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ハイライト

近年,化学・素材メーカーは,循環型社会を実現する高機能材料の早期開発を求められている。一方,従来型の材料開発では試行錯誤の長い期間が必要であったことから,材料科学を情報科学と融合したマテリアルズインフォマティクスが注目を集めている。

日立グループが開発したChemicals Informaticsは,特許などの公開データを活用し,良特性かつ特許未取得の材料を絞り込み,戦略的な研究開発の加速を支援する。これにより,試作・計測評価効率化による材料廃棄ロス削減だけでなく,環境負荷軽減に寄与する生分解性プラスチック,脱炭素化に欠かせないリチウムイオン電池材料や水素・メタン・アンモニアなどを製造する触媒,焼却してもCO2排出量を増やさない天然・バイオ由来材料などの開発を促進し,環境経営に貢献する。

目次

執筆者紹介

黒川 麗Kurokawa Rei

黒川 麗

  • 株式会社日立ハイテクソリューションズ ICT事業統括本部 事業企画部 所属
  • 現在,新規事業開発およびマーケティングに従事

岩崎 富生Iwasaki Tomio

岩崎 富生

  • 日立製作所 研究開発グループ 生産・モノづくりイノベーションセンタ 材料プロセス研究部 所属
  • 現在,分子シミュレーションを活用した材料設計に従事
  • 理学博士
  • 日本機械学会フェロー
  • 高分子学会編集委員
  • 日本材料学会会員
  • 電気学会会員
  • エレクトロニクス実装学会会員
  • J-STAGE(論文公開サイト)

磯部 隆史Isobe Takashi

磯部 隆史

  • Hitachi High-Tech America, Inc. 所属
  • 現在,AIソリューションの研究開発に従事
  • システム情報工学博士

岡田 吉弘Okada Yoshihiro

岡田 吉弘

  • 株式会社日立ハイテクソリューションズ ICT事業統括本部 ITプラットフォーム本部 所属
  • 現在,AI事業およびクラウド事業の取りまとめに従事
  • 日本ソーシャルデータサイエンス学会会員

1. はじめに

地球規模での環境問題が深刻化する中,人々の生活や経済活動の基盤となる「モノ」を創出するものづくり企業には,原料の採取から製造,廃棄までサプライチェーンを通じた持続可能性と責任ある生産活動が求められている。中でもモノの材料を生み出す化学・素材産業には,これらを解決する新たな高機能材料の早期開発への期待が高まっている。こうした中,人手に頼る従来の材料開発手法から脱却し,情報科学を活用する新たな試みが広がっている。

2. マテリアルズインフォマティクスがもたらす材料開発の進化

マテリアルズインフォマティクス(以下,「MI」と記す。)とは,統計分析などを活用した情報科学の技術により,材料開発を高効率化する取り組みである。研究者の経験や勘に基づく従来の手法に比べ,開発期間の大幅な短縮が期待できるほか,未知の材料の発見につながる可能性もあると期待されている1)

2.1 材料開発プロセスを変革するMI

図1|従来型の材料開発とマテリアルズインフォマティクス(MI)の比較図1|従来型の材料開発とマテリアルズインフォマティクス(MI)の比較情報科学技術の活用により材料開発の高効率化が期待されている。株式会社三井住友銀行「マテリアルズ・インフォマティクスによる材料開発」(2019年11月発行)を参考に日立にて作成した。

MIがもたらす材料開発プロセスの変革を図1に示す。従来型の材料開発プロセスでは,まず新材料の目標性能を設定した後,材料開発者が類似の開発事例を調査し,経験や知見に基づいて設計したすべての材料に対してシミュレーション,試作・計測評価を行うといったプロセスが採られてきた。MIを活用した場合,目標性能の設定後,技術調査や材料設計の段階でAI(Artificial Intelligence)などの技術を用いて材料候補を絞り込み,絞り込んだ材料に対してのみシミュレーションや試作・計測評価を行う。これにより開発期間の短縮,コスト低減と同時に,未知の材料の発見につながるものと期待されている。

2.2 MIの環境経営における役割

未知の材料発見や開発効率化を実現する取り組みとして注目を集めてきたMIであるが,企業において環境,社会問題への対応が急務となる中,環境経営への貢献に対する期待も高まっている。近年,ものづくり企業には,製品ライフサイクルを通じた持続可能な材料の使用が求められている。

