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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察創造性は,外部を感じ,受け入れる知能にある(Part2)「天然知能」の実装が拓く可能性

2023年3月24日

目次

気候変動をはじめとするグローバル社会の困難な課題を前に,新たな社会イノベーション像が模索されている。あらゆる物事が複雑性を増し,これまでの常識や知の体系が通用しづらくなっている今,社会システムや技術の硬直化を打ち破るカギとして期待されるのが,理論生物学者の郡司ペギオ幸夫氏が提唱する「天然知能」なる概念である。

人工知能が席巻する社会において,天然知能をどう生かしていくべきか。

人間が本来持つ天然知能こそがイノベーションの源泉であると説く郡司氏と,その薫陶を受けて多方面で活躍する日立製作所の堀井洋一が語り合った。

Part2では,郡司氏が提唱する「天然知能」の概念とその実装について解説していただく。

対談

人間はもともと「天然知能」である

郡司 ペギオ 幸夫 郡司 ペギオ 幸夫
早稲田大学 理工学術院 基幹理工学部表現工学科 教授
1987年東北大学大学院理学研究科博士後期課程修了(理学博士),1999年神戸大学理学部地球惑星科学科教授,2014年早稲田大学理工学術院基幹理工学部・研究科教授,神戸大学理学部名誉教授。
主な著書に『群れは意識をもつ』(PHPサイエンス・ワールド新書,2013),『生命,微動だにせず』(青土社,2018),『天然知能』(講談社選書メチエ,2019),『やってくる』(医学書院,2020)ほか多数。最新著は『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』(青土社,2022)

「外部を感じ,受け入れる知能」が「天然知能」だとおっしゃっていましたが,少し詳しく教えていただけますか。

郡司よくシステムなどで「オープンだ」などと言いますが,これは実はすごく難しい概念だと思います。自分の知りうる範囲があって,その外側があることは普通に想定できますね。そしてオープンにするために内側と外側をどうつなぐか,というような議論がなされている。けれども,問題は外側のさらに外側,それを僕は「外部」と呼んで区別しているのですが,本当に自分が想定もしていないようなものが外部にあることです。重要なのは,それをどう扱うのかなんです。

内側/外側/外部という構図において,いわゆる「人工知能」は,内側の世界で推論して物事に対処します。フレーム問題※)として指摘されているように,外側を考えると立ち行かなくなるので,自分が知覚可能な要素だけを内側に取り入れ,その中で問題に解答を結びつけます。自分にとっての知識世界を構築し物事を判断する論理的で合理的な「一人称」の知性です。これはコンピュータの世界だけの話ではなく,人間も人工知能的に物事を処理していることが多くあります。

その一人称の視点を「三人称」に転換したものを,自然科学的思考という意味で「自然知能」と僕は呼んでいます。博物学的な視点と言うと分かりやすいかもしれませんが,過去に蓄積されてきた外側の知識も参照しながら,世界にとっての真理を見つけ出そうとする。客観的な三人称の知識世界を構築しようとする知能です。

天然知能はそれらと異なり,知識世界の構築をめざすものではありません。外側のさらに外にある,知覚できない外部をただ受け入れることで,「一・五人称」の知性とも言えるようなものです。こう言うと何か特別な知能と思われるかもしれませんが,人間を含む生物はもともと天然知能なんです。ただし現代人の多くは人工知能化していて,かなり捻った形で天然知能を取り戻さないといけない。

もちろん,僕が天然知能を研究テーマとしているのは,機械的に実装される人工知能を否定して,生物がもともと備えている知性を信頼しましょう,というような話ではなくて,天然知能的な知性を数理モデルの中にどう引き込んでうまく機能させられるかということに,おもしろさを感じているからなんです。

※)フレーム問題

人工知能における重要な難問の一つ。1969年にAIの名付け親である計算機科学者のジョン・マッカーシーと,認知科学者のパトリック・ヘイズにより提唱され,「有限の情報処理能力しか持たないロボットは,現実には起こり得る問題すべてに対処することができない」ことを示す。

日常的に新しいものを創造し続けている天然知能

堀井 洋一 堀井 洋一
日立製作所 水・環境ビジネスユニット 経営戦略本部 主管技師
1990年神戸大学大学院理学研究科修了(地球科学専攻),日立製作所中央研究所入社,コンピューター音楽・コンピューターグラフィクスの研究を開始。1997年 仏INRIA Rocquencourt 客員研究員,2000年よりヒューマンインタラクションの研究を開始,2003年日立ヒューマンインタラクションラボ(HHIL)設立。2010年より,基礎研究所,中央研究所,株式会社日立プラントテクノロジー(当時)松戸研究所などで社会インフラの経営科学の研究を行う。2022年より現職。
2018年早稲田大学後期博士課程修了,博士(工学)。2020年世界経済フォーラム C4IRJ フェロー,2022年ISO TC323 (Circular Economy) WG5 エキスパート。

