるが,侵襲性があるため計測対象者への負荷が大きく,安全性の観点から汎用的に使用するのは難しい。一方,それ以外の型は,非接触または体表面における計測に限られるが,侵襲性がなく計測対象者への負荷が小さいため,幅広い用途で使用可能である。

そこで,日立製作所研究開発グループは,健康増進分野と介護・疾病予防分野において幅広い領域で使用できることを重視して,計測負荷が小さい環境設置型・ポータブル型・アプリ型・ウェアラブル型のDBMの開発を進めてきた。本稿では,これらのDBMを紹介するとともに,今後の展望を述べる。

表1|DBMのセンシング方法と具体例表1|DBMのセンシング方法と具体例デジタルバイオマーカー(DBM)は,計測対象者への侵襲性が小さい順に,環境設置型,ポータブル型,アプリ型,ウェアラブル型,AR/VR型,体内摂取型,インプラント型と分類し,具体例を示す。

2. 健康増進分野のDBM

本章では,日立で開発した健康増進分野のDBMを紹介する。2.1節で述べる労働者の健康改善のための身体機能評価・改善技術は,環境設置型およびアプリ型のDBMであり,2.2節で述べる組織的パフォーマンス向上に向けたスポーツ集団分析技術と,2.3節で述べるドライバーの事故リスク低減に向けた安全運行管理技術は,ウェアラブル型のDBMである。

2.1 労働者の健康改善のための身体機能評価・改善技術

図1|姿勢評価・改善技術のオーバーヘッドスクワット姿勢の評価の様子図1|姿勢評価・改善技術のオーバーヘッドスクワット姿勢の評価の様子それぞれの筋肉の過活動または非活動を特定し,柔軟または強化するプログラムを即時に提供するシステムを開発した。この姿勢を取ることにより,17種の筋骨格情報を評価する。

近年,労働者の健康を維持・増進して生産性高く働き続けることをめざす健康経営が着目されている。そのため,健康維持・増進のために労働者に行動変容を促すような技術の開発が課題である。日立は,健康維持・改善に関する行動変容を実現するため,身体機能を簡易に定量評価するDBMの開発と,DBMの評価に基づく身体機能の改善手法を開発してきた。ここでは,静的および動的な身体機能評価・改善に関する二つの技術を紹介する。

  1. 姿勢評価・改善技術
    本項では,静的な身体機能(姿勢)に着目した身体機能評価・改善について説明する。身体機能の低下,不調,非定常な状態は,関節の稼働範囲や筋肉バランスと関連している1)。そこで,立ち姿やオーバーヘッドスクワット(図1参照),両手上げ,前屈,座り込みといった,これらが顕著に表出される姿勢に着目し,カメラで撮影した全身画像から骨格特徴点(上肢保持角度,しゃがみこみ角度,膝内向き度など)を抽出し,基準値とのズレや平常時との違いを評価する。
    関節の稼働範囲や筋肉バランスの不均衡は,主に骨格連動筋肉の過剰な緊張と不活性な弛緩が原因であり,この不均衡を解決するため,評価結果に基づき,各筋肉に対し柔軟または強化する改善法を提示するシステム開発を進めた2)。現在,本システムの効果検証を行っている。
  2. 運動トレーニング支援・評価技術
    本項では,動的な身体機能(運動)に着目した身体機能評価・改善について説明する。近年の新型コロナウイルスの感染拡大防止に伴う在宅勤務の広がりによって,運動不足に陥るオフィスワーカーが増えていることを受け,在宅の小さなスペースで短時間で実施できる運動トレーニングアプリを開発した3)
    このアプリは,タブレット端末の画面にトレーナーの教示動画を表示し,それを模倣してユーザーが運動するものである。この運動の様子をタブレット端末のフロントカメラで撮影して,リアルタイムで骨格情報を抽出し,適切なフォームで運動ができていた回数をカウントする[図2(a)参照]。早稲田大学との共同研究により,運動に不慣れなオフィスワーカーも無理なく実施できるように,負荷の小さいStep 0から負荷の大きいStep 3までの4段階の運動メニューを開発してアプリに搭載している[図2(b)参照]。いずれの運動も1畳程度のスペースで実施可能で,1回10分程度である。Step 0から開始し,アプリで自動カウントされた回数と主観評価による運動のきつさによって,ステップアップの可否が自動判定される。
    このアプリを日立製作所の従業員41名が2か月間使用したところ,最後まで運動実施を継続できたのは25名(61%)と半数以上となった。また,推奨実施頻度である週3日以上継続したのは19名(46%)であった。今後,より高い継続率に向けて,運動メニューや評価方法の検討を行っていく。

