第7回 日立東大ラボ・産学協創フォーラムSociety 5.0を支えるエネルギーシステムの実現に向けて社会・地域・産業を包括的にとらえる統合的トランジションの推進
ハイライト
日立東大ラボは,2018年より発刊されている提言『Society 5.0を支えるエネルギーシステムの実現に向けて』の中で,2050年からのバックキャストによるエネルギー需給シミュレーションを起点とし,エネルギートランジションシナリオに関するさまざまな提言を重ねてきた。社会情勢が刻々と変化を続ける中,2025年1月に開催された第7回産学協創フォーラムでは,カーボンニュートラル実現に欠かせない社会システムの推進に向けた日立東大ラボの取り組みが紹介され,同ラボが提言する「統合的トランジション」について,産学官の有識者を招いたディスカッションが行われた。
開会挨拶
藤井 輝夫
東京大学 総長
東原 敏昭
日立製作所 取締役会長 代表執行役
2025年1月,東京大学本郷キャンパスにおいて,第7回日立東大ラボ・産学協創フォーラムが開催された。産学協創を通じてさまざまな意見を共有・融合させた総合的な観点から地球規模の課題解決をめざす日立東大ラボは,2016年の設立以来9年間,行政や産業界のステークホルダーを交えながら,日本のエネルギーのあるべき姿について議論を続けてきた。
フォーラム冒頭の挨拶に立った東京大学の藤井 輝夫総長は,気候変動に伴う自然災害の深刻化と国際情勢の流動化に触れ,人類社会を取り巻く複雑な課題の解決に向けては学問分野の間にある壁を越え,横断的に専門性と専門性をつなぐ総合知の観点が必要であり,また人間社会の活動を支えるエネルギーは社会情勢と切り離せない関係にあるとして,今回のフォーラム開催について次のように述べた。「国際情勢の不安定化,DX(デジタルトランスフォーメーション)やGX(グリーントランスフォーメーション)の進展に伴う電力需要増加の見込みなどを受け,2024年末に公表された第7次エネルギー基本計画(案)では安定的なエネルギー供給の必要性が改めて示されました。地球規模の社会課題は,原因も解決へのアプローチも極めて複合的であり,単一の専門性で対応することはできません。本フォーラムにおける議論が人類社会の直面する課題を解決する糸口となることを祈念しています。」
また,日立製作所 取締役会長 代表執行役の東原 敏昭は,第7次エネルギー基本計画(案)の内容に触れたうえで,カーボンニュートラルをはじめとする複数の課題を総体的に考える思考と,日本のものづくり力の再構築,そして社会課題を自分事として捉える主体性のある人財の育成の3点が重要であると指摘した。「社会課題の解決に向けては,世界中の人と議論しながら解を出す共感力が必要です。エネルギーとはどうあるべきか,人々のウェルビーイングとは何かということに加え,課題を解決できる人財の育成についても,本日のフォーラムを通じて一緒に考えていきたいと思います。」
日立東大ラボの活動と提言書第7版の概要
吉村 忍
東京大学大学院 新領域創成科学研究科 特任教授
楠見 尚弘
日立製作所 研究開発グループ サステナビリティ研究統括本部長
次に,国内外の環境・エネルギー分野の動向を踏まえた日立東大ラボの活動が紹介された。
日立製作所 研究開発グループ サステナビリティ研究統括本部長の楠見 尚弘は,流動的な国際情勢が人々の生活に影響を与える中,複数の国で現政権を覆す選挙結果が生じており,気候・エネルギー・環境をめぐる状況が新たなフェーズに入りつつあると指摘した。一方で気候変動は着実に悪化しており,2024年は産業革命以前の水準を1.5℃上回った最初の年となったことに触れ,情報通信分野の急成長に伴うエネルギー需要の増加も見据えて将来的な電力供給の計画,持続可能な発展を考えていく必要があると述べた。
日立東大ラボは,2050年のカーボンニュートラル実現までのエネルギー需給について複数のシナリオに基づいて検討を進めている。報告では,出力抑制,電力分野における就労人口の減少など,再生可能エネルギーの普及を妨げる課題にさまざまな取り組みを通じて対処していく必要があること,エネルギーの転換に関わる個々の対策を,生物多様性の回復,地方創生の推進,循環型経済の実現,防災,ジェンダー平等といったその他の政策的優先事項と共に議論することで,全体的かつ有機的な持続可能性の実現につなげていく「統合的トランジション」が重要であることが指摘された。
