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デジタル技術は組織と働き方を変える

西山 圭太 西山 圭太
東京大学未来ビジョン研究センター 客員教授
株式会社経営共創基盤 シニア・エグゼクティブ・フェロー
1985年東京大学法学部卒業後,通商産業省入省。1992年オックスフォード大学哲学・政治学・経済学コース修了。株式会社産業革新機構専務執行役員,東京電力経営財務調査タスクフォース事務局長,経済産業省大臣官房審議官(経済産業政策局担当),東京電力ホールディングス株式会社取締役,経済産業省商務情報政策局長などを歴任。日本の経済・産業システムの第一線で活躍したのち,2020年夏に退官。著書に『DXの思考法』(文藝春秋)。

DX(デジタル・トランスフォメーション)という言葉が広く使われ出してからすでに数年が経つ。2年前に拙著『DXの思考法』を上梓した前後には「DXも流行り言葉の一つだから,年が明けたらもう誰も言わなくなる」と言う人もいた。しかしそうはならなかった。

何故なのか。それは,デジタル技術は単なるツールではないからである。

よく「デジタル,デジタルというが,それはツールに過ぎない」と言われる。そう言う方の気持ちはわかる。デジタル技術自体あるいはそれを使うことは社会や個人がめざす価値の実現そのものではない,という意味だろう。しかし,私の意見はやや異なる。

それはデジタル技術を使いこなしてDXを実現することは,これまでの企業や社会の組織原理を変えることと表裏一体だからである。そしてその変更が必要な度合いは日本において大きい。まさに「トランスフォメーション」である所以である。デジタル技術がこれまでの組織や働き方を大きく変えるのだとしたら,それを単なるツールとは言わないだろう。しかしなぜデジタル技術は組織原理を変えてしまうのか。

デジタル技術にはある特徴がある。それはレイヤー構造,つまり横割りの仕組みを積み重ねた構造をしている,ということである。元々コンピュータを作るという発想は,数学の問題を一つ一つ解くのではなく,その解き方自体を解くことが可能なのではないか,という横割りの発想からきている。そして,今日に至るまで生み出されたさまざまなデジタルに関する技術,仕組みは,例えばワクチンの開発とか新しい金融商品の提供あるいは囲碁に強くなる,といった特定の課題とは関係のないものである(勿論応用すればそうした課題の解決に役立つ)。

現時点でそのことを如実に示しているのがChatGPT※)に代表される生成AIである。ChatGPTの凄みは,膨大なパラメータを織り込んだ大規模なモデルを使ってデータを大量に学習させることで,誰とのどんな会話にも(専門的なものでも)対応できてしまう,ということにある。勿論まだできないことは多々あり,リスクもあるが,ここで大事なことは,分野別の専門性と関係のない完全な横割モデルが,専門性が高いと思われてきた事柄を含めて知能のある領分をこなしつつある,ということにある。その分野横断的・基盤的な位置付けを強調して「ファウンデーション・モデル」とも呼ばれる。

これまでの「縦割り」の組織原理を横割りのレイヤー構造に置き換えるのが,DXの要諦である。それはどうすれば可能なのだろうか。ここでは三つの角度から議論する。「抽象化」「縦割りの分解」「アーキテクチャ」である。

※)
ChatGPTは,OpenAI, L.P.の商標または登録商標である。

抽象化

「抽象論」というと,ビジネスの現場から遊離した空論という意味で使われることが多い。しかしそれは抽象化の持つパワーを理解していない見方である。抽象化という言葉には深みがあるので,まずはそれを理解することが大切である。

抽象化のスタートラインは対象を単純化する,ということだろう。大事なことだけを端的に表現する,ということである。情報の量を単に増やしてみても,ビジネスの課題解決のヒントにはならない。まずは単純化すべきだ。次に,単純化と言っても,その仕方は一通りではない。あなたのビジネスを単純に説明してくれ,と言われると,幾通りもやり方があることに気づくだろう。すると物事を「多面的」に捉えることになる。ここまで来ると,そのうちのある面に着目すると,一見異なるビジネスとあなたのビジネスとを横切る共通点に気づくだろう。「比喩」が上手な人は,これが得意なのである。そしてここが最も肝心な点なのだが,よく「具体と抽象」と反対語のように捉えられるが,実はそうではない。抽象化は,対象を多面的に捉えた上で,そのいくつかを別のものに置き換えて新しいものを探索する思考法である(汁なし担々麵とかスマートフォンは,その発想で生み出されている)。つまり抽象化とは,目の前にない具体を発想するための思考法なのである。

縦割りを分解する

縦割りを横割りに転換するのにどこから着手すれば良いか。多くのDXリーダーが悩む点だろう。私は「何が縦割りになっているのか」から考えることをお勧めする。私の考えでは,縦割り組織は次の三つのものを縦割りにしている。

