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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察一人ひとりの「生きる」を響き合わせる新たな社会システムへデータ活用でめざす多元的価値に基づく人間中心社会

2022年3月28日

宮田 裕章

宮田 裕章

  • 慶應義塾大学 医学部 医療政策・管理学教室教授
  • 専門はヘルスデータサイエンス,科学方法論,Value Co-Creation。2003年東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。同分野保健学博士(論文)。2009年東京大学大学院医学系研究科医療品質評価学講座准教授,2014年同教授(2015年5月より非常勤)を経て,2015年より現職。
  • 大阪大学医学部招聘教授,2025年日本国際博覧会テーマ事業プロデューサー,厚生労働省データヘルス改革推進本部アドバイザリーボードメンバーなどを兼務。

目次

多くの課題が山積する今,それらを克服して新しい未来社会を構築するための突破口としてAIやビッグデータ,それらを活用したデジタルトランスフォーメーション(DX)やCPS(Cyber Physical System)など,デジタル技術やデータ活用に対する社会的関心や期待は大きい。

本格的なデータ駆動型社会が到来する中,データサイエンティストとして,医療分野をはじめとしてさまざまな領域で先駆的なプロジェクトを手掛けるとともに,オピニオンリーダーとしても活躍する慶應義塾大学の宮田裕章教授に,データの利活用が切り拓く新しい社会像と可能性について聞いた。

データ駆動型社会の本質と価値の多元化

2012年,世界経済のトップを独占してきた石油メジャー4社の時価総額がGAFA[Google(Alphabet),Apple,Facebook(Meta),Amazon]の4社によって抜かれました。現在の時価総額トップ10のほとんどがデータ関連企業によって占められているように,石油や石炭に代わって,データが価値の源泉となって世界を動かす時代になりました。その意味でデータ駆動型社会は既に到来していると言えます。

しかし,その本質は,データを活用して経済合理性をさらに高めることでも,データ覇権主義と呼ばれるような,データを独占して富を独り占めすることでもありません。そもそもデータとは,独占して使うよりも,共有して活用することで価値が高まる「共有財」としての性質が強いものです。その最たる例はコロナ禍におけるワクチン開発で,単独では通常3〜4年かかるところを,世界中でデータを共有し合って開発することで,わずか9か月ほどで実用化することができました。

DXの核心が,情報技術によって人々の生活をあらゆる面で「より良い」方向に変化させることであるのと同様に,データ駆動型社会も,データの適切な活用によって,一人ひとりの体験,企業,コミュニティ,国,社会のあり方を望ましい方向へ変容させるものであるはずです。

私はサイエンティストとして,科学的方法論を用いて,国やコミュニティなど社会そのものをより良くしたいと考えてきました。科学すなわちデータがもたらす価値の一つは,捉えがたい事象を可視化して,私たちが「世界を正しく見る」ことを補い助けるということです。データを正しく使って世界を正しく見ることができれば,社会の中にある経済的価値以外の多元的な「共有価値=シェアードバリュー」を可視化し,それによって社会を駆動していくことができるのではないか。これは私自身の考え方の基本であり方法論なのですが,データ駆動型社会の本質もこのようなところにあるのではないでしょうか。

そもそも,環境問題や貧困・格差の拡大など,今日,社会の持続可能性を脅かす問題の多くは,資本主義経済の中で行き過ぎた貨幣中心主義に起因しています。お金より大切なものがあることはみんな分かっています。しかし,それらは目に見えず,共有する手段がなかったため,その実現に向けて一丸となって取り組むことがなかなかできませんでした。その結果,目に見える唯一のシェアードバリューである貨幣を中心に,いかに効率よく,確実に,より多くの富を生み出すか,そればかりが追求されるようになり,経済合理性だけが社会の大きな原理になってしまっていたのです。

私たち人間の生き方においても,経済合理性を追求する企業や組織の歯車となって働き,その後の余生だけが自分の時間であるという認識が長らく続きました。そして,その中でいつのまにか,豊かに生きるということの意味も置き去りにされてしまいました。

このような事態を危惧して,現状を軌道修正するために掲げられているのが昨今のステークホルダー資本主義やパーパス経営であり,SDGs(持続可能な開発目標)でもあります。これらはいずれも経済的価値以外の多元的な価値を取り込むことによって,経済と持続可能性のバランスを図ろうとしています。同様に,豊かに生きることの価値を,経済学者のジョセフ・E・スティグリッツやアマルティア・センなどは「ウェルビーイング(Well-Being)」と定義することで,社会の中で共有しようと努めてきました。

そうした潮流の中で今,データの活用によって命やウェルビーイング,環境,教育,人権,多様性,公正さなど,多元的な価値やそれらに対する影響が可視化できるようになってきました。言い換えれば,それらの多元的な価値の実現に向けて社会全体で動いていくことが可能になりつつあるのです。さまざまなシェアードバリューを軸に,多様な豊かさの中で,どのような社会をめざし,どのようにつくっていくのか。私たち一人ひとりがそれを考えていくためのスタートラインに立っているのです。