続いて東京大学大学院 新領域創成科学研究科の吉村 忍特任教授は,日立東大ラボの研究概要と2024年度の活動状況について紹介し,2023年度に締結されたImperial College Londonと日立,東京大学のクリーンテックに関する協定にも触れつつ,若い世代の学生や研究者も交えながら科学的なエビデンスに基づいて議論し,共有する取り組みを進めていくと述べた。日立東大ラボでは,2017年度の第1版以来,提言『Society 5.0を支えるエネルギーシステムの実現に向けて』を毎年発行している。日立東大ラボの活動を通じて議論された施策の中には,既に具体的な社会実装に結びついているものも複数あり,今後も引き続き,混沌とする社会・国際情勢を考慮しながら議論を重ねていく。
パネルディスカッション 統合的トランジションに向けた取り組みと成長戦略
続くパネルディスカッションでは,パネリストとして登壇した有識者によるショートプレゼンテーションと,それを踏まえた議論が行われた。ここでは,それぞれのセクションにおけるプレゼンテーションの概要と,議論の内容について紹介する。
セッション1
グリーン変革の新たなフェーズにおける日本
「グリーン変革の新たなフェーズにおける日本」と題したセッション(1)では,東京大学大学院 法学政治学研究科の城山 英明教授,ならびに日立製作所 研究開発グループ 技師長の鈴木 朋子をモデレータとして3名のパネリストが登壇した。欧米における政治的な変動,グローバルサウスの影響力の増大,気候変動の現状など,日本を取り巻く情勢を概説するイントロダクションに続いて,現在生じつつある世界の変化が日本のトランジションにどのような示唆をもたらすのか,また次の5年間の日本において,GXのためにどのようなガバナンスとイノベーションが求められるかが議論された。
各パネリストの発表とそれに基づくディスカッションの概要は以下のとおりである。
[モデレータ]
城山 英明
東京大学大学院 法学政治学研究科 教授
鈴木 朋子
日立製作所 研究開発グループ 技師長
持続可能な開発の危機,ガバナンスとデジタル技術について
チリツィ・マルワラ
国際連合大学 学長,国際連合 事務次長
SDGs(Sustainable Development Goals)達成の目標年である2030年が5年後に迫る中,世界中で予測不能な課題が顕在化しています。これに対し,デジタル技術によるイノベーションを実現し,SDGs達成をめざすべきであるという声が高まっていますが,データ主導の意思決定に求められるツールや技術は効率性向上への貢献が期待される一方,大量のエネルギーを必要とします。SDGsの達成に向けては,ガバナンスとメカニズムをもう一度見直し,今以上にデジタルソリューションを取り入れていかなければなりません。
2024年9月に開催された未来サミットで,国連はデジタル協力とAI(Artificial Intelligence)ガバナンスに関する初めての包括的な世界的枠組みとして,「グローバル・デジタル・コンパクト」を採択しました。ガバナンスの基礎となる透明性,公正性,包摂性,正確性といったさまざまな価値観に基づいて,人の行動を変えていかなければなりません。私たちが直面する複合的な危機を乗り越え,SDGsを達成するためには,世界のさまざまな変化に柔軟に対応できる包摂的なガバナンスが必要です。
新たな政治的状況がもたらすグリーン競争へのインパクト,その日本への示唆
上野 貴弘
電力中央研究所 上席研究員
1989年の米ソ冷戦終結以来,戦争がないことを前提として自由で開かれた国際秩序が構築され,気候変動の国際的枠組みも2015年のパリ協定採択に至るまで進んできました。しかし2014年のロシアのクリミア侵攻以降,2017年の第一次トランプ政権発足による米国のパリ協定離脱など,国際情勢は流動化を続け,気候変動を巡る国際協調は揺らぎつつあります。
一方で,脱炭素に対する反発は国家間の対立だけでなく,気候変動対策を牽引してきた西側諸国の社会からの反発に起因しているように思います。例えば,自動車や暖房など人々の生活に密接に関わるレベルにまで脱炭素政策が下りてきた結果,それに伴うコストが認識されやすくなり,反発につながっているのではないでしょうか。あるいはこうした反発は,反移民,反エリートといった社会に元から存在する分断の反映であるとも考えられます。また,日本では若い世代ほど気候変動への関心が低く,米国ではその逆であるなど,国や世代によっても違いが見られます。統合的トランジションという概念は,社会全体の理解や団結を調節していくうえでも重要であると考えています。
日本政府のGX政策の現状と展望
畠山 陽二郎
経済産業省 資源エネルギー庁 次長
