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Innovators’ Legacy:先駆者たちの英知科学・技術史から探るイノベーションの萌芽[第6章]朝鮮・韓国の科学・技術編

2023年3月29日

麻生川 静男

麻生川 静男

  • 1977年京都大学工学部卒業。1977年〜1978年ドイツミュンヘン工科大学短期留学。1980年京都大学大学院工学研究科修了,住友重機械工業株式会社入社。米国カーネギーメロン大学工学研究科に留学し,帰国後はシステム開発,ソフトウェア開発事業などに従事。徳島大学工学研究科後期博士課程修了。2000年に独立し,複数のITベンチャー企業で顧問を務め,カーネギーメロン大学日本校プログラムディレクター,京都大学産官学連携本部准教授を歴任。現在,リベラルアーツ研究家として講演活動や企業研修に携わる。著書に『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』(祥伝社),『教養を極める読書術』(ビジネス社)など。インプレス社のWebメディア,IT Leadersに『麻生川静男の欧州ビジネスITトレンド』を連載中。博士(工学)。

デジタル技術の発達やビジネスのグローバル化,それに伴う企業活動の多国籍化を背景に,技術開発に携わるエンジニア・研究者にも分野を超えた幅広い視野と柔軟な思考が求められている。その中でも特に欠かせないのは,今日の社会のあり方から私たちの生活の隅々に至るまで,絶えずさまざまな変化をもたらし,大きな影響を与えている科学・技術なるものの本質を俯瞰的にとらえる視座であろう。

本連載では,リベラルアーツ研究家として多彩な啓発活動を展開している麻生川静男氏が,古代から近代へと至る世界の科学・技術史をひも解きながら,これからのイノベーションへの手がかりを探っていく。

目次

1.韓国の現代の技術の隆盛について

現在の韓国経済は,一強のサムスンがグローバルで活躍し,かつての日本の電機産業などは完全に格下になっている。それだけでなく,失われた20年以降,経済が停滞している日本を尻目に韓国の賃金は2015年に日本を上回ったともいわれる。このように,韓国の経済的な成長は著しいが,必ずしも諸手を挙げて喜べるような状況ではないようだ。というのは,韓国の大学進学率は(最近では7割程度まで落ちているようだが)一時期は8割を超え,世界一の大学進学率を誇っていながら,大卒者の失業率は3割,あるいは4割にも上るという。その理由の一つは,大卒者に人気の職業である公務員をめざして,あるいはサムスン,現代,LGのような財閥系の大企業に入るために,親の世話になりながら何年も浪人している若者が多いからだ。その多くは大卒という資格を持っているばかりに,技能職や非事務職のような職業に就いたり,中小企業に就職したりするのは恥ずかしいというのである。技術職では,コンピュータ産業のような手の汚れない頭脳労働の職業が好まれ,医療業界では美容整形外科に人気が集中し,他の部門では深刻な医師不足であるともいう。

一見好調に見える韓国の産業界に陰を落とすこのような現象の裏には,彼らのかつての価値観が大きく影響しているように思う。本論では,現在日韓・日朝間で問題になっているような政治・経済面ではなく,科学・技術に焦点を絞って述べるが,社会背景,それを理論的に支えている哲学・思想を避けては通れない。朝鮮(韓半島)の科学・技術史を知ることの最大の目的は,合わせ鏡として日本を知ることである。本論は,こういった観点から,朝鮮の科学・技術の各分野を単に解説するのではなく,日本と韓国の産業の今後のあり方を知ることを目的として,議論を進める。

2.私が朝鮮(韓国,北朝鮮)に関心を持った経緯

図1|イザベラ・バード 『朝鮮紀行』 図1|イザベラ・バード 『朝鮮紀行』 出典: https://www.amazon.co.jp/dp/4061593404

現在,韓国・北朝鮮の動向に関して連日の如く報道されているが,私の学生時代(1970年代)と比較すると隔世の感がする。当時,日本全体において韓国や北朝鮮(以下,朝鮮と総称する)への関心は概して低く,報道されることも少なかった。そういった時代に育ったので,私は当時の一般の学生と同様,朝鮮への関心は極めて低かった。小中学校には在日韓国人のクラスメートがいたし,大学では韓国からの留学生にも出会ったが,日本人とまったく変わらない日本語を話すので,意識的に文化的な差を感じることはなかった。社会人になってからようやく従軍慰安婦問題を耳にすることはあっても,私の関心が朝鮮に向くことはなかった。

