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ハイライト

地球温暖化をはじめとする社会課題が顕在化し,注目を集めたことで,企業にとって社会課題の解決は利益の追求に並ぶ主要な目的の一つとなった。新たな事業検討のあり方においても生産性や効率性の向上といった課題へのフォーカスばかりでなく,社会課題へのアプローチも必要となってきた。

本稿では,「機会領域」と呼ばれる近未来の社会変化シナリオを活用することで,社会課題へアプローチし,新たな需要を創生する事業の検討プロセスについて記述する。そしてその適用事例として,アセットマネジメントOne株式会社において2021年度に実施されたプロジェクトを紹介する。

目次

執筆者紹介

沼田 逸平Numata Ippei

沼田 逸平

  • 日立製作所 研究開発グループ サービスシステムイノベーションセンタ デジタルエコノミー研究部 所属
  • 現在,主に金融分野においてデザイン思考を活用した顧客協創や新事業創生に従事

金田 麻衣子Kaneda Maiko

金田 麻衣子

  • 日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創センタ サービス&ビジョンデザイン部 所属
  • 現在,ビジョン駆動型バックキャスト手法の実践,市民参加型地域協創プロジェクトに従事

神崎 将一Kanzaki Shoichi

神崎 将一

  • 日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創センタ サービス&ビジョンデザイン部 所属
  • 現在,市民参加型地域協創プロジェクト,問いを起点にしたSFプロトタイピングの手法研究に従事

加藤 郁Kato Kaoru

加藤 郁

  • 日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創センタ プロダクトデザイン部 所属
  • 現在,IoT家電のサービス創生,自社ビジネスおよびソリューションの展示企画に従事

1. はじめに

企業が自社の利益のみを追求すればよいという時代は過去のものになろうとしている。地球温暖化や少子高齢化などさまざまな社会課題が顕在化し,企業は社会の構成員として責任を果たすことを強く求められている。社会的責任への対応は利潤追求と並ぶ企業活動の主たる目的の一つとなってきた。

こうした中,事業検討プロセスにおいても,その事業が現在直面する現場課題にばかりフォーカスするのではなく,社会課題などのマクロトレンドを考慮し,新たに生まれる需要や課題に対応する,あるいは新たな需要を喚起することが重要になりつつある。本稿では,将来の社会課題にフォーカスを当てた新しい事業検討プロセスについて述べる。

2. これまでの事業検討プロセスの課題

これまでの事業検討プロセスでは,エスノグラフィなどの現場調査手法を活用して現在の事業が抱える課題を見いだした後に,PDCA(Plan,Do,Check,Act)を繰り返す改善活動やデザイン思考的な創造的問題解決を試みるという業務課題起点のアプローチが主であった。こうしたアプローチは現場の個別かつ具体的な課題を対象とするため,生産性や効率性の向上など具体的な成果を見込みやすいという利点があった。一方で,中長期の将来を見据えた需要創生や課題解決など,未来志向の問いを立てづらいという問題がこのアプローチには存在した。さらに,営利企業の既存業務を前提に課題を立てるため,社会課題の解決がしばしば主目的から抜けてしまっていた。

そこで日立では「機会領域」と呼ばれる,社会のマクロトレンドを捉えた未来の変化シナリオを起点に事業を検討するアプローチを研究している。機会領域とは,「現在の社会や市場の姿とは異なる未来,現在の延長線上にないものの起こりうる未来のストーリー」である1)。これは,人口動態の変化など定量的に予測可能な統計データと,未来の価値観・生活様式の変化を先取りしている可能性のあるエクストリームユーザーへのインタビューなど定性的な調査データを掛け合わせて作成される2)

これまで機会領域はステークホルダーとの議論のきっかけとして使われることが多かったが,そこから新たな事業の種となる課題を設定してこなかった。今後さらに深刻化あるいは顕在化してくる課題を前提に作られる機会領域から新たな課題が設定できれば,直近の生産性・利益向上だけでなく社会課題解決をも目的とし,将来的な需要創生につながる事業検討ができるのではないかと考え,今回,新たな手法を開発した。

3. 機会領域を起点に事業を検討する際の課題

しかし,機会領域は,完成された未来シナリオを読むだけでは課題設定につなげづらい。その理由として以下の2点が挙げられる。

第一に,機会領域は製作者が知る情報と受け取り手が得る情報に大きな隔たりがあるためである。機会領域策定のために膨大な情報が集められるが,完成後にはそれらの多くが省かれ,代表的な発見とデータのみが残されることがほとんどである。その結果,表層的な発見だけが伝わり,事業検討に利用する際には機会領域の記載を単に現業に転用するといった,流行に乗っただけの提案が生まれがちである。例えば,2012年に日立が発表した「25のきざし」のSign6「所有から使用へ」(以下,「Sign6」と記す。)では,人々が体験価値とその共有に重きを置き始めたことを指摘している3)。これをそのまま新事業に利用しようとすると,商品の特性・顧客課題に関わりなく,売り切りビジネスをシェアサービス化するといった事業案になってしまう。機会領域の表面的な利用にならないよう,その背景・文脈まで深く理解し,将来,顧客が真に直面する課題設定を促すプロセスが必要である。

