デジタルオブザーバトリ研究推進機構 第2回フォーラムデジタルオブザーバトリ技術の生成AI活用による進展とサプライチェーンレジリエンスへの展望
ハイライト
紛争や貿易摩擦などで世界の不確実性が増す中,社会・経済活動におけるリスクも多様化・複雑化している。こうしたリスクの予兆把握による国や企業活動のレジリエンス強化をめざし,東京大学は2023年4月にデジタルオブザーバトリ研究推進機構を設立した。日立製作所は,本機構との共同研究を通じ,世界中の多様な社会・経済活動データの観測・分析に基づく社会リスクの把握,予兆発見に向け,実世界データ観測・分析と生成AIを連携したデジタルオブザーバトリ技術の研究開発を進めている。
本稿では, 2023年の発足記念フォーラムに続き,2025年3月17日に開催された第2回フォーラムでの発表や,有識者によるパネルディスカッションなどの概要について紹介する。
開会挨拶
喜連川 優
東京大学 デジタルオブザーバトリ研究推進機構 機構長
阿部 淳
日立製作所 執行役副社長
フォーラムの開会にあたり,東京大学 デジタルオブザーバトリ研究推進機構の機構長を務める喜連川 優特別教授は,同機構が各省庁や国内の研究機関と連携して取り組んでいるグローバルサプライチェーンの分析について触れ,観測するデータの変更や生成AI(Artificial Intelligence)の活用などの試行錯誤によってリスクの把握・予兆発見などの精度向上を図っていると説明するとともに,その研究の特徴と意義について次のように述べた。
「サプライチェーンの状況を把握しリスクを分析することは,製造業立国である日本にとって極めて重要です。ただ研究内容が分野横断的であり,分析には大量のデータを取得する必要があるなど,研究者や大学が単独で行える研究ではありません。そのため,日立製作所をはじめとする皆さんの協力を得ながら,本学のさまざまな研究科の先生方が参加して進めています。次第にスケールの大きい研究に発展していることに,機構長である私としても手応えを感じています。また,ダイバーシティ&インクルージョンという本学の理念の下,ハンディキャップをお持ちの方々のデータを分析し,障害インクルーシブな組織の条件を解明することにも取り組んでいます。このあと各チームの研究成果が発表されますので,ぜひご覧いただければと思います。」
続いて挨拶に立った,フォーラムを共催する日立製作所 執行役副社長の阿部 淳は,東京大学と日立が生成AIとデジタルオブザーバトリ技術の研究に取り組む背景について次のように述べた。
「日立は日本で最初に国産データベースを商用化したことをはじめ,長年にわたりデータベースとストレージ事業,またそれらに関する東京大学との共同研究に取り組んできました。生成AIについては,NVIDIA社との協創により,企業の生成AI活用を支援するAIインフラソリューション『Hitachi iQ』を展開するとともに,フロントラインワーカーをサポートする生成AI活用も進めています。本機構の研究活動は,日立と東京大学との産学連携に官も加わっていただくことで,生成AI研究を発展させるデータ活用のエコシステム形成,それによる日本の産業力強化につながるものであると期待しています。」
研究発表
東京大学 デジタルオブザーバトリ研究推進機構は,データを収集・蓄積するプラットフォーム(基盤)に関する研究グループと,データ利活用に関する研究グループで構成される。データ利活用に関する研究グループには,GSC(Global Supply Chain)経済,メディア分析,ダイバーシティ,グローバル社会リスク分析,金融・セキュリティ分析,法学政治学,社会活動データ分析,食料安全保障の八つのチームがあり,それぞれが研究を進めている。開会挨拶に続いて行われた研究発表では,各チームから代表者が登壇し,これまでの研究成果を共有した。
(1)デジタルオブザーバトリ研究によるサプライチェーン強靭化に向けた取り組み
西澤 格
日立製作所 執行役常務CTO 兼 研究開発グループ長
日立製作所 執行役常務CTO 兼 研究開発グループ長の西澤 格は,東京大学 デジタルオブザーバトリ研究推進機構の枠組みにおける東京大学と日立の共同研究について,サプライチェーンの強靭化を目的に,企業内外の多様なデータを統合・解析し,リスクの可視化と予兆を可能にする技術の開発を行っていると説明した。サプライチェーンのリスクとして特に問題となるのは二次以降のサプライヤの把握であると指摘し,生成AIを活用して部品名称やオープンデータから二次以降のサプライヤの製造拠点を推定する技術を開発し,供給網の脆弱性の特定を可能にしたと述べた。
