日立評論

人生の意味を探る対話

QoLからみたインクルーシブな医療と社会

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日立評論

カール・ベッカー

カール・ベッカー

  • 京都大学 学際融合教育研究推進センター 政策のための科学ユニット 特任教授
  • 1986年ハワイ大学教育学部助教授。1988年筑波大学人文学類・哲学思想系外国人教師。1992年京都大学教養部助教授。2003年京都大学大学院人間・環境学研究科教授。2007年京都大学こころの未来研究センター教授。 諸文化の宗教(死生観・倫理観)に造詣が深く,治癒方法,倫理道徳,価値体系などの研究を通じて,日本独自の新しい対応方法の可能性を探求している。

[パネリスト]

吉野 由美子

吉野 由美子

  • 視覚障害リハビリテーション協会 高齢視覚障害リハビリテーション事例研究分科会代表
  • 東京教育大学附属盲学校(現筑波大学附属視覚特別支援学校),日本福祉大学社会福祉学部を卒業。名古屋ライトハウスあけの星声の図書館(現:名古屋ライトハウス情報文化センター)で中途視覚障がい者の相談支援業務を経て,東京都の職員として11年間勤務。その後,日本女子大学大学院を修了,東京都立大学と高知女子大学で教鞭をとる。2009年〜2019年視覚障害リハビリテーション協会会長。中途視覚障がい者のためのリハビリテーションシステムの普及活動の現場を通して,障がい福祉サービスの制度や支援,ケアのあり方から医療・介護と生き方を考える。

煖エ 政代

煖エ 政代

  • 株式会社ビジョンケア 代表取締役社長,医学者,眼科医
  • 従来再生不可能とされていた網膜の再生医療技術の研究・開発に取り組む。2014年,自己由来のiPS細胞を患者へ移植する臨床研究を世界で初めて実施した。その後,神戸アイセンターを創設し,再生医療の安全性を確認するとともに,患者のQoL向上,インクルーシブな社会実現に向けて極的に各種活動を展開している。

三宅 琢

三宅 琢

  • 公益社団法人NEXT VISION理事,眼科専門医,産業医,株式会社Studio Gift Hands 代表取締役
  • 医師,医学博士,眼科専門医,産業医,労働衛生コンサルタント。ICTを患者に紹介しながら診察・治療を行う眼科医。東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員,東京大学先端科学技術研究センター客員研究員,東京医科大学眼科学教室兼任助教,産業医科大学作業関連疾患予防学訪問研究員,公益社団法人NEXT VISION理事,一般社団法人産業医ラウンジ理事長。疾病や障がいを理由に自己実現ができないという社会の課題を探る。

和田 浩一

和田 浩一

  • 公益社団法人NEXT VISION情報マスター,視覚障害リハビリテーション協会会長
  • 中学2年で眼の難病と診断され,30歳で文字が読めなくなり,現在は全盲。盲学校の教員として35年間勤務。 視覚障がい教育に情報機器の導入を推進し,視覚障がい者用のソフトウェアの開発や研究に取り組む。医療・福祉・教育・労働などの視覚障がいリハビリテーションの専門家として,文字の読み書きや移動の困難さなど見え方によって生じる課題を解決する方法を考える。

武田 志津

武田 志津

  • 日立製作所 専門理事 兼 研究開発グループ 技師長 兼 基礎研究センタ 日立神戸ラボ長
  • 2009年から再生医療分野での研究開発に従事。2017年には日立神戸ラボを開設し,再生医療向け細胞自動 培養装置の社会実装に取り組んでいる。再生医療の細胞製造コストと品質,生産量などの課題を解決し,再生医療の普及を通して,人々のQoL向上への貢献をめざす。再生医療と両輪で進める「ロービジョンケア」の啓蒙活動においても,ワークショップや国際フォーラムを開催するなど,発信に努める。

