ページの本文へ

Hitachi
お問い合わせお問い合わせ

ハイライト

2020年に始まったCOVID-19によるコロナ禍はこれまでにないタイプの危機を生み出し,社会や人の変化を加速させた。人々が重要視する事柄や価値観が変わり,企業はこれまでのやり方では解決が難しい経営課題に直面するようになった。日立は,企業を取り巻くステークホルダーやその先の生活者に着目し,理解を深めることが,これからのより良いビジネス・ソリューションの創生を導くものと考える。

本稿では鉄道事業を例に,生活者の価値観理解とデジタルサービスの検討について述べる。

目次

執筆者紹介

原 有希Hara Yuuki

原 有希

  • 日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創センタ サービス&ビジョンデザイン部 所属
  • 現在,エスノグラフィ調査などに基づくデジタルソリューション創生に従事
  • 日本認知心理学会会員
  • ヒューマンインタフェース学会会員
  • Ethnographic Praxis in Industry Conference会員

望月 智之Mochizuki Tomoyuki

望月 智之

  • 日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創センタ 社会課題協創研究部 所属
  • 現在,モビリティや都市に関するデジタルソリューション創生に従事
  • 情報処理学会会員

1. はじめに

現代社会は,大きな転換期を迎えている。企業は環境問題への対応を強く求められるようになり,経営環境はここ数年の間に大きく変化した。それに加え,2020年から世界中に蔓延したCOVID-19は,社会の変化を一気に加速させた。ロックダウンに伴う人の交流や物の流れ,経済活動の制限は,世界的な景気の低迷を引き起こし,高業績を維持していた企業にも深刻な打撃をもたらした1)。大恐慌以来の世界的な失業率や所得低下は,終わりの見えないCOVID-19に対する先行きの不安を生み,日々の生活における消費や投資を縮小させ,そのあり方も変化させた。一方で,日常的な移動も制限せざるを得ず,人や物とのリアルな接触が減ったことは,ITから距離を置いていた高齢者も含め,生活者におけるデジタルサービスの利用を促進させた2)。このように,COVID-19は東日本大震災や世界金融危機とも異なる新しいタイプの危機を生み出した。

さらに,コロナ禍の生活者における巣ごもり消費やデジタルサービス利用の拡大により,企業はデジタルを活用して消費者と新たな接点を形成し,ニューノーマルに対応する形で自らを変革している。

こうした中で,企業は従来のビジネスの延長線上では対応が難しい経営課題に直面するようになった。これからは企業のビジネスや業務そのものに着目するだけではなく,そこに影響をもたらすステークホルダーやエンドユーザーである生活者をよく理解することが,経営課題の解決を支えるソリューションの創生を可能にするものと考える。本稿では,鉄道事業を例に,生活者の価値観理解とデジタルサービスの検討について述べる。

2. 鉄道系デジタルサービスを取り巻く生活者理解のアプローチ

これまで日立では顧客の業務を対象として,現場観察からリアルな業務実態,課題や潜在ニーズを抽出するエスノグラフィ調査を実践し,顧客の経営や事業に価値をもたらすソリューションを導出してきた。電力プラント,金融,医療,化学プラント,建設機械保守業務などの多岐にわたるドメインの業務現場で,国内外で約200件のエスノグラフィ調査実績がある。鉄道系では運行指令,車両保守,駅係員業務などでエスノグラフィ調査を行ってきた3),4)。ところが近年,社会的な変化に伴い,業務のあり方も変わろうとしている。そこで,顧客の業務だけではなく,その先の生活者に注目して理解をすることで,顧客の経営や事業に寄与するサービスを創案できるのではないかと考えた。

