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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察創造性は,外部を感じ,受け入れる知能にある(Part1)「天然知能」の実装が拓く可能性

2023年3月15日

目次

気候変動をはじめとするグローバル社会の困難な課題を前に,新たな社会イノベーション像が模索されている。あらゆる物事が複雑性を増し,これまでの常識や知の体系が通用しづらくなっている今,社会システムや技術の硬直化を打ち破るカギとして期待されるのが,理論生物学者の郡司ペギオ幸夫氏が提唱する「天然知能」なる概念である。

人工知能が席巻する社会において,天然知能をどう生かしていくべきか。

人間が本来持つ天然知能こそがイノベーションの源泉であると説く郡司氏と,その薫陶を受けて多方面で活躍する日立製作所の堀井洋一が語り合った。

Part1では,持続可能な社会への転換を支援するプラットフォーム技術の話題を軸に,「問題」と「解答」の図式,「個の意思」と「全体秩序」の関係について考察する。

対談

社会・環境価値を比較可能に

郡司 ペギオ 幸夫 郡司 ペギオ 幸夫
早稲田大学 理工学術院 基幹理工学部表現工学科 教授
1987年東北大学大学院理学研究科博士後期課程修了(理学博士),1999年神戸大学理学部地球惑星科学科教授,2014年早稲田大学理工学術院基幹理工学部・研究科教授,神戸大学理学部名誉教授。
主な著書に『群れは意識をもつ』(PHPサイエンス・ワールド新書,2013),『生命,微動だにせず』(青土社,2018),『天然知能』(講談社選書メチエ,2019),『やってくる』(医学書院,2020)ほか多数。最新著は『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』(青土社,2022)

堀井さんと郡司先生は長いお付き合いと伺っています。

堀井1987年からなので,もう36年になります。僕が神戸大学理学部地球科学科で学んでいたとき,郡司先生が大学院を出て教員としてやってこられたのです。一番弟子とは言えないかもしれないけれど(笑),最初の弟子です。ものの見方や基本的な考え方,研究者としてのスタンスなど,郡司先生からはさまざまなことを教わりました。

郡司今もよく研究室に顔を出して,学生の指導などもしてくれています。学生からすれば,こうして社会で活躍している先輩の姿を見ることは励みになるでしょうし,僕としても嬉しいです。でも堀井さんのごく最近の仕事に関して,詳しい話はあまり聞いたことがないですね(笑)。

ではまず堀井さんから,最近のアクティビティについてご紹介いただけますか。

堀井僕は現在,持続可能な社会への転換を支援するプラットフォーム技術の開発に携わっています。その中心に据えているものの一つが,経済活動における社会価値と環境価値の定量化手法「e-ROIC」です。世界共通の課題として掲げられている脱炭素に加え,最近では欧州を中心にサーキュラーエコノミー,生物多様性,さらには人権問題にも配慮した持続可能な社会への転換が強く求められるようになっていますよね。それらの対策が社会システムや企業の経営戦略にも織り込まれるようになり,気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD),自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)に続いて人権尊重も含めた社会関連財務情報開示タスクフォース(TSFD)の設立も提唱されるなど,企業の非財務情報の開示義務化も検討されています。

このような動きにはルール形成競争という側面もありますが,真に持続可能な社会を実現するには,それぞれの課題に個別に対応するのではなく包括的な対策が必要です。そこで,企業の事業やプロジェクトなどの経済活動が生み出す社会・環境価値を定量化することで,社会・環境に配慮した仕事の価値や効果を可視化し,包括的で合理的な対策を実行するための意思決定を支援するツールとして,e-ROICを開発しました。

e-ROICでは,まず経済活動を構成する製品や技術などの個別の要素が,グローバルな共通指標として用いられているSDGsなどの指標の中のどれに貢献するのか,ひも付けを行います。そして,経済活動がもたらす社会・環境価値の合計Vを図式で算出します。

実際に適用した浄水場の電気設備の例で言うと,運転動力の低減技術にCO2排出量削減という指標をひも付けし,運転動力(kW)×稼働時間(h)=年間消費電力量(kWh)を求めて,その地域のCO2排出係数を乗算して貢献度Ykを算出します。このYkに係数Ckで重みづけをし,金額換算で積算すると社会・環境価値Vになります。算出したVと利益を足して,投下資本で割ったものがe-ROICです。

