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ブレイクスルーの種は「できないこと」にある

量子コンピュータを哲学する

ハイライト

次世代のコンピュータとして,量子コンピュータが注目を集めている。開発競争が世界で過熱する中,日立は半導体技術を生かしたシリコン量子コンピュータに着目し,国立研究開発法人科学技術振興機構が推進するムーンショット型研究開発事業・目標6 「2050年までに,経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現する」の中の研究プロジェクトの一つとして開発を加速している。

桁違いの計算能力により材料開発,シミュレーションなどに威力を発揮すると期待されている量子コンピュータだが,新たな科学技術として社会実装する際に考えられる課題は何か。本対談では,同研究プロジェクト「大規模集積シリコン量子コンピュータの研究開発」のプロジェクトマネージャを務める日立製作所研究開発グループ基礎研究センタの主管研究長で日立京大ラボ長の水野 弘之が,京都大学文学研究科の研究科長・哲学専修教授で哲学者の出口 康夫氏を招き,量子コンピュータの研究・開発において何を意識するべきか,哲学的視座から考察していく。

日立製作所中央研究所 量子コンピュータ実験棟にて[日立製作所 水野 弘之(左),京都大学 出口 康夫氏(右)] 日立製作所中央研究所 量子コンピュータ実験棟にて[日立製作所 水野 弘之(左),京都大学 出口 康夫氏(右)]

目次

社会課題を解くために欠かせない哲学の知

水野情報技術の世界では,近年,量子コンピュータの開発競争が激化しています。本日の対談はその量子コンピュータがテーマなのですが,あえて物理学や計算機科学とは異なる角度から考えてみたいと思い,京都大学文学研究科の出口 康夫教授をお招きしました。
出口先生には日立京大ラボとの共同研究において,哲学的視座からさまざまな示唆を頂いています。理工系に軸を置いた日立の研究者にとっては,人文社会科学系の知に気づきを与えられることが多く,よい協創関係が築けていることをありがたく思っております。
先生は哲学といっても幅広い分野に関心がおありとのことですね。

出口そうですね。私は特定の領域だけを掘り下げるタイプではなく,近現代西洋哲学をベースとしながら東アジア仏教思想などの多様な知を取り入れて自分自身の哲学思想を展開してきました。最近は鎌倉時代の禅僧,道元の思想を現代哲学的に再構築する研究にも取り組んでいます。
それ以前,30〜40代では主に科学哲学を研究していたのですが,理論よりも実験の現場で起きていることに関心を持っていました。理論のように整理され,抽象化されていないexperimental(実験的)な知識,実験室レベルの暗黙知に近い「知」をすくい取り,哲学的に分析することに興味を抱いていました。
その中でも,焦点を当てたのが「測定」です。測定は科学実験の基礎的な要素であり,正しく測定することは工学や産業,モノづくりの基本です。同時に,測定技術そのものが科学や工学の理論に依拠しているという関係にあり,測定とはまさに現場の「知」を象徴する営みなのです。これは後から気づいたことですが,母の実家は戦国時代,堺で鉄砲を作っていて,江戸期からバネ秤の製造に転じた家系でした。秤が測定機器であることを考えると,面白い符合だと感じています。

水野そうでしたか。私は祖父が車の修理工場を営んでいました。板金塗装などをしている傍らで小さい頃から遊んでいたせいでしょうか,モノづくりが好きになり大学も工学部を選びました。入学した当初はコンピュータに関心があったのですが,半導体物理の授業が面白くて結局そちらの道に進みました。日立に入ってからも半導体の研究に従事していましたが,その後,半導体事業そのものがなくなったことからコンピュータ関連の研究に移り,2018年から日立京大ラボにも関わっています。
コンピュータ関連の研究を行っていた2011年くらいから,ヒトという生き物が生み出す社会の課題をコンピュータ技術だけで解けるのかという疑問が生じていました。日立京大ラボは,そうした問題意識を出発点として生まれた共同研究の枠組みです。そのため,ヒトについて深く考える人文社会科学分野の知,特に出口先生のような哲学系の先生方が示される視点が大切だと考えています。

