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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察「幸せ」を第一に掲げる全体調和型社会へ

2019年12月5日

執筆者紹介

前野 隆司

  • 慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 教授 慶應義塾大学 ウェルビーイングリサーチセンター長
  • 1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業,1986年同大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了,同年キヤノン株式会社入社。1993年博士(工学)学位取得(東京工業大学)。1995年慶應義塾大学理工学部専任講師,同助教授,同教授を経て2008年よりSDM研究科教授。
  • 著書に,『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房),『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社新書),『AIが人類を支配する日 人工知能がもたらす8つの未来予想図』(マキノ出版)など多数。最新著は,『感動のメカニズム 心を動かすWork&Lifeのつくり方』(講談社新書)。

目次

2500年続いた拡大フェーズの終焉

今日,われわれは規模の拡大により成長するという,長く続いたフェーズから,人口が減少していく従来とはまったく異なるフェーズに突入している。これは人類史上の大きな転換期と言えるが,その中でも日本は急激な少子高齢化によって人口の減少が既に始まっており,世界に先駆けてそのフロントラインに立っている。このパラダイムシフトにおいて旧来のシステムや価値観は通用しなくなりつつある。「幸せ」の在り方も,拡大を前提とする社会と,縮小を前提とする社会とでは自ずと変わってくるはずである。

従来の拡大型システムでは,主に物質的・経済的な幸せ,端的には金銭・モノ・地位といった目に見える価値をめざす傾向にあった。これらは幸福学研究において,他人と比較することで満足を得る「地位財」と呼ばれるもので,いくら手に入れても際限なく,「もっともっと」と追い求めてしまい,幸せの実感が長続きしないということが知られている。しかし,これまでは拡大生産によって絶えずそれらを供給し続けることで,人々は幸せを感じることができた。歴史を振り返れば,農耕革命,産業革命,IT革命など,これまでの革命はいずれも拡大型の革命であり,われわれ人類は2500年以上,絶え間ない拡大生産と地位財の供給を繰り返してきたことになる。

これに対し,人口減少を前提とする縮小均衡あるいは定常型の社会では,この拡大生産による幸せが成り立たなくなる。ここでめざすべきは,「非地位財」型の幸せ,すなわち他人との比較とは関係なく得られる幸せである。具体的には,愛,自由,健康,社会への帰属意識や人生の充実度など,心と身体と社会の豊かさを指すもので,こうした目に見えない価値による幸せの実感は長続きすることが分かっている。決して目新しい認識ではないが,これこそが人間にとって,より根源的な幸せではないだろうか。そして,この認識に立つことは,経済成長の中で見失っていた元来の人間らしい生き方を取り戻すことにもつながる。

実践のための幸福学と「幸せの四つの因子」

従来,幸福について論じるのは主に哲学の役目だった。特に21世紀に入ってからは客観的かつ統計的な立場から科学に基づいて幸福を研究する動きが盛んになっているが,哲学や人文学を統合した本格的な体系化には至っておらず,社会全体で活用するにはまだ不十分な面がある。

私自身はもともと企業のエンジニアであった。しかし,もっと直接的に人を幸せにする研究がしたいと思い,工学的に幸せのメカニズムを明らかにする研究を始めた。幸せに関する主観的な議論だけではなく,原理や全体構造を解明し,メカニズムを理解したうえでの方法論を実践することが幸せへの近道であると考えたからだ。現在,心理学や行動経済学,工学や脳科学など多様な学問分野を横断し,幸福に関わる個別の研究成果の体系化を進めている。

その研究成果の一つが「幸せの因子分析」だ。先述の「地位財」と「非地位財」の分類を踏まえたうえで,幸せになるためにはどんな要素が重要か。それを導き出すための因子分析を行った。具体的には,非地位財に関係する心的要因に絞り,日本人1,500人にアンケートを行って29項目87 個の質問に答えてもらった。回答を解析した結果,現代日本人の幸福に寄与する四つの因子を導き出した。幸せの要因は数多く存在するが,四つに集約できたのだ。それらを実践しやすように,「幸せの四つの因子」と名付けたものが以下である。