図|経済活動における社会・環境価値を定量化するe-ROIC 図|経済活動における社会・環境価値を定量化するe-ROIC

価値の比較に欠かせない係数の統一

堀井 洋一 堀井 洋一
日立製作所 水・環境ビジネスユニット 経営戦略本部 主管技師
1990年神戸大学大学院理学研究科修了(地球科学専攻),日立製作所中央研究所入社,コンピューター音楽・コンピューターグラフィクスの研究を開始。1997年 仏INRIA Rocquencourt 客員研究員,2000年よりヒューマンインタラクションの研究を開始,2003年日立ヒューマンインタラクションラボ(HHIL)設立。2010年より,基礎研究所,中央研究所,株式会社日立プラントテクノロジー(当時)松戸研究所などで社会インフラの経営科学の研究を行う。2022年より現職。
2018年早稲田大学後期博士課程修了,博士(工学)。2020年世界経済フォーラム C4IRJ フェロー,2022年ISO TC323 (Circular Economy) WG5 エキスパート。

係数はどのようにして決めるのでしょうか。

堀井最も重要なのが係数Ckの決定方法と統一です。係数とは何かと言うと,例えば,日立製作所では2019年からインターナルカーボンプライシング(社内炭素価格)の制度を運用しています。新たに導入する設備によるCO2の削減量に1トン当たり1万4,000円という価格を設定して,CO2削減量を設備投資の効果として目に見える形にする制度ですが,この金額というのがまさに係数なんです。つまり日立の「価値観」を数値として表現しているわけです。

係数の決定方法としては,まず意思決定者がみずから決めるという方法があります。次に,市場価格のように市場原理で決める方法と費用便益分析(B/C)を用いる客観的な方法,そしてデータと何らかのアルゴリズムで算出する方法があります。

ただ,どれを選択するにしても判断には価値観や意思が反映されることになりますよね。経済活動の主体は,個別のプロジェクトから企業・事業所,自治体,国家までさまざまなレベルがあり,それぞれの組織で価値観が異なる,つまりどの要素に重みをつけるかが組織によって異なるため,係数のリストは乱立するでしょう。

定量化した価値を比較可能にするには係数リストを統一しなければなりません。そのために,まず乱立する係数リストを公開して互いに見比べることができるようにします。すると周りを見回して自分の偏った部分を修正するというような動きが起き,乱立から収斂へ向かうのではないかと予想しています。

係数のリスト化はオートマチックにプログラムで動く仕組みには欠かせないものですし,人工知能による意思決定を適切に調整するためにも不可欠です。そうしたことも見据えながら,まずはさまざまな業種業界のお客さまのe-ROICの算定を進めているところです。

「問題」と「解答」の図式を見直す

郡司なるほど,興味深いですね。これは根本的な話ですが,まず「問題」があって「解答」があるというのが,環境問題に限らず物事を考えるときの一般的な図式ですよね。でも,その問題は本当に問題なのか,という疑問も生じます。問題というのは,何らかの形で枠組みを設定することで,初めて明確になるものです。そして枠組みの外側については考えないことで論点が整理できるわけですが,逆に言うと隠したいことを外側に出して自分にとって都合のいい枠を設定することも可能です。だから多くの場合,問題を解決できるかどうかは,自分に都合のいい枠を設定できるかどうかに左右されます。その図式に組み入れられて破るのは難しいので,そこから外れるという考えも必要かもしれません。

堀井確かにそうですね。e-ROIC自体は問題を設定する類いのものではなく,係数リストの乱立によって問題が立ち現れるのではないかと考えているのですが。

郡司環境問題にしても何にしても,まずどうしたいかという何者かの意図があって,それに科学が利用されるというケースがしばしば見受けられます。科学には客観性が大事とよく言われますが,そもそも客観性などあるのか,という話です。客観性を徹底させると人間の立場を度外視することになって,人間は滅んでもいい,となりかねませんから。ともあれ,いろいろな係数リストがあるというのは,バラバラな主観が乱立しているというある種のダイナミズムですよね。それをうまく利用すれば,最初からきっちり設計する仕掛けよりもうまくいく可能性はあると思います。

堀井e-ROICは多種類の要素を積算するのですが,要素をどれだけ増やすかは最初から規定していないのでエンドレスに受け入れられます。それは恣意性につながる可能性もあるけれど,郡司先生の思想と通じる部分もあると思っています。

外部を取り込みながら最適化を図る

郡司自己組織化臨界現象(Self-Organized Criticality)という理論があります。パー・バクというデンマークの理論物理学者が提唱してモデル化した理論です。これは,最初から枠や問題を設定せずに,ある現象や物質の振る舞いを数理モデル化すると,外部に開かれた開放系で無秩序な環境でも,みずから動的な安定を保ち,それが結果的に最適化に近いものとなる,という理論です。秩序の中で最適解を見つけ出す従来の設計思想とはまったく異なるものです。