堀井郡司先生の言う内側と外側とは既知の世界を枠で区切っているだけのことで,先ほどの話に絡めて言えば,問題設定ができて,問題と解答がきっちり対応する世界なんですよね。でもリアルな日常では,そんなふうにきれいにいかないのが普通です。突然気分が変わったり,自分でも想定していなかった行動をしたり,覚えていたことを突然忘れたり,単純な計算を間違えたり。それが普通の人間のあり方ですよね。なぜそういうことが起きるのかというと,ロゴス(論理)とピュシス(自然)という言い方もされますが,世界は論理だけで構成されているわけではないからでしょう。認識していない外部から何らかの働きかけがあるからでなければ説明がつかないということですね。

郡司僕の言う外部というのは理解しづらいかもしれないけれど,「こういうものだ」と想定してしまうと,途端に何かが結像してシステム論的に自分との関係性が矢印で書けてしまう。それはすでに外部ではなく外側です。自分では認識していない外部から「何か」がやってきて,それを受け入れると自分の無意識や潜在意識が反応すること,それが天然知能であると考えています。

問題と解答という例で言えば,自分にとっての問題と,それに対する解答を何となく予想していると,まったく無関係なものが出てくる。むしろそのことを召還するような知能が天然知能です。これはつまり,日常的に新しいものを創造し続けているのだとも言えます。

では,そのような知能をモデル化するにはどうしたらいいのか。外部というものをシステム論的にどう扱えばいいのかを,僕は考え続けているんです。

共に肯定され,共に否定される

2021年に共著『セルオートマトンによる知能シミュレーション―天然知能を実装する』を上梓されていますが,天然知能的なモデルは既に実装されているのですね。

郡司そうですね。どのようなモデルなのか比喩的に言うと,例えば問題と解答という二つの要素があります。問題が問題として扱われているときには解答はなく,解答が出てしまえば問題は問題でなくなりますから,その二つは通常なら共立しませんよね。そのような共立しないものが同時に肯定され,なおかつ同時に否定されるという状況をつくると,その間にぽっかり穴みたいなものが空いて,その穴をめがけて外部から何かが流れ込んでくるというイメージです。

共立しない二つの要素が両方とも肯定され,かつ否定されるようなことは論理的にありえないじゃないか,と思うかもしれません。しかし現実の世界では,微細な境界条件や文脈の変化によって,問題が問題ではなくなることがあります。しかも外部に開かれた境界条件だとか文脈だとかは制御や調整ができないわけです。そうしたコントロール不能な世界の中でわれわれは物事を判断しているので,そういうこともありえるのです。

堀井共に肯定され,共に否定される状態のいい例はありますか。

郡司著書の『やってくる』の中に書いた話ですが,障がいのある高校生の男の子がいて,彼は人とコミュニケーションするときに自分の好きなものの写真を見せるんです。パトカーやトラックや先生の写真などをラミネート加工してリングでまとめたものをお母さんにつくってもらい,それを見せながら「これなんだ」と周囲の人に聞いて回る。聞かれた人が写真に写っているものを答えると,次の人のところへ行くということを繰り返していたんですね。そのうち僕のところへ来て写真を見せるので,何回かやり取りしたところでパトカーの写真を見せられたときに,何となく「カブトムシ」と答えたんです。そうしたら満面の笑みを浮かべて「郡司さん!!」って抱きついてきて(笑)。それから彼とすごく仲良しになりました。

二人の間に何が起きたかというと,彼は人と会話するのが苦手で,写真を見せてそれに反応してもらうことが彼にとってギリギリ実行できるコミュニケーションの手段だったんだと思います。言い換えれば,彼は,写真=問題,写っているものの名称=解答というフレームの中にいたということですね。

ところが僕は,パトカーの写真に対してカブトムシと解答した。それは,写真を見せられて答えたのだから解答であるといえば解答です。だけど,それに対して彼が「何を言っているんだ?」と疑問に思えば問題でもあるわけで,「カブトムシ」は解答であり問題であるということになる。一方で,そんなものはナンセンスな横紙破りに過ぎないんだから問題でも解答でもないじゃないか,という立場もとれるわけです。

「これは問題であり解答でもある」となると禅問答のようなもので,どうすればいいのかと考え込んで終わってしまうでしょう。「問題でも解答でもない」となればこいつは相手にできないと無視することになる。ところが彼は,その両方が成立する絶妙なバランスの間に一瞬で入ったことで,コミュニケーションの新たなフェーズを知ってしまった。それがたぶん嬉しかったのだろうと思います。

堀井技術的にはセルオートマトンという離散的な計算モデルを応用されているのですよね。

郡司基本的な離散的計算モデルによるシミュレーションでは計算を同期的に行います。でも生命現象などは多数の細胞が非同期に働くことで成り立っていますから,生命現象のシミュレーションモデルでは稀に非同期な計算を行います。その方法はいろいろ開発されているものの,大抵は非同期をランダムに行うように設定しています。

ところが生体システムの動きは完全にランダムなわけではなく,何らかの形で細胞間での調整を行いながら非同期の中で同期を実現しているんです。つまり同期と非同期を同時に実現しつつ否定している。その概念をモデル化したということです。

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