「やってみよう」因子
自分の強みがあるか,強みを社会で生かしているか,そんな自分は「なりたかった」自分であるか,よりよい自分になるための努力をしてきたかなど,自己実現と成長という,自分に向かう幸せの因子。
「ありがとう」因子
誰かを喜ばせるのが好きか,愛情を受けているか,周囲に感謝し,親切に触れているかなど,人とのつながりと感謝によって感じる幸せの因子。
「なんとかなる」因子
楽観的であるか,気持ちの切り替えができるか,他者と近しい関係を維持できるか,自己否定せずに今までの自己を受容できるかなど,前向きと楽観に関する幸せの因子。
「ありのままに」因子
他人と比較をしないでいられるか,自分をはっきり持っているかなど,独立と自分らしさに関わる幸せの因子。

これらは四つで一つ。まるで幸せのクローバーのようだ。相互に関連し合い,欠けることなくすべてを満たした方がよい。例えば,自己実現をめざすときに他人と競い蹴落とすようなことは適切でないし,仲間との協調を重視するあまり自分らしさを見失うことも幸福学的には好ましくない。メカニズムを理解することで,脳は自ずとそれを意識して行動する。上述した四つの因子を頭に入れて実践することで,自らも周りの人も幸せにしていく好循環を築いていってもらいたい。

「経済学×幸福学」から見る働き方改革のパラドックス

さて,これらを経済学の観点から見てみると,「やってみよう」因子はシリコンバレーのベンチャー企業のように自分の夢をわくわくしながら実現しようとする「個人主義」的な幸せのトリガーであり,「ありがとう」因子は人とのつながりや協調を重視する「集団主義」的な幸せのトリガーだと言える。

この二つは一見両立しないように思えるが,例えば社内でワークショップを開き,皆でやりたいことを話し合うだけでも「やってみよう」因子は上がり,「ありがとう」因子の度合いもあわせて引き上がる。さらには自分のやりたいことを互いに話せる環境,すなわち自己受容も他者受容もできる職場では,信頼し尊敬し合う関係が育まれ,その結果として,他人の目や失敗を恐れずに「なんとかなる」と前向きに,そして「ありのままに(自分らしく)」行動できるはずだ。先ほども触れたように四つの因子は相互に関連し合い高め合う関係にあるのだ。

そのように考えると,もともと日本の社会や企業が持っていた,他者との潤いある有機的なつながりや,協調を重んじる文化は,大いに幸福に寄与する要因であったことが分かる。ところが日本社会は近代化以降,西洋に倣って個人主義に傾き,特にバブル経済崩壊後の企業では短期収益を第一に極端な合理化と効率化を推し進めた結果,幸福に寄与する本来の良さまで失ってしまったと言えるのではないか。どんなに物質的・経済的に豊かになっても幸福度が向上しない,それどころか企業組織や社会全体に言い知れない閉塞感が満ちているのもこのためだろう。

今,声高に叫ばれる働き方改革も,本来は働き手の「幸せ」を第一に掲げるべきなのだ。この改革の背景にあるのは,人口減少に伴う労働力不足の中でも経済成長を続けなければならず,そのために労働生産性の飛躍的な向上を実現するというロジックだ。しかし,この考えは冒頭に述べた縮小型社会を前提とした未来においても,依然として物質的な豊かさや地位財という従来型パラダイムで幸せを捉えている点で大きな矛盾を抱えている。

幸せを第一に掲げると言うと,生産性向上と矛盾するように思われるかもしれない。しかし,先に紹介した幸せの四つの因子を満たした職場は,いきいきと社員が働き,チーム力も高い非常にイノベーティブな環境だと言える。また,日立製作所フェローの矢野和男氏のハピネス研究から,幸福度の高いチームはそうでないチームに比べて生産性が1.3倍程度高いことが報告されている。つまり社員の幸福度を上げることができれば,自ずと企業の生産性も高まり,結果として経済成長も可能になるのだ。