自己組織化臨界現象の例として知られているのが砂山モデルです。平らなところに上から少しずつ砂粒を落としていくと,ある程度まで山ができたら一部が崩れる,そこからまた積み重なって崩れるということを繰り返します。崩れる条件は,山が持ち堪える斜面の角度で規定されますが、砂粒の物性(大きさや摩擦)によって決まります。この砂山のモデルを動かすと大小さまざまな規模の崩れが発生して,崩れる規模が大きいほど発生頻度が少なく,崩れる規模と頻度の間にはべき乗則※)が成り立つことが分かります。

べき乗則が成り立つ現象では,過去の平均値から未来に起こり得る現象の規模を推定することができません。つまり条件のちょっとした違いで相転移が起きる。そのため臨界現象と呼ぶわけですが,こうした現象は,地震をはじめ自然界にはよく見られるものです。

パー・バクは2002年に他界しましたが,最近になって再び同様の理論が注目されています。例えば,生物の歩行パターンの中で歩幅の確率分布がべき乗則に従うものをレヴィウォークと呼び,動物が効率よく餌を探すときに行っていることが分かっています。これを数理モデル化すると,未知の状態で何かを探索するときの効率化に応用できるのではないかと考えられています。動物の歩き方にどのような仕掛けを入れると臨界的なふるまいが再現できるのか,僕たちのモデルも含めて,その方法にはさまざまなモデルが提案されていますが,僕はそういう仕掛けが天然知能的だと思っています。

「天然知能」についてはあとで説明しますが,簡単にいうと「外部を感じ,受け入れる知能」だと僕は言っています。この天然知能の理論を展開して,決められた要素だけでなく未知の外部を受け入れる技術として知能モデルに埋め込むことを構想しています。

堀井さんのe-ROICでは,指標や係数リストの枠を決めていないわけですよね。だから,そこにあらかじめ想定できる要素だけではなく,偶然性のある要素や,互いを否定し合うような要素を受け入れる仕掛けを組み込むと,ダイナミックな展開があるかもしれません。

堀井そうですね。係数の数値を比べられるリストというのは,まだ世の中にないんです。それが実現すると,例えば,今は政策という形でしか表れていない人権に対する重みづけが新興国と先進国で違うということが,数値として見えて比較できるようになる。これは,ある意味で否定し合うような要素をぶつけ合うことであって,それによって収斂作用が働くことを期待しています。

係数というものには客観性があると思われがちですが,先ほども言ったように客観的な決め方を選ぶかどうかは主観によるので,そこには価値観や意思が入ってくる。ところが意思決定には客観性のある理論やデータが求められるわけです。だから客観と主観が入れ子のようになって混在しているのが係数の世界で,そのリストがうまく収斂するのかどうかは予想がつかない面がありますね。

※)べき乗則

統計モデルの一つで,全体の中のごく一部のみが飛びぬけた数値を持っている状態をいう。べき乗則の成り立つデータにおいては,平均値が意味を成さない。

個の意思と全体秩序の両立モデル

郡司主観や意思などの,いわば個の自由と,それが集まった集団全体としての秩序が両立できるのか,というのはおもしろい問題で,生物の群れの動きのモデルはその問題に対して何かヒントになるかもしれません。

ムクドリやイワシの群れは,一見ランダムのようでありながら全体としてまとまって行動します。そうした動きをモデル化するのは意外と難しいのですが,僕のつくったモデルでは,群れを構成する個それぞれに受動的かつ自律的な動きを持たせることで,あるときはそろって直線的にマーチングし,あるときはみんなでグルグルと回り,あるときは突然バラバラになるという群れ全体としての振る舞いを簡単に再現することができます。

どんな仕掛けにしているのかというと,個の判断に必要なものさしが伸びたり縮んだりするイメージです。秩序の形成には,変化しないものさしによる客観的な判断が必要だと思われるかもしれませんが,変化するものさしを使って判断すること,つまり個が外部を受容しつつ自律的に判断することを繰り返すと,不思議なことに群れとして同期,調和するような動きが見られるんです。秩序と秩序からの逸脱が内的に制御されている状態です。そのようなシステムをつくると,うまく制御できる可能性があるかもしれません。

堀井『群れは意識をもつ』というご著書に書かれているモデルですね。

e-ROICも,係数を固定すれば変化しないものさしになりますが,実際は増やしたり減らしたりできるのでダイナミズムは持たせられると思います。あと,先ほども言ったようにさまざまな規模の組織に適用できるスケーラビリティも特徴の一つです。

郡司スケールが違うものを混在させてみるのはおもしろいかもしれないですね。先ほどの変化するものさしのモデルは、『群れは意識をもつ』を発展させたものです。

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