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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察創造性は,外部を感じ,受け入れる知能にある(Part3)「天然知能」の実装が拓く可能性

2023年3月28日

目次

気候変動をはじめとするグローバル社会の困難な課題を前に,新たな社会イノベーション像が模索されている。あらゆる物事が複雑性を増し,これまでの常識や知の体系が通用しづらくなっている今,社会システムや技術の硬直化を打ち破るカギとして期待されるのが,理論生物学者の郡司ペギオ幸夫氏が提唱する「天然知能」なる概念である。

人工知能が席巻する社会において,天然知能をどう生かしていくべきか。

人間が本来持つ天然知能こそがイノベーションの源泉であると説く郡司氏と,その薫陶を受けて多方面で活躍する日立製作所の堀井洋一が語り合った。

Part3では,天然知能とイノベーションの関係,内なる天然知能を生かすためのヒントを提示していただく。

対談

日常生活は全部イノベーションである

郡司 ペギオ 幸夫 郡司 ペギオ 幸夫
早稲田大学 理工学術院 基幹理工学部表現工学科 教授
1987年東北大学大学院理学研究科博士後期課程修了(理学博士),1999年神戸大学理学部地球惑星科学科教授,2014年早稲田大学理工学術院基幹理工学部・研究科教授,神戸大学理学部名誉教授。
主な著書に『群れは意識をもつ』(PHPサイエンス・ワールド新書,2013),『生命,微動だにせず』(青土社,2018),『天然知能』(講談社選書メチエ,2019),『やってくる』(医学書院,2020)ほか多数。最新著は『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』(青土社,2022)

生物本来の知能は天然知能なのに,多くの人が人工知能的になっていると指摘されていますが,そのことにどんな問題があると思われますか。

郡司人工知能のように枠をつくって問題を設定しながら解決するということを繰り返していると,技術的にどこかで限界が生じてしまうでしょう。社会的にも,一部の人たちが枠と問題を設定して解決するということを続けていると,枠の外側を蔑ろにすることが簡単にできる社会になってしまう。そのときに,どう考えても自分自身は蔑ろにされるほうなので(笑),「蔑ろにされてたまるか」と思うわけです。

人工知能はこんなに素晴らしいことができるとか,人間よりもすごい仕事ができるとか言われますよね。じゃあ,「あなたよりも人工知能のロボットのほうが食べ物を美味しく食べられるから,あなたは食べなくていいですよ」と言われたらどう感じるか。僕は「ふざけるんじゃない!」と思うし,そう言い続けるためにどうしたらいいのかということを考えているんです。

堀井郡司先生が言っていることは難しく聞こえますが,扱っているのは人間が本来持っている知能という,極めて普通のことなんです。例えば,生物が自然に行う動作も,ロボットに同じ動きをさせるのは容易ではありませんよね。メカニズムを解析し理論を積み上げ,異なる材料や機構を使って同様の動きを再現しなければなりません。郡司先生は知能を対象に,それと同じようなことに取り組んでいるわけです。生物の知能と神経細胞の働きや意識,知覚の問題などはまだ解明されていないことも多く,郡司先生が提示した天然知能の理論とモデルは,その一つの解として注目されています。

ですから人工知能を否定しているわけではないけれど,社会全体が人工知能的な考え方に偏り過ぎている中で天然知能を実際の技術として形にすることには大きな意味があるし,誰も考えつかないような可能性が拓かれるかもしれないということです。

天然知能は「日常的に新しいものを創造し続けている」ものとおっしゃっています。それこそイノベーションですね。

郡司そうですね。平常時があって,たまにイノベーションのような革命的なことが起きるわけではなく,日常生活は全部イノベーションであるという見方もあると僕は思っています。イノベーションといっても大げさなことではなくて,いつもと同じものを食べたのに「あれ? 意外と美味しい」と気づくというようなことは誰にでも起きていますよね。だから問題―解答の枠組みから少し外れて世界を見てみると,イノベーションも簡単に創造できるかもしれないと思っています。

「特別に訓練されたカブトムシ」に何を感じるか

堀井 洋一 堀井 洋一
日立製作所 水・環境ビジネスユニット 経営戦略本部 主管技師
1990年神戸大学大学院理学研究科修了(地球科学専攻),日立製作所中央研究所入社,コンピューター音楽・コンピューターグラフィクスの研究を開始。1997年 仏INRIA Rocquencourt 客員研究員,2000年よりヒューマンインタラクションの研究を開始,2003年日立ヒューマンインタラクションラボ(HHIL)設立。2010年より,基礎研究所,中央研究所,株式会社日立プラントテクノロジー(当時)松戸研究所などで社会インフラの経営科学の研究を行う。2022年より現職。
2018年早稲田大学後期博士課程修了,博士(工学)。2020年世界経済フォーラム C4IRJ フェロー,2022年ISO TC323 (Circular Economy) WG5 エキスパート。