COVID-19の蔓延で,公共交通機関の利用を控えようとする人々が増えた。仕事や用事で混雑した電車やバスを利用する人々からは,感染への強い不安が口々に聞かれるようになった。公共交通事業者は,人々が少しでも安心して動き回れるように対策を求められていた。鉄道事業者にとって,混雑を緩和する施策を講じることが優先事項になる中で,私たちは,公共交通機関を利用する生活者の動き回り方を理解する先行調査に着手した。具体的には,ある地方中核都市を対象に,COVID-19にまつわる人々の動き回り方の実態とその背景にある価値観を理解する目的で質的な調査を行った。日立のソリューションを用いて駅係員が応対する乗客を対象としたフィールド調査を実施したことは過去にもあるが,今回は鉄道事業者の沿線生活者に範囲を広げて理解を試みた。

具体的には,まずエスノグラファーが現地を訪問し,実際に歩きながら地理や交通の特徴を把握した。次に,当該エリアの鉄道・バスの沿線生活者を対象にリモートによるデプスインタビューを行い,日頃からどのような動き回り方を志向しているのか,コロナ禍でどのように変化したかを明らかにし,そこから動き回り方やその変化にひも付く考え方や価値観を掘り下げた。その結果,主に地方中核都市の鉄道・バスの沿線生活者の動き回り方には,(1)臨機応変に交通手段を使い分け開拓,(2)自己流の移動手段やパターンを確立固持,(3)環境的制約の下,特定の移動手段に依存の三つのタイプが存在するとの仮説が見えてきた。生活者の動き回り方の背景には,地理的・経済的な制約のみならず,動き回り方にまつわる価値観や意思決定ロジックに特徴的な違いがあると考察された。例えば(1)のタイプは,日々の生活で関心のあるものを積極的に探索しようとする志向性が強く,多様な交通モダリティの選択肢の中で,「今日は天気がとてもいいので電車ではなく行きはシェアサイクルで途中まで移動しながら気候を楽しもう」,「コロナ禍で混雑しているのでいつもの駅から電車に乗るのをやめて,新しいお店の探索を兼ねて途中駅まで歩いてみよう」というように,その時々の自身の関心に合わせた動き回り方を積極的に選び取ることで,日々の生活を豊かにすることに価値を置く。一方,(2)のタイプは,日頃の生活において,効率や費用対効果の観点で計画を整えようとする志向性が強く,交通手段の選択においても「遅延が読みにくいバスはできれば利用せず,雨天で電車が混んでいても少し我慢をして予定どおりの電車に乗りたい」というように,自分が重要視する視点で事前に立てた計画を崩さないように動き回ることに価値を置く。このように,コロナ禍での沿線生活者の動き回り方の違いは,それぞれの価値観や志向性にひも付いていると考えられる。公共交通事業者が提供する交通網やその周辺の場に対して,生活者がどのような視点で期待を抱き,意味付けを行っているかを知ることで初めて,コロナ禍の混雑緩和と動き回りの両立に有効なデジタルサービスの方向性がリアリティをもって浮かび上がってくる。

3. コロナ禍での安心・快適な移動をサポートするデジタルサービスの検討

COVID-19による行動様式の変化が起こったニューノーマル時代において,人々は移動を厳選するようになっていった。リモートワークやオンライン授業の急激な浸透により通勤・通学者が減少し,一時期は海外からの入国も制限していたためインバウンドの需要も減少して,公共交通機関の利用者はCOVID-19の拡大以前と比較して7〜8割程度となっている。利用者の減少に伴い,駅・沿線の商業施設の利用も減少するといった影響も発生している。これまで10年・15年先と考えていた公共交通機関利用者が減少する未来が,急に現実のものとなった状況である。こうした中,人々の安心・快適な移動を前提としつつ,移動の活性化およびそれに伴う街の経済の活性化に向け,日立は西日本鉄道株式会社と共に検討を進めてきた(図1参照)。コロナ禍では特に混雑が気になるという利用者が多いため,混雑の平準化を行うとともに,混雑していない時間帯での移動の創出を考えた。これを実現する手段として「ナッジ」に注目した。