目次

再生医療を筆頭とする医療革命により,人類はこれまで以上に病の脅威を克服していくと予想されるが,それでも完全な健康状態を回復することは難しく,高齢化に伴い何らかの障がいを抱えて生きる人が増加することを見落とすことはできない。仏教に「生老病死」という教えがあるように,人間は生きている限り,逃れることのできない苦しみと対峙し続けなければならない。人間に関する科学技術が急速に進む今日,これらを踏まえてQoL(Quality of Life)やインクルーシブな医療と社会のあり方を考えていくことが求められる。

2021年3月,日立神戸ラボ,株式会社ビジョンケア,公益社団法人NEXT VISIONの共同主催で行われたオンライン対話イベントでは,死生学や医療倫理,ターミナルケアなどの研究に取り組む京都大学のカール・ベッカー特任教授を迎え,「日本人の死生観と経験知」について三つの観点から講演していただき,それぞれの分野でインクルーシブな医療と社会に向けた実践に取り組む5名のパネリストと共に活発な議論を展開した。

[総合企画・モデレータ]
沖田 京子 (日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 日立京大ラボ 担当部長)

日本人の循環的な死生観と経験知

[キーノートスピーチ(1)]

ベッカー江戸時代に100万人都市となった江戸,同じく世界屈指の都市であった京や大阪は,食べ物などすべての資源を近隣から調達し,人糞を含むすべての廃棄物を再利用できる資源として返すという平和的で持続可能な循環によって成立していました。人類史上初めて100万人都市を実現した古代ローマやそれに続くエリザベス女王時代のロンドンが,いずれも軍事力による支配に基づいて成立していたこととは対照的です。「人間も自然の循環の一部」とする日本人の死生観が,都市人口の定着にまで影響していたと考えます。

身近な例でいえば,リサイクルしやすい日本の着物は何回もほどいて縫い直せば人間より長持ちしますし,古くから日本に伝わる「医食同源」という知恵も,自分が口に入れたものが自分の体をつくるという循環の思想に基づいたものです。もう30年も前の話ですが,赤字でも田んぼを耕し続けた農家の友人が「農業は儲けるためにやるのではない。秀吉から譲り受けたこの土地の土壌を護り,孫や子孫が500年先までここでお米を食べられるように耕しているんだ」と語ってくれました。この言葉に象徴されるように,循環は先祖から子孫へ時代を超えてつながっていくものでもあります。

ところが最近はそのような循環が顧みられなくなりました。家電など多くの製品がすぐに捨てられて埋め立てられ,多くの人が偏食や過剰なアルコールの摂取,運動不足など,自然の摂理を無視した不摂生な生活を送っています。当然前者では,廃棄物の成分がやがて地下水に入り,植物に取り込まれて食物として子孫の口に入る事態を招きかねませんし,後者では,自分の体が直接蝕まれます。これは仏教で説かれる「因果応報・自業自得」です。このような傾向に歯止めをかける取り組みとして,米国の一部の州やドイツなどでは,摂生に努めない患者には薬代を自己負担させる動きも出ています。

一人ひとりが循環を意識し,自分の体に入るものが自分の健康に影響を及ぼすことを認識していくことが,医療以前に病を防ぐのに有効な知恵なのではないでしょうか。

カール・ベッカー氏の主な和文著作 カール・ベッカー氏の主な和文著作

[オープントーク(1)]

沖田日本古来の死生観は循環的であった,日本の社会にはそうした伝統的な価値観が深く根付いていたというお話でしたが,皆さんはどのようにお考えでしょうか。

三宅循環性は,連続性とも置き換えられそうです。現代に生きる私たちは,ともすると今だけ自分だけという思想に陥りがちですが,私たちは過去から未来につながる連続性の中に生きています。先祖がいるから今の自分がいて,今の自分が未来の人類につながっている。こうした連続性に対する想像力を高めることは,再び循環性を取り戻すとともに,目の前の病や障がいに絶望している患者さんに,一筋の希望をもたらすものだと感じました。医療の中でも,そうした循環性や死生観について積極的に伝えていくことが求められる時代が来ているように感じます。

