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レポート

東京大学デジタルオブザーバトリ研究推進機構発足記念フォーラム

2050年を見据えたレジリエントな社会の実現に向けて

ハイライト

自然災害や紛争,パンデミックなどを受けて世界情勢は不安定化の一途をたどり,製造や生産,流通といった社会活動や経済活動はさまざまな課題に直面している。こうした中,東京大学と日立製作所は2023年4月,データを通じて世界中の多様な社会,経済活動を観測する「デジタルオブザーバトリ」に取り組む,東京大学デジタルオブザーバトリ研究推進機構を設立した。その目的は,世界の社会活動や経済活動をデジタルデータで把握することでさまざまなリスクの予兆を早期に発見し,対応することで,国や企業の活動のレジリエンスを強化することにある。

そして2023年10月10日,同機構と日立製作所の共催により,「2050年を見据えたレジリエントな社会の実現に向けて」と題し,デジタルオブザーバトリ研究推進機構発足記念フォーラムが開催された。ここでは,本フォーラムにおける講演内容について紹介する。

目次

開会の挨拶

喜連川 優 喜連川 優
東京大学 特別教授
デジタルオブザーバトリ研究推進機構 機構長

阿部 淳 阿部 淳
日立製作所 執行役専務

西村 康稔 西村 康稔
経済産業大臣

フォーラムの冒頭では,デジタルオブザーバトリ研究推進機構の機構長を務める東京大学の喜連川優特別教授が挨拶に立ち,24時間休みなくライブ映像を取得可能な東京大学の地球観測データシステム[DIAS(Data Integration and Analysis System)]に触れつつ,次のように述べた。

「前世紀に比べて観測能力が飛躍的に向上した今世紀は,Age of Observationとも呼ばれます。ライブ映像の取得によってオブザーバビリティは格段に向上し,例えば防災の分野では,河川一つひとつの挙動を学習することで精緻な氾濫予測が可能となります。自然や紛争などを丁寧に観察し,マルチモーダルなLLM(Large Language Model)を適用することによって,人類の社会活動を途絶させることのないレジリエントな社会の構築に寄与する技術を生み出していくことが,本機構発足の趣旨です。」

デジタルオブザーバトリ研究推進機構では各省庁との連携の下,世界190か国の国際産業連関表の可視化を通じたサプライチェーンの歪みの分析,国際連合などの貿易統計データに基づく輸出入上の依存関係の分析など,多くの情報を観測することによってグローバルなトレンドを捕捉する取り組みを進めている。

続いて登壇した日立製作所の阿部淳執行役専務は,データ・ストレージ分野における日立の歩みと,同分野および社会課題の解決に向けた20年以上にわたる東京大学との共同研究に触れつつ,両者が協調してデジタルオブザーバトリに取り組む理由について述べた。 「コロナ禍に代表される社会活動や経済活動を取り巻く状況の変化が,私たちの暮らしにどのような影響を及ぼすのか,これを捉えることが新たな社会課題となっています。日立は,さまざまなサービスやソリューションの提供を通じて培ってきた実績とデータ処理分野の強みを生かし,激しい変化に直面する社会・経済活動を支える新たな価値の創造にデジタルオブザーバトリを通じて取り組んでまいります。」

さらに,西村康稔経済産業大臣からは,デジタルオブザーバトリ研究推進機構の発足に寄せて次のように祝辞が述べられた。

「私がデータの重要性を特に感じたのは,まさにコロナ禍が始まった2020年,新型コロナウイルス感染症対策担当大臣を務めていたときのことです。SNS(Social Networking Service)上の投稿から人々の行動を分析することが,その後の政策立案,行動抑制につながりました。まさにデータは社会課題解決の重要な要素であるということを再認識した次第です。コロナ禍,そして各地の情勢が不安定化する中でのサプライチェーンの断絶という危機を経て,経済安全保障という概念が世界的に広がりつつあります。強靭なサプライチェーンを確立するためには,日本においても法律を整備し,自律的な経済構造をつくっていかなければなりません。経済安全保障のさらなる強化を図るうえでも,デジタルオブザーバトリ研究推進機構の取り組みを参考にさせていただきたいと考えております。」