技術者や研究者は常に新しいものの創造をめざしているわけですが,そういった人たちが内なる天然知能に気づくには何が必要だと思われますか。

郡司そうですね……。僕は研究室のホームページで,「特別に訓練されたカブトムシ」という言葉をテーマに掲げています。特別,訓練,カブトムシ。一つひとつの単語を見ると,それぞれ辞書的な意味が浮かんできますよね。それが三つつながると,どこかの秘密結社が日夜すごい訓練をカブトムシに施しているというような,禍々しいような,胡散臭いような,おもしろいようなイメージが湧いてきませんか。

でもそういうイメージはどこにも書かれていません。じゃあなぜ湧いてくるのかというと,単語が絶妙に配列されたとき,間に深い穴が開いて,その穴に外部から何か予想もしないものが流れ込んでくるからです。その深い穴は見えない。見えないその穴をどうやってつくるか,その感性こそが文学的センスだと思います。

詩人がやっているのはそういうことです。しかも,読む人がみんな同じ感覚になることは期待していないわけですね。ただ穴を開けておくと,読む人によって違うかもしれないけれど,何かとんでもない感覚がその人の中に立ち上がってくるわけです。そうした文学的な,見えない穴に対するセンスというものは,理系の人が一番持っていないものだと思われるかもしれない。けれど,創造性というのは本質的にそうしたセンスなので,それを磨くことが大事です。

堀井イノベーションの一番適切な訳語は,シュンペーターが言った「新結合」だと思います。おっしゃるような言葉の結びつきと同様に,新しい結合によって何かを引き寄せることがイノベーションにつながる。そのことも僕は郡司先生から教わりました。

郡司認知科学者のマーガレット・A・ボーデンは創造性の手段というものを,「既存の概念の新しい組み合わせ」,「未開領域での探索」,「思考の枠組みの転換」という三つに分類しています。新結合というのは一つ目に該当するけれども,ボーデンは,「それは既にあるものをただ並べて組み合わせればいいというものではない。並べ方によって意味がまったく違ってしまうことがあるのだから,どう組み合わせるかが創造性なのだ」と述べています。よく「行間を読む」などと言いますが,文脈の外側に潜んでいる価値をうまく引き出す,あるいは捕まえるところに創造性があるのだということです。

外部を受け入れる仕掛けを組み込む

そのようなセンスはどうすれば磨けるのでしょうか。

郡司興味深いのは,僕の研究室でおもしろい論文を書く学生やいい研究をしている学生は,小説をよく読んでいるんですよ。現代の外国文学にも詳しい。外国文学は日本人にとって感覚や価値観の違いを感じることが多いので,何かそういうことが関係しているかもしれないですね。

堀井ただ,単に本を読めばいいかというと,そうではないでしょう。おそらく本を読む態度が違うのだろうと思います。郡司先生がおっしゃったように,企業や社会にとっての問題を設定して,それを解決すれば終わりという思考ではもう限界に来ていて,そこを突破するには,外部から何かがやってくる重力を持つような組み合わせを見いだす力が必要ということですよね。

郡司人間がもともと天然知能なのに人工知能的になっているというのは,人工知能的な知性が論理的で優れた知のあり方だというふうに教育され続けてきたためだと思います。小さい頃から,難しい問題をどうやって抽象化して簡単にして解ける形に設定するかという,「そぎ落とす能力」のようなものを磨くことを訓練されるわけです。その呪縛から逃れるのは簡単なことじゃないですよね。

よく文系/理系という区別をしますが,文系と言ってもほとんどの場合,思考方法は論理的で人工知能的です。そこから逃れることを考えているのは,広い意味での芸術家だけでしょう。もちろんその芸術家にしても一部です。それは本当に少数なので,天然知能が必要だとか,今の技術の問題は人工知能的な思考にあると言っても,世の中に伝わりにくいのは当然だと思います。

だから堀井さんに期待しているんです。堀井さんの取り組みがいい具体例になって,社会イノベーションをめざすというビジネスの最前線で,外部や天然知能の重要性がアピールできれば,何かが変わるかもしれません。

堀井これはぜひ言っておきたいのですが,火とか,文字とか,音楽とか,人類の起源に関わるような大発明,大発見は,天然知能的な発想でしか生まれ得ないんです。例えば文字が発明されたときには,文字が必要という問題の設定すらなかったはずですから。

仕事や研究活動はどうしても問題と解答という図式になってしまいますが,日常生活ってそんな図式にはまらないことだらけですよね。天然知能の例で僕が一番好きなのは,食事をどうするかという問題に対して,うどんにするか蕎麦にするか考えていたはずなのに,「家に帰って寝る」(笑)ことを選択するという話です。同じようなことって,よくあるじゃないですか。そういう普通の発想,天然知能的な外部を受け入れる仕掛けをいろいろなところに組み込んでいくことで,イノベーションは起こせるだろうと思っています。

本当に興味深いお話でした。ありがとうございました。

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