しかし,2000年ごろ,たまたまイザベラ・バードの『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』を読み大きな衝撃を受け,それまでの私の無関心を劇的に変えた。イザベラ・バードは李氏朝鮮の最晩年の1894年から1897年にかけて朝鮮を旅行し,そこで日本の武士に該当する両班と言われる支配者階級たちの限度を知らない横暴と強奪,それにあえぐ庶民たちの惨めな様子という信じがたい光景を目にした。日本なら太古はいざ知らず,室町以降の時代であれば決して看過されないであろう不法が近代の李氏朝鮮では実際に行われていたのだ。「本当にこういうことがあったのだろうか? バードが大げさに言っているだけなのではないだろうか? それにしてもそもそもこのような非道なことがどうして咎められずにいたのだろうか?」

イザベラ・バードの本を読んで以来,私の朝鮮に対する関心は慰安婦問題や日韓併合のような現代的視点ではなく,バードが目撃し糾弾した当時の朝鮮の実態を知り,その背後にある両班の統治思想を解明する点に集中した。時代背景を理解するために,歴史書を読んだが朝鮮の歴史の原典は至って少ない。古代の三国時代(新羅・高句麗・百済)には『三国史記』と『三国遺事』,高麗も『高麗史』と『高麗節要』,李氏朝鮮は膨大な『朝鮮王朝実録』があるが,現代日本語訳はわずかに『三国史記』と『三国遺事』の2冊にすぎない。

私はひところ韓国の歴史宮廷ドラマをよく観ていたが,ほとんどが李氏朝鮮に関連するものばかりで,高麗王朝に関するものは少なかった。しかし,約500年続いた高麗の歴史を知らずして朝鮮は理解できないと考え,インターネットで『高麗節要』の原文を探してダウンロードして読んだ(この成果が『本当に悲惨な朝鮮史 「高麗史節要」を読み解く』の出版である)。そうして分かったのは,高麗と李氏朝鮮の二つの王朝を比較してみて初めて現代につながる彼らの伝統的価値観を正しく理解できるということであった。

 3.朝鮮の科学・技術史

図2|金相運 『韓国科学技術史』 図2|金相運 『韓国科学技術史』 出典: https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=233476539

図3|李氏朝鮮時代の両班 図3|李氏朝鮮時代の両班 出典: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sainshieum.jpg

朝鮮の科学・技術史は,3,4世紀の三国時代に中国の科学技術を導入したところから始まる。独創的な発見や発明はなく,高麗時代までは科学は見るべきものも少ないが,技術はかなり高いレベルにあった。それは,仏教が国を支配した三国時代から高麗にかけて手工業者が仏教寺院の文化面を支えていたからである。しかるに,李氏朝鮮では科挙に合格した両班が社会の指導的役割を担い,朱子学による文人統治をした結果,高麗時代に培われた高度の技術が軒並み没落した。

私の手元には,金相運氏の『韓国科学技術史』(1978),『韓国科学史』(2005)の2冊,および任正爀氏の『朝鮮の科学と技術』(1993)がある。最近,任氏は朝鮮の科学・技術に関連する書を数冊出版しているが,私は未見である。なお,金氏は韓国人,任氏は在日朝鮮人(北朝鮮)であるようだ。ただし,これら3冊の書物はページ数や記述内容に大きな差は見られない。

金氏は『韓国科学技術史』の中で,自国の歴史を振り返り,近代にまで続く科学技術の停滞の要因を的確に分析している。要点をまとめると「歴史的にみて韓国の科学技術は,李氏朝鮮の世宗を除いて,支配者階級からはまったく重視されなかったため,発展しなかった。また残された資料も少ない。それに輪をかけたのが,中国からの過酷な貢納逃れのためにした意図的な鉱山業放棄で,結果的に金属産業の発達がおおいに妨げられた」。これを思うと,日本は中国からの貢納要求がなかったことで,産業が順調に発展することができたのはまことに幸運であった。