吉野私たちは循環性や調和を重んじる社会から,とても遠いところに来てしまったと思いました。明治以降,日本は西洋諸国に追いつくために国を挙げて発展を急ぎ,優秀で能率的な人財育成に注力する一方,世間では障がいのある人を暗に退ける風潮が生まれました。戦時中には,世の中の役に立たない非国民であるとまで言われ,障がいを恥と捉えて隠そうとする思想は現在も変わっていないように感じます。多様性や互いの価値を認め合う考えが生まれている今こそ,そうした価値観を見直し,誰もが今を悔いなく生きることのできる社会を築いていくチャンスだと思います。

沖田まさに生老病死,病や障がいなど生きていくうえで避けられないことについて,明治から戦前・戦後にかけて大きな価値観の変化があったのではないか,ということですね。

ベッカー近代化の成功によって日本は植民地になることを回避しましたが,思想的には資本主義や効率主義という考え方に支配されてしまった側面もあるのではないでしょうか。世界が行き詰まりを見せる中,自ら顧み,未来に資する日本的思想を再発見するときを迎えているのだと思います。

煖エおっしゃるとおり,温故知新がポイントだと言えそうです。国連のSDGs(持続可能な開発目標)も循環性や社会全体の調和を取り戻そうとする動きで,元々日本や東洋にあった思想です。私が取り組む再生医療も,全員に同じ治療を施す西洋医学とは異なり,一人ひとりの状態に合わせて治療を行う東洋医学の考え方に通じるところがあり,医療のあり方も回帰していると思いました。

和田私は盲学校で鍼灸マッサージなどの東洋医学を学びました。初めは科学的ではないと抵抗感があったのですが,学んでみると非常に奥が深い。東洋医学は,病気そのものより「人」を診ます。つまり,体質を含む患者さんの状態を総合的に捉え,症状をもたらす体の不調を根本的に改善しようとするのです。細胞や臓器がすべてつながっているように,生きるうえで人間と自然もつながっていて切り離すことはできません。東洋医学の根底には「人間と宇宙は一体化している」という東洋哲学の思想が流れています。

三宅西洋のものさしでは測れない日本独自の文化や価値観が多くあります。私たちは,西洋化を追求するあまりそれらを一度忘れかけていましたが,今大きな揺り戻しが起きていると感じます。世界で初めて人生100年時代や超高齢化社会を迎え,課題先進国となった日本が,温故知新によって新たな仕組みやアイデアを発信していければ,成長のチャンスにもつながると思います。

武田皆さんのお話を聞いて,私たちは大きな循環の中の一つの存在として生きていると強く感じました。過去からつながる先祖がいて,食物連鎖の一部として命をつないでいる。さらにミクロに視点を転じれば,私たちを構成する分子や原子は自然界の無機的なものであったかもしれない。そういう循環を想像すると,生きているというより,むしろ生かされていると感謝の念が生まれます。自分も他者に対して何かをしていかなければ,この循環の世界の中でバランスが取れないように改めて感じました。

ベッカーそのような日本の利他の精神は,世界にとっても貴重な遺産なのだと思います。

他者尊厳が支える医療やケアの経験知

[キーノートスピーチ(2)]

ベッカー循環や調和を重んじる江戸時代の社会は,同時に一人ひとりの価値を認めて尊重する文化も持ち合わせていました。士農工商という階級制度はあったものの,石門心学の開祖である石田梅岩が「仕事の誇りは身分によらず,誠実・勤勉・倹約で決まる。誰でも誇りを持てる」と語ったように,他者への尊厳は決して収入や偏差値によるものではありませんでした。子育てや人付き合い,文字を書くこと,釣りなど,誰しも得意なものがあるように,美男美女でなくとも,体力や視力が弱くとも,一人ひとりが社会の中でできることを認め合い,互いに励んでいく知恵が当時の社会にはあったのです。