対談:データとテクノロジーの利活用を通じてつくる2050年の未来

最初のプログラムとして,東京大学の藤井輝夫総長と日立製作所の小島啓二執行役社長兼CEOによる対談が行われた。

デジタルオブザーバトリ研究推進機構の設立の目的と取り組みを紹介する動画が上映された後,壇上ではモデレータを務めたデジタルオブザーバトリ研究推進機構の豊田正史副機構長の司会により,2050年の社会・経済のあるべき姿を実現するためにデータとデジタル技術をいかに活用するべきか議論が交わされた。

産学の視点から模索する2050年の社会・経済のあるべき姿

藤井 輝夫 藤井 輝夫
東京大学 総長

小島 啓二 小島 啓二
日立製作所 代表執行役
執行役社長兼CEO

豊田 正史 【モデレータ】
豊田 正史
東京大学 生産技術研究所 教授
デジタルオブザーバトリ研究推進機構 副機構長

豊田デジタルオブザーバトリ研究推進機構は,サプライチェーンに影響を与える多様な要素をデジタルデータとして観測・分析し,2050年に向けてレジリエントな社会を構築することを目標に掲げています。まずは2050年の社会や経済活動のあるべき姿について,大学と企業のそれぞれの視点からお話しいただけますでしょうか。

藤井さまざまな現象の相関を広く見ていくためには,多くの方に協力をしていただくことが必要と考えています。生活者の方々がSNSを通じて発信するユーザー目線の情報の中から課題を拾い上げ,どういう仕組みをつくっていくべきか構想する。そのことが,2050年の社会経済を考えたときにも重要になるのではないでしょうか。現在,世界を席巻している巨大ITプラットフォーム企業の成功の裏には,ユーザーに寄り添った事業展開を行ってきたことがあると考えています。今後はパブリックサービスにも同じことが求められていくことになるでしょう。

もう一つ,近年のアカデミアとしての考え方にELSI(Ethical, Legal and Social Issues)というものがあります。これは新しい技術を開発・導入する際,その技術が倫理的に,あるいは社会的にどんな影響を与え得るかを考えましょうというものです。しかし実際には,ある技術を用いた結果として社会経済システムにどのような影響が生じるのか,予測することは難しい状況にあります。なぜなら,一つひとつの問題ごとに縦割りが起こっているからです。きちんと横串を通してインターコネクトする,つまりどんな因果関係の下で何が起こりそうなのかしっかりと見る手段を持つことが,2050年に向けて大きな意味を持つと考えています。

小島持続可能な成長する経済を2050年までにつくり上げるにあたって,現在,大きな危機が二つあります。一つは人類の経済活動がプラネタリーバウンダリーを越え始めていること,そしてもう一つは,私たち人間のWell-beingに疑問が投げかけられていることです。「本当に,人って幸せなんだろうか」という問いです。幸せでないときに経済成長しても仕方がないですからね。この二つの危機を乗り越えるために何をするかが難しいわけですが,2030年という中間地点におけるターゲットは重要だと考えています。この時点でいろいろなベクトルを転換させ,ターンアラウンドの方向性を明確にしなくてはなりません。

パンデミックや紛争などの問題が相次ぐ中,われわれはいわば目の前のことに忙殺されているような状況にありますが,これはリスクが顕在化したというよりも,実際にはずっと起きていた問題に気づけていなかった結果とも言えます。そしてそうしたリスクは,今もなお潜在しているのでしょう。

2050年の理想の社会を実現するためには,今本当に起きている,しかしわれわれが気づけていない部分をいかに可視化し,先回りして手を打っていくかが重要です。その点でも,このデジタルオブザーバトリという概念を事業に生かしたいと考えています。

データ利活用の課題と新技術への期待

豊田デジタルオブザーバトリ研究推進機構は,データの観測と利活用を通じてさまざまな課題に対処していくことをめざしています。本機構の活動において,特に取り上げてほしい課題はありますでしょうか。また,生成AI(Artificial Intelligence)のような新技術への期待があれば教えてください。

小島生成AIは極めて大きなブレークスルーで,いろいろな人間の知的労働に影響を与えるものと思います。われわれにとって,生成AIの分野で競争領域となるポイントは二つあり,一つは生成AI,LLM にインプットする文献やインサイトをどうやって集め,フィードするかという点,もう一つは,どんなアプリケーションが真に価値を生むのかという点です。そしてそこでは,いかにデータを集めるかが非常に重要になります。世の中に溢れるさまざまなデータを収集・分析し,有意義なインサイトとともに生成AIへインプットするというプロセスが大切であり,それこそがこのデジタルオブザーバトリに対する私の最大の期待です。