また,金氏の記述から朝鮮社会における科学技術者の社会的地位や待遇が日本とかなり異なっていたことも分かる。以下では,金氏の『韓国科学技術史』から日朝の文化差が分かる観点を引用してみよう。

―― 引用,ここから ――

「韓国における科学の歴史は,その根源をほとんど技術の伝統に求めることができる。実際の経験と熟練が,手から手へつたえられ,時代から時代へと発展していった。韓国の工匠たちは,科学者もふくめて,現象の追及に力を注ぐだけで,その理論的な説明を軽視した。理論的研究や原理的科学よりも経験的研究を重んじた結果,応用科学としての技術の発展は妨げられ,技術は工匠たちの口伝による秘法と経験的方法の枠のなかから抜けだせなかった。」(p.9)

「技術者たちは下級官吏として,また工匠として卑しまれ,精神的自由と物質的余裕を享受できなかった。だから自分の体験と口伝によって得た秘法を記録し保存することはかれらには期待できないことであった。李朝の工匠たちには,新しい生産的な事業に誘いこむような社会的刺激もなかったし,技術をより高く発展させようと努力しても酬いられるものが何もなかった。」(p.9)

「……この時代(三国時代)の資料は,王朝の政治史を中心として編纂された『三国史記』と『三国遺事』だけであり,その中には実際のところ,ただ一人の科学者,技術者の名前さえもあらわれてこない。」(p.11)

「(高麗時代の)史料としていま残されているのは,この時代の唯一の官撰史料である『高麗史』だけである。しかし,そこにも科学と技術の発展をはかり得る記録とか,科学者の名前とかはあまり多く見えない。世界的に広く知られている高麗青磁についても,その技術的工程はもちろん,製造技術の発展に貢献した科学者,技術者の名前さえのこされていない。」(p.11)

「(李氏朝鮮時代)1401年,太宗即位とともに始まる韓国の十五世紀は,太宗を継承した世宗が,1450年,在位32年で死ぬまでの半世紀間,韓国史上もっとも大きな文化的,学術的進歩が行われた時期であった。多くの新しい科学的発明と制作をはじめ,数多くの書物が著わされ,出版された。この時期には,官撰史料である『朝鮮王朝実録』(李朝実録)だけをとっても,およそ100人に近い科学者の名前があらわれる。(中略)李朝の科学技術は実際のところ十八世紀にいたるまで,これ以上には発展しなかったのである。」(p.12)

「李朝の工匠制度と科学技術政策は,市民として科学技術に従事する自由民があらわれず,従って機械時計の発展に始まる近代工業の足場をつくれなかった。韓国における機械産業の後進性は,この時からすでに始まっていた,と私(金相運)は考えている。」(p.181)

 「元朝による(金属の)搾取は特にきびしく,元の役人が高麗にまできて,金・銀を掘り出すようになったので,高麗としては堪えきれないほどであったという。それで高麗政府は,金・銀などの金属鉱山の開発を極度に制限し,中国には,高麗の金・銀の生産量が非常に少ないと弁解して,歳貢量を減らそうと努力した。」(p.257)

「中国の過大な要求(歳貢のこと)に堪えられなかったためにとられた一時的な消極政策であったとはいえ,高麗中期以後の政策的貧困が,金属生産とその技術を停滞させる要因の一つになり,そのころから徐徐に退歩が始まっていたのである。」(p.258)

「高麗時代から李朝の始めにかけて頭痛の種であった金・銀の歳貢は,1430年になってやっと免除された。ところがそれは,鉱産物開発の消極政策という副作用を起こしたため,李朝の金属工業は,貴金属の吹錬加工技術だけでなく,他の金属の製錬技術まで停滞する結果をもたらした。」(p.260)