このように一人ひとりを尊重し,各自が希望する生き方・死に方を尊重する仕組みが今求められています。先端医療では,従来のようにすべてを医師に委ねる「お任せ」から,「自己選択」へ移行しつつありますが,日本人の多くは医療に関する自己選択の意思表示ができていないのです。

例えば,心肺マッサージや胃瘻(いろう),人工呼吸器は,治る見込みが高い若い人に一時的に使用するのはやむを得えないとしても,高齢者に使用すれば,肋骨が折れてしまったり一生胃瘻を外せなかったりするなどのリスクも高まります。それらの使用の是非は,本人がどのように最晩年を過ごしたいのかという死生観に直結した選択になるのです。万が一に備えて明確な意思表示をしておかなければ,自分の希望する医療を受けられない,あるいはその選択をめぐって家族や医師を翻弄するだけでなく,希望しない延命措置の蔓延によって国の医療費を増大させてしまいます。それに対して,西欧諸国では,自分の希望する処置を記入した「救急隊ガイドライン指示書」を役所に提出し,各人が自宅の中に貼っておくという制度が導入されています。最近ではスマートフォンやパソコンのアプリケーションを用いれば,誰もが簡単に自分の選択を登録しておくことも可能でしょう。

ところが日本では,医療技術は最先端であるにもかかわらず,自己選択の意思表示がほとんど実践されていません。死生観が深く関わる課題であり,容易には扱えないという意識が働いているのでしょうが,これまでの画一的・一方向的な医療に代わり,他者尊厳の思想に基づき,一人ひとりの希望を認める医療を実現する仕組みづくりが急務だと言えるでしょう。

[オープントーク(2)]

沖田デジタル化は,そうした一人ひとりを尊重した社会を実現するカギにもなっていきそうです。他者尊厳の立場に立った医療や福祉,またそれを支えるデジタル技術について,皆さんのお考えや取り組みをご紹介ください。

和田私は中学2年生のときに病が発覚し,今は目がまったく見えません。それでも当時の担当医が,患者である私を尊重し,まるで自分のことのように,病気の進行について丁寧かつ段階的に伝えてくれたことが希望を持つきっかけとなりました。デジタル技術の進歩はIT機器が私たち目の見えない者に革新的な可能性をもたらしたように,誰もが参画できる社会の実現を後押しするはずです。また,お話しされた医療に関する意思表示の仕組みをつくる際も,インクルーシブであることを念頭に進めてほしいと思います。

沖田その仕組みは何のためなのかという目的を考慮しながら,社会インフラのデジタル化を進めていかなければならないということですね。

吉野私は先天性の弱視なのですが,40歳を過ぎたころに角膜の状態が悪化して,医師から移植を勧められました。しかし自分のように他の病気を併せ持つ者の成功率は低く,再び失明すれば精神的ダメージが非常に大きいのだと当事者から話を聞いて知っていたので移植を断りました。このように自己決断を下すには必要な情報を入手できることはもちろん,健康や死に関する重大な局面で自ら考え判断できる土台を幼少時から教育していくことが重要です。そうでなければいざというときに人間は弱く,結局,周囲に判断を委ねてしまうからです。これは非常に難しい問題です。

ベッカー今までの医療ではこうした問題をオブラートに包み,本人に伝えないという傾向が続きました。いつまで生きられ,どうなるのか,はっきり言えないにしても,胃瘻や人工呼吸器の装着といった選択を画面上の説明だけで迫るのは酷であって,同じ病気を抱える人にどういう傾向が見られるのかなど丁寧に十分な説明をしたうえで,一人ひとりが置かれている状況に応じた仕組みが不可欠だろうと思います。

三宅私は社会医として「最適なテクノロジーを処方する」医師ですが,その中で情報提供より大切にしているのが「対話」です。例えば,目が見えなくなって新聞が読めなくなると悲嘆している患者さんと対話し,新聞からどんな情報を何のために得て,生かしたいと思っているのかを聞き出し,その目的が分かれば,テクノロジーによる別の手段で代替することも可能です。患者さんはもちろん,われわれ医師も,視力の回復だけを評価軸としないことが大切です。