また,日立は東京大学駒場オープンラボラトリーに最大級の日本語LLM(Large Language Models)が稼働可能なLLM実験環境を提供したことを紹介し,生成AIの利活用も含めた東京大学との協創をサプライチェーンのレジリエンス強化,さらには新たなビジネス創出につなげていきたいと結んだ。
(2)デジタルオブザーバトリ研究推進機構の概要と社会活動観測基盤
豊田 正史
東京大学 生産技術研究所 教授,東京大学 デジタルオブザーバトリ研究推進機構 副機構長
東京大学 生産技術研究所の豊田 正史教授は,東京大学 デジタルオブザーバトリ研究推進機構の全体像と基盤チームの取り組みを紹介した。まず同機構の目的は,多様化,激甚化するリスクに対応するためのデータ収集・分析・価値転換であるとし,東京大学の文理8部局および日立の研究開発グループが参加する体制で研究を行い,研究結果については経済産業省,農林水産省をはじめとする関係省庁や公的機関などと連携して情報提供の方法などを検討していると述べた。
研究の3本柱はリスク情報の調査・収集・組織化,リスク検知・把握・早期警報,リスクアセスメントであり,豊田教授が率いる基盤チームでは多様な社会活動を観測可能にする基盤の構築に取り組んでいる。その主なシステムとして,国際産業通関表のデータを用いたサプライチェーンの可視化分析システムと,LLMを用いて貿易統計データから異常な動きを検知し説明するシステムを紹介したほか,農作物の供給安定化に向けた分析も進めていると説明した。
(3)テキスト情報源からの武力紛争リスクの予測と説明生成
宮尾 祐介
東京大学 大学院 情報理工学系研究科 教授
メディア分析チームを率いる東京大学 大学院 情報理工学系研究科の宮尾 祐介教授は,同大学院 総合文化研究科の阪本 拓人教授が率いるグローバル社会リスク分析チームとの共同研究に関する発表を行った。まず研究の背景として,グローバルなサプライチェーンが武力紛争をはじめとする多様なリスクにさらされ,リスクの早期検知と影響分析の重要性が高まっていることを指摘した。阪本教授のグループは,社会科学の視点から武力衝突などのリスクイベントの定義とデータ収集を担当し,自然言語処理を専門とする宮尾教授のグループでは,ニュースなどのテキストからリスクイベントを自動検出・予測し,その影響に関する説明を自動生成する技術を研究している。説明の生成技術の向上に向けては,生成AIの活用も試みているという。阪本教授のグループでは,武力紛争の予兆を捉えて事前予測を行う研究も進めており,これらを統合して,リスクの検出・予測・説明を自動化する包括的なシステムの実現をめざしている。
(4)貿易規制に起因するサプライチェーンリスクの予兆把握
伊藤 一類
東京大学 大学院 法学政治学研究科 教授
塩尻 康太郎
東京大学 大学院 法学政治学研究科 客員准教授
法学政治学チームの東京大学 大学院 法学政治学研究科の伊藤 一類教授は,政府の貿易規制が企業のサプライチェーンに与えるリスクを,政府発表やメディアのテキスト情報の分析により事前に察知する手法について発表した。第一次トランプ政権下で,通商拡大法232条に基づき貿易制限に関する調査が行われた事例を対象に分析を行った結果,規制発動の前後にニュースサイトにおける関連キーワードの出現頻度が上昇しており,予兆検知の可能性が示されたと述べた。今後はキーワードの内容や出現頻度,フェーズ別のリスクレベルなどをリスクスコア化し,総合的なモニタリングを行うことで企業が貿易リスクに備えられる仕組みの構築をめざしている。
続いて登壇した塩尻 康太郎客員准教授は,生成AIを活用した予兆把握の初期的な研究事例を紹介した。生成AI(Gemini)と自然言語処理手法(Bag of Words)を用いて脅威が認定されているかどうかを予測する実験を行い,少数データながら一定の予測精度が確認されたことで,今後の発展可能性が示唆された。さらに,報告書のキーワード分析から,脅威認定の有無を特徴づける語を抽出するなど,生成AIを活用した予兆把握の精度向上に取り組んでいる。
(5)船舶・貿易データ分析のためのUI
山口 利恵
東京大学 大学院 情報理工学系研究科 准教授