出口私自身は文学部哲学科出身で,完全な文系人間として出発したのですが,科学哲学や論理学などを勉強していく中で,理系的な思考法,つまり定理を一つひとつ積み上げて知的構造物をつくっていく感覚が肌に合うことに気づきました。ですから技術者の方々と思考法が似ている点があるのかもしれません。専門分野も言語も異なる日立京大ラボの方々とも通じ合う部分があり,楽しく共同研究をさせていただいています。

現時点での究極のテクノロジー,量子コンピュータ

水野われわれが量子コンピュータなど次世代コンピュータ開発の検討を始めたのは2011年頃のことです。当時は量子コンピュータなど夢物語だと思われていましたが,そこから数年でかなり雰囲気が変わり,日立としても本格的に研究開発に着手しました。2020年度からはムーンショット型研究開発事業・目標6の中のプロジェクトの一つとして,「大規模集積シリコン量子コンピュータ」の研究開発に取り組んでいます※1)
そもそも量子コンピュータとは,古典コンピュータにおける情報の最小単位であるビットに対応する量子ビットを用いることで,「量子重ね合わせ」,「量子もつれ」,「量子観測」という量子現象を利用した情報処理を可能にするコンピュータです。量子ビットの作り方にはいくつか方式がありますが,日立が取り組んでいるシリコン量子コンピュータは,量子ビットをシリコン半導体中の電子のスピンを用いて実現するもので,大規模化において優位な方法です。
コンピュータは,チューリングマシンと呼ばれる数学的な枠組みに基づいて設計されています。一方,量子コンピュータには,それに対応する量子チューリングマシンというものが存在します。これは,チューリングマシンの最終形態と呼べるような技術です。これを超える強力なコンピュータは,例えば数の概念を複素数よりも広げるような数学の新たな展開がなければ生み出せないように思います。そのような現代における究極のテクノロジーに挑戦できるのは,研究者として幸せなことです。ただ,それだけに開発は難しく,日々悩みながら進めているというのが現状です。

出口複素数に含まれる虚数は「2乗すると−1になる数」ということで,肌感覚では理解しづらく,数学の世界では長らく「鬼子(おにご)」扱いをされてきました。しかし18世紀から19世紀にかけてオイラーやガウスたちの仕事を通じて,さまざまな数学的な思考を展開する堅固で安定した舞台装置として,虚数や複素数が確立されたわけです。複素数という数学の舞台は実社会でもいろいろな場面で役立ってきたわけですが,量子力学の記述に不可欠なものともなっています。その量子力学を応用した量子コンピュータが,200年以上にわたって発展してきたオイラー・ガウス的なパラダイムの「ラスボス」のような存在として姿を現し始めているというのは,数学史的に見ても面白いことです。
シリコン量子コンピュータの仕組みについても,電子1個1個をコントロールすることはエレクトロニクスの観点からも究極と言えますよね。近現代の科学技術の発展を総括するような存在だと考えると,量子コンピュータにはとても興味をひかれます。

※1)
国立研究開発法人科学技術振興機構ムーンショット型研究開発事業・目標6「2050年までに,経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現(プログラムディレクター:北川 勝浩)」の研究開発プロジェクト「大規模集積シリコン量子コンピュータの研究開発(プロジェクトマネージャ:水野 弘之)グラント番号 JPMJMS2065」

自然は計算できるのか,という問い

水野 弘之 水野 弘之
日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 主管研究長 兼 日立京大ラボ長
1993年日立製作所入社。2002年から2003年まで米国スタンフォード大学客員研究員。工学博士。米国電気電子学会(IEEE)フェロー。現在,2020年にプログラムマネージャに就任したムーンショット型研究開発事業では,シリコン量子コンピュータの研究開発に取り組む。日立京大ラボでは,「ヒトと文化の理解に基づく基礎と学理の探究」をテーマとして,京都大学の研究者や学生を中心としたさまざまな有識者と共に社会・環境・経済価値の三つをバランスさせる文理融合の仕組み(社会Co-Operating System)の研究を進めている。