―― 引用,ここまで ――

総じて朝鮮では科学・技術は国家運営の観点では重視されていなかった。さらに,元(モンゴル)に支配された13世紀以降,歴代の中国王朝からの酷い搾取を避けるため,意図的に鉱業生産能力が低いままにして置かれた。そのうえ,役人による厳しい収税のために,民間の工芸技術も発達が阻害された。結局,朝鮮2,000年の科学・技術を総括すると,高麗時代の青磁,高麗紙,高麗大蔵経と,李氏朝鮮時代の初めに世宗の漢字の活字印刷(ハングルではない)と蒋英実(チャン・ヨンシル)の天文観察装置が見るべき成果と言える。ただ,世宗にしろ蒋英実にしろ,一代限りの「線香花火」に終わってしまったのが,残念ながら科学・技術を重視しなかった李氏朝鮮の結末であった。

4.科挙の制度の導入

上で述べたような朝鮮の科学・技術の発達を阻害した最大の原因が,朱子学をベースとした科挙の制度であった。以下,朝鮮の科挙について説明しよう。

高麗では第4代・光宗の時(958年)に科挙を導入した。これは,中国の宋に倣って学識のある官僚を採用するための制度であった。これから次第に官僚・文人,儒教に傾斜していくのであるが,1300年ごろから朱子学が本格的に高麗に広まると,儒教の根本的な思想である「文の優位,手作業の蔑視」が文人の基本理念となった。高麗末期に科挙に合格した李芳遠(後の李氏朝鮮・太宗)もその理念に染まり,自身が即位後にははっきりと文人優位の体制を築いた。

その科挙にも厳然たる差別があった。李氏朝鮮時代の社会身分は上から,両班,中人,常人,白丁,奴婢となっていた。両班とは文科と武科を指すが,文科が遥かに重視された。特権階級の両班のすぐ下の階級である中人は現代感覚では立派な知識人ではあるが,当時の感覚では両班よりかなり見下げられていた。中人が受験を許されたのは雑科の4部門(訳科,医科,陰陽科,律科)だけであったが,これらは現代の感覚では高度な技術職である(出典:姜在彦『ソウル―世界の都市の物語』)。

「司訳院で必要な人材のための訳科(中国語,日本語,モンゴル語,女真語),典医監に必要な人材の為の医科,刑曹に必要なための律科,観察監(天文地理)に必要な人材のための陰陽科(天文学,地理学,命課学)があった。雑科は中人階級の中の世襲的な職種で,……(中略)じつは雑科の試験科目にこそ,外国語,医学,律学,天文地理とそれにともなう算学など,もっとも実用的な学問でなければならなかった。これを雑学として賤視したところに,朝鮮における徹底した崇儒主義の弊害がある。」(出典:姜在彦『ソウル―世界の都市の物語』)

5.高麗時代の高度な技術伝承が途絶える

図4|李氏朝鮮時代の鍛冶屋 金弘道の檀園風俗図帖 図4|李氏朝鮮時代の鍛冶屋 金弘道の檀園風俗図帖 出典:https://www.museum.go.kr/site/jpn/relic/represent/view?relicId=3799

私は,2016年に『日本人が知らないアジア人の本質』という著書を出版したが,その時,多くの書から伝統的な朝鮮人の生活実態を引用した。技術面に関していえば,一番衝撃的だったのは高麗時代には中国人にも一目を置かれた素晴らしく高度な伝統技術が,李氏朝鮮時代になって,両班の過酷な搾取のために途絶えてしまったことだ。そのやり方もきわめて悲惨だ。以下にその様子を示そう。

「……見事な特産品を作ることができる技を持っている職人には注文が殺到するが,代金を払ってもらえないので暮らしは却って困窮するのだ。そのため,後継の息子や娘の腕を縛りあげて不具にして物を作れなくする風習が起こった。これを『封臂(ふうひ)』と呼ぶ。」

とても涙なしには読めない記述だが,これが李氏朝鮮の真実であった。これ以外に,封臂の例としては,黄海道の首陽墨,咸鏡道の鉢内布がある。このように強欲な両班・役人のせいで伝統工芸技術が途絶えてしまった。まったくイソップの寓話にある「ガチョウと黄金の卵」を地でいくような話だ。