金融・セキュリティ分析チームのリーダーを務める東京大学 大学院 情報理工学系研究科の山口 利恵准教授は,同チームが取り組む海運・物流を理解するためのUI(User Interface)の作成について発表した。国際物流の大部分は船舶であり,特に日本では海上輸送が重要であることから,山口准教授らはリアルタイムで取得可能なAIS(Automatic Identification System:船舶自動識別装置)データを用いた船舶動態を分析している。AISはGPS(Global Positioning System)データや税関データ,気象データなど多様な情報を組み合わせたものであり,近年では船舶の積載物まで推定可能で貿易動向の把握にも有効である。そのAISデータと海洋系のニュースを関連づけて分析することにより,航行パターンや異常事態を把握できることが示された。また今後の取り組みとして,ニュースやAISデータを自動で収集し,その影響を可視化するアルゴリズムの構築を検討している。
(6)食料安全保障に向けたグローバルサプライチェーン分析・農業生産リスクの空間解析・遺伝解析
岩田 洋佳
東京大学 大学院 農学生命科学研究科 教授
食料安全保障チームからは東京大学 大学院 農学生命科学研究科の岩田 洋佳教授が登壇し,40%未満にとどまる日本の食料自給率の低さ,気候変動や社会環境の変化などの課題を背景に,グローバルサプライチェーンの分析,農業生産リスクの空間解析,遺伝解析を三つの柱として研究を行っていると述べた。グローバルサプライチェーンの分析では,アジア国際間産業連関表を用いて日本の食料供給における海外依存の実態を可視化し,中国やアメリカからの輸入依存の実態を明らかにした。農業生産リスクの空間解析では,農業共済組合がまとめている自然災害の被害データをGIS(Geographic Information System:地理情報システム)と組み合わせ,災害リスクとその実態を可視化するシステムを構築している。また遺伝解析ではデータ駆動型育種に着目し,自然災害の被害データと品種特性・遺伝情報を結び付けることで気候変動などのリスクに強い品種の開発をめざしている。
(7)サプライチェーンレジリエンス一般均衡分析
古澤 泰治
東京大学 大学院 経済学研究科 教授
GSC経済チームを率いる東京大学 大学院 経済学研究科の古澤 泰治教授は,GSCのレジリエンスと地球環境への影響をテーマとした研究の途中経過を紹介した。研究手法は,一般均衡理論と貿易論を用いたモデルをつくり,I-Oテーブル(世界の産業連関表)などのデータを用いてトレードコストと貿易量の関係を推定し,政策の反実仮想分析を行うというものである。現在進行中の研究では,サプライチェーンの脆弱性やトランプ政権による関税政策のような政策ショックが各国の生産・所得・CO₂排出量に与える影響を分析している。今後は,気候変動による災害増加などの生産への逆影響も考慮した双方向モデルの構築をめざしており,チーム内の他のテーマとして,災害時の都市の人流変化と都市設計のレジリエンスに関する研究も予定している。
(8)気候変動とその適応策が社会経済活動に与える⻑期的な波及効果を推計するための基礎的開発
川崎 昭如
東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
社会活動データ分析チームを率いる東京大学 未来ビジョン研究センターの川崎 昭如教授は,気候変動とその適応策が世界,特にグローバルサウスの社会経済活動に及ぼす長期的な波及効果を明らかにするための基礎的枠組みの研究について紹介した。地域レベルの詳細な影響評価を行うためにボトムアップ型アプローチでデータを取得し,地域単位での気候適応策や防災投資による間接的・長期的な経済効果の可視化に取り組んでいる。具体的には,洪水災害の適応策が住民のリスク認知や行動を変容させ,地域の社会経済活動に好循環をもたらすメカニズムをモデル化し,IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の将来予測を活用してその効果を定量的に評価する枠組みを構築していると説明した。このモデルには,国内外の関係機関から関心が寄せられており,応用に向けてブラッシュアップを図る計画である。
(9)障害インクルーシブな組織の条件―企業・大学・行政機関を対象に―
熊谷 晋一郎
東京大学 先端科学技術研究センター 教授