藤井デジタルデータとしては取得しづらいが重要なデータ,いわば「聞こえにくい声」をどのように取り入れていくかがポイントと考えています。例えば途上国のサプライチェーンの最上流の情報をどのように得て,どうつなげるのかといったことですね。東京大学では社会起業を軸にアフリカや東南アジア諸国の大学と本学の学生間の交流の強化を図っているところですが,地場に入って,そこで何が起きているのかを見ていくことが重要です。その積み重ねによって,データそのものが非常に大きなパワーを持つということを考慮しなければなりません。

また,今後は多様な分野にわたって大規模なデータを取り扱うことで,多数の時系列を同時に見て,その相関から何が起きているかを探るような,量子的な考え方も可能になるかもしれません。量子計算分野の試みとのクロスオーバーについても期待できるのではないかと感じています。

まとめ

豊田最後に,デジタルオブザーバトリの未来に向けて一言ずつ頂けますか。

小島デジタル技術が隆盛する中では,どこが競争領域で,どこが非競争領域なのかを分けて考える必要がありますが,日立の考え方では,デジタルデータの観測・分析は非競争領域に当たります。こうした領域ではパブリックなセクターやアカデミア,あるいは企業が連携して,デジタルオブザーバトリをつくっていくことが重要です。今後さらに仲間を増やし,世界を広げて,喜連川機構長のリーダーシップの下でデジタルオブザーバトリを実現したいと思っています。

藤井東京大学は,世界中のステークホルダーをつないでいく存在でありたいという考えの下,日々の活動を行っています。オープンな部分もクローズな部分もありますが,データの範囲を広げていく意味でも,世界のさまざまな場所,組織,セクターとできる限り広くつながっていけるよう努力したいと思います。社会学をはじめ,東京大学が培ってきたさまざまな学問のノウハウも掛け合わせながら,「聞こえにくい声」をデータとして集め,日本の強みに変えていければと考えています。本日はありがとうございました。

来賓挨拶

山田 英也 山田 英也
農林水産省 大臣官房統計部 統計部長

対談に続いて,農林水産省大臣官房統計部の山田英也部長よりメッセージが寄せられた。山田氏は少子高齢化に伴う農林水産分野での労働力の減少,食料自給率などの課題に触れながら,農林水産省は食料安全保障の強化などを重点にして「食料・農業・農村基本法」の見直しを進めており,デジタルオブザーバトリ研究推進機構の発足はまさにタイムリーであるとして,機構との協働について次のように述べた。

「われわれはデジタルオブザーバトリ研究推進機構の発足当初から,駒場キャンパスの生産技術研究所にお邪魔し,東京大学の先生方とさまざまな意見交換を行ってまいりました。野菜や肥料などの貿易状況を分析していただく中で,このデータ基盤の重要性を実感しております。今後ますますの産官学の連携を図ってまいりたいと思います。」

ビジョン発表

西澤 格 西澤 格
日立製作所 執行役常務CTO

続いて,デジタルオブザーバトリ研究推進機構のビジョンが発表された。発表はデジタルオブザーバトリ研究推進機構の豊田副機構長と,日立製作所の西澤格執行役常務CTOからそれぞれ行われた。

豊田副機構長は,激甚的リスクの早期把握・回避によりレジリエントな社会を実現するというデジタルオブザーバトリ研究の目標に触れ,「社会・経済活動の観測基盤技術の開発」,「観測データを活用するプラットフォームの構築」,「データに基づく価値創造(サプライチェーンレジリエンス,ダイバーシティ・インクルージョン,ネイチャーポジティブ,オポチュニティシーキング)」がその三本柱であるとした。また,東京大学の8部局に加えて日立製作所,筑波大学,国立情報学研究所などの外部組織との連携の下に構成される文理融合の研究体制について紹介し,本機構の活動を通じて得られた成果に関しては,社会活動データ分析,多メディア分析,グローバル社会リスク分析などのさまざまな分野での活用に向けて,経済産業省・農林水産省をはじめとした関係省庁と今後についての協議を進めているとした。さらに,デジタルオブザーバトリ研究推進機構の大きな研究テーマの一つとなっているサプライチェーンレジリエンスのための観測プラットフォームについて解説した(図1,図2参照)。