結局,このような事情で高麗時代には他国が真似できないような高度の技術によって作られていた竹紙や高麗青磁は李氏朝鮮時代にはもはや誰も作ることができなくなってしまっていた。

6.自分の腕に誇りを持たない人間国宝級の職人

図5|釜山船着場で陶器を運搬する陶器売り(1903年) 図5|釜山船着場で陶器を運搬する陶器売り(1903年) 出典:http://koreanworld3.web.fc2.com/enjoylogs2/2007-02/20070228-232509.html

1970年代に韓国の雑誌『根の深い木』に,庶民の聞き書きが3年間にわたり連載された。合計36編のうち21編が日本語に翻訳され『アリラン峠の旅人たち』,『続・アリラン峠の旅人たち』という2冊本として出版された。ここには,社会の底辺で生きてきた庶民の暮らしが赤裸々に描かれている。とりわけ,『続・アリラン峠の旅人たち』ではわびしい職人の生活ぶりがよく分かる。韓国の陶工はつい50年ほど前までは大きく重い甕(かめ)をいくつも背中に背負って売りに歩かなければいけなかった。それゆえ,最下層の人種と見られたと次のようにいう

「窯場の職人が下賤の者と蔑(さげす)まれ,人間扱いされんようになったのも,きっとそんな按配に商い半分物乞い半分の暮らしだったからじゃろうな。」

実際の様子は,図5の写真を見るとよく分かる。

陶工だけでなく,大工や鍛冶屋など職人の職業はいずれも皆,嫌われた。親自身が息子にも家業を継がせたくないという。日本でいえば,人間国宝級の腕前を持つ細工師・許筠(キョ・キン)には4人の息子がいたが,上の3人はいずれも別の仕事に就いた。その理由をインタビューされると恨みを吐き捨てるように言った。

「なして刀鍛冶なんぞ継がせるっちゃ。こんなやくざな仕事を覚えとったら,一生苦労の種が尽きんちゃ。」

紙漉き職人も同様だった。

「なぜ息子を紙漉き職人に仕込もうとは考えないのかと気を引くと,とたんに『砂浜に顔を突っこんでおっ死ぬことがあったって,わしゃ倅(せがれ)だけは紙漉き職人風情にするつもりはねえだよ』と,にべもなく撥ねつけた。爺さんが自分のたどってきた人生に,どれほど深い侮蔑感を抱いているかを教えてくれる言葉であった。」

確かに,職人がこういう意識を持っていれば,技術の向上などあり得ないし,伝統工芸が継承されないはずだということがよく分かる。

自国に対しても極めて冷静な立場から批評をする文化人の尹泰林氏は,職人というのは世間的には,まったく評価されなかったとして次のように述べる(尹泰林『韓国人―その意識構造―』)。

「李朝においては,工芸といわず経学といわず一切の文化は王室を中心とする貴族両班階級のものであり,民間人は専ら彼らの誅求の対象に過ぎなかった。陶工なども賤民であって,人間の数にもはいることができなかった。」

7.技の伝承を否定

韓国通として知られるコラムニストの黒田勝弘氏の本に日本を視察旅行に来た韓国の飲食業界の団体の一人,ミセス韓が日本で印象に残ったこととして次のように話したという。(出典:姜在彦の『ソウル―世界の都市の物語』)

「(路地裏の小さなおでん屋で食べた感想)わたしたちが驚いたのは,その何の変哲もない小さなおでん屋が,何と三代にわたってやっているというんですね。三代というと百年ですよ。驚きましたねえ。わが国(韓国)だと屋台をすこし大きくしたようなおでん屋などは,つまらない商売ですから親子三代なんか決してやりません。そんなものに一生かけるなんてことはありません。小金をためて,できるだけ早くやめたいと思ってますね。だいたい,わが国では食べ物商売の社会的評価が低いのです。経営者も従業員もあまりよく見られません。」

また,黒田氏はKBS(韓国放送公社)が親子何代にもわたって同じ仕事を続けている職人さんを紹介する番組を企画したが,誰も応募しなかったというと,ミセス韓はその理由を次のように解説してくれた。

