地域エネルギーマネジメントシステムは,従来の消費エネルギーの見える化と省エネルギー制御という単純な機能のみならず,分散エネルギーリソースの積極的な活用においても貢献を期待されつつある。エネルギーリソースの運転計画最適化には,その元データとなるエネルギー需要予測の精度が重要なファクターである。本稿では需要予測にディープラーニングを適用したHARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムの事例を報告する。
日立の統合エネルギー・設備マネジメントシステム「EMilia(エミリア)」をベースに開発した本システムは,2024年1月に運用を開始した。精度の高い需要予測のためには,今後も実績データ蓄積だけでなくハイパーパラメータのチューニングが必要となる。その過程で得られる顧客との継続的な関係性とチューニングの経験値を,今後のエネルギーマネジメントビジネスでの強みとしていく。
昨今のエネルギー利活用の潮流は,急激な変化を遂げている。特に地域エネルギーマネジメントシステムの領域では,技術革新と社会的要求が融合し,新たな動向が顕在化している。
従来の地域エネルギーマネジメントシステムは,消費エネルギーの見える化と単純な省エネルギー制御を目的としていたに過ぎなかったが,近年では,導入される分散エネルギーリソースの積極活用によって,エネルギー消費のピーク回避から災害時を想定したBCP(Business Continuity Plan),さらには地産地消やVPP(Virtual Power Plant)によるエネルギー供給の民主化にも寄与することが期待されている。例えば三次調整力A※1)のような市場では,ベースラインとなる需要予測に基づいて上げDR(Demand Response)および下げDRを取引するが,約定したDRを遵守できない場合は違約金が発生するため,エネルギー需要予測の精度が市場での成功を左右する重要なファクターとなる。
こうした動向を受け,AI(Artificial Intelligence)を用いたエネルギーの需要予測が持続可能な地域エネルギーマネジメントに与える影響と可能性について,HARUMI FLAG※2)地域エネルギーマネジメントシステムにおけるディープラーニング型エネルギー需要予測の事例を報告する。
HARUMI FLAGは,東京都中央区晴海における大規模な都市開発プロジェクトである。この地域開発は,総戸数4,145戸に及ぶ分譲住宅街区(SEA VILLAGE・SUN VILLAGE・PARK VILLAGE)と,1,487戸を数える賃貸住宅街区(PORT VILLAGE),および商業施設街区(ららテラス)を含む複合施設として計画された。
これらの街区は,緑豊かな公園や運河に囲まれ,近代的な都市生活と自然環境が調和する。持続可能性と居住性を重視し,最新の建築技術と都市設計が融合しており,居住者の快適性と環境への配慮が両立されたまちづくりが行われている。
HARUMI FLAGにおける特長的なエネルギーリソースとして,街区ごとに設置された純水素型燃料電池(PEFC:Polymer Electrolyte Fuel Cell)がある。水素と酸素から水を生じる反応を基にしているため,同様に街区ごとに設置された太陽光発電設備(PV:Photovoltaic)とともに,カーボンニュートラルへ向けたクリーンエネルギーリソースとしての役割が期待されている。
HARUMI FLAGのエネルギーマネジメントシステムは,統合型マネジメントシステムとして構築されており,住宅街区および商業街区におけるエネルギーの需要と供給を最適化する。エネルギーマネジメントシステムの全体構成について,図1に示す。
図1|HARUMI FLAGエネルギー管理システムの全体構成HARUMI FLAGにおける街区ごとの見える化や最適化といったエネルギー管理は,住宅街区ではMEMS・HEMS,商業施設ではBEMSによって実施される。地域エネルギーマネジメントシステムは,これらのシステムと街区間ネットワークを介して接続され,HARUMI FLAG全体の集中管理と街区間の調整制御をつかさどる。
住宅街区では街区ごとに共用部はMEMS(Mansion Energy Management System),専有部はHEMS(Home Energy Management System)が,商業街区ではBEMS(Building Energy Management System)が構築され,各街区内におけるエネルギー需給管理と設備制御が行われる。これら街区ごとのエネルギーマネジメントシステムは,街区間ネットワークを介して日立が構築したHARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムに接続される。地域エネルギーマネジメントシステムはすべての街区のエネルギー需給を集中管理して,高度な全体最適化を行う中枢システムとして2024年1月に運用開始した。