(1),(2)の技術の適用可能領域としては,健康経営の他に,日常生活における未病・疾病予防や健康維持・増進の支援,疾病回復のためのアセスメント,疾病罹患後の疾病共生における心身モニタリングなどが考えられる。

図2|運動トレーニング支援・評価技術図2|運動トレーニング支援・評価技術タブレット端末に導入した運動トレーニングアプリを使用している様子を(a)に,アプリに搭載されている運動メニューを(b)に示す。ユーザーの運動レベルに応じて,運動強度が小さいStep 0から大きいStep 3へステップアップしていく。

2.2 組織的パフォーマンス向上に向けたスポーツ集団分析技術

スポーツ分野では,効果的な選手指導のために,センサーから得られたデータ分析による定量的かつ客観的な選手のパフォーマンス評価が期待されている。現状でも,運動強度や速度などの個人パフォーマンス指標の導入は進んでいるが,同様に重要とされる複数の選手の動きの関係性に基づく組織的パフォーマンスにおいては,映像観察などに基づく実用的な分析手法がなかった。そのため,現場の指導者がチーム内の選手の動きの関係性を客観的に評価して,効果的な指導を行うことが難しいという課題があった。

そこで,本研究では,センサーで計測した2者の加速度データから潜在的情報伝達を推定する移動エントロピーを用いた分析手法を提案し,サッカーU-18チームを対象として練習試合中の選手の加速度データを収集し,提案手法の妥当性・有用性を評価した4)

移動エントロピーは,脳計測において各ニューロンの活動を示す時系列信号から神経伝達を推定する手法としても用いられる。二つの信号間における関係性を調べる代表的な方法としては,相互相関関数,コヒーレンス関数などの線形解析法や,相互情報量,相対エントロピーなどを用いる非線形解析法が挙げられるが,因果性という情報の流れる方向まで含めて解析することには適していない。

これに対し,因果関係の推定に適した方法として,移動エントロピーの適用が近年進められている。移動エントロピーは非線形的な変動をする信号間にも適用できることが分かっている。そこで本研究では,同じフィールドで同時にプレーをする2選手の加速度信号を正規化した離散変数列に変換して移動エントロピーを算出する独自の解析方法を提案し(図3参照),集団スポーツのチームにおける潜在的情報伝達の構造をネットワークで可視化するシステムを開発した(図4参照)。

実際のサッカーチームの各選手が装着したウェアラブルデバイスの加速度データから移動エントロピーを算出して評価した結果,指導者が意図する組織的攻撃ができていると判断したシーンでは,相手チームからの情報伝達が統計的有意に大きくなっていることが確認でき,集団スポーツの組織的パフォーマンスを表す指標となりえることが示唆された。この結果,提案手法の導入により,現場の指導者がトレーニング中の選手の動きの関係性を定量的かつ客観的に把握しやすくなると期待される。

今後,長期的なデータを収集することで,将来的にはトレーニングの効果や選手の成長などの変化をデータに基づいて把握できるシステムにつなげていく。

図3|選手間の移動エントロピーの算出手順図3|選手間の移動エントロピーの算出手順移動エントロピーにより,IとJという二つの時系列データに対し,Iの過去の系列からIの次の状態を予測する不確実さに比べて,Jの過去の系列を加えた場合に,相対的に変化する不確実さの程度を測ることができる。