第一がコミュニケーションである。ある担当者が,役員に情報を伝達しようと思えば,「課長代理→課長→部長」というルートで伝達することが求められる(それを守らないと睨まれる)。また,隣の部に仕事を頼もうとすると「それは部長同士でまず話してください」となり,なかなか進まない。これがコミュニケーションの縦割りである。勿論デジタル技術のない時代にはそれが効率的だったのだが,今は違う。そしてコミュニケーションが縦割りのままだと,柔軟なチーム編成もサービスの展開もなかなかできない,ということになる。

第二は業務プロセスの縦割りである。仕事を処理するプロセスが会社や部門によって異なることを指す。旅費の精算の仕方から始まって,稟議書の回し方,経理全般,人事評価,顧客管理,生産計画などの処理方法を,これまでは部門別,企業別に作り込んできた。しかしいま様々な横割りデジタルツールがこれを置き換え始めている。DXとは一面そのツールを使いこなすことなので,自社の仕事をまず横割りツールに置き換える発想が役立つ。

第三は製品やサービスの縦割りである。これまでの製品やサービスの多くは,他社は勿論のこと自社内でも個別になっていて,互いにはつながりにくい。ユーザーの側が工夫して組み合わせることを前提としていた。そして各事業部門は単品の製品やサービスの機能を向上し,コスト削減で価格を下げることが価値を生むのだ,と考えてきた。しかし,アフターデジタルの世界ではそうではない。それらがスムーズにつながることが価値になり,そのスムーズなつながりを生むところに稼ぐ力が生ずる。クラウドサービスはその象徴である。

DXの成功事例を見ると,上記のうちのコミュニケーションの縦割りの解消から始めているケースが多いように思う。それはおそらく,会社のDXに多くの人を巻き込むにはまずコミュニケーションの縦割りを直す必要があるからだろう。それをせずに例えば現場でデータをとってAIを活用してみても,広がらずにPoCで終わる。それは,組織のメンバーがデータやツールを使いこなす素地がないので,データ活用がむしろ重荷になるからである。是非皆さんの職場に当てはめて考えてみていただきたいテーマである。

ここで「横割り」について一つ注意を喚起しておきたい点がある。例えば霞ヶ関でも「省庁縦割り」の打破のためにシステムの共通化が推奨されるが,この「共通化」ということに誤解があることが多い。共通化とは「全省庁で全く同一のやり方をすること」ではない。現場の工夫の余地を吸収できるように基礎部分を共通化することをいう。給付金システムを考えても,給付金はその都度ごとに対象者も要件も金額も全て違う。そうした個々の要素は色々と変わったとしても変わらない共通点を探す,それが共通化の真の意味であり,つまりは例えば資金を給付するというプロセスをレイヤー構造に分解する,ということになる。

アーキテクチャ

実はこの話と関係あるのがアーキテクチャである。ハーバート・サイモンはノーベル経済学賞とチューリング賞を受賞した学者だが,彼は1962年に『複雑性のアーキテクチャ(The Architecture of Complexity)』という論文を書いた。その基本的な発想は,複雑なシステムには分野を超えて同じ特徴があり(企業も複雑なシステムの一つである),それを一つのアーキテクチャとして記述することが可能ではないか,というものである。そしてその共通項の一つがレイヤー構造である(サイモンは上位にいくほど多様な実課題に対応するものだという点を強調してヒエラルキーと呼ぶ)。サイモンはアーキテクチャを具体的に表現した人工物がコンピュータそして人工知能だという考え方の下に,その後議論を深めていくことになる。サイモンは2001年に亡くなったので現在の人工知能の発達を見ることはなかったが,いま人工知能が発達しデジタル技術が物理的な世界にも次々と実装されることで,アーキテクチャの重要性が増している。

私がまだ行政官だった2020年のはじめに,当時の中西宏明経団連会長にお願いをしてアーキテクチャについてご講演をいただいた。その時の中西会長のメッセージは三つだと理解している。第一は,かつてはアーキテクチャというと命令セットのようなコンピュータのある局面を捉えたものだったが,今は産業や社会を捉える枠組みになりつつあること。第二は,それを実装実現するには組織原理を変える必要があること(ご自身が経験された鉄道システムの事例を使って鮮やかに説明された)。第三に,日本こそがその新しいアーキテクチャを世界に発信すべきこと。私はこれらは我々に向けられたご遺言だと思って大事にしている。同時にそのお考えがサイモンの発想と軌を一にしていることに読者も気付かれるだろう。

ではそのアーキテクチャが表現するところの複雑なシステムは,何を我々に提供するのだろうか。それは,仕掛けは共通だとしても,それを通じて実現,解決することは実に多様だ,ということだと私は理解している。そしてここまで来ると,アーキテクチャは,多様性を実現し共存させることと密接に関係することがわかる。「多様性」や「共生」といえば,それらを目標として掲げる企業も多い。そしてこれがデジタル技術は単なるツールではないと私が考えるもう一つの理由である。

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