「韓国にももちろん職人はいるし,親子何代でやっている人たちも,日本ほどではないけれどいると思います。ただ,テレビで紹介するといった場合,ひょっとすると恥ずかしがってでないかもしれませんよ。わたしたちには,出世せずにつまらない仕事を親子何代もやっているのは恥ずかしいという思いがあります。とくに食べ物屋なんか自慢になりませんからね。」

8.伝統を守る日本人に感銘

ソウル大学卒のエリート官僚の李銅は1994年から3年間,日本に滞在し,帰国後『韓国は日本を見習え』という本を出版した。彼はハーバード大学で博士号をとった日本人が実家の寿司屋の三代目を継いだということに感銘を受けた。技術の伝統を守る日本人気質に引き換え,韓国ではじっくり技術開発に取り組むような姿勢はなく,なんでも日本から輸入すれば済むと考え,自分で技術を開発しようという企業が少ないのは深刻だと述べる。

同じことは,サムスンの内幕を暴露した『サムスンの真実』の次の文章からも伺える。

「国内最高の企業といわれているサムスンで科学技術を研究する人たちが単なる消耗品の扱いを受けている。担当以外のことに目を向けないように指導し,研究用の機械として扱った。そんな生活を長く続けていれば,担当技術以外の分野について無知になってしまう。そして研究していた技術の効用が切れると,会社から追い出される。」

私は,こういった過去の伝統的な職業観や考え方の根本部分は現在の韓国・北朝鮮にも残っていると考えている。つまり,現在のサムスンや現代などの財閥企業の華々しいグローバル展開だけを見ていては韓国の産業ならびに科学・技術を正しく理解することはできない。

冒頭で述べたように,朝鮮を知ることは日本を知ることにつながる。朝鮮と日本はいわば「合わせ鏡」なのである。特に,庶民の生活にまで立ち入って朝鮮(韓国)の科学・技術史を見てみると,日本の特徴がくっきりと浮かび上がってくる。つまり,人間国宝並みの腕前がある職人ですら,最下層の賤民と蔑視された朝鮮と,自分の腕前に自信と誇りを持って常に技量を磨いた日本の職人の差は大きい。また,食べ物屋のミセス韓やエリート官僚の李銅の意見を紹介したが,ここでの指摘のポイントはむしろ「零細企業にも拘わらず伝統を守りつづける日本人の姿勢」に驚嘆しているということだ。

9.産業の健全な発展に必要なものとは

現在の日韓・日朝関係はあまりにも政治的な面にばかり集中しているが,長期スパンで科学・技術の比較をすると日本は朝鮮と比較して,非常に恵まれていたことが分かる。日本は中国からの搾取がなく,地理的には土壌と降雨に恵まれている。政治的にも,硬直した朱子学でがんじがらめとなった政治体制ではなかった,などだ。その結果,日本は江戸時代に産業が発展し,庶民の生活レベルが朝鮮とは比べものにならないほどに高かったことは,当時13回来日した朝鮮通信使の記録からも窺える(参照:『日本人が知らないアジア人の本質』第3章)。

江戸時代や李氏朝鮮時代というとすでに,数百年も昔の話と思われるかもしれないが,私は,この時代に根付いた職業観や科学・技術に対する評価は現在も続いていると考えている。ただ世間の一般の認識は「サムスンに代表される現代の韓国の電子産業は日本より遥かに先進的だ」であろう。確かに,ITや電子産業が現代社会の枢軸の産業であることには私も異論はないが,高度な知識や技術を必要とする産業や職業だけが栄えても健全な市民社会は維持されないことは言うまでもないことだろう。上に見るように,李氏朝鮮時代の科学技術蔑視の影響が近年にまで及んだ韓国の職人たちの嘆きを知ると,誰もが,自分の職業に生きがいが持てる社会が重要だとつくづく感じる。この意味で,韓国のみならず,今後の日本においても最先端の科学や技術部門だけでなく,すべての科学者,技術者,職人が自分の腕前に自信と誇りを持つことのできる社会の重要性とありがたみをわれわれは朝鮮の科学技術史から学ぶことができる。