健康やウェルビーイングを中心に広がる社会のデータ活用

本格的なデータ駆動型社会が到来する中,先行的な取り組みが最も進んでいるのは医療・ヘルスケア分野です。なぜならこの分野では,目の前の「命」を救い「健康」を支えるというまさに経済的価値に代えがたい価値の実現に向け,いち早くデータの活用が進んできたためです。また,生存だけに主眼を置くのではなく,治療によって生じる合併症のリスクなども勘案しながら,いかに治療後もその人らしく人生を送れるのかという,現在のウェルビーイングにもつながるような,QoL(Quality of Life)という価値も早くから共有化していました。

同様の理由から,私もこの分野からデータサイエンティストのキャリアをスタートさせました。医療とデータを結びつけて価値を創出するため,臨床現場と連携を取りながら,心臓外科手術のデータベースやそれを一般外科に広げたNCD(National Clinical Database)を構築して,施設の枠を越えたビッグデータの活用を促進させるなど,さまざまな試みを実践してきました。

この分野でデータの活用が進む理由は他にもあります。それは「信頼」がなければデータを使用できない時代に入ったという,先ほどの理由とは別の文脈によるものです。データ駆動型社会の第一段階には,確かにデータを独占して富を独占するという傾向もありました。しかし,EUでGDPR(一般データ保護規則:General Data Protection Regulation)が成立し,誰に何を見せるのか・誰とどのような情報を共有するのかを自分で決定する「自己情報決定権」が確立したことで,多くのデータ関連企業が今までの手法を改めざるをえなくなりました。一方,中国も,そのような手法で発展してきた巨大IT企業の成長を抑制してでも,平等や格差是正という価値を実現しようとしています。

したがって今後,人々の信頼や承認を得ながらデータを活用していくためには,データをどこで入手して,どこで使用するのかというトレーサビリティや透明性を明らかにすることはもちろん,それを「何のために」使うのかという,誰もが納得できる目的や使い道を提示することがより重要になります。そしてその際,万人に訴求しうる価値として期待されているのが健康やウェルビーイングなのです。2019年にAppleのティム・クックCEOが「今後,Appleが人類にもたらす最大の貢献は健康ということになるだろう」と宣言したことは象徴的です。既に多くのビッグテック企業が参入し,この分野のデータ活用を底上げしています。

これから医療・ヘルスケア分野は「生きることすべてを支える」産業になって,そこにあらゆる産業がひも付いていくことでしょう。従来の医療は,病状を自覚して病院を訪れた時点から始まるものでしたが,センシング技術の進化とリアルタイムのデータ活用によって,一人ひとりの体調の変化や病気の初期症状,フレイル(虚弱状態)などを捉えることもできるようになっています。

例えば,認知症では,症状が自覚される中等度以上に進行した場合,現段階では治療法がないと考えられていますが,初期症状には歩行速度の低下が見られると報告されており,それをいち早く捉えて発見できれば,支援手段が格段に増えます。本人にとってみれば,その後の生きる意義が大きく変わっていくのです。

このように,センシング技術とデータを活用して,さまざまな心身の変化をリアルタイムに捉えられるようになれば,治療や支援の選択肢が広がるだけではなく,既存の治療という概念を超え,医療は一人ひとりが健康に豊かに生きることを全方位的に支えられるのです。そして,当該分野やデータ関連企業だけではなく,エンタテインメントや食,エネルギー分野まで,あらゆる産業がウェルビーイングを支えることに無関係ではなくなっていき,この分野に深く関連付けられていくでしょう。

計測・センシング技術が切り拓く体験価値の創出

このようにデータ駆動型社会を実現していく中で,広く多元的な価値を捉えて可視化することはもちろん,一人ひとりの体験価値を深めるためにも,計測・センシング技術は非常に重要です。こうした技術が進化すれば,人間の心や身体の状態を多角的に「より深く」捉えることが可能になります。例えば,個人のウェルビーイングを捉えるために,今までは「お元気ですか」と尋ねて判断するほかありませんでしたが,センシング技術でまばたきの様子や回数,脈拍,睡眠の深さなどを計測することで,ストレスや潜在的不安を抱えているのか,あるいは不安な中でも瞬間的に喜びを感じているかなど,より深くその人の状態を捉えることができます。

このような技術の進化により,ウェルビーイングという価値は多様性を考慮した一人ひとりに寄り添ったものへと深化していくはずです。これまではマーケットにおいてはもちろん,健康や生きることの意味でさえ,個別のニーズや境遇を捉える術がなかったため,社会の最大公約数的なバリューを捉え,それをいかに拡大していくかという大量生産モデルが中心でした。それが今や,音楽や映画の定額配信サービスのように,データやAIを個人が自由に活用することで,多様性を考慮した価値を提供できるようになってきました。そして今後,リアルタイムで体調や気分,対象から受ける影響など,その人の心や体の状態を適切に捉えることができるようになれば,商品やサービスは購入して消費するだけではなく,それによって「どういう状態」になるのか,すなわち,その人が自分らしく生きるという「体験価値」を提供できるように変化していくでしょう。