水野量子コンピュータがコンピュータの最終形態だとしても,結局は「計算する」ということに変わりはありません。コンピュータに期待されていることが社会課題の解決であると考えたとき,人間社会,それを含む自然というものは,果たして計算できるものなのか,という大きな問題が立ちはだかります。

出口どこまで計算できるのか,そもそも「計算とは何か」といったことは哲学の大きな問題でもあります。多くの自然現象はアナログ的な連続存在だとすると,コンピュータの数値計算というのは,アナログ曲線としての自然現象を直線で近似していく操作ですね。細かいところを切り上げたり切り捨てたり,いわゆる「まるめる」という操作も行われている。その差分というのが哲学的に計算について考える際のポイントです。厳密さを求めて計算精度を上げれば,とれる手段は少なくなります。精度と手段のバランスをどの辺りで取るのか,近似操作によって何が起きているのかというのは,哲学的な関心事でもあります。

水野計算ということに関連して言うと,物理学の新しい潮流として,量子情報理論や情報熱力学などの「情報との融合」が挙げられます。ここで言う「情報」とは0と1から成る2進数のビットを最小単位として表現されるものですね。例えば,量子コンピュータは,量子の振る舞いや現象をモデル化して理解しようとする量子力学と,量子情報の融合によってできた分野です。つまり,ビットを単位とする古典的な情報を量子力学的に扱うことにより,古典的な情報処理の限界を突破しようとするものだと言えます。
その量子コンピュータの実用化には量子誤りという大きな課題があるのですが,2023年12月に米国ハーバード大学を中心とした研究チームが,その誤りを訂正する手法を実装した48個の量子ビットで大規模なアルゴリズムを実行することに成功1)しました。それまでの実証実験では1〜2個の量子ビットでしか成功していなかったため,大きな進歩だと話題になりました。この量子誤りを訂正する手法でも,情報理論が応用されています。現在開発が進められている量子コンピュータは,量子よりもかなり情報に寄ったものであると言えるでしょう。
そうではなく,もっと量子に寄った量子コンピュータ,つまりアナログの連続量をそのまま扱えるような量子コンピュータの姿もあり得るのではないかと思います。それがどのようなものか,まだ定義できてはいませんが,もしアナログ量子コンピュータが実現できれば,アナログの自然現象をそのままシミュレーションできるかもしれないと想像しています。

アナログをデジタル化するときに捨てられるもの

出口 康夫 出口 康夫
京都大学文学研究科 研究科長・哲学専修教授
京都大学文学部卒,同大学院博士課程修了,博士(文学)。2004年より京都大学文学研究科助教授,2007年より同准教授を経て,2016年より現職。近現代西洋哲学,分析アジア哲学を専門として,カント哲学,確率論・統計学の哲学,科学的実在論,東アジア仏教思想,道元思想,京都学派の哲学,自己論などに取り組む。「できなさ」に基づく人間観・社会観として「Self-as-We(われわれとしての自己)を提唱し,産業界との共同研究にも従事する。主な著書に『AI親友論』(徳間書店,2023)など。

出口物理学を含めた科学の情報化という潮流はコンピュータが普及した1990年代から起き始め,例えば統計学の手法もコンピュータによって一新されました。物理学でも,物理法則を微分方程式で記述するようなアナログな手法にとって代わって,コンピューターシミュレーションというデジタルな方法論が主役に躍り出たような印象を持ちました。
実は哲学でも,10年ほど前から情報こそが万物のベースである,この世の中はそもそも情報でできているという考え方が提案されています。その中には,自然現象はアナログで,それを人間がデジタルで近似しているのではなく,そもそも自然は最初からデジタルなんだと主張する動きもあります。この潮流がどう展開していくか分かりませんが,もしそうなのであれば,自然はそっくりそのままデジタル計算できることになります。
逆に従来どおり,自然はアナログなのだという立場を堅持するとすれば,デジタルで近似計算するというのは捨象の操作をしていることになります。元のアナログの連続量から多かれ少なかれ必ず何かを捨てることになる。そのときにまず問題となるのは,近似すべき元のアナログが何であるのかが分かっていなければ,そもそも誤差が見積もれないということです。その場合,計算結果が近似になっているかどうかも分からないことになります。また,その捨てているものが何なのか,どのような価値があるのかは,捨てているときには分からないものです。失ってみて初めて分かるという面があるので,情報化という流れが進んで行くところまで行くと,逆に脱情報化とか,アナログの復活もあるかもしれません。