煖エ原点に立ち戻れば,医療は幸せを得るために行うものであって,必ずしも治癒だけがゴールではありません。患者さん一人ひとりの満足や幸福を,医療がどう提供していくかが重要です。その一方,医療でできることに限界があるのも確かで,ある種の「健全な諦め」が大切だと思うのですが,人々の死生観が変わったためか,ひと昔前までは当たり前だった認識が失われているように感じます。これは情報過多も一因でしょう。例えば先進医療を行う際のインフォームドコンセント(説明を受けて納得したうえでの同意)では,倫理委員会が多くの情報を入れるように要求するのですが,その結果が逆に「残酷な希望」につながっていないかを懸念しています。

ベッカー日本人は医療に実現不可能な期待を持ち過ぎていると思います。治療によって元通りになる,あるいは若い頃のようになると期待する人も少なくありません。医療の限界という現実を正しく認識しなければ,生老病死と適切に向き合うことも難しいでしょう。

武田本人も周りの人も,今ある姿を受け入れるところからスタートするのだと思います。一人ひとり違った選択肢があっていい。それもインクルージョンだということですね。

死と共に生きる,めざすべき医療と福祉の経験知

[キーノートスピーチ(3)]

ベッカー日本人の死生観を語るうえで,もう一つ欠かせないものが「死と共に生きる」あり方です。今,国内外のさまざまな研究から死別悲嘆の問題が明らかとなっています。悲嘆による欠勤や生産力の低下がもたらす経済的・社会的損失のほか,遺族の心や身体の健康の損失は甚大で,精神的打撃から寿命そのものが削られてしまうと指摘されています。

それに対し,日本には古くから「在宅で死を看取る」という知恵がありました。祖父母を看取り,死を身近に感じる人ほど,近しい人に先立たれても自らは倒れない。東日本大震災でも,死を看取った経験がある人ほど,津波で家族を失っても立ち直りが順調だったとの報告もあります。

同様に仏壇や墓参りを通じて,自分の近況を報告して故人の声に耳を傾ける,あるいは法事で故人のことをみんなで語り合うことも,亡くなった人を身近に感じながら生きる悲嘆治癒の知恵でした。

農業社会であったころの日本では,働き手である父母に代わって祖父母が子どもを育て,やがて祖父母が老いると,今度は成長した子どもたちが彼らを介護して,最期は家族で看取った。生老病死という自然の循環を若い年代から身をもって感じることができたのです。

このように死と共に生きてきた日本人は,自分が来日した50年前までは先進国の中で最も死を怖がらない民族でした。ところが1980年代以降,病院で死を迎えるようになると,どんどん死を怖がるようになりました。「怖い」とは「知らない」証拠で,昔はつらくて寂しくても「怖い」とは言わなかったものです。

医療費をはじめとする社会保障の増大が国家の財源を圧迫している今,病院で複数の医師や看護師に依存して迎える最期は,持続可能かつ理想的だとは言えないでしょう。近年では行政も在宅での看取りを推奨しています。自然の摂理に則った生き方,延命措置の自己選択などを踏まえながら,限られた医療資源を今後どのように配分していくか,社会全体で十分に議論を尽くしていかなければなりません。

[オープントーク(3)]

沖田めざすべき医療や福祉のあり方を考えるうえで,死と共に生きてきた日本人の死生観を思い返すべきというお話でした。非常に重いテーマだと思いますが,いかがでしょうか。

武田「死と共に生きる」という言葉がとても印象的です。仏教の教えに「諸行無常」とあるように,私たちは無常の存在で,死は誰にでも必ず訪れます。大切な人にいつまでも変わらず健康でいてほしいという願いも,執着の現れで苦しみを生み出します。体と心は強い相互作用の中で支え合う関係にありますが,体より心の方がコントロールしやすいように感じます。体を治すことができなくても,執着を捨てて,心穏やかに病や死と向き合っていくにはどうしたらよいか。健康なときから常に考えていくことが前向きに生きることにつながると思いました。