「ナッジ」は「肘で軽く突く」という意味であり,人々が強制的にではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語である。ただ,一つひとつのナッジでは行動変容の効果が小さい可能性がある。そこで,関連するナッジをつなげるナッジ連結技術と,利用者のタイプに応じてナッジの内容を変更するナッジのパーソナライズ技術を開発し,効果の拡大をねらった。このナッジ応用技術を活用したスマートフォンで利用できるWebアプリのプロトタイプを開発し,2021年および2022年に福岡で「安心快適なおでかけサポート実証実験」を実施した(図2参照)。

Webアプリでは,移動のルートを検索する際に,移動手段の混雑状況の提示や,混雑していない代替ルートの提案,出発時間変更や商業施設への立ち寄りにより,混雑を避けた時間帯の移動を促す提案を行う。利用者は提示された情報を見ながら,自分の意図に合った移動ルートを選択するものとなっている。これにより,混雑が気になる利用者は自然と混雑を避けた行動を取るようになり,結果として全体の混雑の平準化につながる。

効果を最大化していくためには,街の特徴や人々の特性・価値観を把握し,利用者の意図に合わせたレコメンデーションを出していく必要がある。そこで,沿線生活者の分析を行うことでタイプ分類を行うとともに,Webアプリ利用開始時のアンケートを通じてどのタイプであるかを判定し,利用者の意図と合致するように提案内容を切り替えていくこととした。

実証実験を通して,ピーク時における混雑緩和効果と,商業施設の訪問や立ち寄りによる需要喚起の効果を確認した。安心・快適な移動を実現しつつ,交通や商業サービスの活性化に対する貢献が期待できる。

図1|人々の安心・快適な移動と街の活性化に向けためざすべき姿図1|人々の安心・快適な移動と街の活性化に向けためざすべき姿移動需要の分散により混雑を平準化するとともに,ストレスなく出かけられる移動目的の創出により移動総量を増加する。

図2|「安心快適なおでかけサポート実証実験」におけるサービスイメージ図2|「安心快適なおでかけサポート実証実験」におけるサービスイメージ移動前に混雑状況や運行状況を確認し,ルート変更や寄り道を選択することで,自然と混雑を避けて動き回ることができる。

4. おわりに

COVID-19などをきっかけとして人々の働き方や生活スタイルが変わり続ける中で,大都市への一極集中型から地方分散型への移行も進んでいる。企業はこれから一層,地域との共生を志向し,地域の人々と共に歩む将来へ向かうと予測される。日立は顧客と地域のサステナブルな未来を支えるデジタルサービスの提供を通じて,人々のウェルビーイングや,プラネタリーバウンダリーを越えない社会の実現にも寄与していく。

参考文献など

1)
経済産業省,通商白書2020,I コロナショックと世界経済の状況
2)
株式会社野村総合研究所,新型コロナウイルス感染拡大で生活におけるデジタル活用が急進展(2020.5)
3)
鹿志村香,外:社会イノベーション事業のための社会科学的デザインアプローチ,日立評論,96,7-8,460〜469(2014.8)
4)
原有希:機械と協働する作法,日本労働研究雑誌,No. 714,pp. 40〜43(2020.1)
5)
国土交通省,令和3年版国土交通白書
6)
一般社団法人日本経済団体連合会,新成長戦略(2020.11)
7)
ジョージ・セラフェイム,ESG戦略で競争優位を築く方法,DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー(2021.1)
8)
西日本鉄道株式会社ニュースリリース,日立と西日本鉄道がニューノーマル時代の安全・快適な移動と経済の活性化の両立に向け,公共交通機関利用者の行動変容を促す実証実験を開始(2021.3)(PDF形式、313kバイト)
Adobe Readerのダウンロード
PDF形式のファイルをご覧になるには、Adobe Systems Incorporated (アドビシステムズ社)のAdobe® Reader®が必要です。