将来的なエネルギー関連技術の進展や新たなビルディングの追加にも容易に対応できるように,街区間はビル向け標準プロトコルBACnet(Building Automation and Control Networking Protocol)※3)によって接続されている。また専有部は各住宅からクラウド上のHEMSへ接続されるため,通信セキュリティのためにHTTPS(Hyper Text Transfer Protocol Secure)によって地域エネルギーマネジメントシステムに接続されている。
HARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムは,日立の統合エネルギー・設備マネジメントシステム「EMilia(エミリア)」をベースとして,この街区に特化して開発した地域エネルギーマネジメントシステムである。本システムは,各街区に設置された分散電源,すなわちPEFC・PV・蓄電池を最適に制御し,エネルギー供給の安定化と効率化を図る。HARUMI FLAG 地域エネルギーマネジメントシステムは,エネルギーの見える化や設備監視制御,PV発電量予測などの標準機能に加え,新たに開発したディープラーニング型エネルギー需要予測機能を統合している。これにより,個々の街区のエネルギー需要に応じたPEFCの運転計画と蓄電池の充放電計画を立案し,エネルギーを有効活用するとともに,災害時においても地域のエネルギー供給の持続性を確保するという重要な機能を担っている。
HARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムにおけるエネルギー需要予測は,ディープラーニングに基づくアルゴリズムを採用している。ディープラーニングは,人間の脳のニューロンの動きを模倣したニューラルネットワークモデルを用いて,複雑なパターンや関係性をモデル化する手法である。特に回帰問題においては,与えられた入力(気温,湿度,設備の運転状況など)から連続的な出力(エネルギー消費量)を予測する。実際の入力要素と予測対象(出力要素)について,表1および表2に示す。
表1|ディープラーニング型需要予測の入力要素HARUMI FLAGにおけるディープラーニング型需要予測では,気象情報だけでなく設備運転スケジュールやイベント情報など,運用に際した情報も入力対象とすることで,より高精度な予測をめざしている。
表2|ディープラーニング型需要予測の対象(出力要素)HARUMI FLAGにおけるディープラーニング型需要予測は,各棟の電灯・動力・専有部・テナントなどの単位で予測出力を行うことができる。
図2|ディープラーニングによる需要予測の概要とハイパーパラメータニューラルネットワークは,入力層から順伝播させた出力層の値と実績データ(教師データ)との誤差に対し,逆伝播によってパラメータを調整することで学習する。そのアルゴリズムの性質上,学習のためのさまざまなハイパーパラメータをチューニングする必要がある。
図2に示すように,ニューラルネットワークモデルでは,各ニューロンは入力信号の加重和を計算し,活性化関数を通じてその出力を生成する。活性化関数は非線形性を導入し,ネットワークが複雑な関数を学習できるようにしている。
ある入力に対してネットワークが提供する出力(順伝播)と実績値との差異を,損失関数(誤差関数)を用いて評価する。
この損失関数に基づいて予測誤差をネットワーク全体の層に逆方向に伝播させ,各ニューロンの重みを更新する誤差逆伝播(バックプロパゲーション)が,ニューラルネットワークにおける学習メカニズムである。この過程により,予測誤差を減少させる方向にネットワークが最適化される。ニューロンの重みを段階的に更新することによって,ネットワークはデータからパターンを学習し,より精度の高い予測を行う能力が向上する。学習済みネットワークを用いて新たな入力データを順伝播させることにより,新たな入力に対する出力の予測を行う。
ディープラーニングはその仕組み上,多様で大量の学習データ(教師データ)を必要とする。しかしHARUMI FLAGは新規プロジェクトであり,構築初期段階では実績データが不足している。そのため,運用開始からしばらくの期間は実績データの蓄積期間と位置付け,PEFCの運転は規定のスケジュール運転を行い,蓄電池は満充電を維持する。