一例として挙げられるのが,製薬メーカーが多額の投資をして長期間にわたって開発している薬です。睡眠薬の使用に関しても,それが効いて本当に眠れているかを捉えて判断することはもちろん,その人の心身の状態や薬の影響を適切に捉えることで,過剰摂取や依存の可能性を払拭しながら,時差ボケなど生活のリズムが乱れたときや,自然治癒が望ましいような軽度のうつ症状が見られた場合など,服用する量や期間を適切に判断しながら薬を活用することが可能になります。このように,「いつ・どこで・どのように」使用すれば,その人らしく生きることを支えられるのかという観点から,一人ひとりに寄り添った体験価値を提供できるようになります。

また一方で新しいセンシング技術とは,いつ・どこで・どのように商品やサービスを提供,あるいは享受すればその価値が高まるのか,それを判断するための視点を増やしてくれます。例えば非侵襲性の血糖値の計測技術が開発されて普及すれば,糖尿病の患者さんだけでなく,私たちが日常的にどのような食べ物をどのようなタイミングで食べれば,健康にとってより望ましいかを判断する手掛かりになるはずです。

こうした新たな体験価値を創造していくためにはオープンイノベーションが欠かせません。めざすべき体験価値を実現するにはどのような計測技術が必要となるかを広い視野から柔軟に考える場が必要です。また新しい計測技術を開発した場合にも,自社単独でプロダクトの展開を図るだけではなく,将来的により簡易な装置に置き換えられて,実装・普及することを前提に協創を進めていくという発想が重要になるでしょう。

human-Co-beingとして新たな社会をつくる

宮田 裕章

これから先,データの活用によって価値の多元化が進めば,私たち自身の生き方や社会のあり方も根本的に変わっていくでしょう。何より人と人,人と社会のつながり方や関わり方が大きく変容していくと考えています。

近代以降の社会におけるコミュニティの存立条件の一つには,お互いの権利を保障し合う代わりに一定の義務を負うという「社会契約」の概念があります。そして今まで私たちは,生まれた国や所属する企業が用意したセットメニューとしての社会契約や関わり合いしか選ぶことができませんでした。しかし当然ながら,社会の中には多様な豊かさや多様な価値が存在します。情報技術が発達した結果,個人が価値観を共有する世界中のさまざまなコミュニティとつながることができるようになった今,国や企業が用意する価値観や社会契約のセットメニューに縛られる必然性もなくなっています。

趣味のコミュニティはもちろん,イノベーションを好むコミュニティや,支え合いを重んじるコミュニティ,経済的価値よりも家族や友人と豊かに生きることを重視するコミュニティ,さらには,環境的価値や社会的公正の実現をめざすコミュニティなどがあってもいい。それはリアルでもメタバースといった仮想空間でも構いません。そして,医療や教育という価値の領域においても,国や地域の枠を越えた選択が可能になってきました。

このように自分の価値観に基づき,多様なコミュニティと多層的につながりを持ちながら,自分のリソースを使ってどのような価値に貢献していくのか,選択肢そのものが一人ひとりに開かれています。つまり,自分の人生をどんな人たちとどんな風に過ごしたいのか,自ら選びとっていけるということなのです。

企業やNGO,地域コミュニティなど,あらゆる組織との関わり合いも,シェアードバリューの実現をめざす社会契約だと捉えることができます。働くことも,商品を購入することも,共に価値を実現するための方法なのです。したがって企業や組織がその実行の責任を負うことはもちろん,私たち一人ひとりにも行動の責任が生じます。

食べること一つを例にとってみても,地産地消のエコシステムの中で食べれば地域を豊かにすることもできるし,食べれば食べるほど生産者の立場を不利にしてしまう食べ物もあります。過剰に栄養を摂って病気になれば社会保障費を増大させてしまうし,大量のフードロスは環境への負担をもたらします。さらには,外国や自国の人権問題や社会的弱者差別などの問題も放置すれば,それはそのまま自分や自分の子どもたちが不当な扱いや差別を受ける社会の容認にもつながってしまうのです。

今まではこのようなつながりが目に見えにくかっただけで,私たち一人ひとりの行動すべてが世界に影響を与えています。何を食べ,何を着て,どう生きるのか。これらは自分たちが生きる社会をどう築いていくかに関わっています。今日,私たちは「他人事」のない世界に生きているのです。

人類の歴史を振り返ってみると,農業革命以降は王権に代表されるトップダウン型のシステム,そして産業革命以降は経済合理主義というように,私たち人間は常に既存の一つの社会システムに嵌め込まれるように生きてきました。

しかし,私たちは今,一人ひとりの価値観や生き方を軸に,お互いの「生きる」ことを響き合わせながら,共に生きる存在――「human-Co-being」として,新しい社会のあり方や社会システムそのものを自覚的につくっていく時を迎えているのではないでしょうか。それこそがSociety 5.0が掲げる「人間中心社会」での「生きる」という意味だと私は考えます。

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