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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察パンデミック,カーボンニュートラルは日本変革の好機危機の時代に世界をリードする社会イノベーションを

2021年3月29日

川村 隆

川村 隆

  • 日立製作所 名誉相談役
  • 1939年北海道生まれ。1962年東京大学工学部電気工学科を卒業後,日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長,日立工場長を経て,1999年副社長に就任。その後,2003年日立ソフトウェアエンジニアリング会長,2007年日立マクセル会長等を歴任したが,日立製作所が過去最大の最終赤字を出した直後の2009年に執行役会長兼社長に就任,日立再生を陣頭指揮した。2010年度に執行役会長として過去最高の最終利益を達成し,2011年より取締役会長。2014年には取締役会長を退任し2016年まで相談役。日本経済団体連合会副会長,日本電気学会会長,みずほフィナンシャルグループ社外取締役,カルビー社外取締役,ニトリホールディングス社外取締役などを務め,2017年〜2020年東京電力ホールディングス社外取締役・会長。
  • 主著に『ザ・ラストマン』(KADOKAWA),『100年企業の改革 私と日立』(日本経済新聞出版)がある。

[聞き手]

森田 歩

日立製作所
研究開発グループ テクノロジーイノベーション統括本部
副統括本部長

目次

パンデミックがもたらしたもの

森田以前から不確実性の時代と言われてきましたが,新型コロナウイルスの影響により一足飛びに10年後,20年後の社会へ突入した印象です。その中で昨年秋には菅政権によって「2050年カーボンニュートラル宣言」が表明され,私たちは今,自らが望む未来を築くための岐路に立っていると言えます。

そこで本日は日立の社長・会長在任時に世の中に先駆けて社会イノベーション事業というコンセプトを提唱され,その後も財界トップとして多くの企業をご覧になり,このほど東京電力ホールディングス会長をご退任された川村隆さんに,現在の社会状況をどのように捉えるか,また企業はそれにどう対応していくべきか,そのヒントをお伺いしたいと思います。まずは今回の新型コロナウイルスの感染拡大について,このパンデミックが世界・社会にどのような影響をもたらしたとお考えでしょうか。

川村今回のパンデミックは実にさまざまな悪影響を社会にもたらしています。人間の死や重症化といった生命や健康に対する直接的な被害はもちろん,企業経営の面から言えば,「人・モノ・カネ・情報」という経営資源のうち,「人」が国を越えて自由に移動できなくなり,それによって「モノ」の流れ,「カネ」の流れが滞り,経済の血液と言えるそれらの動きが一斉に止まったことが最大の弊害だと言えるでしょう。そのために多くの企業が直接的・間接的なダメージを受け,経済全体が苦境に陥っています。経営資源が自由に動き回ることで世界的分業体制を築いて発展してきたわけですから,それらが止まった状態が今後しばらく続くというのは非常に大きな問題です。

とりわけ「人」の自由な移動が妨げられていることの影響を,私たちはもっと深刻に考えないといけません。これはオフィスに出勤できないことをテレワークで補うといった現象面の問題だけではないはずです。

そもそもコロナ禍以前から「人」の重要度が増していました。というのも,先進国ではモノとカネが社会に広く行き渡り,その結果,それらがだぶつく傾向にあり,モノとカネの重要度が薄らぐ一方で,人と情報の価値が以前より増大したためです。別の言い方をするなら,先進国は資本=カネによって物事を動かす従来の資本主義から,かつてドラッカーが「知識社会」と呼んだようなプロフェッショナルな人間と情報が価値の源泉となるポスト資本主義型の社会へ,本格的に移行しつつあったのです。

ポストコロナ時代は,これまで以上に変化が加速し従来の常識が通用しなくなります。同時に今回のコロナ禍で社会の価値観が「モノを求める」ことから「幸福を探す」ことの方へ大きく舵を切ったように,今後は人間の幸福やQoL(Quality of Life)が社会の中でより一層重視されるようになり,新たな価値を生み出す人の価値はますます重視されていくはずです。