第二に,機会領域の内容は自分事化しづらいという問題点が挙げられる。新事業を推進するうえで最も重要な要素の一つとして使命感・当事者意識が指摘されている4)。変化の兆しを捉えた機会領域は,その特性上多くの人にとってまだ到来していない未知の世界であり,共感が難しく,熱意を持てるテーマや課題を見いだしづらい。今となってはほとんどの人が共感するであろうSign6も,当時の多くの人々にとっては新しい考え方であった。

つまり,機会領域はそのままでは簡潔すぎ,また抽象的すぎて,ほとんどの人にとって現業や現在の自分の価値観とは距離があるものである。策定しただけでは事業が自然発生することはまずなく,策定後のプロセスがその内容と同様に重要である。

4. 機会領域から事業を作り出すプロセス

本プロセスは,機会領域の理解,自分事化,課題発見という三つのステップに分けられる。

ステップ1は,機会領域策定の追体験による深い理解である。機会領域に関連する記事や統計を集め,チーム内でシェア・議論することにより,機会領域が指し示す変化がどこまで及ぶのか・続くのか,理解を深めることができる。例えばSign6では,国内カーシェアリングの車両台数の変化が例として挙げられている。本ステップでSNS(Social Networking Service)での若者の新たなコミュニケーションや住居,家具のシェアサービスなど類似の事例を挙げ,機会領域の本質を議論する。そこで示された変化は根本的かつ不可逆な価値観変化なのか,あるいは一過性の流行なのかといった点について,理解を深めていく。

ステップ2の自分事化では,機会領域に関連した自分,もしくは自分の身近な人の体験談を思いつくかぎり書き出し,チーム内でシェアする。これにより,どこか遠くの他人事であった機会領域を自分にも関係ある内容として理解する。機会領域は世の中の先進事例や将来の変化可能性を描いているため,完璧に当てはまる体験談を探すのは難しいかもしれないが,対象の機会領域が適切に世の中の変化を捉えられていれば,その変化の兆しを感じた体験は誰しも一つは思いつくはずである。厳密な一致を気にせず,できるだけ多くの体験談を挙げることが重要である。例えばSign6の場合,自分がシェアサービスを使った体験などぴったり当てはまる体験以外でも,子どもの頃の漫画やゲームの貸し借りなどの体験談でもかまわない。本ステップでは機会領域がどこか遠くの話ではなく,自分にも関係していると実感すること,そしてそれが実現した際の登場人物に共感できるようになるまで想像を深めることが重要である。

最後のステップ3は,体験談から課題・ニーズを見いだす課題発見である。メンバーはステップ2でシェアされたお互いの体験談を基にして,あるいは,機会領域が実現した際の世界を想像して,そこに存在するであろう課題・ニーズを挙げていく。ここまでのステップで機会領域を深く理解し,そこに出てくる人々の感情や行動を自分事化し,想像することができると,数多くの課題・ニーズをあぶり出すことができる。例えば,Sign6であれば,現在若者の間で問題になっている「SNS疲れ」と呼ばれる行き過ぎた体験価値の共有が引き起こす新たな社会課題などが見えてくる。

5. アセットマネジメントOneにおける実践事例

本手法を適用した事例として,アセットマネジメントOne株式会社(以下,「AM-One」と記す。)とのプロジェクトを紹介する。AM-Oneはアジア最大級の運用規模を誇る資産運用会社であり,その運用残高は2022年3月末時点で約60兆円に上る。

しかしオンライン証券会社の台頭や,Z世代など新たな価値観を持った人々の増加により,事業環境は急速に変化しつつある。またJSDA(Japan Securities Dealers Association:日本証券業協会)による年齢別の個人株主数の推移を見ると,2014年から2019年まで1,300万人前後で低迷している。その年齢内訳もほぼ変化がなく,60歳以上の高齢者が約600万人と半数近くを占めており5),将来的な国内投資市場の縮退が予想される。

そこでAM-Oneは,これらの変化に先んじて対応するべく新たなプロジェクトを開始した。本プロジェクトの目標は投資活動を行っていない約8割(2020年,AM-One調べ)の生活者に投資の価値を伝え,一人ひとりに最適な投資を促す,顧客目線のサービスを生み出すことであった。