水野アナログへの揺り戻しという意味では,写真がそうですね。デジタルカメラや携帯電話のカメラの性能が飛躍的に向上してきた中で,あえてアナログのフィルムカメラやそのような描写ができるデジタルカメラを求める人が増えているといいます。ノイズのないきれいな写真をめざしてカメラは進歩してきたわけですが,それだけが価値ではないということですよね。

出口最近同じような議論を京大文学部の同僚とも交わしましたが,レコードとCD(Compact Disc),あるいは書籍のデジタル化にも通じる問題ですね。CDが登場した当初は,音源のデジタル化は人間には聞き分けられないレベルで情報を捨てているので実際上の問題はないと言われていましたが,最近はむしろ捨てた情報に意味や味があると言われるようになり,レコードが見直されたりしていますね。近似処理の過程で必要ないと思った部分に,考えてもいなかったような価値があると後から気づいても,既に捨ててしまった部分が復元できないとしたら,取り返しのつかないことになるかもしれません。
ある部分を必要ないと判断する際には,その前提となるパラダイムがあります。でもそのパラダイムがひっくり返る可能性もあるわけですから,デジタル化してしまえば物理的なモノは要らないというわけではなく,むしろとっておく必要があるのではないか。そして,捨てられたものの価値の再発見に,知のブレイクスルーの種があるのではないかという視点も大切だと思います。

科学・工学・技術は地続きである

水野対談に先立って,量子コンピュータの開発現場をご覧いただきましたが,いかがでしたか。

出口冒頭で申し上げたように,実験の現場で何が起きているかに関心を持ってきた者としては,とても興味深く拝見しました。まさに「科学」と「工学」が融合した現場ですね。
科学と工学の関係については,純粋な科学がまずあり,その応用として工学,エンジニアリングがあり,さらにそれが産業に応用されるという段階を踏むイメージがあります。けれど私は,それらは連続していて簡単に分けられるものではないと思うのです。
「科学技術」にしても,「科学・技術」というふうに分かれたものとして捉える見方があります。一方,科学哲学では,「テクノサイエンス」という一つの単語を用いてテクノロジーとサイエンスは不可分であるという考えを表現しようという流れもあり,それにも一理あると思っています。というのも,科学では,まず現実を単純化あるいは抽象化したモデルをつくり,次にその中で理論を組み立てていくという手法がよくとられます。例えば,高校の物理の問題では摩擦抵抗は無視して構わないという前提が置かれます。現実世界では抵抗がゼロということはあり得ないわけですが,物理学では,このように,人工的な環境・空間をつくり上げたうえで理論を構築したり,検証したりしてきました。
そもそも自然界は複雑すぎるので,それを説明するための科学理論を構築,検証するためには,観察対象を絞り込み,単純化する必要があります。科学は自然現象の説明や予測をめざしてはいますが,科学理論自体はモデル化された世界を前提としたもので,現実の自然現象と完全に一致するわけではありません。
私が関心を持ってきた「測定」も,自然界のノイズだらけの環境ではうまく実行できないため,実験室の中でノイズを人工的に抑えてようやく測定しているといったケースはたくさんあります。それはすなわち,工学的な環境でしか科学が動かないということであり,その意味でも科学と工学,技術は本来,地続きなのです。