現在,企業の価値は「株式の時価総額+有利子負債」などによって近似されていますが,いずれその指標に「社内の有為な人々の未来価値換算値」も加わるだろうと私は考えます。

したがって企業経営においても,人と情報の資源の使い方がより重要となります。有能な人財の確保や育成に企業はこれまで以上の努力を払わなければならないし,そうして集めた企業内の頭脳をいかに連携させ実際のビジネスに結実させていくかが肝要になるでしょう。

そのためには情報の活用方法に工夫が必要で,経営者は従来のように部下によって整えられた報告書を読むだけでは通用しません。社内外で起こっていることをモニターするために,AI(Artificial Intelligence)スクリーニングなどを適切に活用しながら瞬時に世界中から情報を集め,そこからすぐに指示を出せるように社内DX(Digital Transformation)とも言うべきデジタル改革をいち早く進めなければなりません。人が鍵となる時代ですから,内容によっては個人から直接報告を受けながら,常に生き生きとした情報に囲まれた中で判断を下していくことが理想的です。

「熱意なき職場病」の蔓延とその克服

森田人が重要になる時代とのお話,非常に共感します。その中にあって日本企業固有の問題はどこにあるのでしょうか。

川村私が最も憂慮しているのが日本に蔓延する「熱意なき職場病」です。新たな価値を生み出す人間像が期待されているにもかかわらず,日本の多くの職場では従来のやり方にとらわれ自ら新しいことを始める意欲が感じられません。これは経営層や中堅層,若手に至るまですべての層に共通しています。欧米企業に視察に行くと,研究者自ら,自分の研究がいかに組織のビジネスに貢献し牽引するのかを熱心にアピールしてくる場面に出会います。それと比べると日本の職場はどうしても停滞している印象を受けるのです。

これは,1980年代までの日本が経験した急激な経済成長,それに続くバブル経済が原因ではないかと考えています。あれだけの成功を収めたため,日本の社会は緩んでしまった。今日に至るまで,その成功体験に固執し,ビジネスモデルや製品,事業領域,ビジネススタイルなどあらゆる面で,過去のやり方を続ければ自分たちは当面持ち堪えられると慢心してしまったのです。

しかし,当然ながら世界は変わり続けるので,守りに入り現状維持に走れば,企業も人も必ず衰退します。企業は上流に向かってボートを漕ぐように,常に変化の中を進んでいかなければならない。まして今はGEのような伝統的な大企業がダウ平均株価の構成銘柄から外される厳しい時代です。その何分の一も稼いでない日本企業がこのまま変化に対応できなければ,2008年のリーマンショックを上回るほどの需要不足が見込まれるポストコロナ時代にグローバルな市場を生き抜くことは難しいでしょう。

この熱意なき職場病から脱却するには,社員一人ひとりがラストマン(最終意思決定者)として,変化する世界で自分たちの組織はどうあるべきか,能動的に考え行動していく意識改革が必要です。経営層と中堅層は痛みのある改革に前向きに取り組み,既存事業の改革と新規事業の開拓に着手しなければいけませんし,若手は小集団によるカイゼン活動でラストマンとしての意識を醸成していくことが望ましいでしょう。

これはトヨタ改革をモデルに東京電力で行われていた小集団活動の一例ですが,若手10人くらいが「水力発電の定期検査」という活動テーマを自分たちの討論で自ら選定し,「今まで『35日間』かかっていた定期検査を『25日間』に短縮する」と目標を定めて実際にそれを実現しました。短縮できた10日間も発電できるわけですから,追加利益は数億円となり,全社的な貢献につながりました。本人たちも非常にうれしいわけです。

このように自分たちが最終的な責任を持ち意思決定したことを実行する機会を意識的に設けることで,小さなラストマンを職場に増やし,そこからさらに大きなラストマンを誕生させていく。そうした現場の努力を積み重ねていくことで,会社は確実に強くなります。