ダイバーシティチームのリーダーを務める東京大学 先端科学技術研究センターの熊谷 晋一郎教授は,企業,大学,行政機関を対象としたこれまでの調査から,多様性を生産性やウェルビーイングの向上につなげている組織は心理的安全性が高い傾向にあること,その背景にリーダーの謙虚さ(リーダーの自己理解の正確さ)があることを明らかにしたと述べた。それらの知見を東京大学における多様性包摂の取り組みに生かし,学内の心理的安全性に関する調査や障害のある構成員の面談記録データの分析などを通じ,デジタル技術を活用した支援ツールやインクルーシブモニタリングシステムの構築に取り組んでいる。また,法務省と連携し,職員の働きやすさ向上や刑務所における不適切処遇の防止,出所後の社会包摂と再犯防止に向けて,受刑者や刑務官の調査を実施しており,今後データ分析を通じた改善策を提案している。ダイバーシティチームは,これからも産学官におけるエビデンスに基づいたDEI(Diversity,Equity,Inclusion)推進に貢献していく。
パネルディスカッション
サプライチェーンレジリエンスに向けた「データ×生成AI」への期待と展望
パネルディスカッションでは,「サプライチェーンレジリエンスに向けた『データ×生成AI』への期待と展望」をテーマに,サプライチェーンの実務・政策に関わる産官学の有識者が議論を交わした。
[パネリスト]
椛島 伸也
経済産業省 貿易経済安全保障局・経済安全保障政策課 企画官(経済安全保障戦略情報分析担当)
藤原 輝嘉
一般社団法人自動車・蓄電池トレーサビリティ推進センター 代表理事
村山 昌史
日立製作所 バリュー・インテグレーション統括本部 Executive Advisor
西澤 格
日立製作所 執行役常務CTO 兼 研究開発グループ長
喜連川 優
東京大学 デジタルオブザーバトリ研究推進機構 機構長
[モデレータ]
豊田 正史
東京大学 デジタルオブザーバトリ研究推進機構 副機構長
経済安全保障,トレーサビリティに欠かせないサプライチェーン分析
豊田まずパネリストの皆さんから自己紹介や課題についてお話しいただけますか。
村山私は主にハードウェアの調達に長年携わってきました。調達部門の課題は,レジリエントかつサステナブルなサプライチェーンおよびマテリアルフローを確保することです。そのため変化に対する迅速な対応力,途切れることのないチェーンやフロー,各国法規や地政学的変化などの外圧に対する耐性・順応性という三つの要素の獲得が重要であると考えています。特に,先ほど西澤から報告いたしました二次以降のサプライチェーンリスクの把握に向け,パートナーとも連携して取り組んでいます。
椛島私の所属する経済産業省貿易経済安全保障局は,経済安全保障に関わる業務を担う部局として2024年7月に発足しました。この分野において政府は,2022年に経済安全保障推進法を成立させ,半導体や蓄電池などの特定重要物資に関わるサプライチェーンの強靭化や,経済安全保障の観点から重要な技術の育成プログラムなどを進めています。また,経済産業省では,「経済安全保障に関する産業・技術基盤強化アクションプラン」を策定し,産業支援策(Promotion),産業防衛策(Protection),国際的枠組みの構築および官民連携(Partnership)に取り組んでいます。経済安全保障の強化のためには,わが国の不可欠性・自律性を強化することが重要であり,その前提としてわが国の産業・技術基盤にとっての「脅威・リスク」を特定・分析することが必要になります。サプライチェーンの脆弱性や地政学的リスクがサプライチェーンに及ぼす影響の調査など,「脅威・リスク」分析には,データの収集・活用が不可欠であり、本機構の取り組みには大きな期待を寄せています。
藤原私が代表理事を務める一般社団法人自動車・蓄電池トレーサビリティ推進センターは,安全で中立的なトレーサビリティサービス,メーカーや業界団体との連携活動,海外とのデータ連携プラットフォーム構築などを担っています。自動車のサプライチェーンはグローバルかつ産業をまたぐものであり,企業や業界単独では情報追跡と開示が困難なことから,経済産業省が立ち上げた産業横断データ連携イニシアチブである「ウラノス・エコシステム」の先行ユースケースとして2024年にサービスを開始しました。現在はウラノス・エコシステムの分散プラットフォームと業界固有のトレーサビリティ管理システムを運用し,データを秘匿しつつ連携させ,サプライチェーン全体で蓄電池のカーボンフットプリント値を集計するサービスを提供しています。今後はトレース範囲をサプライチェーンからバリューチェーンへ,製品を蓄電池からその他の構成部品,さらに自動車全体へと拡大し,自動車のライフサイクルアセスメント,有事の在庫・生産管理,蓄電池に関するライフサイクル全体での価値創出などにも貢献していく計画で,そのための体制や技術開発などが課題です。