ところが現状の順序は逆である。今は過渡期にあることもあり,業務の効率化や労働時間の短縮に関する議論が先行している。先述の通り,行き過ぎた合理化と効率化によって企業は疲弊している。その中で一層の効率化や時短を強いれば,働き手の自主性を阻み,コミュニケーション不足を加速させ,ストレスをさらに高めて皆の幸福度を下げてしまう。そのような中で創造性やアイデアまでが求められるのでは生産性は上がるどころか,低下の一途を辿ってしまうだろう。

縮小型の社会でめざすべきは,非地位財型の幸せであった。「お金のために働く」から「幸せのために働く」へ。「苦行としての仕事」から「楽しい仕事」へ。働き手の幸せを第一とした,一億総活躍社会の実現が期待される。人類史的に大きなパラダイムの変換期だからこそ働き方にもパラダイムシフトが必要なのだ。

自国中心主義を乗り越え,全体調和型社会へ

幸福は,古くはアリストテレスの時代から続く人間の関心事である。だが,今これだけ脚光を浴びているのは,それだけ多くの人が不幸を感じているということではないだろうか。これは拡大型社会から縮小型社会への転換期であることに加え,貧富の格差が拡大し,社会そのものの歪みが深刻化していることに起因するものと考えられる。

日本はこうした社会の歪みを解消するような大きな平等化を2度,経験している。それは明治維新と第二次世界大戦だ。江戸後期,貨幣経済の浸透によって高まっていた歪みが「革命」によって解消され,その後,軍国主義や財閥による寡占などで再び高まった歪みが「敗戦」によって解消された。

日本の近現代史は周期的に変革期を迎えるという説がある。明治維新から敗戦までが77年。等間隔で考えると,敗戦から77年後は2022年である。それを数年後に控えた今,再び貧富の格差が拡大し,社会の歪みも顕在化している。これは日本に限らずアメリカをはじめ世界中で起きている現象だ。その中で台頭しているのが自国中心主義である。各国が自国の利益を主張し合い,緊張が高まる現在の国際情勢は,まるで戦前のようだ,このままでは世界大戦さえ起こりかねないと警告する人もいる。

この格差拡大の根底には数百年続く資本主義という経済システムがある。アダム・スミスは,「神の見えざる手」によって,一定の公平な条件の下で個人が自由競争をすれば社会の調和が保たれ,格差は拡大しないと考えたが,現実にはその仮説通りにはならず,資本主義は格差拡大のシステムとなった。

そして資本主義から生まれた現在の社会モデルを,私は20世紀型「勝ち残りゲーム式社会」と呼んでいる。個々人が生き残りをかけて競い合い,互いを蹴落とすような弱肉強食の社会だ。常に敗者が退場させられるため,貧富の格差は際限なく拡大していく。先述の自国中心主義もその延長にあるものだ。この社会がめざすのは,金銭・モノ・地位などの地位財で,これらを手に入れることが幸せであり,勝者とされてきた。しかし既に見てきたように,どれだけ苦労してそれらを手に入れても,幸福学の立場からすれば,それは決して真の意味での幸せではないのだ。

勝ち残りゲーム型社会と自国中心主義は,宗教・民族・イデオロギー対立を際立たせ,格差を拡大させ続けるばかりか,環境破壊や食糧問題,不測のパンデミック(広範囲に及ぶ流行病)など,人類全体や地球の持続可能性に関わる危機をもたらしている。それにもかかわらず,このモデルは自分の利益を駆動力とするため,全体を見据えて長期的な方策を立てることが難しい。一刻の猶予もない問題群を前にしても,これらを解決する力を持ちえないのである。

人類が滅びないためには,そして地球の持続的発展のためには,皆が皆を愛し,全人類で調和的に生きるしか道はないはずで,今こそ抜本的に社会モデルを熟考しなければならないと思う。

そこで私が新たに提唱しているのが,21世紀型の「全体調和型の共生社会」,つまり皆が皆を互いに思いやり,一人ひとりの個性と創造性を生かしながら全体として調和する社会である。人は協力的で,利他的で,相互依存的だが,その関係はフラットであり,多様な人が有機的にネットワークを構築し,自律分散的に生きる。一見混沌としながらも全体の調和が保たれ,まるで多様性に満ちた豊かな森に似たイメージだ。