水野科学は,現実そのものではなく単純化あるいは抽象化によりモデル化した世界。一方,ラボは現実ではなく単純化した場ですが,科学よりは現実に近く,両者をつなげる場であり,そこで技術を開発するということですね。私が過去に携わっていた半導体の研究でも,現実的な課題のほとんどは製造工程におけるチップごとの品質のばらつきをいかに抑制するかということでした。結局,理論で示された理想の状態をめざしても,工学的には若干のばらつきが生じるものなのです。それを製品として成り立たせるのが技術の役割ですから,それらが一体となってはじめて産業が成立すると言えます。

出口そういう意味では,まさにこの中央研究所で行われているような産業の基礎研究こそが,「科学技術」と呼んでいるものの本丸ではないかと思います。それを象徴しているのが本日,見学させていただいた量子コンピュータの開発現場なのではないかと感じました。

研究チームに必要な異分子

出口また,見学の際にも伺いましたが,いろいろな分野の専門家がチームとして研究開発にあたっておられるという点に,ラボラトリーの醍醐味を感じました。科学理論の構築においては,専門家同士が異なる意見をぶつけても,最終的には整合性がとれている必要があります。一方で工学,ラボの現場ではさまざまな暗黙知やスキルを持った人々がいて,それぞれの強みを発揮しながら装置や技術をつくり上げていくわけですが,各要素のバックボーンになっている理論は互いに不整合な場合もあります。けれど,組み合わせたモノが現場でうまく動けばいいという,論理的な整合性とは別の,しかしある種のロバストネス,しなやかさを内包した強いロジックで動いている。そうしたラボの現場ならではの面白さがこちらの現場でも垣間見え,うれしく感じています。

水野多様な分野の研究者が集まっているということは,日立の研究開発グループの特徴です。物理の専門家もいれば,エレクトロニクスの専門家,アルゴリズムの専門家など,さまざまな異分野の研究者を集めてチームを組むというのがわれわれの研究プロジェクトのやり方です。面識はあっても一緒に仕事をするのは初めてで,会話が成り立たないところからスタートするというケースもあります。時にはぶつかることもあるわけですが,専門分野は違っても量子コンピュータ研究の場合には最終ゴールは明確ですし,さらに,モノづくりという通底する要素がありますから,とにかく会話を重ねるということを重視しています。

出口多様性というのは大切なことですね。過日ハーバード大学を訪ね,先ほど言及された量子コンピュータの画期的な成果を挙げた研究チームのお話を伺ったのですが,そのチームはもちろんハーバード大学自体が世界中から研究人財が集まる場所でした。ディビジョンのトップや研究ディレクターレベルの方々が外国籍だったりもします。そうした点が世界のトップを走る所以だと感じ,日本も,われわれ京都大学も,その辺りはまだまだ足りていないことを痛感しました。チームに異分子が入って価値観などがぶつかり合うことで初めて自分のことも,足りない部分も見えてくるのだと思います。

水野その点はわれわれも意識しなければならないと感じています。

量子コンピュータが社会に与える影響

出口科学技術は,よくも悪くも社会のあり方に影響を与えるものです。例えばインターネットや現在のコンピュータは社会の発展に大きく寄与してきましたが,一方でデータ処理に掛かる電力などのリソースの問題,サイバーセキュリティ,AI(Artificial Intelligence)倫理といった社会的コストの増大に関わる問題も抱えています。
量子コンピュータの社会への影響については,どのように考えられているのでしょうか。

水野量子コンピュータが現行のコンピュータのような社会的問題を生じさせるレベルに至るにはもう少し時間が掛かりますが,最終ゴールである量子誤り訂正型汎用量子コンピュータが実用化されれば,例えば,素因数分解の計算が桁違いに速くなります。それで懸念されるのは,暗号が使えなくなるかもしれないということです。現在の標準的な暗号技術である「RSA暗号※2)」は,桁の大きな素数を二つ掛け合わせた数を鍵として用いていて,それを素因数分解して元の素数を見つけるには膨大な計算量が必要になることから実質的に破れないとされています。鍵の大きさはビットで表しますが,今使われている2,048ビットの鍵を解くにはスーパーコンピュータを使っても1億年以上掛かるとされています。一方,量子誤り訂正型汎用量子コンピュータならそれを24時間以内で解けてしまうという報告があり,現行の暗号方式は使えなくなるでしょう。もちろん,量子コンピュータでも解くのが困難な新しい暗号技術の開発も行われていますので必要以上に恐れる心配はないのですが。