煖エ身近な死を遠ざけたために怖くなったように,障がいもまた遠ざけたために怖いと感じるのだと思います。障がい者用公共施設がありますが,配慮しているようでいて実は囲い込むことによって社会から遠ざけているのかもしれません。福祉が支援の対象としてきた全盲の人のほかに,私たちの周りには「見えづらい」人も多く存在します。しかし,見える人と見えない人の間をつなぐ彼らの存在が社会の中に隠れてしまっている。私たちが神戸アイセンターのビジョンパークでめざしているのは,障がいを遠ざけるのではなく,多様な人が混ざって地続きとなるような場をつくることで,真のインクルーシブを実現することなのです。

神戸アイセンター ビジョンパーク 神戸アイセンター ビジョンパーク

沖田ビジョンパークは,視覚障がいに対する意識を変え,誰もが暮らしやすい社会にするための情報発信や集いの場として生まれました。「病院の中に遊びに行こう」というコンセプトを打ち出し,偶然の出会いや気づきが生まれるようにデザインされています。

三宅私は研修医だったころ,末期のがん患者を看取っていました。彼らから学んだのは,自分が死ぬことより,周りの人が死をどのように扱えばいいのかに戸惑い,次第に自分を遠ざけて無関心になることの方が辛いということでした。これは眼科医療の分野でも同様で,失明していく患者を遠ざけ,やれることがないと諦めてしまうことが最大の問題なのです。見えなくなったら終わりではなくその先がある。それを遊びやユーモアをもって患者自身が同じ病を持つ別の患者に伝えることで,彼らを救っていってほしい。そのために,まずは混ざる空間,つまり「場」が必要だと思い,ビジョンパークをつくったのです。

吉野とても素晴らしい取り組みです。しかし,そんな場所にも辿り着けない高齢の障がい者が多くいることも忘れないでほしいです。高齢者への支援やリハビリは,若い人と比べて効果が見えづらいため,社会の中でも根付かないのが現状です。絶望の淵にいる高齢者にも幸福を感じてもらうため,最初の一歩を助けられる仕組みも検討してもらいたいと思います。

和田障がいも病も死別も,これらは等しく生きていくうえでの困難だと言えないでしょうか。たとえそういった困難を抱えたとしても,すべての人が笑って生きていける社会をめざしていきたいものです。

ベッカーここで議論したテーマはいずれも世界共通の課題でもあります。地球環境問題などを通じて資本主義が行き詰まる中,他者との競争や利己主義を超えた共生の思想が切望されています。そうした利他の心を醸成するためにはやはり頭ではなく体を使った初等教育が重要で,その意味でも日本の先人たちが築いた経験に学ぶことには大きな意義があります。

沖田社会イノベーション事業を推し進める協創の原点として利他の心,そして倫理の重要性は以前から論じてきた主要なテーマです。今後も引き続き対話と議論を深めていきたいと思います。本日はありがとうございました。

[主催者について]

日立製作所 基礎研究センタ 日立神戸ラボ
再生医療向け細胞自動培養技術の社会実装と両輪で「ロービジョンケア」活動を進める。インクルーシブな社会実現に向けた研究開発の一環として,障がい当事者との対話・協創に注力している。
株式会社ビジョンケア
新しい医療・治療の形を社会に提示する神戸アイセンターの企業体。アカデミア,公立病院,公益法人だけではできないものを引き受け,より良いものを,より安く,より早く患者さんに届ける新しいロールモデルをめざす。
公益社団法人NEXT VISION
視覚に障がいがある方が,より自分らしく生きるために必要な情報支援を行う団体。また,isee!運動を通して,すべての方が見ることの本質に気づいて楽しく学び成長できるインクルーシブな社会の実現をめざして,さまざまな活動を行っている。
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