GXとは単に温室効果ガスの排出を削減するだけでなく,同時に経済成長をめざす取り組みであり,日本政府は(1)GX経済移行債の発行・活用(10年間20兆円規模),(2)カーボンプライシング,(3)トランジションファイナンスの推進とGX推進機構の立ち上げという三つの投資支援策を通じて,今後10年間で150兆円超の官民GX投資の実現をめざしています。
2024年末,GXに関わる長期的な投資の予見性を高めることを目的として,2040年頃に想定される経済社会のビジョンを示す『GX2040ビジョン(案)』が公表されました。ここでは,GXの産業構造として,新しい成長産業がGX分野で生まれ,既存の製造業がDX・GXを組み合わせることで競争力を獲得していくことが掲げられています。
こうした中で経済成長のカギを握るのが脱炭素エネルギーですが,脱炭素電源には地域偏在があります。しかしながら,需要地までの送電線やネットワークの整備のために大規模な投資をしている時間的・金銭的余裕はありませんので,脱炭素電源の豊富な地域に企業の投資を呼び込み,そうした企業や脱炭素電源を整備する自治体にインセンティブを出すなど,産業集積を促進する具体的な政策を進めていきたいと考えています。
パネルディスカッション
城山SDGs達成の目標年次まで5年という中で,デジタル技術を通じたイノベーションが重要であるというお話をいただきました。中期的な課題としてはその通りと考えますが,例えばCOVID-19のような感染症など,不確実性の高まる世界で生じる短期的な事象をどのように捉え,解決するべきなのでしょうか。
マルワラまず,目の前の複数の危機が相互に関連しているということに目を向けなければなりません。ある課題を解決しようとすると別の課題に悪影響を与える可能性があるので,複数の課題解決に向けてはバランスを取ることが求められます。ドローンを使った農業,AIを活用した教育・学習の改善など,技術も非常に重要です。しかし,SDGsで掲げられた目標の多くは,残念ながら期限内には達成できないと考えられますので,2030年以降何をするべきかという議論を始めていきたいと考えています。
城山気候変動を巡る分断について,日本と米国の若い世代では気候変動に対する関心の度合いが異なるという調査結果があるとお伺いしました。そこにはどのような示唆があり,また今後の気候変動対策にどのように影響するのでしょうか。
上野世代交代の蓄積を重ねる中で,気候変動だけではなくグローバルな課題に対する意識が変わることはあり得るでしょう。影響が出てからでは手遅れということもあるのですが,地球規模の課題がクライシスにまで発展するとなると,国境をまたいで人々の認識を変えるトリガーになることは考えられると思います。
城山GX政策については,コアとしてのエネルギー政策に加え,産業や経済安全保障などの多面的な政策を統合的に実施することが求められるのではないかと感じました。今後のGX政策について,もう少し詳しく伺えますでしょうか。
畠山国民の生活や経済活動を含め,社会全体を変えていくことでカーボンニュートラルを達成し,同時に経済の繫栄もめざすGXですが,既存の技術だけでは実現できないといわれているのが現状です。温室効果ガスの排出量削減に求められる技術がいつ,どれだけのコストで実装できるのかも見通せない状況にあっては,一方では大胆に歩みつつも,うまくいかないときの備えも含めて政策を立案していく必要があると思います。
城山GX実現のためには,正にさまざまな分野の課題をつなげて考える必要があると感じます。ただ実際にどうつなげ,どう進めていくのかが難しいところですね。
マルワラ最初のステップとしては,学際的な教育が極めて重要になると思います。技術,社会,そして政策を総合的に学び,理解したうえで政策立案に関与できる人財づくりが必要ではないでしょうか。
畠山実際に,気候変動とその他の課題の相関性は強まっていると思います。一方で,それぞれの価値に基づいて設定された複数の課題にどう優先順位をつけるかは非常に難しい問題です。複数の課題が相互にどのような影響を及ぼすのかといった科学的な判断材料も必要ですが,異なる立場の価値観がぶつかり合う中で意思決定を行うためには,プロセスも重要であると考えています。教育の問題にも結びつくのですが,政策を決める人,そこに関与する人が共通の認識を持って準備にあたらなければなりません。
城山最後に,例えばAZEC(Asia Zero Emission Community)のような地域単位での取り組みをどう考えるのか,一言ずつお伺いできますか。