こうした中,化学・素材産業はMIを活用し,環境適合性,生体適合性,調達・リサイクル性などに問題のある材料の新たな代替材料開発や,持続可能な社会の実現に向けたエネルギー変革を促すバッテリー素材,社会基盤としての情報通信技術変革を促す半導体材料といった技術革新を支える高機能材料の早期開発を試みている2),3),4)

また,このような開発対象材料の革新にとどまらず,材料開発プロセスから可能な限りむだを排除することによる,持続可能で責任ある生産活動への転換も期待されており,MIの環境経営における役割は近年飛躍的に拡大している。

3. 戦略的な材料開発を実現するChemicals Informatics

株式会社日立ハイテクソリューションズは,化学・素材メーカー20社以上にヒアリングを行い,材料開発プロセスの中でも上流の技術調査や材料設計を支援する独自のMI技術であるChemicals Informatics(以下,「CI」と記す。)を開発した。

特許や論文などの公開技術文献を自然言語処理技術で解析してデータベースを構築し,その中から材料の構造や元素組成などの特徴をベースに,これまで注目されたことのない材料や,AIが生成した新たな構造の化合物を探索・提案するとともに,それらの予測特性値や関連特許を提示するクラウドサービスである。

3.1 膨大な公知データを活用し材料開発プロセスを上流から変革

図2|CIの活用例図2|CIの活用例CIは,特許など膨大な文献データの中から良特性が期待される候補化合物・材料を予測特性値や関連特許リンクとともに提示することにより,網羅的な特許文献調査を数クリックの操作で実現する。

CI活用の例を図2に示す。ある材料の基となる二つの化合物A,B,および網羅性を高めるためA,Bそれぞれの類似化合物100個ずつの組み合わせで特許調査を行う場合を想定している。特許データベースに化合物A,Bの名称を入力して検索し,表示された複数特許の明細書を読み込み,特性値などを書き出す。この作業を100×100=1万通り繰り返し,かつ読み込みに1回当たり10分かかると仮定すると,1,600時間以上が必要となる。これは非現実的であるため,従来は材料開発者が勘と経験に基づき候補化合物をあらかじめ選定し,試作・計測評価を行ってきた。つまり,経験豊富で勘所を心得た材料開発者であれば高い特性の期待できる化合物候補を選定することが可能だが,そうでない場合には見逃したり,目的の特性に届かない材料や既存特許に抵触する材料においてもむだな試作・計測評価を繰り返したりする可能性があった。

CIを活用した場合,化合物A,Bを入力すると,CIが化合物A,Bの類似化合物100個程度を自動で選定し,100×100=1万通りの組み合わせで網羅的に探索を行い,数分後には良特性が期待される候補化合物・材料を,特性値予測や関連特許リンクとともに提示する。公開特許の網羅的な探索を行うため,高い特性値が期待できるにもかかわらず特許未取得の化合物・材料も提示可能である。このように,人力では非現実的であった網羅的な特許文献調査を数クリックの操作で実現する。

豊富なデータをそろえたCIを材料開発プロセスの上流で活用することで,化合物・材料候補を広い範囲で検討のうえ絞り込み,絞り込んだ有望な候補に対してのみシミュレーション,試作・計測評価を実施することが可能となる。これにより材料開発プロセス全体を効率化し,開発の成功可能性を高め,早期に意図した成果を出せる戦略的な研究開発を実現する。

3.2 CIの技術的優位性

CIの革新性を支える技術要素は三つある(図3参照)。

一つ目は自然言語処理技術である。インターネット上に公開されている105の国と地域の3,000万件の特許や3,300万件の論文などから,自然言語処理技術を用い化合物・材料の特性値や分野・用途を抽出して独自データベース化している。収録化合物数は1億1,700万,分野・用途は119種類,特性は61種類,特性値データ数はすでに4億100万を超える。

二つ目は新規化合物生成AIである。既知化合物の一部の構造をランダムに変更し,新規性の確認された化合物1,100万件を収録している。

三つ目は探索AIである。CIは単純なキーワード検索ではなく,構造や元素の特徴などを基に,目的の特性を持つ可能性の高い材料の探索を行う。化合物を複数指定可能であり,複数化合物の特性を併せ持つ化合物や,化合物どうしを組み合わせた複合材などを発見できる可能性がある。

CIはこれらの独自技術を統合しクラウドサービス化することで,ブラウザ経由で接続すればすぐに活用開始できる環境を整えている。

図3|CIの革新性を支える技術要素図3|CIの革新性を支える技術要素独自の自然言語処理技術で収集した化合物関連データとAIが生成した新規化合物の中から,独自の探索AIで良特性が期待される候補化合物・材料を効率的かつ網羅的に探索する。これを日立のプライベートクラウドサービス「ayamo」上で安定処理する。