西澤日立製作所の研究開発部門では,事業をグローバルに拡大している中でのサプライチェーン強靱化を課題の一つとして位置づけています。その実現には,リスクポイントの明確化,危機時の能力低下を最小限にとどめること,通常モードへの早期回復という三つの要素が重要であり,産学官連携でエコシステムを構築し,研究開発を推進していきたいと考えています。
リスク可視化における課題と生成AIの活用
豊田われわれの研究推進機構でサプライチェーンに関する研究を始めて2年になり,この分野の難しさも感じているところですが,皆さんはいかがでしょうか。
村山調達の実務の観点から言いますと,サプライチェーンの範囲の広さと深さへの対応が難しい点です。範囲については,実際のモノだけでなく,それをつくる人や情報セキュリティなど,関与する範囲が年々拡大していますし,深さについても部品の材料だけでなく,使われている触媒や添加物などが調達のアキレス腱となることがあります。それらのグローバルな対策に向けてデジタル技術の活用を進めているところです。
椛島経済産業省では,経済安全保障の観点から,貿易統計データ等を用いてサプライチェーン上の脆弱性等を分析するなど,サプライチェーンとそのリスクの可視化に取り組んでいます。課題としては,まずデータの解像度を必要に応じたレベルまで高めること,カバー範囲の設定,リアルタイム性などが挙げられます。また,サプライチェーンの脆弱性を分析するには,貿易の状況だけでなく,地政学的なリスク,物流ルート,企業間関係なども含めた多種多様なデータを結び付けていく必要があります。さらに,過去のデータの評価を今後の予測に結び付けていくことも必要であると考えています。
藤原データ共有のあり方は,データ活用に共通する課題だと思います。例えばカーボンフットプリントの計算にあたっては,製造の各工程,材料,調達ルートなども明らかにしなければならないため,トレードシークレットの担保が不可欠です。そうしたこともあり,中立かつ技術的にも安全を担保できるプラットフォームを立ち上げたのですが,今後トレーサビリティやアセスメントの範囲を蓄電池から自動車全体にまで広げていくと,部品の数も桁違いに増え,情報のセンシティビティも高まることから,課題も増えると予想しています。
喜連川「データ×生成AI」という観点で言うと,本日の発表はすべて興味深く伺いましたが,やはりAIのリーズニングのプロセスが思ったよりも複雑だと感じました。現実のさまざまな事象をどう関連づけていくか。このデジタルオブザーバトリ研究推進機構が進めている学際連携で得られた知見に基づいて,社会課題に対する生成AIの推論の確からしさを検証するリーズニングプロセスとモデル生成の強化が,今後の学問的な課題になるのではないかと思います。
椛島特にサプライチェーン分析の分野では生成AIをより活用していく余地があるのではないかと感じています。本日の研究発表でも言及いただいたように,サプライチェーン自体の可視化だけでなく,地政学的リスクとの関連性の分析などにも生成AIが活用できるのではないでしょうか。
藤原生成AIには私も期待していますが,その活用の前段階としての課題があると思います。一つ目の課題はデータの秘匿性と活用性の問題です。現在はデータ提供者の安心のために規約レベルで利用目的をカーボンフットプリントに限定していますが,大量にデータが集まると,例えば開発などにも有効活用できる可能性が高まります。その合意形成をどうするか。二つ目はコストの問題で,データを集計できる形にすること自体にコストが掛かるため,特に中小企業の方々は,経済合理性を成立させない限り基本的にデータの提供が難しいことが挙げられます。三つ目は人材の問題です。生成AI以前に,例えばCO₂排出量を正しく計算するモデルを開発するにも,グローバルな調達や製造工程を理解し,ITにも精通した人材が必要なのですが,そのような人材が少ないことが現実的な課題です。
制度設計と技術の両面でデータ共有推進を
豊田データの共有と活用については,デジタルオブザーバトリ研究推進機構の研究活動においても課題と言えますが,データをめぐるエコシステムの形成についてはどのようにお考えでしょうか。
村山藤原さんがおっしゃる課題は私どもも感じていますが,他社で実務を担当されている方々と情報交換をすると,情報共有に前向きな声も少なからずあります。ですから,まずは価値観を共有できる企業間,業界間で合意形成をしてデータを共有,活用するところから始め,少しずつ拡大していくことが可能なのではないでしょうか。やはり企業が単独で集められるデータには限りがあり,共有や連携に大きなメリットがあるという認識は,広まりつつあるように思います。