図4|情報伝達ネットワークの表示方法図4|情報伝達ネットワークの表示方法有向グラフの接続の方向と有無は,2選手間の移動エントロピーの双方向の差が一定閾値以上であるものを,選手間で一方向に明らかな情報伝達があったものとして描画する。

2.3 ドライバーの事故リスク低減に向けた安全運行管理技術

ライフラインを支える運送事業において,継続的な安全運行は社会的責任であり,事業経営上の最優先課題である。国内トラック業界では,業務前のドライバーの体調を確認し,健康状態に起因する交通事故の未然防止の対策が取られている。しかし,現状ではドライバーの運転中の疲労やストレス,注意力低下といった,事故につながるリスクを把握できていなかった。また,運転中のドライバーをモニタリングする製品はこれまでにもあったが,これによって検知できるのは主に眠気であり,その原因である疲労自体を計測することができなかった。そのため,事故の主要な原因の一つとされる漫然運転への対策が不十分であった。そこで本研究では,運転中のドライバーの生体情報を自動計測し,ドライバーの体調変化にリアルタイムで対応するスマート安全運行管理の実現をめざした。

本研究では,運転中のドライバーの心拍データを,シャツに装着された衣服型のセンサーによって非侵襲に計測することで,ヒヤリハットの発生につながるドライバーの疲労検出を可能にした。実際の業務におけるドライバーの心拍データと車両の挙動データを1,000名分以上取得し,ヒヤリハット発生と疲労に関わる自律神経機能との関係に着目した分析を行った。

取得されたデータを用いて,初めに車両の挙動データのみから運転操作の危険度(ヒヤリハットリスク)を推定する技術を開発することで,交通事故が発生していない実業務中についても,ヒヤリハットリスクを定量的に評価可能とした。本技術により利用可能となった実業務中の大規模データに対して機械学習による分析5)を行った結果,心拍変動に基づく自律神経機能の特徴とヒヤリハットリスクに高い相関があることを発見し,疲労による事故リスクの上昇が示唆された(図5参照)6)。したがって,心拍データをウェアラブルデバイスで常時計測すれば,疲労などが深刻になる以前に運転中の事故リスクを高精度に予測できるため,ドライバーや管理者にリアルタイムで通知することで事故を未然に防止することも可能と考えられる。

本技術の適用可能領域として,トラック以外にもバス,タクシーなどの幅広い輸送業務全般へサービス化・外販する予定であり,ニューノーマル時代の運行管理とドライバーの安全性向上を推進する7)

図5|ヒヤリハットの発生と相関の高い特徴量による事故リスク予測技術図5|ヒヤリハットの発生と相関の高い特徴量による事故リスク予測技術収集した業務データを用いて,ドライバーが事故に遭遇するリスクを評価するアルゴリズムを開発した。業務データには急ブレーキなどのヒヤリハット場面を検出可能な車両挙動データ,疲労に関わる自律神経機能を推定可能な心拍データが含まれる。ヒヤリハット場面の発生確率と疲労の関係をモデル化した事故リスク評価テーブルを用いることで,運転中のドライバーの心拍データからリアルタイムな事故リスク予測が可能である。

3. 介護・疾病予防分野のDBM

本章では,日立で開発した介護・疾病予防分野のDBMを紹介する。3.1節に述べる高齢者の転倒予防のための筋活動解析技術は環境設置型のDBMであり,3.2節に述べる認知症早期発見に向けた手指運動解析技術はポータブル型のDBMである。

3.1 高齢者の転倒予防のための筋活動解析技術

図6|トレーニング効果評価システムと筋活動解析技術図6|トレーニング効果評価システムと筋活動解析技術トレーニング効果評価システムの利用シーンを(a)に示す。本評価システムでは,高齢者の足元に置いたパネルの点滅に合わせてパネルを踏むという楽しく簡単な動作だけで筋肉の活動を評価する。(b)に示すとおり,ヒトの骨は剛体であるため,膝を伸ばした状態と膝を曲げた状態で関節間の長さは変わらない。また(c)に示すように,ヒトの自然な動きでは,微小時間において関節位置が移動する方向は滑らかに変化する。