図1 国際産業連関表を用いたチョークポイントの可視化 図1 国際産業連関表を用いたチョークポイントの可視化 国際産業連関表は,各国が発表している産業連関表と貿易統計データを融合し,産業セクターごとの輸出入に関するデータをまとめたものである。本システムでは,入れ子状のネットワーク図として国際産業連関表を可視化し,ズーム操作により各国内の産業連関表の詳細を閲覧することができ,特定の国に輸入を依存しているセクターをハイライトすることで産業構造のチョークポイント(弱点)を把握できる。

図2 貿易統計分析の例 図2 貿易統計分析の例 国連商品貿易統計データベース(UN Comtrade)に基づく分析であり,世界的な貿易状況の推移を見ることができる。本図は,ウクライナのひまわり油の貿易状況について分析したものであり,輸出量ならびに輸出先がロシアによる侵攻の前後で大きく変化していることが分かる。

豊田副機構長はまた,サプライチェーンレジリエンス,ダイバーシティ・インクルージョンといった分野ごとの研究チーム間の連携体制について触れ,今後についてはデータの融合,リアルタイム性といった課題をどのように解決していくかが重要であるとして,学内外のさらなる連携と将来的な国際展開に期待を寄せた。

続いて日立製作所の西澤CTOは,データとテクノロジーでサステナブルな社会を実現する日立グループのめざす姿と研究開発の方向性,プラネタリーバウンダリーを越えない経済活動とWell-beingを支えるLumadaによる成長サイクルについて述べた後,デジタルオブザーバトリ研究推進機構の設立の経緯に触れ,具体的な課題について述べた。

西澤CTOはまず,サプライチェーンレジリエンスの重要性について,グローバル・サプライチェーン圧力指数※1)の推移に見える新型コロナウイルス感染症によるパンデミックと地政学リスクの影響を踏まえ,いっそう幅広いリスク観測の必要性を指摘した。また,地政学リスクに個別企業の努力だけで対処することは困難であるという見方を示したうえで,サプライチェーン上の不安定要素に対応するための日立のビジョンについて,企業内のデータやオープンデータなど多種多様なデータを組み合わせることでリスクを可視化し,(1)平時からリスクポイントが明確になっていること,(2)危機時において能力低下を最小限にできること,(3)危機発生の後,通常モードへの回復が早期であること,というレジリエンスの三つの価値を生み出したいと述べた。

また日立と東京大学の協創については,日立単独では困難であった国・地域に起因する事象の影響の観測を行うべく,気候変動に対応したサプライチェーンレジリエンスの強化,農業・食品業におけるサプライチェーン分析など,東京大学の八つのチームから助言を得て進めているとし,その代表的な例として,マテリアルフローと資源マップ,紛争マップを組み合わせた鉱物紛争のリスク把握に向けた取り組みについて説明した(図3参照)。

西澤CTOは最後に,デジタルオブザーバトリ研究推進機構との共同研究成果の今後の活用について,日立製作所がLumadaのソリューションとして8万5,000社以上の顧客の企業間取引を支えてきたSaaS(Software as a Service)型クラウドサービス「TWX-21」を展開していることに触れ,デジタルオブザーバトリの活動で得られた成果を取り込むことでこのサービスを進化させ,組織横断のデータを活用可能なサプライチェーンプラットフォームとして顧客の企業価値向上,デジタルトランスフォーメーションの実現を支援していくと述べた。

※1)
ニューヨーク連邦準備銀行が公表している,世界のサプライチェーンの逼迫状況を示す指数。

図3 鉱物紛争のリスク把握 図3 鉱物紛争のリスク把握 ウランの原産国であるニジェールで2023年夏に発生したクーデターは,フランスの原子力産業のサプライチェーンに大きな影響を与えた。上図は,紛争地域と鉱床地点を重ね合わせた図であり,こうした図を世界規模で描画する,あるいは特定の地域にフォーカスして描画するなど自在に操作するためには,優れたデータマネジメント技術が求められる。日立では現在,数十万点,10種類以上のリスク指標を世界地図上にインタラクティブにマッピングする技術を開発している。