参考文献

[126]
『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』イザベラ・バード(時岡敬子・訳),講談社学術文庫(1998)
本文参照
[127]
『韓国科学技術史』金相運,高麗書林(1978)
[128]
『韓国科学史』金相運,日本評論社(2005)
[129]
『朝鮮の科学と技術』任正爀,明石書店(1993)
本文参照
[130]
『ソウル―世界の都市の物語』姜在彦,文藝春秋(1998)
ソウルの歴史的展開を庶民レベルの観点も交えて紹介している。儒教(朱子学)がもたらした「廃仏崇儒」の施策が「崇文賤技」の観念を広めた結果,伝統技術が根こそぎ枯れてしまい,その後遺症が今だに続くと指摘する。
[131]
『日本人が知らないアジア人の本質』麻生川静男,ウェッジ(2016)
本論では,この本の第3章から多くの実例を引用した。
[132]
『アリラン峠の旅人たち─聞き書朝鮮民衆の世界』安宇植・編訳,平凡社(1986)
[133]
『続・アリラン峠の旅人たち─聞き書朝鮮職人の世界』安宇植・編訳平凡社(1988)
本文参照
[134]
『韓国人―その意識構造―』尹泰林,高麗書林(1975)
朝鮮社会の歴史的な暗黒部分にも眼をそむけることなく,的確な批判を下した良心的な本。
非常に冷静に歴史的朝鮮人および現代の韓国人の意識構造を分析している。とりわけ,儒教思想は伝統的には両班だけに広まったが,庶民は儒教の教義には無関心で,もっぱら巫堂(ムーダン)という迷信にとらわれていたと指摘する。これ以外にも,日本人が書いた朝鮮・韓国関連の図書からは到底窺い知ることのできない本当の朝鮮社会の文化背景を知るための好著である。日本人が指摘すると反韓,嫌韓といわれそうな歴史的事実を率直に述べる姿勢に好感がもてる。
[135]
『韓国は日本を見習え─滞日三年,韓国エリート官僚の直言』李銅,文藝春秋(2000)
本文参照
[136]
『サムスンの真実──告発された巨大企業』金勇(藤田俊一監修,金智子訳),バジリコ(2012)
高麗大学を卒業後,各地で特捜部検事を務め,その後サムスンの法務スタッフとしてサムスン首脳部の違法行為を直接体験した筆者による著。韓国の巨大なIT企業の内幕を暴露した内容から,現代にも脈々と流れる朝鮮の伝統的価値観を知ることができる。
[137]
『日本人のための「韓国人と中国人」』金在国,三五館(1998)
副題「中国に暮らす朝鮮族作家の告白」とあるように,著者は民族的には朝鮮族であるが,中国の漢民族の中で高等教育を受けた人である。本書の趣旨は中国から韓国に出稼ぎに出たり,移住したりした朝鮮族が,いかに差別されているかを糾弾するものであるが,ここでは韓国における漢字文化に注目してみよう。
現在の韓国では,漢字を排斥してハングルだけになっているが,筆者は韓国では少しでも学識のある人はできるだけ多くの漢字を使おうとするという実情を伝える。根底には韓国人の漢字に対する強い崇拝意識があると指摘する。朝鮮語における漢語の割合は,名詞において高く,8割程度と筆者は推定する。
当然,ハングルのように発音だけしか表示しえない表記では多くの同音異義語がある。例えば,「素数」と「小数」が同じ発音と綴りである。数学を学ぶうえで,これが難しい問題であることは想像に難くない。また以前,韓国の新幹線であるKTXの路線施工にミスが発生したが,これは設計書指定の「防水」を「放水」,「防守」,「防銹」,「傍受」のどれか分からずに,「防水」とはまったく逆の意味に解釈して「吸水」の材料を使ったため,凍結膨張,破壊という惨事に至ったという報道があった。
今後の韓国の科学・技術発展において,ハングルオンリー政策は大きな阻害要因だと私には思える。
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