高齢者が要介護状態となる原因の一つは筋力低下に起因する転倒・骨折であり,予防には筋力トレーニングの継続が有効とされている。筋力トレーニング継続には,効果を実感できるよう可視化し,モチベーションを維持・向上することが重要である。そこで,部屋に設置したカメラの画像を用い,筋骨格解析に基づきパワー・柔軟性・瞬発力・持続力・疲労度の五つの筋活動の観点で筋力トレーニングの効果を評価するシステムを開発した(図6参照)8)

筋骨格解析とは,関節位置をモーションキャプチャなどで計測し,各部に生じる力や筋活動を推定する技術である。臨床研究の筋骨格解析では関節位置の計測にミリメートル単位の正確性が要求されるため,大規模なモーションキャプチャシステムを用いる。一方,本システムは高齢者施設に簡単に導入できるよう,市販の三次元カメラを用いて関節位置を計測している。しかし,三次元カメラでは計測結果にばらつきが生じ,筋骨格解析の精度が低下するという問題があった。

これを解決するため,計測した関節位置を人体の構造と生体力学的な特性に基づき高精度かつリアルタイムで補正する骨格座標補正アルゴリズムを開発した9)。本アルゴリズムでは,ヒトの骨は剛体であるため関節間の長さが不変であること[同図(b)参照],および,ヒトの関節位置は滑らかに移動すること[同図(c)参照]を制約条件に加えた最適化問題を解くことで骨格座標を補正する。本技術により,補正前と比べ,計測結果のばらつきを約3分の1に低減することが可能になった。

本システムの評価のため,老人ホームで6名の高齢者に対し3週間の効果検証を行った。その結果,5名においてトレーニング継続に対するモチベーションの維持・向上が確認された。今後,さまざまな顧客との実証実験を通じて本システムの精度を高め,高齢者が心から楽しめるサービスとして広く提供することをめざす。

3.2 認知症早期発見に向けた手指運動解析技術

図7|手指運動解析技術を認知症患者に適用した結果図7|手指運動解析技術を認知症患者に適用した結果(a)は両手交互指タッピングの典型的な波形を示す。高齢健常者と比較してアルツハイマー型認知症患者の波形が不規則になっている。また(b)に示すとおり,指タップの特徴量と医師の評価した認知症重症度は相関している。

高齢化社会の進行により,アルツハイマー型認知症(AD:Alzheimer’s Disease)の患者は年々増加している。早期発見ができれば,投薬で病気の進行を遅らせることができるが,既存のADのスクリーニング検査としては,血液検査,嗅覚テスト,タブレット端末上の認知課題による検査などがあるものの,採血時の痛み・検査時間の長さ・検査精度の点で十分ではなかった。

そこで,ADのスクリーニング検査を実現するため,両手の手指運動の巧緻性に着目し,両手の指タッピング運動(親指と人差し指の繰り返し開閉運動)の波形を解析する技術を開発した。この波形は,装着が簡便で生体安全性も高いマクセル株式会社の磁気センサー型指タッピング装置10)を用いて計測する。この装置は持ち運びが可能であり,高齢者施設や病院内の任意の場所に設置して計測できる。前述の解析技術により,指タッピング運動の振幅,タッピング間隔,両手の位相差などの基本的な21個の特徴量に加えて,両手指のリズム運動機能の低下を示す二指の接触時間や,両手の動作波形の類似度などに関する23個の特徴量を算出できる。