Lightning Talk

ビジョン発表の後には,Lightning Talkと称して,6名の識者によるプレゼンテーションが行われた。ここでは,それぞれの講演の概要について述べる。

(1)生成AIによる多様な社会・経済活動の情報抽出と構造化

黒橋 禎夫 黒橋 禎夫
国立情報学研究所 所長/京都大学 特定教授

デジタルオブザーバトリ研究推進機構の自然言語処理グループを率いる国立情報学研究所の黒橋禎夫所長は,デジタルオブザーバトリの目標は多様なデータの観測と利活用であるとしたうえで,取引量や生産量といった数値の中に潜む傾向や意味を人間が解釈して言語化することで重要な情報源となると指摘した。そのうえで,生成AIにおけるLLMの言語解釈能力の飛躍的な向上に触れ,GPT-4(Generative Pre-tained Transformer 4)※2)による情報の抽出・構造化の可能性について,実現すれば大きな強みとなるだろうとしつつ,AIのブラックボックス化や生成AI開発における一部研究機関や企業の寡占状態といった現状に対する懸念についても述べた。国立情報学研究所では,生成AIの信頼性と透明性の確保に向けて言語モデルを実際につくり,その原理を解明する取り組みを進めている。

※2)
OpenAI社が開発した自然言語処理のための人工知能モデル。GPT-3,GPT-3.5と比較してさらに自然な対話や文章の生成が可能になるように設計されている。

(2)グローバル社会のリスクを分析する

阪本 拓人 阪本 拓人
東京大学 総合文化研究科 教授

東京大学総合文化研究科の阪本拓人教授は,グローバル社会のリスクを分析するというミッションの下,大学院生を中心としたチームメンバーと共に,グローバルなサプライチェーンを脅かしかねない社会政治事象の把握と予測に取り組んでいる。具体的には,紛争や人権侵害,政情不安といったイベントに関する既存のオープンデータとオリジナルのデータを集めてマッピングし,チームメンバーの専門知を統合的に活用して,グローバルなリスクの定量的な予測に加え,その内容を解釈可能にするコンテクスチュアルな情報を添えて提供することを目標としており,紛争イベントデータの実例やデータ生成の過程について解説した。また,こうしたデータの生成には多大な労力と費用を要するとしたうえで,将来的には既存のデータのギャップを埋めつつ,データ生成のプロセスを自動化して効率的かつタイムリーに生成していきたいと述べた。

(3)法学政治学の側面からのリスク分析

宍戸 常寿 宍戸 常寿
東京大学 法学政治学研究科 教授

東京大学法学政治学研究科の宍戸常寿教授はデジタルオブザーバトリ研究推進機構における中長期的な研究目的について,法学政治学分野における総合的なデータ分析プラットフォームの構築を通じて蓄積・発信されるデータ解析結果に基づき新たな気づきや視点を提供し,法制度のパフォーマンスや企業活動の効率性向上,社会環境のサステナビリティの進展に寄与することであると述べた。また短期的な目標としては,自由貿易に関する国際ルールに照らしたリスクの特定・評価・管理について挙げ,データを用いてさまざまなリスクを可視化することで,企業によるリスク低減の取り組み,また政府による関連政策の策定において有意義な視点を提供したいとし,貿易政策に関する研究,世界情勢などが貿易に与える影響に関する研究など, 当面の研究プロジェクト案について解説した。

(4)サプライチェーンの気候変動に対するレジリエンス強化に向けた研究

Zhao Han Zhao Han
東京大学大学院 工学系研究科 社会基盤学専攻

続いて,東京大学未来ビジョン研究センターの川崎昭如教授の下で研究に取り組む東京大学大学院 工学系研究科社会基盤学専攻のZhao Han氏は,深刻化する気候変動と経済活動の関係性について,世界各国のCO2排出量の分布に基づき,温室効果ガスの排出量が少ない地域ほど気候変動に対して脆弱であり,先進国を中心とした輸入・消費する側の地域が途上国を中心とする生産・輸出する側の地域に環境負荷を転嫁している状態にあると指摘した。そのうえで,より公正でサステナブルなサプライチェーンの構築に向けては経済活動と気候変動リスクの関係を適切に評価することが必要であるとして,各国の貿易活動が地球環境へ与える影響を明らかにすることを目的とした,環境分析用多地域産業連関表EE-MRIO(Environmentally Extended Multiregional Input-output Table)を用いた分析結果を紹介した。今後,気候変動リスクに関するデータセットを組み合わせてさらなる分析と可視化を進めることで,リスクの高い地域の把握とステークホルダーへの情報提供や,政策立案のための優先順位付け,損失を抑えるための予測情報の提供などにつなげていきたいと述べた。