全体調和型モデルは時間的にも空間的にも世界を広く見ている。目先のことよりも世界全体の持続可能性を第一に考えるので,将来的な地球規模の問題を解決することにも適している。

「理想より現実を見よ」と言う人もいる。しかし,それは既に近代西洋風の二項対立的な思考に囚われた態度ではないだろうか。今,必要なのは,対立ではなく調和である。理想を持たずに現実を見るだけでは,自分たちの利益に囚われた競争社会のままだ。理想を持ちながら,現実も見る。そうして一歩一歩,人類の知恵を出し合って幸せな社会へと歩んでいこうではないか。

幸せの四つの因子を思い出してほしい。これらが実現された社会像を平易に言い表すなら,「多様な皆が,それぞれの強みを生かしながらワクワク活き活きしていて,そんな皆が信頼し合い,前向きに,自分らしく生きている社会」だ。これは21世紀型の「全体調和型の共生社会」に重なるものだ。一人ひとりが幸せを実践することも,国を越え世界全体で共に幸せをめざすことも,実は一つの道につながっているのである。

若者たちに見る,明るい未来の兆候

若い人は,このような時代の潮流を本能で感じ取っている。現に私の周りには,大企業からベンチャー企業へ移る人,会社を辞めて地方でやりたいことをする人,本気で社会貢献を考えている人,就職活動をせずに自分で起業する学生など,拡大型社会の幸せより新しいタイプの幸せを求めて行動する若者が多く存在する。最近の若者は覇気がないとか,意思決定できないとかいう声も聞く。そうではない者が,実は大勢いる。彼らは,旧来のパラダイムの中で覇権争いすることや,意思決定することに興味がないのである。そして彼ら彼女らはピュアで利他的で,とても幸せそうだ。そんな中から自然と互いに助け合うコミュニティも生まれてきている。私の感覚では既にそうした人たちが社会の1割まで増えており,これからまだまだ増えていくだろう。

近年,話題になったフレデリック・ラルー氏の『ティール組織』も,社会の自然な流れであり,全体調和型の共生社会にも通ずる考えである。この著書がベストセラーになる前から,若い経営者の中にはそれとは知らず自然と実践していた人もいる。拡大型社会では,徹底的に合理化を行うため,企業の多くは管理的なピラミッド組織であったが,対する新しい形の組織では,部活や学級会のようにフラットな関係で各人が好きなように自律的分散的に働く。そうして,多様性と流動性の高い活気ある組織の企業が,新しい市場で飛躍的に伸びている。

多くの制約に縛られる大企業の中にも,社会イノベーション事業を掲げる日立のように,できることから新しい試みを積み重ね,可能性をつなげてきた企業もある。今,そこに多様な若い力を「新結合」することによって新たな流れが生まれつつある。

こうした中で日本はどうなっていくのか。不確実性が高まるAI時代において,日本はこのまま低迷し続けるのではないかという悲観論も出ている。しかし,私の意見は楽観的である。

日本には高い技術力と勤勉さ,どんな新しいものでも受け入れることのできる「無常・無我・無私」の精神がある。変化が激しく,早い決断が必要な変動期では苦戦を強いられるものの,日本人にはさまざまな文化を吸収し,独自の落としどころを見つけてソフトランディング(軟着陸)する能力があり,次の成熟期にこそ真のチャンスがある。独自にこつこつと自分の仕事を続けていけば,それがその先につながり,再び何かの局面で開花するだろう。皆の半周遅れで走っていたつもりが,皆より半周前を走っていたということもしばしば起きる話だ。現に日本という国は1500年以上も滅ぶことなく持続している。世界中がAIやIoTの覇権争いをしている今だからこそ,日本企業は目先の短期的成果に一喜一憂することなく,常にその半歩先を見据えながら,心の豊かさや人間の幸せに資する未来産業の創成をめざしていくべきだと考える。

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