この解析技術を用いて,国立長寿医療研究センターは,ADおよびその予備群の外来患者23名と高齢健常者22名を対象に手指の運動計測を行い,問診による認知症検査MMSE(Mini Mental State Examination:ミニメンタルステート検査)のスコアとの関係性を調べた11),12)。その結果,両手交互指タッピング運動で健常群と認知症群の間に有意差があり[図7(a)参照],また,両手同時の指タッピング運動における両手の位相差のばらつき(相関係数r=−0.78)や,両手交互の指タッピング運動における二指の接触時間のばらつき(r=−0.71)[同図(b)参照]でMMSEのスコアと相関が高かった。本成果を得た後も,本解析技術を用いてADの評価が進められている13),14)

本技術を発展させて,精度が高く,被験者の負担が少ない簡易なスクリーニング検査が実現できれば,ADの早期発見につながり,患者のQoLの改善,医療費や介護費の削減にも貢献できると考えられる。

4. おわりに

日立は,健康経営・安全就労・スポーツ分析の健康増進分野と,転倒予防や認知症早期発見など疾病・介護予防分野において,運動やバイタル情報を主な計測対象として,計測負荷の小さい環境設置型・ポータブル型・アプリ型・ウェアラブル型のDBMの開発を進めてきた。今後も,これらのDBMを核としながら計測対象や適用分野を拡大し,人の心身状態を多面的に評価できるDBMの開発を進める。そして,DBMの計測結果に基づいた適切な介入や行動変容支援の実現をめざし,健康増進分野や疾病・介護予防分野における人々のQoL向上に貢献していく。

参考文献など

1)
M. Akram et al.: Effects of Corrective Exercises on Posture, Pain, and Muscle Activation of Patients With Chronic Neck Pain Exposed to Anterior-Posterior Perturbation, Journal of Manipulative and Physiological Therapeutics, Vol. 43, No. 4, pp. 311-324(2020.5)
2)
舟根司,外:筋状態評価装置,特願2021-085279(2021.5.20)
3)
Y. Sano et al.: iPad Exercise Application for Home-based Workers with Individually Optimized Exercises, 2021 43rd Annual International Conference of the IEEE Engineering in Medicine and Biology Society(EMBC)(2021.10)
4)
田中毅,外:移動エントロピーを用いた集団スポーツにおける潜在的情報伝達の分析手法,情報処理学会論文誌,Vol. 62,No. 2,pp. 737〜746(2021.2)
5)
田中毅,外:運転の危険リスクを予測するシステム,特2020-184248,WO2020/225956(2020.11.12)
6)
S. Minusa et al.: Increase in rear-end collision risk by acute stress-induced fatigue in on-road truck driving, PLoS One, Vol. 16, No. 10, pp. e0258892(2021.10)
7)
株式会社日立物流,新サービス「SSCV-Safety」提供開始のお知らせ〜「事故ゼロ社会」をめざす安全運行管理ソリューション〜」(2021.7)
8)
日立製作所,高齢者が楽しみながら転倒予防トレーニングを継続できるトレーニング効果評価システムを開発(2021.11)
9)
豊村崇,外:高齢者の運動意欲向上を目的とした筋骨格解析にもとづく運動効果評価システムの試作開発,生体医工学,Annual59巻,Abstract号,p. 455(2021.10)
10)
マクセル株式会社,磁気センサ型 指タッピング装置 UB-2
11)
アルツハイマー型認知症に特有の指タッピング運動パターンの抽出に成功(2016.5)
12)
S. Suzumura et al.: Assessment of finger motor skills in individuals with mild cognitive impairment and patients with Alzheimer’s disease: Relationship between finger-to-thumb tapping and cognitive function., Japanese Journal of Comprehensive Rehabilitation Science, Vol. 7, pp. 19-28(2016.5)
13)
J. Sugioka et al.: Assessment of finger movement characteristics in dementia patients using a magnetic sensing finger-tap device, Japanese Journal of Comprehensive Rehabilitation Science, Vol. 11, pp. 91-97(2020.9)
14)
S. Suzumura et al.: Assessment of finger motor function that reflects the severity of cognitive function, Fujita medical journal, Vol. 7, No. 4, pp. 122-129(2021.11)
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