マルワラ気候変動に対処すべきであるというのは,国や地域を超える共通の価値観です。これをどのように国際的なフレームワークに落とし込んでいくかが課題だと思っています。私たち一人一人が,未来サミットの目的をどう達成していくか考えていかなければなりません。
上野国全体で取り組むよりも地域ごとにブレイクダウンした方が個人にとってはより身近な課題となり,関心を集めやすいのではないでしょうか。ただ,大都市圏では地域で分けても一つのブロックが大きすぎるため,都市のサステナビリティという問題にはまた別の難しい側面があるのではと考えています。
畠山アジアは世界の中でも製造業比率が高い地域です。その役割をどう果たし,世界のウェルビーイングにどう寄与していくかが重要になるわけですが,同様に日本の中でも地域にはそれぞれの特色があります。地域ごとの強みを生かして相互補完することで全体に貢献することを念頭に,それぞれの地域と国,ひいては世界全体を有機的に結び付けていくことが大事であると思います。
セッション2
エネルギートランジション-デジタル活用で創る発展的カーボンニュートラル社会-
セッション(2)「エネルギートランジション-デジタル活用で創る発展的カーボンニュートラル社会-」では,東京大学大学院 工学系研究科の小宮山 涼一教授がモデレータを務め,2024年末に発表された第7次エネルギー基本計画(案)を踏まえた脱炭素電源の導入推進,電力システムについて,5名の有識者による議論が交わされた。
各パネリストの発表とそれに基づくディスカッションの概要は以下のとおりである。
[モデレータ]
小宮山 涼一
東京大学大学院 工学系研究科 教授
2040年の電力システム構築に向けて
筑紫 正宏
資源エネルギー庁 電力・ガス事業部 電力基盤整備課長
経済成長とカーボンニュートラルの両立をめざす中で,日本のエネルギー基本計画は改訂を続けてきました。2024年末に発表された第7次エネルギー基本計画(案)の電力システムに関係するポイントは以下の三つです。
- 安定供給を大前提とした電源の脱炭素化の推進
過去10年間,再生可能エネルギーの活用が議論されてきました。今後さらに電力需要が伸びていくことを考慮すると,さらなる電源投資の拡大が必要であり,そのための環境整備が重要になると考えられます。 - 電源の効率的な活用に向けた系統整備・立地誘導と柔軟な需給運用
再生可能エネルギーのポテンシャルには地域差があります。全国に偏在する再生可能エネルギーを東京や大阪などの大需要地でどう使うか,データセンターなどの新たな需要をいかに再生可能エネルギー適地に集めるか,供給のネットワークについて工夫が必要と考えています。 - 安定的な価格で需要家への供給を可能にする小売事業の環境整備
電力システムの運用コストは,需要家が支払う電気料金によって支えられています。その変動は国民の生活・経済活動に多大な影響を及ぼすため,負担に配慮しつつも効率的な取引の仕方を模索していかなければなりません。
再エネの課題に取り組む南米チリの事例紹介
伊藤 公一朗
シカゴ大学 ハリス公共政策⼤学院 教授
再生可能エネルギーには主として三つの課題があります。高価であるという点については,最終的に天然ガスなどの資源と変わらなくなると試算されていますが,残る二点,生産地域と需要地の断絶,発電の非連続性が大きな課題となっています。これらの課題に関連して,南米チリの事例を紹介したいと思います。
チリと日本には,「細長い国土」と「化石燃料資源がまったくない」という共通点があります。化石燃料を他国からの輸入に依存するのはリスクが高く,従来活用されてきた水力発電にも,干ばつが起こると発電できないという欠点があります。そこで,チリはこれらのリスクを軽減する目的で,2014年頃から再生可能エネルギー開発に着手しました。
2017年,チリ政府は大規模な太陽光発電設備を備えたアタカマ砂漠と南北の需要地をつなぐ長距離・高電圧・大容量の送電線を建設しました。その結果,アタカマ砂漠で発電された電力の卸売り価格は上昇し,投資へのインセンティブにつながって,安価な電力が全国に行き渡る結果となりました。また,連続的な発電ができないという点についても,BESS(Battery Energy Storage System:大型蓄電池)の導入が進んでいます。すべての施策がそのまま日本で適用できるわけではありませんが,学ぶべきところは多いと考えています。
S+3Eに貢献するエネルギー需給
岩船 由美子
東京大学 生産技術研究所 教授