出口情報社会のセキュリティ概念が根本的に破綻するわけですね。

水野その他の用途としては,例えば,量子化学計算による物性解析によって,医薬品の開発や材料の開発が飛躍的にスピードアップする可能性があります。ただし,あらゆるコンピュータが量子コンピュータに置き換わるわけではなく,現行のコンピュータと使い分けられることになるでしょう。

※2)
桁数が大きい合成数の素因数分解が現実的な時間内では困難であると信じられていることを安全性の根拠とした公開鍵暗号方式。発明者であるRonald Linn Rivest,Adi Shamir,Leonard Max Adlemanの頭文字をつなげてこのように呼ばれる。

出口 康夫 x 水野 弘之の対談

「できること」だけでなく「できないこと」を考える

出口量子コンピュータで「できること」を考えるのはいいことですが,実は,「何ができないか」が問題だと私は思っています。
1970年代にも,すべての問題はコンピュータが解いてくれるというようなある種のオプティミズムが社会を覆っていました。しかしその後,できないことも明らかになり,先ほど言ったような負の影響も出てきています。科学技術のブレイクスルーによって何でも解決できると思ってしまうのは,外にある問題に対して目を塞いでしまうことにもなりかねません。ですから研究者,技術者の方々にとっての大切なミッションは,「できること」だけでなく「できないこと」をはっきり言うことではないかと思うのです。

水野日立京大ラボで議論いただいている「できなさ」に注目するという考え方ですね。おっしゃる通りなのですが,モノづくりをしている研究者にとって,「できない」ということはなかなか言いづらいという一面もあります。

出口それは哲学でも同じで,「役に立ちます」と言わなければならないバイアスはありますよね。けれど逆に考えると,「できないこと」は次の技術開発の余地とも言えます。ある新技術でできることに光が当たれば,できないことという影が生じる。だからその影をなくすためのブレイクスルーをめざす,ということを繰り返しながら,科学技術は発展してきたのではないでしょうか。

水野量子コンピュータのような新しい科学技術を社会実装する際の倫理的・法的・社会的課題をELSI(Ethical, Legal and Social Issues)といいますが,開発する側が新しい科学技術の意義やできること・できないことを適切に説明できないがために,世の中に過剰な期待や不安が生み出されることもその一つですよね。

出口そうですね。新しい科学技術の影の部分に目をつぶって礼讃,正当化するような風潮が生じることも問題で,それらの危険性は常に意識しなければいけないと思います。問題なのは,影の部分やできないことが「解決すべき問題として意識されない」ことなのです。
科学技術も含めて人間のやることに限界があるのは仕方ありません。そこで少し見方を変えて,「できないこと」の中に次のブレイクスルーの芽があるのだと考えてはどうでしょうか。量子コンピュータも,古典コンピュータの影に光を当てようとして出てきた面があると思います。ですから,量子コンピュータの「できないこと」を考えることは,その次の技術開発につながるはずです。日立にはそうした視点で次の次も見据えながら,未来を切り拓いていただくことを期待しています。

水野先ほど研究チームに異分子を入れるのが大切だとおっしゃいましたが,日立京大ラボというのはまさにそのための枠組みで,異なる意見を聞くことでみずからの思考をより深めていくことが,共同研究の意義であると感じています。「できないこと」に目を向けるというのも工学系の研究者と議論していては得られない視点で,本当に新鮮な驚きがあります。古典コンピュータに対しても同様の視点から考えることが必要だと思いますし,量子コンピュータの価値をどう伝えるかという意味でも,大きな示唆をいただけました。本日はありがとうございました。