稼ぐ力が国力を担保する

森田熱意ある職場を復活させていければ,日本全体の活力にもつながりそうです。

川村そのとおりです。熱意ある職場を取り戻し企業本来の役割を果たしていくことが,日本経済を再び活性化させる原動力になるでしょう。私が考える企業の役割とは,付加価値を創出して社会に還元することです。稼いだ利益を,新たな雇用として,社員の報酬や銀行の金利,取引先への支払い,税金として社会に還元していく。それと同時に設備や研究,人財への投資を通じそれらを価値として社会に残していくのです。そして利益を還元することの第一義は,国連のSDGs(持続可能な開発目標)が第一項,第二項に挙げるように,貧困を全世界からなくし人々を飢えから救うことでしょう。稼ぐというと言葉は直截ですが,営業利益が多いということはそのまま社会に還元される価値が多いということですから,稼ぐ意識を持つことは非常に大切なのです。

付加価値とは分かりやすく言えば,「売上高-仕入れ原価」のことを指し,この数値の全企業の総合計が日本のGDP(国内総生産)となるのです。企業が日本のGDPすなわち国力・経済力を背負っていることを日本のビジネスパーソンはもっと自覚しないといけません。日本全体としてはまだまだ稼ぐ力が足りないのです。

わが国は戦力の不保持と核兵器の放棄を宣言しているので,軍事力で世界をリードするわけにはいきません。したがってきちんと稼いで欧米諸国に比肩する経済力を保ち,いざというときには資金面で世界を支え,かつ気候変動や地球環境などの世界的課題に貢献していくことで自国の立場を守り,自らの主張を通せるような発言力や影響力を持つことが可能となり,引いてはそれが将来にわたる安全保障の確保にもつながっていくのです。今後,企業が世界で稼ぐ力をもっとつけていかなければ,日本は何をするにしても発言力が弱くて振るわない国になってしまいます。

カーボンニュートラル実現と再生可能エネルギーの実際

森田日立は創業110年を超えた大企業として国を担うのはもちろん,社会イノベーション事業を掲げるグローバル企業として,「社会価値」,「環境価値」,「経済価値」という面から世界的課題の克服に一層貢献しようとしています。そうした中でも,昨年秋,菅政権が宣言した「カーボンニュートラル」はまさに地球社会が直面する喫緊の共通課題です。川村さんは昨年までエネルギー供給を担う主要アクターの立場におられましたが,その実現に向けてはどのようにお考えでしょうか。

川村現在,電力業界全体では約4割のCO2を排出しており,2050年のカーボンニュートラル実現のためにはそのすべてを脱炭素電源にしなければなりません。また一般産業や運輸業界などの非電力分野も,その達成には最大限の電化と水素の活用が不可欠で,それらの業界をまたいだDXにより社会全体の電力需給バランスを最適化していくことが求められます。

世間では政治家やメディアを含め,価格さえクリアできれば再生可能エネルギーの普及はすぐに実現できるものと思われがちですが,日本は米国や中国などに比べて国土が狭く人口密度も圧倒的に高いため,例えば太陽光パネルなどを設置しようにもその設置場所に限界があり,容易ではないのが実情です。そのために森林を伐採しては本末転倒ですし,増設できたとしても想定外の降雪で電力供給は逼迫してしまう。加えて資源も乏しいと,あらゆる面で日本は厳しい条件下にあり,空気中に溜まったCO2を直接回収するDAC(Direct Air Capture)や人工光合成といった革新技術を追求しない限り,カーボンニュートラルの実現は世界と比べても困難を極めると言ってよいでしょう。

森田再生可能エネルギーについては送電容量が大きな問題です。日立東大ラボの試算では,既存の送電網では将来見込まれる発電量の3分の1しか受け入れられないとしています。そのためのシステム構築も課題で,おっしゃるとおり,今後は水素社会の実現が欠かせません。

川村政府はそうした事情を正しく認識しており,菅首相の宣言を受けて昨年末に経済産業省が策定した成長戦略(2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略)では,再生可能エネルギーは最大限の導入を図るとしながら,全体のうち50〜60%を賄うのが現実的だとしています。ご指摘のとおり送電容量の問題や自然条件,コストの面からみても,すべての電力需要を再生可能エネルギーで賄うのは難しいのです。