太陽光発電のLCOE(Levelized Cost of Electricity:均等化発電単価)は安価になりつつありますが,統合コストを含めると,変動再生可能エネルギーの容量が増えるにつれて高くなっていくことが分かります。これには充放電ロスの増加などさまざまな理由があるのですが,一番の原因は出力抑制の増加です。これに対して,需要家が保有するヒートポンプ給湯器やEV(Electric Vehicle)を用いたDR(Demand Response)によって出力抑制を低減すると,最大で45%コストを下げられるという試算があります。
日立東大ラボではかねてより,電力市場と需要家側の機器のデータ連携によって再生可能エネルギーを有効活用する,S+3E(Security+ Energy Security, Economic Efficiency, Environment)に貢献するエネルギー需給の仕組みを研究してきました。難しいのは,そうした小さなリソースをどうアグリゲートしていくかです。例えばヒートポンプ給湯器は現在約900万台が稼働していますが,設置されているのはほとんどが戸建て住宅で,外部との通信が可能なHEMS(Home Energy Management System)を導入しているのはごくわずかに過ぎません。
そこで,メーカーのアプリを活用して機器を遠隔操作する仕組みを構築できないか,東京大学の中にテストベンチを造って検証を行っています。機器のデータの可用性を改善することが,こうした小さなリソースを活用していくためのポイントになると考えています。そうした機器の製造や導入に対して何らかの助成を行い,グリーン投資を誘導することが必要なのではないでしょうか。
産業GXに向けたエネルギーシステムの構築
山田 竜也
日立製作所 営業統括本部 営業企画・国際本部 担当本部長
電力需要の増加に伴い,産業界でも脱炭素電源のニーズが高まっています。供給の安定性,価格の安定性という二つの観点から,各国で再生可能エネルギーをめぐる取り組みが加速する中,オーストラリアは2038年までに石炭の使用を取りやめ,再生可能エネルギーに移行するという計画の下,国内に43か所の「再エネゾーン」を設定しました。これは,再生可能エネルギーの発電・送電設備と,需要,地域との受容性をセットで考えていく施策で,再生可能エネルギー発電のポテンシャルが高い地域と電力消費地の隣接性や,これまで石炭産業で働いていた人々の今後を含めた産業・地域政策を一体的に検討するものです。
またオーストラリア政府は,公共投資を通じた民間投資の促進にも取り組んでいます。例えば脱炭素電源がいつ,どのような規模で導入されるのかを明示することで,設備投資の予見性の向上を図っているほか,再生可能エネルギーに関する投資支援制度も検討しています。
2024年末に発表された『GX2040ビジョン(案)』によれば,今後,日本も同様の方向性で進むことが予想されます。日本ではスマートメーターの導入が進んでいますので,データとデジタル技術を活用し,計画・予測に役立てながら,発電・送電・需要が一体となったGXビジョンの実現をめざしていくことが重要ではないでしょうか。
エネルギートランジション・電力システム
大橋 弘
東京大学 副学長
2020年にかけての第一次システム改革のポイントは,既存の事業者のアセットに対してアクセスをオープンにすることで自由化を図ってきた点にありました。しかし大幅な電力需要増や本格的な脱炭素化については,十分に想定されていたわけではありません。自由化の中で広域的な融通を含めたさまざまな連携が模索されてきましたが,結果的に供給責任の所在が分散化されたという懸念もあります。
これを受けて,第二次システム改革にあたっては次のような課題が考えられます。
- 電力事業においても短期的な視点が強まり,巨額の投資を長期にわたって回収しながら設備形成をするというビジネスモデルが維持できなくなった。
- GXにおいては,カーボンニュートラルを含む3Eを同時に達成することが求められる。
- 競争政策と政策支援(産業政策)のバランスの再構築が求められる。
自由化のメリットを生かすという観点から,第二次システム改革は事業者の創意工夫を最大限発揮できるフェーズにするべきであると考えます。また,電源投資を加速するという点では,短期市場に偏った市場を是正するとともに,送電線使用のルールなど,投資の採算性・予見性が損なわれる仕組みをどう考えていくかも重要だと思います。長期の設備形成の促進をはじめとして,それぞれの市場がコンセプトを明確化し,各ステークホルダーが安定供給を前提にコミットしていく姿勢を醸成していかなければなりません。
小宮山今後,脱炭素電源への投資を誘導する事業環境の整備が課題になると考えられますが,新たな制度設計や既存制度の拡充に際しては,どういった課題があるのでしょうか。