4. 環境経営に寄与するCIの活用事例

CIを材料開発プロセスの上流工程で活用することでプロセス全体の効率化が可能となり,試作・計測評価に用いられる材料の廃棄ロス削減のみならず,環境負荷軽減に寄与する高機能材料の開発促進が可能である(図4参照)。

図4|環境負荷を軽減する生分解性プラスチックの添加剤探索事例図4|環境負荷を軽減する生分解性プラスチックの添加剤探索事例生分解性プラスチックの強度を高め,かつより自然環境で分解され易くする新しい添加剤をCIを活用して効率的かつ網羅的に探索し,その妥当性を分子動力学シミュレーションで確認した。

4.1 環境負荷を軽減する生分解性プラスチックの分解性能向上と試作・計測評価の効率化

家電製品や衣服の繊維,漁網といったプラスチック製品の廃棄による環境汚染の問題に対し,生分解性プラスチックや海洋分解性プラスチックなどの環境負荷を低減する材料への注目が高まっている5),6)。本節では生分解性プラスチックの強度を高めるとともに,自然環境でより分解され易くする新しい添加剤を,CIを活用して高速に発見した事例を紹介する。

探索条件としてCIに指定した化合物は,生分解性プラスチックとして多用されるポリ乳酸と添加剤となり得る既存の金属水酸化物15種類,金属酸化物15種類,および有機物20種類である。CIで探索を行うと,指定化合物に加え,その類似化合物各約100種類を自動で選択して探索を行うため,(ポリ乳酸1×類似化合物100)×[(金属水酸化物15+金属酸化物15+有機物20)×類似化合物100]=50万通りの組み合わせで同時に探索することが可能である。

この結果,従来の添加剤よりも高強度かつ分解性能を高めることが期待される添加剤候補を金属水酸化物1種,金属酸化物1種,有機物1種の3種類発見した。さらにこれらの添加剤を使用した場合の生分解性プラスチックの強度および分解性能の高さを分子動力学シミュレーションで検証した結果,その妥当性が確認された。本作業に必要な期間はわずか2日間であった。この後,実際に材料を使用した試作・計測評価が必要となるのは,製造上の制約から有機材を必ず含ませるという前提で,発見された金属水酸化物1種+有機物1種,金属酸化物1種+有機物1種の組み合わせの2ケースのみとなる。

従来の人手による手法では,これと同等の網羅性をもって化合物選定を行うことは不可能に近いため,開発者の知見に基づきあらかじめ選定した候補化合物(金属水酸化物15+金属酸化物15)×(有機材20)=600通りのシミュレーションのみを実施することが想定される。1テラフロップスレベルの大型計算機を占有したとしても1日にシミュレーション可能なケースは5ケース程度で,これだけでも合計120日が必要となる計算である。さらにシミュレーションの結果,絞り込むのは10ケース程度と想定され,10ケースそれぞれにおいて試作・測定評価を行うこととなる。

つまり,材料選定,シミュレーションにかかる時間は60分の1に短縮され,試作・計測評価回数および実験材料廃棄量は5分の1に削減される一方,候補化合物の検討における網羅性は800倍超に上る計算となり,CIを上流工程で活用する効果が顕在化した好事例となった。

4.2 幅広い材料開発でCIを活用

CIはこのほかにも,電子部品系,光学材料系,エネルギー材料系,天然・バイオ由来材料系などの幅広い分野における探索実績がある(表1参照)。

有機・無機,単一化合物・複合材,高分子・低分子いずれも対応しており,多くの化学・素材企業の研究開発で活用できる。

表1|Chemicals Informaticsの探索実績表1|Chemicals Informaticsの探索実績CIは,有機・無機,単一化合物・複合材,高分子・低分子いずれも対応しており,電子部品系,光学材料系,エネルギー材料系,天然・バイオ由来材料系などの幅広い分野における探索実績がある。

5. おわりに

本稿では材料開発におけるMI活用に焦点を当てたが,実際にはこのあと,生産ライン立ち上げ,量産フェーズへと移行し,各フェーズにおいて製造条件の調整や,それに伴う材料の廃棄が生じている。

日立ハイテクソリューションズは,製造データを取得する計測制御技術や,製造データを活用してリワークを低減する製造条件最適化技術を開発し,開発から量産までの一連のプロセスを最適化することで,化学・素材産業の発展,ひいては持続可能で豊かな社会の実現を支えていく。

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