そのような条件の下で日本がカーボンニュートラルを実現するには,エネルギーミックスで対応していくほかないでしょう。再生可能エネルギーに加え,原子力,火力とCCUS(Carbon Capture Utilization and Storage:二酸化炭素回収・貯蓄とその活用),そして今後は水素発電などを加えた形で,日々気象条件によって変動する国内のエネルギー需給バランスを,デジタルプラットフォームを構築しながらDXによって最適化していくのです。

森田それを現実の課題として具体的にどのような形で実現していくかを真剣に考えなければいけない時期に来ています。また一般の人も含めて国民世論にどう訴えていくか,一層の工夫が必要だと実感しています。

エネルギーの安全保障と成長戦略,そして社会変革

森田エネルギーミックスを実現していくうえで特に留意すべき点は何だとお考えでしょうか。

川村日々変動する需給量をAIやビッグデータで制御するデジタルインフラをいかに築くかというDXの側面に加えて,私はエネルギーの安全保障について危惧しています。

すでに述べたように,脱炭素化を図りつつエネルギーを安定供給していくためには,自国で賄える大規模電源である原子力にどうしても当面は頼らざるを得ません。先ほど触れた火力とCCUSにしても,取り除いたCO2を埋める土地がないのです。

中国やロシアが膨大な太陽光パネルや風力発電を備えていながら,なお原子力発電に積極的に取り組んでいるのはエネルギーの安全保障を考慮してのことです。他国から石油を輸入できなくなる,あるいは自国の化石燃料が尽きた場合などさまざまなリスクを考えているはずです。

日本ではたとえ軍備がなくても自国の平和を維持できると考える人が少なくありません。それでも誰かが守ってくれると信じているのでしょうが,これはエネルギーについても同様で,多くの人は日本が石油や天然ガスを輸入できなくなるという危機的な状況を想定していません。今後,先進国の中でも低いエネルギー自給率を向上させていくことはもちろん重要ですが,エネルギーの安全保障の確保には経済力の維持と国際的な貢献が欠かせません。エネルギー資源の確保が脅威にさらされないためにも,日本は経済力を担保にしていかなければならないのです。

こうした観点からも「経済と環境の好循環」を成長戦略の柱とする菅政権の考えは,正鵠を射たものだと思います。カーボンニュートラル実現のための施策を積極的に行いながら,これまでのビジネスモデルや産業構造を根本的に変革し,世界をリードする社会イノベーションを起こしていくという考えは,現状維持という悪弊を克服し,変化に対応していくことが,日本が再び活力を取り戻し,世界で生き残る唯一の道だという今までの議論につながるものです。私たちは今,自己変革していくときを迎えているのです。決して容易な道のりではありませんが,果敢に挑戦していかなければなりません。

森田2008年のリーマンショックを受けて,創業以来最大の危機に直面した日立が社会イノベーション事業というコンセプトを打ち出した後,SDGsやESG投資など世界的な潮流が同じ方向へと大きく動いてきました。このコンセプトを提唱した川村さんご本人はこのような変化を予測されていたのでしょうか。最後にお聞かせください。

川村企業はきちんと稼いで利益を社会に還元することが基本です。しかし,企業がこれだけ社会の中で大きな存在となった今,稼ぐための事業が社会のためになるものでなければ,やがて社会から認めてもらえなくなるだろうと感じていました。とはいえ国連のSDGsやカーボンニュートラルのように,人間と地球が共に生き残るため,政府や企業,社会が一体となった地球規模の取り組みが活発化するとは想像していませんでした。こうした中,時代を先取りする形で社会イノベーション事業を行ってきた日立も,ドーマー副社長がChief Environmental Officerに就任し,2030年日立自身のカーボンニュートラルにコミットするとともに,世界のカーボンニュートラル化へ貢献していく覚悟を示していることは非常に頼もしい限りです。これからも情熱と志を持って社会の変革をリードし続ける存在であってほしいと期待しています。

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