筑紫主として二つの課題があると考えています。一つは,長いリードタイムの中で環境変化を予測し,反映させることが難しいという課題。設備の導入から発電所の運営まで,長期にわたって必要となる投資とコストをどう管理していくのかを考えなければなりません。もう一つは,従来の電力事業がPPA(Power Purchase Agreement:電力購買契約)によって支えられてきた面があるということです。多様な需要家,それを支える小売事業者がPPAを結びやすい環境を整備していく必要があります。
大橋長期にわたる設備の維持・形成においては,設備自体の社会的意義が変わってしまうようなことが起きた際にどう対応するのかも重要です。原子力や石炭はその典型だと思うのですが,災害や温暖化の議論の風向きを契機として突然,民間の責任を問われる可能性があることも見越したうえで事業を推進していけるかというと,難しい面もあると思います。国と民間との共同事業という枠の中で,一定のスタンスを長期的に保持してもらわないとそもそも投資が進まない。そういったことを前提に,採算性の議論をする必要があるのではないでしょうか。
伊藤プレゼンテーションの中では触れなかったのですが,チリが成功を収めた背景には,政府主導のPPAの存在もあります。政府が一定の再生可能エネルギーを買い取ることで,ロングタームのコミットメントになっているわけです。また,チリで普及している再生可能エネルギー発電はほぼすべてが,バイヤーとサプライヤ間の長期契約に基づいて行われており,これがもう一つの成功事例になっていると考えています。したがって,日本もよりPPAを活用していくべきであるという点については同意です。
小宮山日本では普及していない新たなアプローチに向けて,今後,どのような制度改革や支援が必要だとお考えでしょうか。また,デジタル技術の活用に期待する点があればご教示ください。
岩船動機がなければ物事は進まないので,例えばDRに応用可能な機器のメーカーにインセンティブを与える,スポット市場に連動した小売り料金といった,仕組みづくりが重要になると考えています。また,燃料の値差だけでは需要をシフトするほどの価値につながらないため,例えば再生可能エネルギーの発電量が大きい場合には託送料金も安価にするなどして,メリットを創出することが大事ではないでしょうか。
山田発電側・送電側のデータ公開は進んでいる一方,需要側のデータ公開はまだまだこれからですので,今後一体的なデータの利活用を計画的に進めていく必要があると思います。また,地域ごとに再生可能エネルギー発電の適正は異なりますので,地域間をつなぐ大容量・長距離の連系線も整備し,各地域の特色を生かす活動が必要になるのではないでしょうか。
閉会挨拶
西澤 格
日立製作所 CTO 兼 研究開発グループ長
出口 敦
東京大学 執行役・副学長,日立東大ラボ長
3時間以上にわたる報告と議論を終え,日立製作所 執行役常務 CTO 兼 研究開発グループ長の西澤 格は,閉会の挨拶の中で次のように述べた。「日立東大ラボは,2016年の設立から9年目を迎えます。当初は電力システム中心の議論からスタートしましたが,そこから将来の電力システムやカーボンニュートラル実現に向けたトランジションのあるべき姿,統合的トランジションにスコープが広がり,各分野の有識者の方との議論を経て,日本のエネルギー基本計画,GX戦略の具体的なアクションを考える機会になっていると感じています。引き続き,着実かつ具体的に電力システム改革を推進するための提言を重ねてまいりたいと思います。」
また,日立東大ラボのラボ長を務める東京大学の出口 敦執行役・副学長は,さまざまな課題の解決に向けて社会・地域・産業を包括的に捉える,統合的トランジションの複合的な意味に触れながら,今後の展望について次のように述べた。
「2050年のカーボンニュートラル実現に向けた動きが加速していく一方,エネルギーを取り巻く環境は激しく変化しつつあります。めざすべきエネルギーシステムの実現に向けて,社会情勢の変化に伴って生じる新たな論点を取り込みながら議論を進めていかなければなりません。日立東大ラボの議論をさまざまなステークホルダーの方々に共有いただくとともに,持続可能なエネルギーシステムの実現に向けたプラットフォームをつくっていくことで,今後も相互連携や対話の場の創出に努めてまいります。」
日立東大ラボの提言書『Society 5.0を支えるエネルギーシステムの実現に向けて』第7版は,本フォーラムでの議論を踏まえて2025年4月に発行される予定である。