AM-Oneは独自に事業検討の出発点となる機会領域を策定した。社会の変化潮流であるメガトレンドの調査と,新たな価値観・ライフスタイルを実践していると見られるユーザーへのインタビューを通じて,将来の人々の価値観変化の可能性を探索した。

2021年度からは日立がプロジェクトの設計・運営を支援することとなり,機会領域を活用した事業検討を行った。プロジェクトの進め方のイメージを図1に示す。

図1|AM-One事業検討プロジェクトの活動内容イメージ図1|AM-One事業検討プロジェクトの活動内容イメージ2020年度にAM-Oneが策定した機会領域を基に,課題とペルソナを設定し,そしてサービスアイデアを立案した。後半ではビジネスモデルなどサービスを成り立たせる仕組み,金額面について検討を行った。

まず,前章で示した手法を実際に活用し,両社でワークショップを設計した。ワークショップは週次で行われ,公募に応じたAM-One社員が参加した。

初回のワークショップは機会領域を策定したメンバーからの説明を受け,質問する,感想を言い合うといった,基本的な理解に充てた。

また,次週のワークショップに向けてステップ1とステップ2の準備を宿題とした。つまり,機会領域に関連する記事や統計を1人3件以上,さらに自分の体験を1人3件以上事前に準備し,次回のワークショップ中に紹介し合った。記事や統計の説明の際,それを聞いているチームメンバーは機会領域で示された変化や社会課題がどの程度不可逆なものか,あるいはどの程度深刻なものかなど,その理解を深める自身の考えを付箋紙に書き出し,チーム内で議論した。次に体験談を共有する際には,その体験の中でどのような課題や不安,不満が存在するのか,あるいは今後そうした体験が増えたときにどのような課題が生まれるのかをメンバーは想像し,可能な限り多くの課題を書き出した(図2図3参照)。

以上を実践した結果,本プロセスを通じた利点として前述の機会領域の深い理解や自分事化以外にも,チームメンバー間の理解促進を図れるという利点が明らかになった。自身の体験を共有し,複数の機会領域と自分自身の距離感について話すことで,メンバーの興味関心や背景を短時間で効率的に共有できた。例えばあるメンバーは介護について家族と話せていないことによる不安を打ち明けた。議論のテーマがなければ話しづらいテーマも,機会領域を起点にすれば話しやすいことが分かった。

その後,明らかになった興味関心に応じてチームを再編成し,チームメンバー全員が熱意を持てる課題を深掘りしていった。重要性,汎用性,提案者の情熱の三つの観点で最もよい課題を選定し,以後はペルソナの設計,アイデア発想など,サービス創生プロセスへと進んだ。

検討したアイデアは新たな投資需要創生につながる,そして社会課題を解決するものとしてAM-One幹部より高い評価を受け,開発プロセスへと進むことに成功した。

図2|ステップ1の宿題実施例図2|ステップ1の宿題実施例例えば副業に関連する機会領域の場合,現状の日本の副業実践者の本業所得に関する統計情報を調べる。調べた内容は「ファクト」欄に記載し,ファクトから自分なりに考えた仮説を「考察」欄に記載する。

図3|ステップ2の宿題実施例図3|ステップ2の宿題実施例例えば子育てと仕事を両立する世帯の課題に関して,実体験を基に60文字程度でできるだけ端的に記載する。端的に要点のみ記載する作業は,その後に続く付箋紙を用いたワークショップの練習となる。

6. おわりに

本稿では,機会領域を活用し,新たに課題を設定するプロセスを紹介した。

さまざまな国と地域で日々新たな緊急性の高い社会課題が生まれつつある中,それらの顕在化・深刻化を予測し,先んじて解決策を提案していく活動は,今後ますます多くの企業,社会で重要になっていくと考える。今後,さらに適用事例を増やし,今まで以上に効果的な手法を研究していく。

謝辞

本稿で述べた手法の実践,またその改善においては,アセットマネジメントOne株式会社に多大なるご協力を頂いた。深く感謝の意を表する次第である。

参考文献など

1)
日本総合研究所未来デザインラボ:新たな事業機会を見つける「未来洞察」の教科書,KADOKAWA(2016.3)
2)
丸山幸伸,外:将来のエクスペリエンスを描くための方法論研究,日立評論,93,11,767〜772(2011.11)
3)
日立製作所,25のきざし
4)
麻生要一:新規事業の実践論,NewsPicksパブリッシング(2019.12)
5)
日本証券業協会,個人株主の動向について(2020.9)(PDF形式、1.01Mバイト)
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