学習期間中でも,ディープラーニングの需要予測アルゴリズムは稼働し続け,収集された実績データに基づいてアルゴリズムの精度が徐々に向上していく。そして,十分な精度が確保されたと判断された時点で,PEFCの運転計画と蓄電池の充放電計画が,ディープラーニング型需要予測に基づく動的な計画立案へと切り替えられる。これにより,エネルギー消費の最適化と効率化が図られると同時に,ピーク負荷の削減やエネルギーコストの低減が実現されることが期待される。
表3|PoC(Proof of Concept)における需要予測アルゴリズムの精度検証[EEP(Expected Error Percentage)値]ディープラーニング型需要予測は,実際の複数の共同住宅の電力実績データと気象情報を活用した事前検証において,EMilia標準のMBRと比較しても十分に高い精度を示した。
開発された需要予測機能の精度は,HARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムの効果に直結する重要なファクターである。しかし前述したようにHARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムの初期構築段階では実績データが存在せず,実データによるアルゴリズムの精度を検証することができない。
そこで事前のPoC(Proof of Concept)として,顧客から提供された実在する複数の共同住宅の電力実績データと気象庁から提供される気象情報を活用し,ディープラーニングに基づく需要予測アルゴリズムの精度検証を行った。予測精度の指標としては,EEP(Expected Error Percentage)を用いた。EEPは予測値と実際の値の差の割合を示し,予測モデルの性能評価に広く用いられる。
PoCの結果を表3に示す。ディープラーニングを使用した需要予測は,EMiliaシステムに標準装備されている需要予測アルゴリズムMBR(Memory Based Reasoning)と比較しても十分に高い精度を達成した。これは,ディープラーニングアルゴリズムが,実績データが豊富な既存の物件において有効であることを示唆している。またこのPoCを通じて得られた知見は,HARUMI FLAGの実績データが蓄積されるにつれて,精度向上を見込むことができる根拠となる。
ディープラーニングモデルの開発において,学習の過程で最適化されるパラメータとは異なり,モデルや学習アルゴリズムをつかさどるハイパーパラメータを適切に設定することが予測性能を最大化するために不可欠である(図2参照)。しかし,ハイパーパラメータの設定についてはこれといった理論がほとんどなく,経験値や試行錯誤による設定が行われることが多い。
HARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムでは,PoCでフィットしたハイパーパラメータのセットを初期設定として選定した。しかし,PoCで効果を発揮したからといって,それがHARUMI FLAGの実運用環境においても最適であるとは限らない。実際の運用データに基づいて最適化のためのチューニングを行う必要があり,このプロセスはHARUMI FLAGにおける今後の学習期間の中で定期的に実施することとしている。
なお,継続的なハイパーパラメータチューニングをリカーリングビジネスとして位置づけている。顧客がHARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムを継続して運用する中で,定期的な最適化サービスを提供することにより,リカーリングビジネスとして継続的に収益をもたらすとともに,顧客満足度を維持し,長期的な関係を構築することをねらう。また,ハイパーパラメータチューニングの過程で得られる知見は,今後の日立の需要予測の精度ひいてはエネルギーマネジメントのビジネスにおける強みとしていきたいと考えている。
本稿では,HARUMI FLAG地域エネルギーマネジメントシステムにおけるディープラーニング型エネルギー需要予測の事例を基に,AIがエネルギー管理に与える影響と可能性を探った。今後の継続的な学習データ蓄積とハイパーパラメータチューニングにより,需要予測の精度向上とそれに基づく分散エネルギーリソースの最適化を図っていく。
需要予測の精度はエネルギーマネジメントビジネスの重要なファクターであり,今後のチューニングの過程で得られる経験値を日立の強みの一つとしていく。