(5)大学と社会のダイバーシティ・インクルージョンの実現

熊谷 晋一郎 熊谷 晋一郎
東京大学 先端科学技術研究センター 准教授

続くセッションでは,自身も脳性麻痺という障がいを持つ東京大学先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎准教授が,ダイバーシティ・インクルージョンの中でも障がいをテーマとして高等教育機関における障がい学生数の推移や割合に触れ,インクルージョンの実態と課題について述べた。熊谷准教授は,多様性を持った人が苦手な部分を周囲に補ってもらい,得意な部分では力を発揮できる環境が整う状態こそがインクルージョンであるとしたうえで,インクルージョンの状況をいかに測定するかが難しい課題であると指摘し,障がい者を取り巻く環境の変化や,これまでに手掛けたインクルージョンに関わる調査の結果,ダイバーシティとパフォーマンスの相関関係に触れつつ,今後,国立大学のDEI(Diversity, Equity and Inclusion)の風土を可視化し,「困りごと」をイノベーションにつなげる活動を進める中で,デジタルオブザーバトリのプロセスを組み込んでいきたいと語った。

(6)金融・物流・人流データの分析によるレジリエンスの実現

山口 利恵 山口 利恵
東京大学 情報理工学系研究科 准教授

東京大学情報理工学系研究科で情報セキュリティならびにプライバシー保護の研究を手掛ける山口利恵准教授は,人々のライフスタイルに基づくパターン分析や異常検知の技術をデジタルオブザーバトリ研究に生かしたいと述べ,時系列データを活用した分析の例として,ウクライナのオデーサ港を発着する船の動きやウクライナの対外純資産額の推移からそのとき起きていたさまざまな出来事が読み取れることを挙げ,観測される時系列データの変化点と世界のさまざまな事象が連携していることを示した。そして,この特徴はデジタルオブザーバトリ研究推進機構の目的にも関連するものであるとして,今後,時系列データにおける異常とニュースのマッチングを行うとともに,他のチームの助言を得ながらデータ上のノイズを排し,世界的なイベント間の関係性を見いだす研究を進めていきたいと話した。

閉会挨拶

齊藤 延人 齊藤 延人
東京大学 理事・副学長

閉会の挨拶に立った東京大学の齊藤延人理事は,デジタルオブザーバトリ研究推進機構の設立の経緯と本フォーラムのプログラムを振り返りながら,「観測するだけではなく,データを集め,分析し,次に取るべきアクションを探ること」こそがデジタルオブザーバトリ研究推進機構のミッションであると位置づけ,予想のつかない世界情勢に対して機敏かつダイナミックに対応できる体制をつくり上げたいとして,次のように語った。

「製造,生産,流通およびサービスなどの社会経済活動は,環境や社会,ガバナンスに関連するさまざまなリスクに脅かされています。さらに近年,その影響は新型コロナウイルスや地政学的リスク,さらには途上国における自然資本の毀損や人権問題などによってますます増大し,世界的な課題となっております。また,ロシアによるウクライナ侵攻をはじめとしたさまざまな要因でサプライチェーンが混乱する中,どこから部品などを調達し,何をつくり,どこに売るのか,産業の複雑なエコシステムの全貌をデジタルの力で観測し,明らかにすることができれば,日本全体に資するはずです。」

そのうえで,今後,政府や自治体,企業などから公表される各種の統計,実世界の各所に設置されたセンサーなどが取得する数値,SNSで日々飛び交う膨大なテキストまで多種多様かつ大量のデータを観測し,産学が共同で新たな学術分野を切り拓くことで,産業実装につなげる試みに取り組んでいくと述べた。

本記事中に記載の情報は,2023年9月時点のものです。

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