椛島諸外国ではサプライチェーン分析などに関するデータ共有が,学も含めた官民のパートナーシップの下で進められています。日本でも,政府やJOGMEC(Japan Organization for Metals and Energy Security)などの独立行政法人,企業,研究機関の間でさらにデータ連携を進めていく余地は大きいと考えています。
西澤日本は2019年に,プライバシーやセキュリティ,知的財産権などの信頼を確保しながらデータの国際的な流通を促進するDFFT(Data Free Flow with Trust)というコンセプトを提唱しました。日本の産業界が競争力を高めるためにもデータの共有と活用は不可欠ですから,強力なリーダーシップで統一的なプラットフォームをつくっていくことが重要であると思います。
喜連川私はデータに関する研究を長年行い,大規模データも数多く扱ってきましたが,データに対する意識はドメインによってだいぶ異なるため,それぞれに合わせた扱い方を考えることが大切です。また,人間のデータに対してGDPR(General Data Protection Regulation)のような作法があるように,モノの情報に対してもプライバシーに関する規定などを整理することが共有の促進につながるのではないでしょうか。最初からデータ共有を視野に入れたシステム設計を行うといったことも組み合わせ,制度設計と技術の両面から取り組むことがデータ共有・活用の推進には必要であろうと思います。
豊田最後にパネリストの皆さまから一言ずつお願いします。
村山生成AIをしっかり機能させるため,また産業界,ひいては日本全体のサステナビリティを高めるためにもデータが重要であるという意識を共有しながら,皆さんと一緒にデジタルオブザーバトリ研究を発展させていきたいと願っております。
椛島本機構の目的でもあります,社会を観察して分析し,リスクに備えることは,日本全体のレジリエンス強化において非常に重要なことであり,これからも産学官で緊密に連携していければと考えております。
藤原自動車,蓄電池の業界で進めている官民のデータ連携には課題もありますが,その克服によって得られる知見は今後,他の分野や業界にも生かせるはずです。デジタルオブザーバトリ技術とこのような分野をまたいだ研究活動は課題克服に欠かせないと思いますので,今後も引き続き連携させてください。
西澤このディスカッションで挙げられた課題を解決していくためにも,やはり多くの人の力が必要です。先生方はもちろん,学生の皆さんに議論に加わっていただく機会を設けることも検討していきたいと考えております。
喜連川モノづくりでは,ほんの小さなパーツ1個がないために製造がストップしてしまうということも起きるもので,それを何とかできないかという声も伺っています。そうした声に応えるべく,われわれも全力で研究にあたっていますが,やればやるほど,問題そのものの複雑性も見えてきたところです。それだけに成果も期待できる研究ですので,ぜひ応援していただきたいと願っております。
閉会挨拶
齊藤 延人
東京大学 理事・副学長
各プログラムを終え,閉会の挨拶に立った東京大学の齊藤 延人理事・副学長は,発表者,パネリスト,聴講者への謝辞を述べたのち,機構発足からの2年間で著しく発展した生成AIをデータ分析などに取り入れていくことへの期待を語った。そして,「今後も産官学の積極的な意見交換を通じて,機構で築き上げられるさまざまな分析ツール,システムを社会に実装できるようお力添えをいただきたい」と結んだ。
なお閉会後は,各チームの研究内容を一枚にまとめたポスターを囲み,中長期的な取り組みに向けた課題やユースケースの抽出から社会実装,ビジネス創出を視野に入れた企業・機関との連携を模索するためのネットワーキングセッションが開催され,研究成果をまとめたポスターの展示とそれに基づく意見交換が行われた。デジタルオブザーバトリ研究推進機構は引き続き,デジタルオブザーバトリ技術を通じたデータ観測とそれに基づくリスクや予兆の発見に取り組んでいく。
現地開催された第2部 ネットワーキングセッションにおけるポスター展示の様子
[日立製作所による展示(上段),東京大学による展示(下段) ]
※登壇者の所属・役職は,2025年3月時点のものです。